第12話 嫌いな言葉

 上野駅で井川と別れた俺は、山手線に乗換え満員電車の熱気に押し潰されそうになるのを堪え、やっとの思いで秋葉原で吐き出された。そして、そのまま一定の方向に流されていく、まるで川だ。流れに逆らう術を知らない俺は、自然界を知らない金魚のように流されていく。

 金魚というよりは朽ちた小枝だな。。。

 流れが電気街口を示す案内板に沿って進んでいることで安堵を覚えた俺を自虐な俺がからかう。

 目指す「タキビル」は電気街口を出てすぐ左手にある。会議のために何度か来た事があるが、わざと通勤時間帯は避けてきた。

 田舎で育った俺にとって朝の通勤ラッシュは、ドラマや映画の風景だった。

 東京には住めないし、通勤なんて考えられない。

 出張でくる度にそう思ってきた。

 駅の改札から吐き出された俺は、駅舎の外まで流されたところで壁際に見つけた空間に逃れた。ゆっくりと息を吐きながら見上げた空は狭く、ビルの隙間から今にも雨が降り出しそうなことを告げている。

 先を急ぐ流れの人々は、存在感のない空には目もくれない。

 空一面の。。。などという表現が使えない。今まで見てきた空と繋がっているなんてちょっと信じられない。

 これじゃ気休めに好きな飛行機を眺めるなんて無理だな。

 これからは、この景色が俺の日常になる。。。

 何もかもが違っていて、しかも気に入らない、、、挙げ句に仕事は経験したことのない分野、いままで文句ばかり言ってきた部署の一員になる。この歳でこの仕打ちか。。。

 正直気が滅入る。

 頑張れ、俺。

 娘の、そして息子の笑顔が浮かぶ、こういう時の子供達は、なぜか小学生頃のイメージで俺に微笑みかけてくる。きっと、最も父親を必要とする時期であり、それでいて、俺が父親らしく振る舞えた年代だったのだろう。

 今は見た目は大人な子供達、説教することも頼られることも、コミュニケーションも殆どない。。。

「お母さんのことなんか何も知らないくせに」

 不意に大人の表情の娘が浮かび俺を責め立てる。

 だけどな、

 お父さんにだって言い分があるんだ、きっとお前には分からないだろうけど、、、いや分からなくていいよ。父親が「男扱いして欲しい」なんて、気味悪いだろうからな。。。耐えなきゃな、そう何よりも俺は父親であるべきだ。。。

 さて、頑張るか。。。お前達が身も心も大人になるまで、俺は何だって耐えるさ。

 鈍い色の空を映し込むガラス張りの「タキビル」を上から下へゆっくりと息を吐きながら視線を這わした俺は、壁面と統一感のあるガラス張りのエントランスに吸い込まれる人の流れを睨み、そして歩みを進めた。

 俺も今日から仲間入りだ。。。

明るい灰色のタイルが敷き詰められたエントランスホールは、滑り止めなのか表面がザラついていて心地良い。広過ぎるぐらいのホールの正面にはエスカレーターと階段があり、左右の奥へ進むとエレベーターが設置されている。

 熱心なこって。。。でもホントに運動したいなら歩きで通勤したらいいんだ。。。

 流れの主流が階段やエスカレーターに吸い上げられていくのを皮肉を込めて見送る。

「さ~て俺は、16階だったな。」

 確かめるように独り言を呟いた俺は左手のエレベーターホールへ向かった。

 最前列で「↑」のボタンを押してぼんやりとエレベーターを待つ。エレベーターが3基設置していあるのにボタンは2ヶ所。真ん中のエレベーターの左右にボタンがついている感じだ。

 どれが先に来るかな。。。

「群管理エレベーター。か。。。」

 あるインバーターを開発した時、納め先のエレベーターメーカーの技術者から聞いたことがある。複数台のエレベーターを一括で制御する方式で、呼ばれた階に最適なエレベーターを送る方式だそうな。中には時間帯による混雑度まで考慮したモノもあって、目には見えない「メーカの技術力の差」が出るらしい。だからエレベーターの数よりもボタンが少ない。俺が押したボタンの信号、つまり「上に行きたいから来い」という命令は、エレベーター本体ではなく、群管理制御装置の方に行く、で、そいつがいろいろと考えて、「じゃあ3号機、1階に迎えに行ってくれ。」となるわけだ。

