14 欺いた者

「……は?」

 事態をはかりかねて間の抜けた声をあげたのは、カナタ一人だった。モリガと呼ばれたユスティニア姫は目をぱちくりさせ、ユスティニア姫と呼ばれたユーリルが、非常に気まずそうな顔をして視線を逸らす。大きいカナタは得心顔で「やっぱり」と洩らした。どうやら置いてけぼりを食っているのは、自分だけのようだ。

 ユーリルが、ユスティニア姫だというのか。

 それでは自分達は今まで、本物の姫と共に、影武者を救う為の旅をしていたのか。

あにい、気づいてたのか」

 ようよう絞り出した言葉は、本人ではなく、傍らに立つもう一人の自分に向けてだった。

「薄々ね」

 青年が翠眼を細めて大きく息をつく。

「城内と城外のユスティニア姫が別人だってのは、雰囲気でなんとなくわかったし」

 では、あの時カナタが感じた違和感も、ただの気のせいではなかったのだ。少年の動揺を置き去りにして、「それに」と大きいカナタは続ける。

「内通者の可能性を示唆できる西方人といったら、姫本人しか思いつかなかった」

「でも、何で」

 その言葉は今度はユーリル、いや、本物のユスティニア姫に向けられたものだった。

 どうして素性を隠して自分達に近づいたのか。どうして一言も相談してくれなかったのか。自分は信用を置かれていなかったのか。裏切られたのか、という失意と怒りに、カナタの翠の瞳は険を帯びた。

 責め立てるような視線は、ユスティニアも気づいたらしい。ここまでの事情を知らない身代わり姫がおろおろするのを、「お前のせいじゃない」と肩を叩いて落ち着かせる。それからこちらを向いて、二度、三度躊躇って視線を外し、意を決したか顔を上げ、「私は」と口を開きかけた時。

「子供同士の茶番は、そこまでにしてもらいましょうか」

 明らかに上方から見下して放つような、そんな嘲りの色がこもった声が割り込んで、その場の気まずい空気を一気に張りつめさせた。大きいカナタが即座に剣の柄に手をやり、ユスティニアがモリガを背後にかばう。カナタも、いつでも一歩を踏み出せるように身構えて、声の方を振り返った。

 十数人の黒服を連れて堂々と乗り込んできたのは、アイドゥール城内で姫にそばづいて得意げに口上を述べていた男だ。たしかハシムと言ったか。

「こいつらに道中邪魔をさせましたが、流石に姫様はその程度で折れるような気概をお持ちではなかった」

 言葉は慇懃だが、明らかにユスティニアを侮っている。憮然とする彼女ににっこりと笑いかけてみせたハシムは、それから、カナタ達を侮蔑の眼差しでねめまわして、しかし、と続けた。

「フェルム王の薄汚いいぬどもを飼い慣らしたのは計算外でした。姫様はお一人でもおびき出されて飛び出してゆくような方だと、今までのお付き合いで思っていましたので」

「そう簡単に乗りはしない。お前が私を知っているのと同じだけ、私もお前を知っている。父の側近でありながら、野心を抱いていた事も」

 ユスティニアは半眼になって、しかし感情を殺して淡々と返す。途端、カナタは眉間に皺を寄せた。

 ユスティニアと、彼女を陥れようとした男が、互いの時間を共有している。深い意味は無いのだろうが、カナタの知らない彼女をこの不遜な男が知っているという事実に、激しい苛立ちが募った。

「姫様」

 陶酔するように両腕を広げて、歌うかのごとくハシムは宣う。

「ヒョウ・カが失脚し、アルファルド大将が国王になった暁には、西方も取り込んで一大帝国が興ります。その時、姫様の父君ユーカート殿は障害以外の何者でもない」

 ですから、と黒い瞳に邪悪ともいえる光を宿して、ハシムはユスティニアを視線で射抜いた。

「死んでください、姫様。王国と西方が戦になる口実の為に。そうすれば、ユーカートも王国軍の前にはなす術無く破れ去るでしょう」

 それに対するユスティニアの答えは、鞘走りの音だった。普段は星の輝く漆黒の瞳には今、激情の炎が燃え上がっている。

「やはり姫様は強情でいらっしゃる」彼女の決意を揶揄するようにハシムが嗤った。「幼い頃から手を焼かされました」

 それを合図にしたかのように、わっと黒服達が飛びかかってきた。ユスティニアに続いて抜剣した大きいカナタが迎え討つ。カナタも剣を鞘から解き放ち、飛びかかってきた一人と斬り結んだ。

 訓練で剣を合わせた事はある。だがあの時は、刃を潰した練習用の剣だった。父にも幼い頃から木剣を握らされたが、決して真剣を使う事は無かった。

『刃のある剣ってのは、斬るって事だ。相手の命を奪う覚悟を決めた証だ。同時に、自分が斬られる覚悟を決めた証だ。その決心がつくまで、脅しでも無闇に抜くんじゃねえぞ』

 本物の剣を使いたい、と子供の強がりで訴えると、父は赤い瞳に神妙さをたたえて、静かに息子を諭した。

 斬る覚悟、斬られる覚悟を決める時。それは今を置いて他に無い。ユスティニアは正体を隠していたが、それが彼女を見捨てる理由になどならない。

 手にした剣の重みが、鍔迫り合う感覚が、ひどく生々しい。カナタは一瞬瞑目すると、ぎんと再度目を見開き、雄叫びをあげて敵の剣を押し返す。弾き上げられた得物に気を取られてがら空きになった相手の胸に、カナタは己の剣を深々と突き立てた。ずん、と刃が肉を断つ感触が手に重く伝わり、引き抜けば返り血が上半身に容赦なく噴きかかる。

 敵が血の塊を吐き出し、白目をむいてあおのけに倒れてゆくのが、やたら遅く見える。襲いくるかと思った嘔吐感は無かった。

 人を殺した。これでカナタは完全な騎士になった。来た道を引き返す事はできない。何も知らない少年には戻れない。学者になる人生も諦めなくてはならないだろう。母の泣きそうな顔が脳裏を横切った。

 だが、感傷に浸っている場合ではない。続けて斬りかかってきた新手の横腹を薙いで蹴り飛ばし、背後に迫っていた一人を、振り向きざまの勢いで袈裟懸けに。こんな子供に一撃でなど信じられぬ、とばかりに驚愕を満たして、敵は崩れ落ちた。

 髪から、顔から、服から。返り血に塗れて、かつえた獣のようにぎらぎらと瞳を光らせながら剣を振るうカナタの姿は凄絶だった。さながら若き日の『黒の死神』である父が乗り移ったかのごとく、少年は叫びながら次々と敵を屠った。

 ちらと横目でうかがえば、いま一人の自分はさすがに慣れていて、淡々と敵を斬り捨てている。ユスティニアもモリガをかばいながら男の一人を斬り伏せるところだった。伊達に鍛えてはいないという事か。

 ものの数分で、カナタ達は数で勝る男達を床に沈めていた。流れ出す血が、床をじんわりと赤く染めてゆく。

 敵の攻撃が途切れてようやく、カナタは肩の力を抜く。だがその時、視界の端でぎらりときらめいた剣呑な光に気づいた。それが過たず狙っている先は。

「――ユーリル!」

 失望した事も忘れ、カナタは少女をかばうように飛び出し、彼女を手加減無く突き飛ばす。直後、どっと左肩に衝撃が訪れ、つんのめって足がもつれる。ユスティニアが驚きに目を見開く視界が斜めになり、床が迫って、したたかに顔面をぶつける。星が散って、歯が折れるのではないかという痛みと共に、口の中に血の味が広がった。

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