第6話 15年

「やっぱりここにいたんですね。」

ヤニで黄ばんだガラス越しに俺と目が合った鳥井は、安堵したよう頬を緩め、建物の新しさとは対照的にくすんだ内壁の喫煙室に入ってきた。

今やオーダ設計の筆頭主任となり、若干の貫禄が見え出した雰囲気の中には、男として、そして技術者としての自信が間違いなく含まれている。そんな鳥井が、俺にだけ見せる、昔から変わらない表情だ。

「まあな、吸わねえとやってらんねえ気分だ。」

必死に育て上げた部下は、今や気心知れた後輩だ。隠すことは何もない。

「さっき部長と話てた件ですか、、、また何かめたとか?」

俺は、愛用のジッポライターで3本目の煙草に火をつけた。小気味良い金属音を立てて開閉するフードと着火する時の太い音、燃焼するオイルの香り、ひとつひとつの儀式が何事もカタチから入る俺の心を癒してくれる。

「いや、揉めるような話じゃあないんだ。それに、「また」ってのは余計だな。」


俺の最初の部下だった鳥井だけに若く熱い頃の俺を知っている、そして今もそれなりに熱いことも。。。不合理や理不尽に対して相手構わず正論を吐くだけで、俺自身は熱いつもりはないのだが、酒を飲むと鳥井は武勇伝のように俺がお偉いさんに言ったことを大袈裟に語る。そしていつも「あの時は、柿崎さんが飛ばされるんじゃないか。って心配したんですよ。」と結ぶ。そんな鳥井に「技術者は、数値とセンスと実績だ。代わりがいなけりゃ飛ばされるもんか。それに正論を言う人間を飛ばすような会社、こっちから願い下げだ。」と吠える酔っ払いの俺。。。


「そういう話じゃないんだ。」

笑みの消えた目で続きを促す鳥井に、俺は再び同じことを答えて大袈裟に笑って見せる。そして深く煙を吸い込み、顔をそらす間を作るために鳥井のいない方にゆっくりと吐き出す。

畜生。営業部へ異動なんて、、、自分でも信じたくない話、どんな顔でコイツに話せばいいんだ。技術者としては牙を抜かれたライオン同然だ。

何も言わないままもう一度煙を吸い込むと、沈黙の間が延びた。


「やっぱり異動の話ですか。。。」

鳥井の沈んだ声が長いようで実際は短い沈黙を破った。

「まあな。」

そう、そうだよな、お前に隠す必要など何もない。だが、、、

「でも、何でお前がそれを知ってるんだ。ずいぶんアンテナが高くなったじゃないか。」

鳥井の成長が素直に嬉しい。アンテナが高い、ということは、それなりの人脈が出来ているということだ。何も知らなかった俺よりアンテナが高いということになるが、コイツに抜かれるなら本望だ。

「いやいや、高いってわけじゃないですよ。ハムちゃんってコ、いたじゃないですか。覚えてます?」

沈んでいた鳥井が無理にからかうような笑みを浮かべる。

「まあね。あの子で営業の実習生は最後だったからな。」

東京にある、みなとエンジニアリング営業部の新入社員が約1ヶ月間、茨城県みなと市にある親会社の日滝製作所みなと事業所の工場や開発部門、設計、検査、資材部門など、ひと通りの部署を巡る実習。この取り組みは、最前線で顧客に向かう営業担当としての知識と、各部署がそれぞれの役割を果たすことで事業が成り立っているということ、もっと言えば営業担当者が利益を出し彼らにも還元しなければならない、という使命感を植え付けたいというのが本音らしい。

金を稼ぐ部門が全体最適を考える、まことに素晴らしい施策だとは思う。が、現場としては負担以外のなにものでもない。ただの見学ではないのだから当然だ。だが、良い施策として現場では積極的に受け入れられていた。ただし、それはみなとエンジニアリングの請負部署での話だ。

 俺が上に文句を言った訳ではないが、日滝の開発部長がストップを掛けたというのが専らの噂だ。そりゃそうだ、子会社から来た営業のヒヨッコが開発担当者につきっきりになって実習する。当然みなとエンジニアリングから派遣で来ている俺たちが面倒を見るわけだから、日滝の開発担当者の邪魔はしない、が、日滝側からみれば、お陰で開発が遅れたらどうするんだ。という話になる。それは即ち俺たちも、日滝の担当者として親会社の人間と同じ名札をつけて同じ名刺を使い同じ責任で同じ仕事をしている。ということを意味している。ただ元の会社が違うだけ、それが皮肉にも数少ないウチの、、、みなとエンジニアリングの良い施策をつぶした。ということだった。

