第4話 実習生

 大抵の会社は、試験や面接など、転職者の採用活動を土日祝日に行っていた。

 大きな会社になると、転職者向けのセミナーなども行っていたが、それも当然土日祝日だった。

 だが大手自動車メーカのプライドからか、それとも勤務形態がしっかりしているのかは分からないが、あの会社の面接は平日に行われた。しかも朝9時30分が指定の時間だった。そういう意味では、あの面接官は多忙だったと取るべきなのかもしれない。

 その時間に間に合わせるためには、茨城から日帰りでというわけにはいかない。前の晩に現地入りするしかなかった俺は、仕方なく2日間の年休を貰っていた。いま思えば2日連続で年休を取ったのは新婚旅行以来だった。とにかく年休を取ることに抵抗を感じる雰囲気だった。それは、同僚が年休を妬むというのではなく、業務が停滞してしまうことへの恐れだった。開発の仕事が停滞するということは、開発計画に遅れが出る可能性があるということだった。誰も代わりがいないのが、この仕事の辛いところであり、逆を言えば自分という人間が必要とされる価値を生んでいる。


 製品化の期限へ向けて自分が立て、上司はもとより製造、品証、営業にまでバラまいている計画を遅らせるわけにはいかない。

 面接の日程連絡よりも先に、いや、あの自動車会社への転職を考え始める前の俺が組んだ開発計画では、運の良いことに面接の日の2日後が試作レビュー会議だった。ただし、計算外だったのは、このレビュー会議に営業から実習に来ている新人が、参加することだった。

この制度は、俺にとっては降って湧いたような話だったが経営サイドにとっては、だいぶ前から計画していたことらしい。ただ、開発や製造に関しては基本的に親会社である日滝製作所との調整があったため、スムーズにはいかなかった。

いずれにしても、本来業務である開発設計と付随する会議、その他プロジェクトで俺たち開発部門の人間にとっては、元々余裕のない時間に余計な仕事としてねじ込まれることは変わりないことなのだが、いかんせん計画的でないのがしゃくだった。特に俺は計画的じゃないことが嫌いだった。自分の作った工程表が崩されるのは、俺にとっては平穏な生活を崩されるのと同じだ。俺の生活が平穏か?それは俺が決めることだ。いや、家族が評価することかな。。。だったら最低の評価だろうな。。。


 試作レビュー会議では、製造現場の関係者や品証の関係者が出席する会議で、試作図面を1枚1枚見ながら試作時の新規性のあるポイントや、注意事項、量産時のコスト目標とそのための設計改善要望などを話し合う、そして開発当初のスケジュールの振り返りと全体の進捗も含めて共有化したうえで改めて今回の試作日程を打ち合わせる。

 俺のチームは、装置開発グループに所属していて、インバータ装置の回路・構造物の開発を担当している。


 インバータ装置は、入力された電力を変換して必要な種類の電力として出力するインバータの機能を盛り込んだ装置一式だ。

世の中には大きく分けると電気の種類は2つある。直流と交流だ。一般にインバータは「直流」電力を「交流」電力に変換するもので、コンバータは「交流」電力を「直流」電力に変換するものを言うが、面倒くさいからウチの製品は全てインバータ装置と呼んでいる。ま、電気回路を箱に入れた装置が売り物というわけだ。

 「電気回路」なんて言うと難しく考える人も多いが、電流が出る端子から戻る端子までに何を繋ぐか、というだけの話だ。小学校の時、実験で乾電池に豆電球を繋いで光らせたことは誰にでもある経験だと思う。あれが電気回路の理屈そのものだ。

 難しくないだろ?

 出口から入り口までが繋がって初めて電気が流れ、電気回路として成り立つ。もっと言えば電気は出口から出て入り口に入ることができて初めて「流れる」んだ。豆電球の実験で言えば乾電池の「+(プラス)」から出て、豆電球を通り、乾電池の「-(マイナス)」に入ることで、電気の流れが出来て豆電球に電気が流れるから豆電球が光る。「+(プラス)」の線が外れていたり、「-(マイナス)」の線が外れていたりすると豆電球は消える。それは、電気が流れられなくなるからだ。

 小学生の息子と娘には、俺は自分の専門についてそう教えた。だから乾電池は「+(プラス)」と「-(マイナス)」の2つの出入り口があって、形は違うがコンセントにも2つのピンがある。なぜコンセントは「+(プラス)」とか「-(マイナス)」とか書いていない。なぜか?そこがポイントだったりする。それがさっき言った電気の種類。つまり直流と交流だ。ちなみに直流は呼んで字のごとしで、DC(Direct Current)気分がいいくらいの直訳だ。そして交流は、AC(Alternating Current)これも直訳に近い。

 そんな言葉の意味のとおり、直流(DC)は、「+(プラス)」の端子はは「+(プラス)」のまま、「-(マイナス)」の端子は「-(マイナス)」のままでたんしそれぞれの電気の意味は変わらない。ちょうど乾電池のように、ずっと「+(プラス)」は「+(プラス)」で「-(マイナス)」は「-(マイナス)」だ。だから、ずっと「+(プラス)」から「-(マイナス)」へと「同じ方向」で電気が流れる

