第5話 内示
試作レビュー会議は、配線や組立てを行う電気装置組立課、略して電装課にある会議室で行われる事になっていた。開始は13時30分。会議室のホワイトボードへの議事項目の書き込みは鳥井に頼んである。昼休みは12時15分から13時。終了5分前にいつものように流れてくる日滝グループのCMソングが終わる頃合いで資料を抱えた鳥井が出て行く。電装課へは自転車で2,3分程度掛かる。いい間合いだ。
ホワイトボードに会議で議論したい項目を事前に書いておくのは、昔の上司の教えだ。会議が脱線せずに効率よく、そして場合によっては意図する方向にまとめるための秘訣だった。
しかしこれがなかなか難しい。理路整然と項目を書くだけではなく、議事を記入できる適切なスペースを各項目ごとに空けておかねばならない。そのためには会議で議論する項目だけでなく、落としどころや重視すべきポイントなどなど会議の対象となっている事柄を知り尽くし、マネジメントをイメージしていなければ出来ないことだ。
だから俺も下っ端の頃は苦労した。ただでさえ汚い字。それをホワイトボードで人に
鳥井もだいぶシゴいたがあいつはスジがいい方だったかもしれない。俺よりはマシだった気がする。あいつももう5年目、会議の段取りは完璧だ。いや、もうアイツに任せてみなければならない。俺がいなくなる前の予行練習だ。
「悪いけど、よろしくな。」
出て行く鳥井に声を掛けた俺は、立ち上がりながら水色の作業着を
ったくチョコマカして、、、まるで小動物みたいな、そうハムスターみたいな奴だ。。。そういう意味でもハムちゃんだよな。。。カワイイ奴だ。。。
「帽子っ」
何となく和やかな気分になりそうな自分を一喝するように短く切る。 お気に入りの分厚いシステム手帳を小脇に抱えた俺は、公子に目を向けずに歩き出す。パンプスと床が織りなすリズムが早足でついてきていることを知らせてくれる。
「ありがとうございます。」
金網の埋め込まれたガラスがはめられた鉄製の重い扉を開けて公子を通す。
防火扉を兼ねた重い扉。男がいれば開けてやるのは当然だ。お前だからじゃないからな。。。息子にだってそうするように
自然とやってしまう自分に嫌気が差しそうになるのを肯定する。
大きな音が出ないように扉をゆっくり閉めて向き直ると、公子が足を揃えて突っ立っている。笑み俺に向けて、
お前って奴は。。。
「こういう時は待たなくていいんだ。俺が迷子になるわけないだろ。」
つい冷たくあしらってしまう。
すみません。と言う公子に、いいんだ。と呟いた俺は今度はゆっくりと歩き出した。
自転車で先行した鳥井に会議の準備を任せた俺は、公子と構内道路を歩いて電装課へ向かった。いつもは早足で歩いて5分程度だが、公子に合わせて歩いたので予定より時間が掛かった。まだ案内する時間はありそうだ。
電装課のある建物は2階建ての奥行きのある建物で、手前側の1階に事務所とロッカー、2階に会議室がある。その奥には約200mに渡って壁のない幅約20mの細長い組立職場が続く。
昭和30年代、高度経済成長期に建てられたこの建物は、冷蔵庫や洗濯機の増産の目的で建てられたため、この細長い職場は流れ作業には最適な職場だった。
だが、これらの製品の生産は、バブル崩壊を待たずして、労働力の安い中国工場に移管されてしまって、今は心臓部となるモーター制御回路だけを作って中国工場へ送っている。ちなみにこのモーター制御回路もインバータの一種だ。大掛かりな流れ作業が不要となった現在では、製品ごとに縦長のフロアを区切って使っている。製品の検査工程だけが昔と変わらず建物の一番奥にあるのが唯一の昭和の名残だ。
これが世界に冠たる総合電機メーカー日滝製作所のインバータ製造ラインだ。最新の設備で完全自動化だと思ったら大間違い。基本は同じでも客先ごとに違う仕様、求められる高い品質。。。ここでは自動化よりも人間の技術力の維持・向上が重視されてきた。
「へー。手作業が多いんですね。意外です。。。」
呟きながら公子の大きな瞳が、同意を求めるように俺を見上げる。返事の代わりに目をそらして、階段の隣にむき出しで置かれた事務机でパソコンと睨めっこしている男に声を掛けた。
「お疲れさまです。根岸組長、1時半からの会議、よろしくお願いします。」
「お疲れさん。試作レビューな。了解。それにしても、何でウチで試作なんだかな?」
根岸はツバをつかんで布帽を脱ぐと