 あの技術者は元気にしてるんだろうか。。。

「お宅の本社ビルにも入ってますよ。」

 張りのある自信に満ちた声が言っていたっけ、、、神経質そうに強く瞬きをする癖のある笑顔が浮かぶ。


「ん?」

 急に目の前に割り込まれた俺は、声にならない音を発して後ずさった。後ろの人に鞄が当たった感触があったのでとっさに謝る。遠慮がちに茶髪をした男が軽く作り笑いを浮かべて会釈した。サラリーマンだから、と控えめにしてる茶髪だろうが、だったら茶髪にするな。と言いたいのは俺だけか?少なくとも開発にそんな若造はいなかった。田舎じゃ「チャラ男」が都会(ここ)では普通なのかもしれない。

 ま、悪い奴じゃないらしい。少なくとも悪いのは俺の方だ。そもそも人は見た目で判断しない。ってのが俺の持論のひとつだ。ただ、仕事は仕事だ。仕事のスタイルってモノがある。何事も形から入るってのも俺の持論だ。ま、いいか、ここでのスタイルってのから学ばなければいかんな。。。

 それにしても、まだエレベーターが来てないのにせっかちな奴だ。割り込むなんて腐ってやがる。どんな奴だ。と思いながら顔を正面に戻した瞬間、真っ直ぐな視線に俺の目が射られた。そう、割り込んできた人間が俺を見上げていた。無邪気さは薄れたが真っ直ぐに人を見つめる大きな瞳は相変わらずだ。

 あっ、お前は。。。歳をとっても人を識別する能力は衰えないもんだな。。。

「お久しぶりです。何でメールくれなかったんですか?」

 口を開きかけた俺は先制攻撃された。丸顔の頬を膨らまし、軽く睨む形に変形した瞳は無邪気さが失せた分色気さえある。腰に手を当てて肩幅より広く踏ん張った脚は、怒りを表わすポーズだろう。が、両脚で突っ張られたスカートの裾が色気に拍車を掛けている。。。ように見える。。。

 いかん。俺は変態か?

「ったく、いきなりそれか。まずは挨拶だろう。ハムちゃん。久しぶりだな。よろしくお願いします。」

 俺は仰々しく頭を下げた。

「あっ、それもそうですね。よろしくお願いします。」

 俺以上に深々と頭を下げた大田公子からは、淑(しと)やかささえ感じる。

 大人になったな。。。あれから15年、実習生で開発に来ていた頃は23歳のガキだったが、そういえば、事もあろうか異動の内示があったその日にメールを寄越してたっけ、返事は、、、確かにしてないな。。。

「悪かった。いろいろあって、な。メール返事してなかったな。ゴメン。」

 確かに返事をしない非礼は、先輩後輩関係ない。悪い事は悪い。ただ、あの時の心境では無理だ。空気読めよっ。ていうのが俺の感情だったかもしれないが、いや、もうひとつ、相変わらずの馴れ馴れしさ、もとい、壁の無いコミュニケーションと、未だ苗字が変わっていないことへの驚きが無かったと言えば嘘になる俺が知る限りではもう大田公子ではなかった筈だ。一体何がお前に、

「いろいろあったって、ことは、やっぱりまだ奥さんに相手にされてないんですね。」

「お、お前、そんな事、こんな人がいっぱいいる前で止めんか。だいたいお前みたいな小娘に心配される筋合いはないんだよ。」

 俺は顔の前で、団扇のように手を左右に振って止めさせようとした。全く情けない話だ。

「私、もう小娘じゃありませんから。」

 そう短く言い捨てた公子はプイッとエレベーターの方に向き直った。

 確かにお前は小娘じゃなくなっている。俺がいちばんビックリしているさ。

 しかし相変わらず、その言動が小娘なのさ。。。中年をからかいおって。。。

 その背中に心の中で呟く。

「そうだな、先輩に対して小娘、は失礼だな、すみません。職場に案内してください。」

 あえておどけた調子で公子に言った。

「そういうこと言ってるんじゃなくて、、、ま、いいか、」

 そこにタイミング良く到着したエレベーターに救われた思いで乗り込んだ。

 

 17時5分に夕方のチャイムが鳴ると、今日何度目かの開発とは違う文化にぶつかった。

 誰が、どこに行っているか、の確認が始まった。手持ち無沙汰に電話で話す者もいれば、受話器を忙しなく肩と頬に挟みながらパソコンのキーを連打している者もいる。

 開発ならば、大抵の人間が残業、たまたま手の空いたごく少数の者は申し訳なさそうに定時退勤する。そもそも、開発の場合は社員の名前が一覧表になったホワイトボードがあり、名前の右に行き先を記入しておく、現場やライン設計など頻繁に行く場所はマグネットで作っておくのは職場改善活動の初歩中の初歩だ。ちなみに「年休」というマグネットがいちばん汚れが少なく、○○会議室といった類は使い込まれている。

 ここにも行き先を示すホワイトボードはある。あるにはあるが、行き先欄には「在社」と「帰宅」、「外出」、「休暇」が既に印字されていて、矢印の赤いマグネットがその何れかを指し示しているだけだ。

