エピローグ いつかの約束

 ユスティニア姫誘拐事件は、意外な黒幕をいぶり出して解決を見た。姫自身と王立騎士団長カナタの証言で、アルファルド大将の野望が明るみに出たのである。

 イシャナ人の帝国を夢見た男は、自分には関係の無いでっちあげだと声を荒げてしらを切ったが、インシオン中将がかねてより大将を危険視して水面下で策を弄していたのが功を奏した。ハシムと交わした計画書の一部、部下に下した指示書を、証拠として持ち出したのだ。

 無論これは、ヒョウ・カ王の権限で密偵マリエルがアルファルド大将の印を偽造した、真っ赤な偽物だ。しかし、あまりにも精巧な筆跡と、報酬の妥当さ、指示を下した部下の名前の一致率から、これらは揺るがぬ証拠となって迅速な裁判が進む。そんなものは知らぬとわめき散らすアルファルドをよそに、あっという間に有罪が確定した。しかし長らく王国の重臣として務めてきた事から、極刑は免れたものの、旧セァク領辺境の監獄に、終身閉ざされる事となった。

 空席になった王国軍大将の座には、中将であるインシオンが順当に昇格して収まった。

 そしてユスティニア姫は改めて本物が城下を巡って健在である事を示し、ヒョウ・カ王に今回の協力を感謝して、王国と西方の友好を一層強固なものとする役目を無事果たすと、あっという間に帰郷の日を迎えた。

 すべては、短剣に塗られた毒にやられたカナタが、家で寝込んでいる間の出来事であった。


 もうそろそろ、馬車は街門を出る頃だろうか。ベッド脇のサイドテーブルでかちこち音を立てる時計の針を見つめた後、カナタは何度目かわからない寝返りを打った。

 イナトの屋上で気絶して、それからユスティニアとは言葉を交わす機会を得られなかった。彼女は姫としてしかるべき場所にいたし、カナタはカナタで自宅療養を余儀無くされて、とても対面などできる状況ではなかったのだ。

 毒を受けて帰ってきたカナタを、母エレは真っ青な顔で迎えて、激しく狼狽えた。父も昔、母を助けようとして毒矢にやられた事があるらしい。その時を思い出したに違いない。

 しかし事態は当時ほど深刻ではなく、ユスティニア姫の身代わりを務めていたモリガが、リリムと共に解毒薬を調合して届けてくれたおかげで、毒はすぐに中和された。後は大事をとって安静、という事になったのである。

 きょうだい達はカナタの枕元に押しかけ、今回の旅の話を根掘り葉掘り聞きたがった。特に妹のトワは、兄に女っ気がついてきた事に興味津々だったらしい。異国の姫の話をしつこく問い詰めてきたが、カナタがのらりくらりとかわした事と、「傷にひびきますから」と母が姉弟妹を部屋から追い出してくれた事で、一時の平安は訪れた。

 王国と西方、双方に潜む不穏な動きを排除する為、自らの身を張って犯人を炙り出したユスティニアだが、いくら騎馬民族の戦士とはいえ姫君。きっと今後、このような危険な橋を渡りはしない。もう会う事も無いだろう。

 きちんと謝りもしなかった。

 もやもやした気持ちを抱えながら、夏掛け毛布を肩まで引き上げた時。

「カナタ」

 突然、開け放たれた窓の外から名を呼ばれ、カナタはぎょっと身を起こした。拍子に傷が痛み、うずくまる。

 鈍痛が去った後にようよう顔を上げれば、黒の瞳の中の星が曇って、気遣わしげにこちらを見つめている。もう王都をあとにしたはずのユスティニアが、窓枠に手足をかけた状態で、そこにいた。服装も姫の衣装ではなく、見慣れた旅装束に身を包んでいる。

「一等地の庭付きで立派な白い家、なんてどれも同じに見えるから、探すのが大変だったわ」

 カナタの驚きを置き去りにして、ユスティニアは窓を乗り越え部屋に入ってくる。ここは二階だ。何たる胆力か。仮にも姫が人様の家を二階までよじ登ってくるなど、これがフェルム王家の人間だったら侍女が卒倒するだろう。

 いや、そんな事はどうでもいい。そもそも、何故彼女が今、ここにいるのか。

「馬車に乗っているのはモリガだ。代役を頼んだ」

 カナタの疑念を読みとったかのように、あっけらかんと彼女は答え、たん、と軽い足音で床に降り立って、腰に手を当てる。

「というか、行きも同じ手を使ったのよ。敵の目を欺く為にね」

 そう言って彼女は唖然とするカナタの元へ近づいてきて、ベッドの縁に腰を下ろすと、日に焼けた手で、カナタの肩に巻かれた包帯をすうっとなぞった。

「色々とあなたに謝らないと、この地を去りがたくて」

「……いいよ、もう」

 本当はこちらから謝りたい事も、まだ怒っている事もあった。しかし、健在な彼女の姿を見た途端、何だかもう全てがどうでもよくなってしまった。彼女に再び会えた。その事実だけが嬉しさとなって胸を占めてしまったのだ。