 交流(AC)は、「+(プラス)」と「-(マイナス)」を繰り返す。簡単い言えば左の端子が「+(プラス)」の時は右の端子は「-(マイナス)」で、左の端子から右の端子へ電気が流れる。左の端子が「-(マイナス)」の時は右の端子が「+(プラス)」になり、電気は右の端子から左の端子へと流れる。交流(AC)は、これが一定の周期で繰り返される。つまり、左から右の次は右から左へ、また左から右に流れて右から左に周期的に流れが変わる。この周期が周波数と呼ばれるものである。日本の電力会社が家庭や企業などに供給しているいわゆる商用電源は50Hz(ヘルツ)と60Hz(ヘルツ)の2種類あるが、これは、1秒間にそれぞれ50回、60回「+(プラス)」と「-(マイナス)」を繰り返している電源という意味なのだ。これらの交流電源の電気の流れを順に追うと、ゼロからだんだんと「+(プラス)」の方向に大きくなっていき頂点を越えるとゼロに向かって下がり始める。そしてゼロを通過してマイナス側に下がって行き、最小になると今度はゼロに向かって上がり始める。

 これらの動作を図に表すと分かりやすいかもしれない。左から右へ一本の線を引く、これをゼロのラインとして、そのラインの上5cmぐらいのところに+100Vと添え字をした点線を左から右へゼロのラインと平行に描く。同様にゼロのラインから下5cmくらいのところに-100Vと添え字した点線をゼロのラインと平行に引いておく。そこに先ほどの動きを描いていくと、ゼロから上に徐々に線を描いていき+100Vの点線に来たら今度は-100Vの点線を目指して徐々に線を描いていく。-100Vに到達したら今度は+100Vを目指して上に線を描いていく。これを繰り返すと、ゼロ→+100V→ゼロ→-100V→ゼロ→+100V→ゼロ→-100V→ゼロ・・・の波になる。これを丸みを帯びて描けば「正弦波」直線で描けば「三角波」となる。ちなみに家庭のコンセントつまり交流(AC)100Vは、正弦波だ。もっともこの場合は+100V、-100Vではなく+141V、-141Vとなる。これを平均(正確には二乗して平均をとる「二乗平均」)してみると約100Vになるという意味で交流(AC)100Vと呼んでいるわけだ。

 ということで、身の回りには2種類の電気があるわけで、人間はこれらをうまく使いこなさなければならない。

 あ、そうそう、なんでそんなことになるのかってことだが、直流(DC)は乾電池やバッテリーを起源だと考えれば分かりやすいと思うが、問題は交流(AC)だ。これは少々ややこしい。発電所を思い浮かべて欲しいのだが、発電所はどうやって電気を使っているか?が大きなヒントになる。まずは、水力発電所、コイツは大きな水車に水を当てている。火力発電所や原子力発電所は、大雑把に言えば熱した水の水蒸気をタービンに当てている。要するに水や水蒸気で水車やタービンを「回転」させているのだ。この回転の力によって発電機を回す。発電機の原理は、磁力線(磁石でいえばのN極からS極に向かう見えない線)を導体(電線の類)が横切ることによって発生する「電磁誘導」によって電気を発生させる。1回磁力線を横切る際になるべく沢山電気を得られるように回転する部分に導体を何度も巻きつけている。これが「コイル」だ。

回りに人がいないことを確認してほしい。そしたら指を真っ直ぐにして手のひらを自分の前に突き出してみよう。

なんで人がいないか確認するのかって?そりゃあ恥ずかしいからだろう。

それぞれの指が導体指の集まった手がコイルだ。突き出した手の左側に大きな大きなN極の磁石、右側に大きなS極の磁石があると想像してくれ。磁力線はN極からS極に向かうから、突き出した君の手の左から右に磁力線があることになる。突き出した手をそのまま回してみて欲しい。途中までしか回らず君は苦悶の表情をしていることだろう。だから人がいないところでやるんだ。こんな状態他の人から見たら絶対に「変な人」だ。

さて、ここで気づいて欲しいのは手を回していくと磁力線と指が動いていく方向の角度が刻一刻と変わっていくことだ。ん?これ以上回らない?そりゃあ人間だから仕方がない。回るところまでで結構だ。

この指が動いていく方向が磁力線を横切る。ということであって、この横切る時の磁力線と指の角度によって指に発生する電力の大きさが異なるんだ。直角だと最大。平行だとゼロだ。

だから一般の交流電力はゼロからだんだん増えていって最大になったらだんだん減っていってゼロを下回って最小になったらゼロに向かってだんだん増えていく。ということの繰り返しになる。交流の電力は波線のようになる。ちなみに正弦波というんだ。もう手は引っ込めていいよ。

