6 ユーリルとの再会

「――カナタ!」

 連れが一人増えた為、行きより時間をかけてアイドゥールに帰りついたカナタ達を、王城につくなり出迎えたのは、凛と張った少女の声であった。その声の主の顔を思い出す前に、駆けてくる足音が近づいて、無遠慮に飛びつかれる。

「良かった、無事で。話を聞いて心配していた」

 久しぶり、の挨拶もすっ飛ばして肩にもたれかかられ、炎のような毛先が頬をくすぐる。

「ユーリル」

 獣の毛皮で作られた衣を身にまとった、一目で統一王国民とは違うとわかる出で立ち。西方部族の最有力者ユーカートの娘、ユスティニア姫ことユーリルは、名を呼ばれると、腹の底から安心した、という吐息をつき、周囲には聞こえない程度の声量で囁いた。

破獣カイダが相手だったってお義父とう様から聞いたわ。正騎士になったからって無茶をしないで」

 お義父様、というのが誰だか、即座にはわからなくて、ぽかんとしてしまう。が、しばし黙考して、カナタの父親インシオンを指しているのだと理解すると、自分とこの少女の関係を思い出して赤面してしまう。まだ結婚もしていないのにこちらの父を義父と呼ぶなど、ユーリルは気が早すぎるのではないだろうか。こちらは、彼女の父ユーカートに対しては、呼び方云々どころか、顔を合わせた事すら無いというのに。

 しかし、そんな戸惑いが去ると、次は喜びが心にこみ上げてくる。一度は再会を諦めた彼女とまた会えた。彼女の背中に腕を回して抱き寄せれば、ユーリルは一瞬吃驚びっくりして硬直したが、すぐに笑みを浮かべると、カナタの胸にもたれかかってきた。

「カナタの恋人ですか?」

「もう少し突っ込んだ関係」

 小さいエレが不思議そうに小首を傾げ、大きいカナタがにやにやと笑いながら答えている気配がする。「まあ!」と小さいエレが嬉しそうに両手を叩いて明るい声をあげた。

「カナタは私にべったりだったので、将来恋人ができるのか不安だったんですけれど、これだけ素敵なお嬢さんが奥さんなら、もう心配は要らないですね!」

 カナタはがっくりとうなだれる。小さいエレが元いた世界でも、自分は母親離れできない困った息子だったのか。一応、彼女の隣に並んでいるいま一人の自分にも妻子はいるのだが、二言目にはエレ、エレである事を思うと、幾つもあると思われる平行世界の中で、自分の方が『カナタ』という人間としては異端なのかもしれない、という考えさえ浮かんできた。

「……誰?」

 カナタの事をよく知っている口振りの小さいエレを、怪訝に思ったのだろう。ユーリルが眉根を寄せて訊ねてくる。

「ツァラで出会った子だよ。訳あって保護する事になった」

 ある意味母親だから嫉妬なんかしなくていい、と告げたいのだが、それを口にすると、過去の出来事から一切合切を説明しなくてはいけなくなる。今はその機会ではなく、時間も無いだろうと、カナタはユーリルの意識を少女から引き離す事にした。

「ところで、今回は時間はあるの? 城下を案内できたらって思ってたんだけど」

 それを聞いた途端、ユーリルの顔から、小さいエレを警戒する色が消えて、ぱっと明るさが宿った。

「ある!」幸せそうに彼女は笑顔の花を咲かせる。「お義父様にも『良かったらうちに来い』って誘っていただいたの! 是非あなたのご家族にお会いしたいわ!」

 夕飯は母の手料理決定か。父の気の回しようを、ありがたいと取るべきか、余計なお世話と思うべきか。判断がつかなくて、カナタはこっそりと溜息をついた。

「陛下への報告は僕がするから、君は今日はもう帰りなよ。ユーリルを連れていってあげるといい」

 ユーリルから腕をほどくと、大きいカナタが相変わらずからかいの色を瞳に宿したまま近寄ってきて、軽くこちらの肩を叩く。が、不意に笑みを消し真顔になって、カナタにしか聞こえないように耳打ちした。

「このエレの正体と、君が『神の血』を持った事は、ヒカとインシオンにしか伝えない。君も周りにばれないようにするんだ」

 同一人物なのに今回ばかりは意図が読めなくてきょとんとまたたくと、もう一人の自分は軽く嘆息して、「わかれよ」と続けた。

「消えたはずの『神の力』を持つ人間がまた現れたと知ったら、一体どれだけの人間が、君達を利用しようと思う?」

 それでようやく理解した。『神の力』を有する人間の能力は、時に一人で一個大隊すら凌駕するという。不死身の人間を戦に駆り出せば無敵の一人軍隊ができあがるし、弱いとはいえアルテアを用いれば、街一つを焼き払う事さえ可能なはずだ。

