第7話 変わらないもの

 自宅までの最後の交差点。この信号が青になれば狭い路地に入って自宅はもうすぐだ。

-早く青になれ。-

 深夜で車の通りも少ないこの交差点、赤でも車が来てなければ渡ってしまうのが人情だろう。俺もそう思う。

 だが、それができないのが俺の「融通の利かなさ」なのかもしれない。。。

 だから、

-早く青になれ。-

 再び念じる。

 ちなみに車は1台も通る気配がない。

-ったく、俺って奴は律儀なんだか馬鹿正直なのか。。。どちらにしても得になる性格ではないな。-

 内心自分に舌打ちしながらも別な自分はこう言う。

-子供には、「赤で渡るな。」と教えてきたんだ。それでいいじゃないか-

 別の自分が胸を張る。

 だが、息子は大学4年、娘は大学2年、特に息子は俺に似て融通の利かなそうな真面目一辺倒な男に育った。そんなアイツもこの状況なら渡るだろう。

 あいつらは、もう子供じゃない。

 俺が一歩を踏み出したとき、歩行者の信号が真っ暗になった。

「もうこんな時間か。」

 思わず溜め息が洩れる。

 今日は少し早く職場を出たつもりだったが、そうでもなかったらしい。さっきまで赤だった自動車の信号は黄色に点滅し、青だった方は赤の点滅を始めた。

 田舎の信号がそうであるように、俺の近所のこの信号も深夜になると、信号は交通整理をやめて、ただひたすらに赤や黄色の点滅を繰り返す。

 深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。少し気持ちが落ち着いた俺の目には6月を間近に控えた並木の若葉が映る。

 その力強く生い茂る様に、これから社会に出て人生を謳歌するであろう息子の笑顔が重なるが、信号の赤の点滅が映り込んで全てを不安に変える。

-夢が叶えば。。。の話かもしれんがな-

 あの挫折を息子も味わうのかと思うと心が痛むのは正直な親の心理だろう。決して甘やかしではない。そう俺は思いたい。

 息子の雄人は俺に似たのか、いや、不幸にも俺の影響を受けたのがゆえに飛行機が好きな男に育った。親の俺だから敢えて言うが、身の程知らずな雄人は、今月、海上自衛隊の飛行幹部候補生を受験した。

 よりによって航空自衛隊ではなく海上自衛隊だ。27年前。。。俺が挫折を味わった試験。。。。息子は、、、雄人はどんな思いで合格発表を待っているのだろうか、まあ俺の場合は、結果として恋人まで奪われるという2重の挫折を味わうことになったが、俺に似ず結構モテる息子には無縁の挫折ろうな。

「俺はモテ期が無かったからな」


 言うと娘に睨まれる口癖を呟く。


 本当の話だからしょうがない。それがキッカケなんだ。


 試験に落ちた俺は、翌年再チャレンジするようなまねはしなかった。

 弟たちもいるのに就職浪人になって裕福ではない親に迷惑を掛けたくなかった。それに全国各地の基地を転々とする生活は、長男向きではない。

 そう、俺は長男という呪縛を言い訳に夢から尻尾を巻いて逃げたんだ。バブルが弾けて不景気な時代だった。早く楽になりたかった。それが本音かな。

 その結果として今の会社に入社したというわけだ。年齢制限が来るまで何度でもパイロットにチャレンジすればよかったのに。と今では思う。

-俺は、決して息子に誇れるような男ではないんだ。-

 就職活動をしている頃から付き合い始めた大学の後輩は、俺の影響なのか事もあろうに海上自衛隊を受験、難関を突破して婦人自衛官となった。


 遠距離恋愛といえば聞こえはいいが、最初に配属される教育隊は電話は供用で通話は5分以内、しかも電話当番が隣にいる状況でどんな話ができようか。。。当時流行り始めた携帯電話はもちろん禁止、制限の多い中で自由なのは手紙の枚数だけだった。

 苦しかった教育隊を終了して帰郷した彼女の眩しい姿は今でも目に焼き付いている。

 