「でも」

「おれがいいって言ってるんだから、これ以上蒸し返すなよ」

 躊躇いがちに語を継ごうとする少女を遮ると、彼女はまだ何かを言いたそうに二、三度口を開きかけて、結局黙り込んだ。

 しばらく、気まずい沈黙が漂う。耐えきれずにカナタがそっぽを向くと。

「こっち向いて」

 と、カナタより一回り小さい両手が頬を包み込み、少々強引にユスティニアの方へ引き寄せる。

「じゃあ、代わりに別の事を謝るわ」

 一体何だろうか。カナタは目をしばたたいた。

「私、王国には父に言われて来たの」

 それはそうだろう。使者を選んだのは彼女の父ユーカートの采配に違いない。それが謝罪と何の関係があるのか。見当がつかなくて眉をひそめるカナタに対し、ユスティニアはふっと口元をゆるめてみせた。

「疑わしいハシムを排除するのも目的の一つだった。でも、父の指示は他にもあったの」

 黒の瞳が真正面からじっと見つめてくる。心臓がどきどきうるさく騒いで、頬が熱くなるのを感じると、その瞳が愉快そうに細められ、星が瞬いた。

「フェルムの王族を一人、落としてこいって」

「……はあ!?」

 意志とは関係無しに素っ頓狂な声が洩れた。

「純粋な王族じゃないけど、元王族の息子でも、身分的には充分よね?」

 黙っててごめんね、とユスティニアは肩をすくめる。謝ると言いながらちっとも悪びれていない態度だった。

 何だそれは。自分は政略のだしに使われたのか。

「最初、あなたに近づいたのは、正直そういう打算もあった。でも今は、王族とかそういうのは関係無しに」

 薄い唇が耳元に寄せられ、続いて囁かれた声が鼓膜を震わせる。紡がれた言葉に、カナタは目を真ん丸くし、それから、ゆでだこのように真っ赤になった。

「私の唇を奪ったんだもの。責任は取ってよね」

 呆然とするカナタの頬を唇がかすめ、鼻先を短い赤毛がくすぐって、すうっと離れてゆく。

「私、そろそろ行くわ。追わないと、流石に皆に心配されるもの」

 ユスティニアがベッドから離れ、窓辺に寄ってゆく。

「……ユスティニア」

 名残惜しくて呼びかけると、彼女は不機嫌そうに振り返り、「違う」と唇を尖らせた。

「そうじゃなくて」

 言われてしばし思案し、思い至って言い直す。

「ユーリル」

「何?」

 慣れ親しんだ名を口にすれば、ユスティニア、いやユーリルは、嬉しそうに目を細めて微笑んだ。

「またいつか、会えるよな?」

「そうね」

 窓から射し込む陽光に照らされる彼女の顔は、女神のようにきらきら輝いて見えて、心臓がまたもばくばく言って落ち着かなくなった。そんなカナタに、ユーリルはくすりと笑みかける。

「私があなたに嫁ぐ日か、あなたが西方に婿入りする日か、どっちかはわからないけど」

「――何だよ、それ!」

 最早決定事項なのか。カナタとてまだ十六の少年だ。そう簡単に将来の相手を決められるなど、たまったものではない。見合い話をはねのけ続ける双子の姉の気持ちが、ようやっと少しだけわかった気がした。

 憮然とするカナタに、ユーリルは、今まで見た事が無いくらい穏やかな笑みを向けて、静かに、しかし強く告げる。

「必ずまた会いましょう、私の英雄さん」

「……お」

 おれだってまた会いたい。

 その返事を待たずに、彼女は来た時と同じように窓を乗り越える。軽やかに着地する音が聴こえた後、駆け足があっという間に遠ざかっていった。

 約束に、なっただろうか。

 ユーリルの出て行った窓に揺れる白いカーテンをぼうっと見つめていると、部屋の扉がノックされた。

「カナタ?」

 母が顔を見せて、不思議そうに小首を傾げる。

「大きな声を出したりして、どうしたんですか?」

 何と説明したら良いだろう。将来の嫁候補は西方のお姫様です、と伝えたら、母は何と答えるだろう。吃驚してただ立ち尽くすだろうか。「まだ早いのではないですか」と太い眉が困惑に垂れ下がるだろうか。それとも無邪気に両手を打ち合わせて、「良かったですね、おめでとう」と祝福してくれるだろうか。

 何だか、母ならその全部を通り一遍やりそうな気がする。しかしカナタは今は、この想いを胸に秘めて通す事に決めた。

「何でもないよ」

 口の端に笑みを浮かべながら、これまでより少しだけ柔らかく、その言葉を音にする。

「母さん」

 窓から吹き込む風は涼しさを帯びている。フェルムの夏はもう、終わりを告げようとしていた。

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