昼下がりの会議室で、目の前でこれ以上捻れない手を体ごと捻ることでもっと捻ろうとしている細い指先が滑稽だった。

「あ、はい。すみません。」

我に返ったように手を引っ込めた女は背筋を正し、華奢な指先で前髪を軽く整えた後、そそくさとペンを握り、手帳になにやら書き込んでいる。営業畑の人間が押し並べて愛用しているポケットサイズの手帳、ご多分に漏れず目の前の新人も 小さな手帳に書き込んでいる。そのページにはホワイトボードに殴るように書き付けた俺の字や、図が100倍綺麗になって再生されていた。

そうはいっても小さすぎる、営業は身に付けられてすぐに取り出せるポケットサイズの実戦的な手帳が主流だ、だが、いくら営業だからって勉強のことまで、小さな手帳はどうかなと思う、カレンダーのオマケのうように巻末に付いたメモ欄なんて、すぐになくなってしまう。

「ハムちゃん、、、こういうお勉強は大きいノートに書いた方がいいんじゃないか?」

日頃思っていたことが、誰もいない会議室で自然と口を突く。女性社員と二人きり、、、職場だとなにかと噂になる、という歳は、とっくに過ぎている。それもある、が、そもそも営業向きとも思える本人の屈託のなさが、気軽さを振り撒いているが、そのノリに職場で乗せられ過ぎる訳にはいかない。意識的に厳しく接している部下の鳥井の前では尚更なおさらだ。


この営業部が送り込んだ新人女性社員、大田公子、公子の「公」がカタカナの「ハ」の下に「ム」が付くから「ハムちゃん」と呼んでくれと、自己紹介で自ら披露したことが功を成し、誰かが「ハム」という組見合わせに気づいて陰で使われることなく、明るくニックネームは広がっていった。

「あいつは、ハムちゃんというよりは、牛だよな~。あの胸、吸い込まれそう。」

「でも、顔がカワイイからいいじゃん。」

「ロリだな~。お前は、カワイイことは間違いないが、ありゃ女子高生って顔だぜ。化粧くらいバッチリすりゃあ少しは大人びるんだが」

「そ~なんだよ。そこ、勿体ないよな、でもあの顔と体のギャップが萌えるな~。」

「お前は二次元大好きだもんな。ロリ顔に巨乳。嫁さんいるんだから、変な気起こすなよ。」

なんてやり取りは、公子が帰った後の残業時間、彼ら曰く「男の世界」でよく交わされるジョークネタだ。

 そんな事も、「ハムちゃん。」という自ら撒いたニックネームが男たちに変な気を起させない抑止力になっているとも言える。

 

 えっ?俺を見上げる公子の顔が一瞬の驚きを表す。

「な~んだ。主任、ハムちゃん、、、ってタメを効かせないで下さいよ。ドキッとしちゃいました。」

 見開いていた大きな二重瞼が笑顔に合わせて緩む。その言い草に一瞬だけ俺の心が弾む、懐かしい感覚を俺はかなぐり捨てる。今となっては妻にさえ見向きもされない哀れな中年男。。。脆さを見せる訳にはいかない。

「バカっ、ガキのくせに中年をからかうな。営業はどうか知らんが男ばかりの職場で親父連中に勘違いされると面倒だぞ。あ、違った。その手帳。営業回りでは便利だろうが、勉強はノートとかルーズリーフがいいんじゃないか?あるいはバインダー式のシステム手帳。後でどうにでもなるからな。

 その小さい手帳のメモ欄を工場実習の勉強でいっぱいにしちまったら、お前が営業回りを始めた時に、何処にメモるんだ?おいっ、この小言はメモる必要ないぞ。」

「あ、はいっすみません。でもガキって。。。私、23です。あ、すみません。ノート、買っときます。でもシステム手帳がいいかな。私、手帳結構好きなんです。アドバイスありがとうございます。主任のは、Fプランナーですよね?」

 俺は、一瞬言葉に詰まる。Fプランナーは俺の愛用だ。よく知ってるな。っていうか、まったくペースを乱してくれるぜ、このガキは。。。

「よく分かるな、ハムちゃんも手帳好きなのか。じゃ、俺の言ったこと分かるな。営業の先輩に何を言われてるかが知らんが、手帳は好きなのを使わせればいい。と俺は思う。そろそろ昼飯だ。戻るぞ。分からないとこがあれば明日な。よく復習しておけよ。」

 あ~あ、結局手帳の話にすり替えられて終わっちまった。相手を不快にせずに自分のフィールドに話を持ち込めるのは確かに営業向きかもしれん。心の中で苦笑しながらシステム手帳にしては厚めの黒いFプランナーを小脇に抱えた。

 立ち上がって丁寧に腰を折って礼を言った公子は、忙しない手つきで資料をトートバックに入れた。

 

 午後は、試作レビュー会議だ。朝のうちにチェックした資料を鳥井が出席者の数だけコピーをしてくれている筈だ。こんなことまで開発者がやるんだから、残業も減るはずがないな。他社はどうなんだろうか。。。

 俺が出ないと部屋から出るのは申し訳ない。といった新人独特の雰囲気を滲ませながらドアに立つ公子に、先に出ろ、と手で促す。

 コピーぐらいはコイツに頼むか。。。

 女性には自然と遠慮してしまう自分の不器用さに、いつものことながら嫌気がさした。

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