 純白の制服に磨きあげられて黒く輝くハンドバッグ。。。

 不幸にもそれは最初で最後の姿となってしまったが、、、それが彼女にとって幸せならば、、、と、俺は悔しさに耐えた。


 航空機の整備過程に進んだ彼女は、教育隊の頃と違って自由が増えた。千葉県の基地に配属となった後は、車で2、3時間で行ける距離だった事もあり、週末はデートを楽しむこともできた。だが、普通に遠距離恋愛ができるようになった感激が冷める間もなく終わりが訪れた。

 彼女が配属先のパイロットに恋をしたらしい。。。

 教育隊の頃は、あれほど使いたかった携帯電話、やっと自由に使えるようになた携帯電話であっさりと終わりを告げられた俺は、すぐに電話を切った。

 思い知らされたから。。。

 これからだと思ってたのは、俺だけだった。

ってことを。。。しかも相手はパイロット。俺が逆立ちしてもなれなかったパイロット達に囲まれている彼女がグラツかないはずがない。。。

 俺がバカだったんだ。。。

 だから悲しむ間もなく怒りと悔しさが頭を占有した。これ以上何も聞きたくなかった。いや、これ以上何か言われたら怒鳴ることしかできない。それじゃあまりにも惨めだから。。。

 だから電話を切った。

 そして、俺も便利な携帯電話をフル活用した。

 すぐに彼女の番号に着信拒否を設定し、メールを送った。

 

 別れよう

 

 たった一言のメールで俺の無念は伝わるはずなどないが、そもそももう伝える必要もない。彼女はもう「別の人種」だ。俺のなれなかったパイロットという人種についていくことを決めた彼女は、もう俺とは住む世界が違う。

 彼女が携帯で終わらせようとしたように、、、いや、それを上回る携帯の使い方で徹底的に彼女を拒否することで俺は自分の悲劇を和らげようとしたんだ。


 そう。。。

 俺が逆立ちしてもなれなかったパイロットが相手じゃ勝てる訳がない。


 俺は、たかがエンジニアだ。


 俺はあのとき以来、男としての自信を失った。


 そしてエンジニアという仕事を極めようと決意した。パイロットは逆立ちしてもモノは作れまい。


 そして今日、エンジニアとしての引導を渡された。 これで息子がパイロットへの道を絶たれたら


 親子二代でパイロットという職業にコンプレックスを抱くようになるかもな。


 その時は、こう言ってやろう。


-夢見ていた仕事に就くことだけが人生の成功ではない。やりがいを感じられる仕事で社会に貢献出来ればイイじゃないか。-


 少なくとも工学部で学んだ息子には、モノ作りという社会貢献のフィールドがいくらでもある。かつての俺がそうだったように。。。


 俺は長男だからといってお前を家に縛るつもりはない。どうせアパート住まいだ。


 親父のガンが落ち着いたので実家に引っ越すのをやめてこれまで同様アパートで暮らしてきた。現実問題として50km離れた実家からの通勤は道路の混雑を考えると車通勤は難しい。かといって電車通勤では、終電を気にしていては仕事にならないのが現実だった。


 結局は

 実家から通うのは困難。

 ということだったのだ。


 就職を決めるときには気付かなかった「落とし穴」。。。まさか深夜残業が当たり前だなんて、学生だった頃に分かる筈がない。


 まあそれも東京転勤が決まった今となってはどうでもいい事だ。何年になるか分からないが、親には何がなんでも元気でいてもらわなければならない。


 思いを巡らせながら歩いているうちに、外灯に浮かび上がる愛車が目に入って立ち止まる。いつの間にか自宅に着いていたようだ。

 自宅といってもアパートだが。。。地方都市でも最近少なくなった駐車場2台無料なのと、ちょっと広めの3DKの間取りが今でも気に入っている。結婚したとき新築のこの物件を運良く見つけた話は、しばらく俺達夫婦の思い出話の一つに加わった。今はお互いそんな類の話などしなくなってしまったが、思い出いっぱいの我が家に変わりはない。と俺は思ってる。