「組長。まあそう言わずに、お願いしますよ。今回は基本部を標準・オーダー共用にしてるんですから、標準組の腕の見せ所じゃないですか。」
「まあな、Z計画だからな、「皇国の興廃、この一戦にあり」ってな。作業に見合った増員をかけてくれりゃあいいんだが、」
直立不動の姿勢で敬礼の真似事をした後におどけて笑う組長の表情には陰りが見える。人も掛けない、のがコスト削減の手の一つ、ギリギリまで人を増やさない。というのはあり得る話だ。
ウチのインバータの組立部署は標準組とオーダ組の2つあって、仕様の複雑さで作る製品を分けている。
根岸組長の標準組は、大量生産タイプの製品で、お客さんの付加仕様、つまりオプションがカタログに載っている範囲の製品を製造している。
一方、オーダ組は、カタログに載っていようがいまいが顧客の要望に応えたアレンジ物を製造している。いわゆるオーダメイドだ。
よって従来は、標準のベースとなる製品と、オーダのベースとなる製品は別物だった。大量生産向きの標準品は、低コストを徹底追及して無駄なく、オーダ品は余裕を持たせた基本設計。そのほうが効率が良いと考えられていた。
そして、それぞれのベースになる製品と、オプションを開発するのが俺達、開発設計の仕事だ。
しかし、景気の悪化、海外新興メーカの台頭で特に大量生産の標準品の受注台数に陰りが見え始めた昨今、その戦略の見直しを行ってきた。その答えが今回の開発だった。
海外新興メーカと標準品の価格競争をまともに戦えば、人件費の高い日本製は、早々に競争力を失う。競争力を失うまでには、無理な価格設定による収益の減少が必ず発生し、次の競争のために製品開発を行う余力さえなくなる。高品質・高信頼性のメイド・イン・ジャパン。それは今も昔も変わらないが、目的を果たしてくれるなら安い方がいい。そういう顧客が増えてきたのが今の社会だ。であれば、標準品とオーダー品のベースを同じ機種にしよう。ということが、その答えとなったのだった。標準品は無駄に高くなるが、エレベーターや自動車、工場などの生産設備など、真に高品質・高信頼性を求める一部の顧客はウチの製品を買ってくれるはず。一方で、標準品との量産効果により、オーダー品のベース機種の生産コストは下がり、その特殊性から海外新興メーカとの差別化が図れ、安定した高値で取り引きされているオーダ品の利益を増やすことが出来る。そう考えた経営幹部は、この製品戦略のスタートとなる今回の開発を「Z計画」と名付け、
かつて、日露戦争の日本海海戦でロシアの当時世界最強といわれた「バルチック艦隊」を迎え撃った日本の連合艦隊。客観的に勝てる見込みのない連合艦隊の旗艦「三笠」に司令長官の東郷平八郎が掲げた旗「Z旗」(皇国の荒廃、この一戦にあり)にあやかった。という歴史好きや軍事モノに興味のある人なら納得してしまいそうな話は、製作所内でも特に男性の比率が多い設計や製造では周知の事実となっていた。
「それはそうと、その子が例の「ハムちゃん」かい?」
帽子を被りなおした根岸組長の目が笑顔で細くなる。
「大田公子です。よろしくお願いします。」
小さな手帳を一瞬で閉じて礼をする。その気忙しいが一生懸命な動きはハムスターそのものだ。
「よろしくね。そのオジサンには気をつけるんだよ。嫁さんに構ってもらえなくて爆発寸前だから。」
えっ?と気のせいですませそうな小さな音が耳に入る。無視しようとするが大きく見開いた公子の驚きの眼差しが俺の視界の真ん中に入る。
「ちょっ、組長。なに言ってんですか。あ、そうだ、こないだの作業性改善、設計変更忘れてました。ま、いーか。」
俺は根岸組長を作り笑いで捉えると、即座に反撃した。否定できない現実を逸らすために。。。そして公子から目を逸らすために。。。公子の目が驚きだけに見えなかったから、と言ったらいい年した中年の勘違いだろうな。。。
「ま、とにかく試作をよろしくお願いしますよ。
じゃ、次、検査場を見学するぞ。」
「あ、はい。ありがとうございました。」
視界の隅で、公子がバネのように腰を折るのを見届ける。帽子を取ってまで挨拶しなくていい。という小言は次にしよう。垣根を低くすると今は、公子が何を言ってくるのか油断ならない。
ったくあのオヤジめ、
猫のように細めた目でからかうような笑顔を向ける根岸組長に軽く黙礼すると、肩のラインで揃えた髪を撫でつけながら水色の作業帽を被り直す公子の横を足早に通り過ぎる。慌ててついてくる公子の気配を確かめると、俺は歩幅を緩めた。