しかも、同じような仕事をしている日滝製作所の営業部には、そのような施策はなく、営業成績は、みなとエンジニアリングに及ばない。という「とばっちり」もあるとかないとか。。。


 決して公子が悪い訳じゃない。

 だが、公子は責任を感じたのか、その後2、3年ぐらいは「後輩に教えたいから資料を送ってほしい。」とか「新製品の技術のココが分からない。」、「後輩に質問されて、、、」などなど、実習が無くなった分、自分なりに後輩への技術指導に奮闘していたらしい。

 えっ?ノイズの話?そこまで後輩の指導が進まなかったんだろうな。自分のことより後輩のこと。それがハムちゃんなんだろうな。

東北支店に異動ると聞いた後、プッツリと音信は途絶えた。

「で、なんでハムちゃんが俺のことを?てか、お前らもしかして。。。」

俺は努めてお茶目に振る舞う。でないと何かを思い出してしまいそうだ。何かを。。。

「何を言ってるんスか、そんなんある訳ないじゃないですか、あの子は一途だから。。。」

と言って、俺を射る鳥井の眼がいやらしく見えるのは俺の思い上がりか。

「ま、「あの子」って歳じゃあないわな。」

 そう、あれから15年、俺が49ってことは、あの子は38歳。アニメのキャラに例えられていた見た目はどうなってることやら。。。

「それを言っちゃあお終いじゃないですか、オーダー設計は主任になると、秋葉原の会議に行かなきゃならないんですよ。そこで久々に会ったんです。」

あの頃、本気で転職を考え始めていた俺は、自分が居なくなってもやっていけるように、それまで以上に鳥井をしごいた。俺が居なくなっても困らないように。。。重圧と忙しさに潰されないように。。。

 あの自動車会社から来た一次試験の通過と最終試験の案内に嬉々としていた俺は、翌日どん底に突き落とされた。父がガン健診で引っかかった。

 胃ガンらしい。という電話に俺はお先真っ暗になった。長男として、地元を離れる訳にはいかなくなった。弟は地元に就職していたが、まだ結婚もしていなかった。俺はやむなく最終試験を辞退した。

 親父?発見が早かったこともあり、今ではピンピンしてる。神様がいるなら本当に感謝だ。試験とのタイミングがズレてくれていれば言うことなしだったが、親父の命が助かったのは何事にも代え難い。

 親父の手術の経過は良好で、2年後、再発の全く心配ない。と分かった頃、俺は36歳になっていた。そして程なくして鳥井に異動が掛った。顧客の特殊仕様に応じて既存の製品に改造設計を行うみなとエンジニアリングのオーダー設計への異動だった。それも技師昇格のオマケつき、「もしも」を考えて鍛え抜いた鳥井が認められた。と、俺は素直に喜ぶ半面、一昨年前、そう、俺も転職活動をしていたあの年、開発に派遣されていたみなとエンジニアリングの社員が4名も転職してしまった反動であることも俺は知っていた。それは少数精鋭といえば聞こえはいいが、直接は金を稼がない「開発」という部署に人を掛けない日滝の開発部門にとっては大きな損害だった。いや、損害どころではない、日滝製作所が自社の社員同様に育ててきた開発設計者が流出してしまったのだ。4名も、、、代わりがすぐに育つ世界ではないことは、彼ら自身が誰よりも知っている。しかし、派遣されている子会社の社員の心境も「職場の仲間」として理解していた。転職してしまうのは仕方ない。

 ならば、、、もう子会社の人間を開発に置くべきではない。

 と結論付けられた。

 その結果が鳥井の開発からの転出でもあった。その年に鳥井の下に入ってきた新人も一緒に転出となった。

 開発の中でも特にハード屋は、みなとエンジニアリングからの派遣社員がメインで製作所の人間は、俺の上の管理職と、鳥井と同レベルが1人。俺たちに出て行かれたらガタガタだ。決しておごって言うわけではないが、はっきり言って俺たちが居なくなったら成り立たない。

 俺は、辞めないことに念を押されて開発に残された。というより、転職できる状況にない。ということがバレバレだった。もう35歳というラインを越えた俺は、「旬」を若干過ぎていた。

 だから、いままでの立ち位置のまま残った。上は製作所の管理職、下は製作所の部下。職場にはもう、みなとエンジニアリングの人間は俺以外いない。それだけが今までとの違いだった。

 それ以来、俺は、ずっと同じ立ち位置のまま十数年を過ごした。下についていた製作所の部下は、数年経つと他の部署へ異動し、その後管理職になって戻ってくる。そう、俺は抜かれっぱなし。。。

