15 始まりの地で

 氷女ひめ王グレイシアのはからいで、カナタ達は再び紺碧の海蛇の口内に入り、ひたすら海の中を進んだ。

「今までも色々あったけど、生き物の口の中に入る経験は、もうしたくないな」

 まるで昔にも生き物に呑み込まれたかのように、大きいカナタが道中ぽつりと呟いた。彼は自ら詳細を語らないので、過去に何があったかはわからないが。

 またもどれくらいの距離を進んでいるのかわからない時間が過ぎる。しかしやがて海蛇が速度を落とし、完全に停止した。

 今度は心の準備をしていたが、海蛇が口を開けて暗闇からいきなり日の光の下に出る羽目になって、やはり目を手で覆ってしまう。ようよう目が慣れてきて、海蛇の口から出てみれば、それはどこかの砂浜の浅瀬だった。

 貝や珊瑚の死体といった海の生き物の抜け殻が、数百、いや数千年波に洗われて砕け散った白い浜辺が向こうまで続き、水は碧く、穏やかに打ち寄せている。

 カナタ達が浅瀬を歩いて浜に上陸すると、海蛇は銀の瞳を細めて、一瞬、挨拶するかのように首を振り、ふいっと方向転換して、あっという間に海の向こうへと消えた。

 海蛇も、グレイシアに会った事さえも白昼夢だったのではないかと思えるような時間であったが、踏み締める砂浜の感触は本物で、目をやれば、林には南国の木々が立ち並んでいる。大陸ではない場所に着いたのはたしかだった。

「本当にアルセイルに着けたなら、まずは国王に会って、事情を説明すべきなんだろうけど」

 波の音が心地よく耳に届く中、大きいカナタが顎に手を当てて洩らし、それからはっと表情を固くしてその手を剣の柄にやる。ユーリルが小さいエレを背にかばう。カナタも、近づいてくる複数人の足音を聞き取った。

 貫頭衣をまとい、半月刀を手にした男達が十数人、ばらばらと駆けてくる。カナタ達は瞬く間に彼らに四方を囲まれてしまった。

「船でなく、海の遣いに運ばれてくるなど、怪しい事この上無い訪問者ね」

 抜き身の剣を油断無く構えた男達の後ろから、半ば呆れ気味な女性の声が聞こえた。男達が恭しく道を開けると、現れたのは、涼しげな青い衣に身を包んで、自らも帯剣した、長い黒髪に、ユーリルとはまた違う気の強そうな光を宿す瞳を持った、カナタとそう歳の変わらない少女だった。

 少女は一定の距離を保ったまま、眉間に皺を寄せてカナタ達を順繰りに見すえていたのだが、ある瞬間に小首を傾げて、「……カナタ?」と独り言のようにカナタの名を呼んだ。だがその視線が向いているのは、カナタではなく、同じ名を持つもう一人の自分だ。

「あなた、カナタではなくて? ヒョウ・カ王の騎士の」

 途端、大きいカナタがほっとした表情を見せる。

「覚えていてくださって、光栄です」

 そして、剣の柄から手を離し、少女に近寄って、ごく自然にひざまずき、彼女の手を取って口づけをひとつ、落とす。騎士として相応しい対応に、満足だとばかりに少女が小鼻を膨らませた。

「王国に行く度に、わたくしとユウキの傍をうろちょろしていたお邪魔虫の顔など、忘れたくても忘れられなくてよ」

 その物言いにカナタは思わず絶句してしまう。叔母のプリムラ王妃もたまに、王族にあるまじき言葉遣いをする事があるが、負けず劣らずの気の強さだ。だが、この手の言動をするアルセイルの女性には、覚えがある。

「ご無沙汰しております」ぐるぐる思考を巡らせるカナタに構わず、大きいカナタが少女に恭しく告げた。「ルリ姫」

 予想は正しかった。アルセイル第一王女ルリは、片手を掲げて周りを取り囲む男達に剣を収めさせた。それから、「ご無沙汰すぎて、あなた、老けたわ」とぷっくりと頬を膨らませ、「姫は美しく成長された」と大きいカナタが苦笑混じりに返す。

「中身は昔のお転婆がご健在のようですが」

「相変わらず一言余計」

 ぺん、と平手がひとつ、青年の黒髪を叩いた。

 ユーリルといい、このルリといい、カナタの出会う姫は、淑やかからはかけ離れている女性ばかりだ。そう考えて、いや、おっとりした母も姫だったか、と自身の考えを修正する。すると、ルリの黒い瞳がふっとこちらを向いた。

「では、そちらがちびっこかったカナタ?」

 あんまりな言いようだが、実際子供の頃に対面した時、カナタはひとつ年上のこの姫より背が低く、彼女と双子の姉がきゃっきゃとはしゃぎながら木登りするのを、従弟と一緒にはらはらしながら地上から見上げていたのだ。

『ユウキもカナタも、意気地が無さすぎるわ』

 ルリが木の上からそう笑い声を降らせて、大人達が苦笑いしていた事、だが結局彼女もミライも木から降りられなくなってわんわん泣き出し、父インシオンが呆れ半分ながらも軽やかに登り、二人を両脇に抱えて飛び降りてきた事も、鮮烈に記憶に残っている。

「……お久しぶりです」

 常に上から見下ろされていた少女だったが、今は視点が逆転している。会釈すると、ルリはカナタのもとへ歩み寄ってきて、腰に手を当てむすっとした表情を見せた。

「わたくしよりこんなに大きくなって。カナタのくせに生意気だわ」

 姫は少しだけ踵を上げ、手を掲げて自分と少年の身長差を比べる。

「ユウキも大きくなって?」

「おれより背が高いです。相変わらずひょろひょろですが」

 婚約者の近況を知ったアルセイル王女は、「ユウキらしいわ」と、少しだけ笑みをほころばせる。ユウキの話題が出た事で、カナタは大事に懐に忍ばせていた物の存在を思い出した。

「そのユウキからです」

 海底まで行った旅路の中でも失くさなかった細長い箱をルリの手に託す。彼女は初めこそ怪訝そうに眉をひそめたが、箱を受け取りそっと蓋を開けて、「まあ!」と喜色に顔を輝かせた。

 白椿の宿る銀の髪飾りは、壊れる事無くきちんと収まっていた。許婚いいなずけからの思わぬ贈り物に、ルリは頬を薔薇色に染め、早速その艶やかな髪に挿す。宵色に白は非常に目立ち、彼女が母親から継いだ美しさを損耗する事無く落ち着いた。

「とにかく」

 ぐるっとカナタ達を眺め、アルセイルの姫は再び腰に手を当て胸を張る。

「いくら知っている顔でも、尋常ではない訪問の仕方をした、それなりの言い訳をしてもらわないとね。父に会ってもらうわ」

「それは勿論」大きいカナタが立ち上がりながら応える。「アーヘル王にも知っておいていただきたい事なので。というか、ご協力を仰がないとにっちもさっちもいかない事なので」

 青年の言葉に、姫は不審を顔に浮かべて首を傾げた。

「まあいいわ。案内します」

 彼女はまだ納得がいかなそうな様子だったが、ここで問いつめるより、父と一緒に話を聞く方が手っ取り早いと思ったのだろう。手を振り周囲の兵を連れて歩き出す。

 その後をついていこうとして、カナタはユーリル達を振り返り、そして疑問を抱く羽目になった。

 小さいエレが震えていた。いきなり兵に囲まれて驚いた訳ではなさそうだ。だが明らかに、恐怖に身をすくませて、青白い顔をしている。

 何故彼女がそんな態度を見せるのか。カナタにははかり知る事ができなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る