 紺色の愛車が外灯の白をにじませて映す。

-昔は、いつも綺麗にしてくれてたのに。。。-

 半年以上洗車しなかった愛車が無言の抗議をする。

-そう、昔は良かったよな。-


 俺は曲線の少ないボディーに語りかけると角張ったボンネットを撫でる。

 ワックスの効果などとうに失ったボディーは雨に打たれて砂埃すなぼこりや花粉が積もり灼熱の太陽に炙られて。。。繰り返した日々の分だけ重ねられた自然のコーティングを通して聞こえてくる。


-昔はよかったよね-

-そうだな。-

 結婚後初めて許された自分用の車。維持費を抑えるための軽自動車限定、という条件があったが、それでも嬉しかった。

 なんてったって自分の車だ。

 好きなようにイジッて、好きなように乗り回せる。

 そういえば、独身だった頃の俺は、それなりに車をいじっていたっけ、排気量2000cc以下の車を中古で買って少しでも速く、少しでも格好よく。。。決して大袈裟にではなく、ちょっとしたパーツを買っては改造していた。マフラーを変えてみたり、点火プラグをいじってみたり、そうそう手軽だけどエアクリーナーを変えるとエンジンへの空気の吸い込みが良くなって効果が大きかったっけ。。。

 別にレースをしたかった訳じゃなし、公道で暴走する訳でもない。周りのみんながそうだった。流行りのジーンズや靴と同様、そういう車の「遊び方」が流行っていた。フェアレディーZやスカイライン、RX-7のように、高価で当たり前に速い本気マジなスポーツカーじゃなくて、もっと排気量が小さくて手頃な車。。。シルビア、レビン、トレノ、インテグラ、シビックだったことが楽しさを増長させていたのかもしれない。だいいちあの頃はそういうジャンルの車が沢山あった。エコの感覚は大切だ。昔の車イジリでも低燃費にチャレンジしたことはあった。だが、ハイブリッド車を中心としたエコカーだらけの今の車社会は何が楽しいのだろうか、エコカーは素晴らしい。だが、メーカーは開発競争に明け暮れるうちに車の遊び心を提供する余裕がなくなってしまったのかもしれない。

 最も、そのハイブリッド車が主流になったことでモーターの制御やバッテリの充電や放電、つまりバッテリへの電気の出し入れにインバータの類が使われるようになった。そういう意味では、この仕事を選んだ俺にとって数少ない先見の明とは言えなくもない。EVなどの電気自動車も理屈は同じだ。それだけじゃない。今時の自動車はあらゆるとことろに電気・電子の技術を満載して成り立っている。

 まるで家電品だ。俺が就職活動をしていた頃は、車は機械技術の集大成のようなものだった。こんなに自動車が「電化」されるとは思っても見なかったが。。。

 だが仕事は仕事、自分は自分、だ。つまらなくなってしまった車社会に仕事で貢献している。という実感もないしな。

 そんな車大好き世代の俺の目に留まったのがお前だった。軽自動車でありながら本格的なオフロード性能を持ち、俺が小学生の頃から変わらない角張ったデザインは、見る人にレトロな印象を与えるだろうが、決してそうではない。これがオフロード車の究極の形だ。と主張して社会に媚びずに存在してきた証であることを俺は知っていた。残念ながら20年来続いてきたそのデザインは、お前を最後に次のモデルチェンジで大胆に変わってしまったが、、、まあ、メーカーとしては市場経済を無視して生存し続けるには厳しい世の中ということだろうし、それを誰も責めることはできない。しかもそれがその時代のユーザーのニーズだとしたらなおさらだ。ある意味、俺のニーズの方が特殊なのかもしれないな。。。まあ、形は、世の中に媚びたとしても、その走破性は従来以上だという専門誌の評価に俺は、同じエンジニアとしてメーカーの良心を感じずにはいられなかった。