 二大国家の統合から十数年経った今でさえ、イシャナとセァクを分けて考え敵視しあう輩はいなくなっていない。再独立の野心を抱く人間に『神の力』が渡れば、間違いなく数十年前までの、戦争を繰り返す日々の再来だ。それだけは避けねばならない。

「カナタ? どうしたの?」

 ユーリルが眉をひそめて声をかけてきた事で、カナタの意識は思考の輪から外れて現実に戻ってくる。

「……何でもない」

 ゆるゆると首を横に振り、「行こう」とユーリルを促して、大きいカナタ達が向かう先とは反対方向へと廊下を歩き出す。まだ納得がいかなそうな顔をしつつも、ユーリルは素直に後をついてきた。


「可愛い! これ、素敵!」

 服飾店に歓声が響き渡る。ユーリルは、「おすすめですよ」と店員が持ってきたイシャナ式の服を次々に試着しては、はしゃいだ声をあげた。女子のおしゃれに疎いカナタでも、毛皮の衣装に身を包んでいたユーリルがこちら側の服をまとうと、いつもとは違ってきらきらしく見える事はよくわかる。

「イシャナばかり? セァクの服って無いの?」

「着脱をかなり楽にした略式のものならございますけれど、イシャナの服よりは少々お値段が張りますね」

 女性店員はにこやかに受け答えつつも、ちらりとカナタを見やる。懐具合をうかがっているのか。カナタは壁に背を預け腕組みしたまま、溜息をついてユーリルに声をかけた。

「君が着たいと思う物を着なよ。お金を出せないなら連れてきてないから」

 それを聞いたユーリルの顔が、先程、城下を案内すると誘った時以上に喜色に満ちた。「おすすめを持ってきて!」と、店員を急き立てる。店員が笑顔で持ってきたのは、赤い布地に金の蝶が舞う刺繍の施された上衣に、まぶしいほどの白い袴だった。

「現王ヒョウ・カ様の姉君、エン・レイ姫がよくお召しになっていたお着物をなぞらえた品です。エン・レイ様は赤銀髪で、お客様も赤い御髪おぐしですし、きっと似合いますかと」

 ユーリルは満面の笑顔で服を受け取り、更衣室にこもる。十分ほど待ったところで、

「カナタ、見て!」

 と興奮した声と共に、カーテンを勢いよく開けて、少女が姿を現した。

 セァク式の衣を見事身にまとったユーリルは、普段の地味な服装からは想像がつかない色気さえ帯びている。そういえば彼女は西方の姫君なのだ。初めて目にした時もイシャナ式のドレスを着ていたし、こういう正装が似合う下地は持ち合わせている、という事だろう。カナタは我知らず騒ぎ出す胸をおさえて、静まれ、と必死に命じた。

「でも、これであなたのお家にお邪魔したら、格式ばりすぎているかしらね」

 姿見の前でくるりと一回転したユーリルが、ぽつりと洩らす。もしかして彼女はさっきから、カナタの家へ挨拶に行く事を前提とした服選びをしていたのか。恋人の意図に今更気づいたカナタは、更なる吐息をつき、彼女に告げた。

「服装なら気にする必要無いよ。父さんも母さんも、そういうのは頓着しない人だから」

 というかむしろ、普通にして欲しい。将来義娘むすめになる姫君が改まった格好で現れたら、さすがの両親もたまげるだろう。きょうだい達は「お姫様!」と目を輝かせるかもしれないが。

「……そうね」

 カナタの意図を読みとったのか、違うのか、ユーリルは残念そうに衣の袖を振りながらぼやく。そして彼女は更衣室に再びこもり、イシャナ式の無難な菫色のワンピースを選んだ。

「どう、変?」

 おずおずと彼女が訊ねてくる。変どころかむしろ新鮮で、こちらの心拍数は上がりっぱなしだ。それをごまかす為にカナタは目線を逸らし、

「悪くないよ」

 と小さく呟く。

「感情がこもってない」

 ユーリルが不服そうに鼻を鳴らすが、カナタは気に留めないふりをして、店員に代金を支払った。

「行こう」

 まだむくれている彼女を手招きすると、「どこへ?」と小首を傾げる気配があったので、少年は振り返って告げる。

「イシャナのお芝居を観にいこう。今ならまだ席は空いてるだろうし、夕飯までの時間を過ごせるから」

 ユーリルの瞳の星が明るくまたたいた。彼女は満面の笑みで小走りに近づいてくると、ぎゅっとカナタの手を握る。カナタも頬に熱を感じながら、ほんの少しだけ力を込めて、その細い手を握り返すのだった。