俺のチームが設計する制御装置と呼ばれるパートは、制御盤と呼ぶいろいろな装置を詰め込んだ箱のようなものの設計をしている。外には操作パネルや、各種ケーブルを取り付ける入出力部、その中には電力を変換する、つまり電気の種類を変える肝となるパワー半導体の電力回路、そしてパワー半導体をコントロールする電子回路とマイコンを組み込んだプリント基板、安全装置や、動作状況を出力する信号部の回路を詰め込む。これらの回路と装置を実装を一挙に引き受ける。みんなは「ハード屋」と俺たちを呼ぶ。簡単に言えば回路の設計と箱物の装置の設計、ある意味電気屋さんと機械屋さん両方の役割を持つ。
ちなみにマイコンや電子回路を実装したプリント基板は、別の開発チームで試作に入っており、今回の試作の中盤で制御盤に組み込まれる。ちなみにこのプリント基板を設計しているチームを「電子屋」と呼んでいる。そして、これらマイコンの動作を司るソフトを設計しているチームが「ソフト屋」だ。
車でいえばエンジンルームといったところだな。これら一式が組み上がって初めてインバータという我が社の商品になる。
検査場で出荷検査のために中身をさらけ出した製品に、検査用の配線や測定機器が所狭しと繋がれている。さながら病院の集中治療室のような場所で製品の
検査場で主任をしている同期に手を上げて合図をするかのようないつもの挨拶を送り、踵を返す。出荷検査も我らが子会社「みなとエンジニアリング」の領分になっていた。何でも子会社に業務委託。。。それが価格競争の舞台裏だ。
今度の開発で、俺は主に回路を設計し、回路図を作って部下の鳥井に渡す。もちろんその前に、必要な部品や定格などの計算・検討は済んでいる。 実装や筐体などの構造は、イチから鳥井にやらせてみた。5年目になる鳥井は俺の回路図から最適な部品の配置を検討する。熱に弱い部品を発熱体の近くに置くことは、寿命の低下を招き、ノイズを出す部品や、ノイズに弱い部品の配置を誤れば、誤動作の元になる。そして、生産性と保守性の高さ。どんなに性能が優れていてもこれらの作業性が悪ければコストが上がる。これらを年々厳しくなる小型、軽量化のニーズに応えて実現する。その設計の難易度は上がる一方だ。
今でこそ3D-CADといった類の三次元でシミュレーションを行いながら図面を描ける設計ツールがあるが、当時は経験とセンスが技術力の一翼を担っていた。どんなに勉強して知識を磨いても経験とセンスが悪ければ良いモノは出来ない。「頭でっかち」では良い設計はできない。良い設計ができないとどうなるか?答えは簡単。モノだ。製品へと繋がる試作品ではなく、モノというガラクタとなる。そうなっては全て「やり直し」だ。つまり試作品をいかに完成度高く設計できるかで、開発計画、コストは大きく変わる。そして他社よりも先んじることが出来る。
試作品は、目的とされたスペックそして機能を満たすかを確認する機能試験だけでなく、寿命を確認する温度上昇試験や、誤動作の無いことを保証するためのノイズ試験など、多種多様な試験を行う。その中には「そこまでやるか?」と誰もが思う「過酷試験」も含まれる。これらの試験は、社内基準を満たさなければ合格とはならない。そして、社内基準は、国や業界が定めた基準より遙かに厳しい。それが日本の品質を支えてきた。と俺は思うし、その厳しさが設計者泣かせであっても、ある意味メイド・イン・ジャパンを設計している誇りにもなっている。と誰もが感じている。そういう雰囲気の中で仕事をしてきた。
試作レビュー会議は、文字通り試作に臨むにあたっての事前会議だ。だから第1に俺たち開発設計が引いた設計図が、そもそも試作に値する設計かどうか、という観点で見られる。まさに鳥井のデビュー戦だ。図面上でダメ出しされたらその時点で設計し直しだ。品証、製造、それぞれの立場と経験から吟味される。それが通って詳細なスケジュールの打合せに入る。やっと俺が作った詳細な工程表の出番になる。もちろん今回は鳥井にも手伝わせた。ただ手伝わせるだけでは今回はダメだ。考え方からコツまで伝授した。
俺が居なくなってもやっていけるように。。。
ノイズが信号回路に載る恐れがある。という品証課長の指摘で配線経路の変更があった他は、設計変更はなく、即試作に移ることになった。俺が鳥井の図面を審査した際に、わざと指摘しなかった部分だから俺にとっては想定内だ。配線経路なら図面を変更するのもラクだからあえてスルーにした。それくらいはビビってもらわなければ。。。指摘に対して理路整然とした回答が出来なければ、それは自分が間違っているということだ。それが身を持って分かればそれでいい。。。