 独身の頃は、一般道での走りを追求して楽しんでいた俺だが、それを軽自動車で再現するのはなかなか厳しかった。俺が走りを楽しんでいた頃には、軽自動車でも手軽に走りを追求できる車はあった、アルトワークス、ViViO RX-R、レックスVX、、、メーカーは軽自動車でも売れ筋のモデルにターボやスーパーチャージャーを付けたスポーツバージョンを開発して一般道いわゆるオンロードでの走行にこだわるユーザーの心を震わせるモデルを投入していたが、今は中古で手に入れることさえ難しい。同じ頃、完全に軽スポーツカーとして開発されたビートや、カプチーノ、AZ-1などは、さらに入手困難だった。しかも2人しか乗れないのでは、父親として、言い訳がつかない。

 そんな訳で昔のような走りを軽自動車で再現することを早々に諦めていた俺に、オフロードという新たなフィールドを見出させてくれたお前に、俺は引き込まれていった。軽自動車だからと言って妥協しない本格派オフローダーという響きもまた、俺の心をくすぐった。

 そうと決まれば話は早い、専門書を買い漁り、同じ角型のボディーでも年代による細かな仕様の差があることを知った上で決めたのは、お前、ジムニーJA12Wだった。

 走破性は若干落ちるが、サスペンションをトラックと同じ方式のリーフスプリングいわゆる、強度と走破性重視の「板バネ」から、乗り心地を気にしたコイルスプリングに変更し、街乗りから本格オフロードまでこなせる角型最終バージョンだった。

 長男が数ヵ月後に生まれる。というタイミングで購入を決定したお前は、アウトドア好きの妻にも即歓迎されたっけな。

 家族でのんびりと林道ツーリングを楽しんだっけな。自然環境保護のため、焚き火こそしないが、携帯用ガスコンロでちょっと昼食を作った。何を食べても美味しかったな。自然と戯れる子供たちを眺めながら湯を沸かして妻と飲んだコーヒーも格別だった。何の雑音もない、自然の音と、汚れのない空気、自分の悩みがちっぽけに感じるくらいの雄大な景色。。。お前のお陰で、心を癒すことができたし、家族との良い思い出もできた。

 子供たちはお前を「ジムニーさん」と呼んで可愛がり、よく車洗いを手伝ってくれたよな。

 お前はいつもピカピカで、子供たちは妻の車よりもお前に乗りたがった。

 月日は過ぎて、子供たちが成長するほどに相手にされなくなったのは俺だけじゃなかったんだな。お前も一緒だな。

 ゴメンな。。。

 子供たちに忘れられて寂しい思いをしていたお前を、俺までほったらかしにしていた。最近は仕事の忙しさを言い訳にお前を洗わなくなってしまった。

 こんなに汚れてしまって、、、

 そして、ゴメン。。。

 これからは、もっとお前と関われない。。。東京へ転勤になったら、お前を乗ることは殆どないだろう。

 走って何ぼ、のお前だろうが、俺はお前を手放さない。いつかまた、山に行こう。。。いつになるか分からないが仕事が暇になったら、毎月洗ってワックスを掛けてやるから。。。

 今は辛抱してくれよな。。。

 

 気のせいかボディーに触れている手が湿り気を感じた。まるで涙を拭ったかのように。。。

 

 我が家のある2階の窓を見上げると、リビングに明かりが灯っていた。

 例のアイドルグループのネタをネットで渡り歩いているか、録りためた彼らが出演している番組を観ているか、あるいは居眠りをしているのか。。。

 さっさと寝ればいいのに。。。

 あいつはどう思うだろうな。。。今となっては何とも思わないだろうけど。。。

 ま、起きていれば話をしよう。。。

 20年以上使い込んでいる腕時計は、0時を回っていた。かつて妻がプレゼントしてくれたそれは、あの頃と変わらず俺に時を教えてくれている。あの頃と変わってしまったのは人の心だけだと思うと、思わず溜息が洩れる。。。

 機械は人を裏切らない。。。

 そういうことだ。

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