「……何だと?」

 大きいカナタから話を聞き、言葉を失うヒョウ・カ王の代わりに、傍らに立っていたインシオンが片眉を跳ね上げて驚きを表した。

 破獣を退治しにいったはずの王立騎士団長が、幼い少女を連れて報告に現れた。そこから奇っ怪ではあるとは思ったが、彼が繰り広げた話は、王と大将の想像を軽く超えていた。

 いや、本当はヒョウ・カもインシオンも内心ある程度予測していたのかもしれない。破獣が現れたという事は、破神の因子を持つ人間が現れたと同義だ。大きいカナタとミライがそうしたように、千年前から今に干渉しようとする人間が時を超えてきても不思議ではない。

「私と信じてもらえる為には、この話をすれば良いでしょうか」

 大きいカナタの隣に立つ小さなエレが、ふっと口元をゆるめて言い出した。

「インシオンは子供の頃、割れた瓶で左腕を切って、五針縫う傷を作りましたよね。『神の血』で消えて跡は残っていませんが」

 エレにしかした事の無い思い出話を持ち出され、インシオンは瞠目して反射的に左腕を反対の手でおさえる。彼の動揺を置き去りにして、小さいエレは今度はヒョウ・カの方を向いた。

「本当はとても寂しがりのヒカ。九歳まで、ぬいぐるみを抱いていないと一人で眠れなくて、私のベッドにこっそり潜り込んできた晩もありましたね」

 ヒョウ・カが息を呑んだ後に耳まで真っ赤になる。インシオンと大きいカナタが、「まじか」「本当に?」と、明らかに嫉妬を込めた瞳でじろりと、目上であるはずの国王を見すえた。

「これで信じてもらえないなら」

 小さいエレは淡々と語を継ぎ、ごく当然のごとく腰に帯びていた短剣を引き抜いて、自分の腕に押し当てる。

「私が『神の血』を持っている事で証明するしかありません」

「待ってください!」「やめろ!」「駄目だ!」

 男三人が顔色を青くして見事に唱和したので、当のエレが逆に驚いてしまい、きょとんと目をみはった。

「お前の容姿からも話からも、信じない訳にはいかねえ。だからそういう事はやめろ。冗談でも自分を傷つける真似はするな」

 切実なインシオンの言葉に、小さいエレの顔から次第に驚きが去り、どこか哀愁を帯びる。

「やっぱり、あなたは優しい人ですね」

 その儚げな笑み顔はやはり、男達のよく知っているエレと全く同じで、戸惑いを呼び起こす。

「とにかく」

 ヒョウ・カが咳払いして気を取り直し、まっすぐに小さいエレを見つめた。

「あなたを追う人間セイ・ギがいる以上、いつ何時危険にさらされるかわかりません。王国で保護いたします」

「……ありがとうございます」

 小さいエレが深々と頭を下げると、

「じゃあ、エレはうちで預かるよ。城じゃあ広すぎるし、いざという時に巻き込む人数が多すぎる」

『エレ』と一緒にいられる事を期待して意気込む大きいカナタを、「いや」と低い声が遮った。

「俺が面倒を見る」

 腕組みをしたまま、譲らない、とばかりにそう告げたのはインシオンだった。途端に、上官に対しても不機嫌を隠さずに眉根を寄せる青年を、赤い瞳でじろりと睨む。

「まだ俺の方が強い。それにいざという時、何も知らねえちびを危険にさらすつもりか」

 インシオンがちびと称したのは、大きいカナタの十歳になる娘ユイだ。血縁だけで言えばインシオンの孫になる彼女にはまだ、カナタらエレとインシオンの子供達のように、昔話を伝えてはいない。青年の妻は子細を聞かされているが、『神の力』の脅威を知らない子供をこの件に関わらせる訳にはいかない。

 二言目にはエレがエレはの大きいカナタだが、事情を汲み、家族を思うだけの思慮は身につけたらしい。唇を尖らせながらも、「わかった」としぶしぶ引き下がる。

「あなたもそれで良いですか?」

 確認を求めて、ヒョウ・カが小さいエレの方を向いた。彼女は、やけに幸せそうな笑みを浮かべて、こくこくと何度もうなずく。

「……やっぱり、エレにはインシオンなんですね」

 ヒョウ・カがほんの少しだけ羨ましさを帯びた声色で呟き、大きいカナタはますます機嫌を損ねた顔になるのだった。

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