 まあいいさ、とにかく最初の一日が終わった。自分でも嫌になるくらい月並みでへりくだった挨拶を朝礼でやって、その後の各部署への挨拶回りでも使い回した。

 そして資料を読み漁る振りをして退屈に過ごした午後、、、技術資料と言ったって、仕様の特徴や、オプションの組合せ、簡単な計算式などなど。。。仕様決定資料。略して仕決資料。。。何てったって俺達が開発で作った資料なんだからな。モデルチェンジの度にリリース間際の機能試験や設計変更、設計書類で大忙しの時に営業が矢のように催促してくる仕様決定資料。。。そう、カタログだけではこういうモノは売れない。カタログを元に顧客と打ち合わせて技術的な詳細を決める資料が要る。だが、それを作っているのは、文書作成専門のチームではなく、開発が片手間でやるしかないのが今も昔も日滝のやり方なのさ。何故かって?何で開発がやるのか?それは営業の連中に技術的な知識が欠如しているからさ。ライバルの三槍なんか、営業技術とかいう営業にも技術専門の部署があって、第一線の営業マンの支援をしているらしい。営業がトラブルになった時には、その営業技術が客先に出向いて説明や調整を行っている。ウチなんか何度営業の尻拭いをさせられたことか。。。


「さてと、今日の外回り組はそのまま直帰だな、さ、柿崎さん行こうか。」

 各チームの居残り組からの報告を聞き終えた三谷課長が俺の背中に声を掛けながら通り過ぎる。

 返事を返しながら振り返ると、すでに三谷がマグネットの矢印を「帰宅」に合わせていた。

「行きますよ。」

 驚いて振り返ると、触れんばかりの近さに俺を見上げる顔があった。少し間をおいて甘い香りが思い出したかのように鼻をくすぐる。俺としたことが嗅覚が出遅れたらしい。情けない。相手は「たかがハムちゃん」だぞ。

 視線をそらしてあの頃の公子を脳裏に浮かべる。。。一瞬だけ。。。コイツが実習生だったあの頃。。。


 営業部が入社1年目の社員に行っていた実習生制度、若手に各職場の役割と雰囲気を肌で感じ、学び、将来の業務に役立ててもらいたい。という趣旨で始めた制度だった。

 営業人としての人格形成の第一歩だ。いろんな想いと立場の人と打ち解けて将来に繋がる人脈を作って来い。と発破(はっぱ)を掛ける上司もいたらしい。

 そんな人間臭い古き良き制度も幾多の経済危機に揉まれて消え去ってしまったが。。。

 その一環として開発に実習に来てたのが大田公子だった。無邪気とも天然とも取れる公子の明るい性格は、柔らかそうな頬に大きな瞳、小柄な体にアンバランスな胸の二次元オタ受けする容姿も相まってか、男だらけの職場でも、すぐに人気者となった。俺から見たら小娘だったが。。。

 そして誰からともなく公子の「公」の字をカタカナに分離してハムちゃんと呼ばれるようになった。小娘ハムちゃん。水色の作業着を羽織った小柄な体で化粧っ気がなくて、着飾りもせず。。。ま、これは現場を歩く際に服を機械に引っ掛けると危ないからだ、だから「現場にも行くんだから基本的にスカートじゃない方がいい。」と言ったのは俺だ。眺めるならスカートを穿いた女性の方が断然イイ、俺の場合はカミさんが穿いてくれないから尚更だ。まあそんな嘆きは置いとくとして、同僚や部下は眺めるものじゃない。同僚は助け合って成果を出す者、であって、部下は育てて伸ばす者だ。

 まあ、あのハムちゃんだってもう30代後半だ。色気のひとつもあって当然か、、、自分の感覚に今は正直でいよう。でも眺めるものじゃない。それだけは肝に銘じ直した。

 

 とにかく今日は初日だ。

 何で俺が営業に?

 いろいろ言いたいことはあるが、聞くことに徹しよう。

 ハムちゃんと、課長、そして出張帰りの営業部長が合流するらしい。歓迎会は後日予定を調整して盛大に開いてくれるらしい。。。が、正直、営業の連中なんて頭デッカチで俺達技術者をコケにしてきたような奴らだ。しかも、技術が売りな企業で手前らが不勉強なことを棚に上げて開発がダメだと技術屋を馬鹿にする奴ら。。。

 そんな奴らと同じ職場だなんて、、、何て皮肉なことだろう。

 「俺は奴らとは違う。」

 開発や設計の仲間に誤解されないように生きていきたい。

 立場変われば人変わる。。。俺がいちばん嫌いな言葉だから。。。

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