次からは、鳥井、お前が1人でやることになる。。。
会議が無事に終わり、達成感と安堵を素直に顔に出す鳥井にねぎらいの言葉を掛ける俺の表情はアイツの目にどんな風に映っただろうか。アイツには2歳になる娘がいる。そろそろ2人目が欲しいと喜んで話す屈託のない笑顔が脳裏に広がる。
俺が転職してしまったら、、、俺がいなくなったら、、、アイツの家庭はどうなるんだろう。今でさえ深夜残業の連続、俺なりに気遣ってきたつもりだが、次の上司にその度量があるのだろうか、、、いや、会社はそう簡単に人を増やさないだろう。。。しかも設計者など一朝一夕では育たない。何年もかかる。この鳥井でさえ5年掛った。。。
俺は。。。部下を犠牲にすることになるのか。。。その家庭も。。。
「あの。。。ノイズって何ですか?雑音は聞こえませんでしたけど。。。しかもノイズが乗るって。。。音が乗るって。。。」
ぼんやりと歩く俺を公子の自信なげな声が引き留める。雑音?あー、そうだな、吹き出しそうになるのを押さえ、俺はわざと難しい表情を作る。
気づけば、設計棟のエントランスまで来ていた。緑の多い工場の敷地、昭和中期からの古い建物の間に場違いに立つ新しい設計棟のガラス張りのエントランスが、妙に白々しい。
新しい設計棟。。。見た目に明るい雰囲気の建物のイメージは良いが、そこが深夜になっても不夜城のように明かりの絶えることがなく、そこで苦闘する設計者の辛さは、本人とその家族しか知らない。。。一流メーカーの表と裏を知るガラスの城。。。
「ははは、ノイズは音のノイズとは違うんだ。難しい話だからまた今度。」
今は、話したくない。ノイズの話は確かに素人には難しい。立ち話でわかる程度のモノじゃあない。でも、今はとにかく何も話したくない。
「はい。じゃ、また今度。。。」
はつらつとしているのが取り柄の公子の声が曇りがちに聞こえた。
言い方が悪かったか?
自問するが突き放したような言い方をしていないかの自信はない。そもそも覚えていない。
「あの、、、今度、、、飲みに行きませんか?」
戸惑いがちに呟く声、言ってることが俺には理解できなかった。
「へっ?」
我ながら情けない声だ。
「ですから、、、飲みに。。。」
「なんでお前と飲みに行くんだ?」
突然のことに、どんな声音で話していいか考えが及ばない。
「だって、組長が、、、組長が言ってたじゃないですか。奥さんに。。。その、、、相手にされてないって。。。」
23歳の新人社員、女子大生に毛の生えた程度の小娘に何が分かる。人生の酸いも甘いもこれからだろうが。。。歯切れの悪い遠慮がちな公子の言葉と真っ直ぐに俺を見上げる大きな黒い瞳は、怒りというよりも、諭すような気持ちにさせてくれる。
「ばぁか、お前みたいな小娘に癒されるほど落ちぶれちゃいないんだよ。こんなオッサンのことは気にせずに、設計の若い連中と飲みに行けよ。そのほうが何ぼかお前のためになる。」
しょうがない奴だ
俺は、溜息交じりに精一杯笑って見せた。
「はい。すみませんでした。」
伏せた顔のまま元気な声で一礼した公子は、俺と目を合わせずに背中を向けると、自動ドアが開く間ももどかしそうに、開き始めたガラスの扉の隙間を抜けると、一気に駆け出した。
人気男性アイドルグループ
もったいないことをしたのかもしれない。。。昔のことだ。。。
あれから15年。。。
営業部への内示を貰ったせいで、脱力感のなせるままにデスクに戻った俺が惰性で向かったパソコン。そこには新着メールのポップアップが出ていた。
<大田公子 「祝 御異動」>
アイツめ。。。
呟く間もなく一気に脳内を駆け巡るあの頃の感覚は、先を急ぐようにダブルクリックをしてメールを開いた。
日滝製作所 みなと事業所 開発部 装置開発グループ
柿崎 主任殿
御無沙汰しております。
営業部に御栄転というお話をお聞きしました。
一緒にお仕事できることをとても嬉しく思っております。
ノイズのお話、今度こそ教えてくださいね。
署名には
みなとエンジニアリング 営業部 パワー装置営業課 主任 大田 公子
とある。
まだいたのか。。。それにしても出世したな。
あれから15年。。。
俺は49歳に、アイツは38歳になっていた。
公子の名字が変わっていないことに、俺は一抹の何かを感じた。
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