 そもそもが、弱体化したハード屋を立て直すための捨て駒だったのだ。

 部下を育てる。のではなく、後輩を育てる。将来抜かれるために。。。

 子会社の人間だから仕方がない。。。

 そう言って俺は自分をなだめてきた。

 そもそも転職を諦めた時点でこうなることは分かっていた筈だった。

 だが、現実は辛い。。。

 馬鹿になるしかない。と言い聞かせて馬鹿になれるほど人間は利口ではない。ましてや自分の専門分野だ。これで飯を食って来た。誰にも負けない。だが、その畑でどんどん置いていかれる。かといって、自分の畑で手を抜くほど薄情にもなれなかった。

 好きな分野だったから、俺の畑だったから妥協はできなかった。後輩は精一杯育てた。。。

 それはあくまで技術者として当然の良心だ。

 だが、良心に従えば従うほどに、自分をこんな境遇に置いて我関せずを決め込んでいる「みなとエンジニアリング」への怒りは募る。

「だって、お前らは「みなとエンジニアリング」に対して何もしていないだろう?」

というある日の部長の言葉とともに。。。


 クソッ挙句の果てに要らなくなったら営業へポイかよっ。


「で、いつなんですか?」

 その声に引き戻されて茫然とする俺を鳥井が覗き込むように見つめていた。その眼から笑みは消えていた。

「んー、それが来月からなんだ。」

 最初の部下だった鳥井とは長い付き合いだから顔を見ればバレてしまう。そもそも俺はポーカーフェイスというのが苦手だ。普通に感情のある人間が出来る技ではない。俺はそう思う。

「でも、栄転なんですよね。」

 明るい声に切り替わった鳥井の声が俺を励ますように響く。

「んなことあるか、ポイ捨てだよ。本体だけでハード屋が揃った今、俺はいる意味がない。栄転とか、ありえんよ。当てずっぽ言ってまで無理に励ますな。」

 俺は、ゆっくりと自分をなだめるように言葉を紡ぎながら、まだ半分以上残っているタバコの先を灰皿に軽く擦りながら火を消した。不思議と気分が落ち着く。

「いや、当てずっぽって訳じゃないですよ。ハムちゃんが言ってたんですから。」

 鳥井が珍しく食い下がってくる。その程度でムキになることもないだろうに。。。

「ハムちゃん如きがそんな情報知ってるわけないだろ。」

 俺は畳み込むように早口で言った。ちょっと言い過ぎたか。。。だが、今の俺は本当はイライラしている。相手が鳥井でなければ話をする気にもなれない。

「いやいや、「如き」じゃないですよ。今度、営業技術課の副課長に昇進するそうですよ。」

 灰皿の上でもてあそんでいた先の消えたタバコが途中で折れる。

「何っ、あいつが副課長だって。マジかっ、」

「マジですよ。」

 声が裏返りそうになる俺を鳥井が笑う。


 営業技術課といえば、市場開拓の検討、新製品の事前売り込み、オーダー製品の営業、新技術の展開検討、技術的な顧客対応など、とにかく沢山売ることが至上命題の、という営業一課や二課とは一線を画する技術畑に近い部門だ。確か公子のメールの署名にはパワー装置営業課 主任とあったな。というと、俺と同じ時期に営業技術に異動か?

 ところで、俺はどの課に異動になるのだろうか。。。まさかハムちゃんの後釜か。。。それじゃ主任のままで栄転じゃないだろ。

 ま、でも人生そんなもんだ。。。

 そんなもんだよ人生は。。。


 俺は、、、いつからこんな後ろ向きな男になってしまったんだろう。。。男、、、ま、妻に相手にされない俺は男としてはとっくに終わってるがな、、、今度は技術者としても終わりになるとは、、、


 鳥井と組んで仕事をしていた頃の俺とは別人のようだ。あの頃が懐かしい。

 あの頃は自信に満ちていた。そして何よりこの仕事と仲間が好きだった。。。

 将来への不安と現状への不満があったが、どうしようもなければ転職という道があった。

 あの時、転職していたら。。。こんな惨めな想いはせずにすんだのかもしれない。


 あんなことがなければ。。。あんなことがなければ今頃はどうなっていただろう。。。

 後ろ向きな俺が心の中で大きく呟く。。。


「どんなことでも自分で選んでやった結果だ。人のせいにはするな。例え他人に勧められたとしても、どうするか選べるのは自分だけなんだからな」

 と子供達にも厳しく言い聞かせてきたのに、何たるザマだ。

 別な俺が叫ぶ。


「今度、飲みに行くぞ。お互いカミさんに怒られないように、前もって日にち決めようぜ。」

 俺は、明るく声を張り上げる。


 栄転じゃ無かろうが構わん。要は、「そこでどうするか」だ。


 よかった。まだ少しだけ前向きな俺が残っていたようだ。。。

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