3 かくして事件は起きた

 アイドゥールの王城、謁見の間には、ぴんと張りつめた糸のような緊迫感が漂っていた。

「此度は貴国にお招きいただき、誠に恐縮の至り」

 玉座に座するヒョウ・カ王に向け、毛皮を使った西方の衣装に身を包んだ若い男は、事前に学んできたのだろう、片膝をつき胸に拳を当てる王国式の礼で深々と頭を下げた。

「そんなにかしこまらないでください。西方とは平等な友好関係を築いてゆきたい。格式張らず、もっと気楽に」

 皇国の時から数えれば三十年近く王座に就き続けたヒョウ・カ王に促されて、「は、ありがとうございます」と男は少しだけ膝を崩して顔を上げた。西方の人間に多い日に焼けた赤茶の髪を揺らし、黒い瞳をまっすぐ王に向ける。

「我らがユスティニア姫の訪問を、これだけ丁重にお迎えいただき、西方の民を代表して深く御礼申し上げます」

 何者かがどこかで抜剣したとしても一気に詰められる距離で、背に手を回した直立不動のまま、カナタは饒舌に口上を述べる男から、その傍らにかしこまる人物に目を移した。

 ユスティニア姫は、おつきの若者にヒョウ・カとの対話を任せきりにして、ただ頭を軽く下げて黙りこくっている。こちらは王国が用意したのだろう正装に身を包み、軽くまとめた髪に紫の花飾りを挿している。

「見とれない」

 思わずじっと見入ってしまっていたらしい。横から大きいカナタに小声と共に脇を肘で小突かれて、カナタははっと我に返った。

「見とれてなんかいない」

 唇を尖らせてやはり抑えた声で反論し、しかし視線は再び姫君に戻る。

 そんなに身長は大きくはない。姉のミライと同じくらいだろう。王と対面しているので、カナタに背を向ける形になっているが、長く赤い髪が、炎のように見える。小柄なものの、女性にしてはしっかりとした身体つきで、取り立てて華奢ではない。西方筆頭部族の長の娘では、命を狙われる事もあっただろうから、相当鍛えているのだろう。

「ハシム殿」

 ヒョウ・カの一声で、カナタは思考に飛ばしかけていた意識を引き戻される。

「我が国の招待にそこまで喜んでくださって、招いた方としても鼻が高いです。今後とも西方とは、良い関係を保ってゆきたいと思います」

「我らも思いは同じ。我らが姫がその架け橋となってくださる事を願ってやみませぬ」

 ハシムと呼ばれた青年が膝を揃え、今度は西方式に平伏して礼をする。その隣でユスティニア姫も頭を下げる。髪に飾った金細工のサークレットが、しゃらり、と涼やかな音を立てて揺れた。

「では姫君、我ら王国の民に、そのお顔を見せてさしあげてください」

「かしこまりました」

 ヒョウ・カ王が両腕を広げて玉座から立つと、初めて姫が口を開いた。凛とした、蒼天のからりとした空気を叩くような、はっきりとした声色だった。

 ハシムと共にユスティニア姫が立ち上がる。が、その拍子に服の裾に足をつっかけて、姫の身体がぐらりと揺れた。

 誰もがあっと声をあげる。しかし隣の青年が手を出すより早く、カナタは大きく一歩を踏み出し、腕を伸ばしていた。体勢を崩したユスティニア姫が、カナタの胸に転がり込んでくる。

 危うく、友好の図を描こうとしている国の姫に、異郷の地で怪我をさせるところだった。誰もがほっと息をつく視界の端で、ハシムだけが苦々しく舌打ちするのが見えた。

 目線を下ろす。実際にこうして腕の中におさめると、見た目以上に小さい。カナタも父に『俺くらいにはなるだろ』と言われるほどには、まだ成長の余地を残していているが、それでも彼女は小柄で、そして、軽い。女子とはこんなにも軽くて柔らかいものなのかと、驚きを覚えるほどに。

 ユスティニア姫が顔を上げる。その瞳と視線が絡み合った時、カナタは吸い込まれるように相手の瞳をじっと見つめた。

 星の宿る夜空。輝きで吸い寄せ、包み込んで決して離さない宵闇色の花。たとえるならそんな黒だ。ややつり上がった目。すらりと通った鼻筋。薄い唇にはうっすらと紅が載っている。

「ありがとうございます」

 姫が小さく告げながら、自身とこちらの間に手を差し入れて距離を取る。

「咄嗟の事とはいえ、ご無礼を」

「いいえ。助かりました」

 ここではカナタも騎士の一人だ。見習い云々にすがりつく訳にはいかない。改まった口調で詫びると、赤毛をさらりと揺らして、姫が首を横に振った。

「姫様、お怪我はございませんか」

「この方のおかげで、大事ありません」

 ハシムが寄ってきて声をかけると、やはり姫ははきはきと返す。

「助かった、騎士殿。礼を言う」

 青年は姫の肩を抱いてカナタから引き離すと、そう言って頭を下げたのだが、不意に顔を上げると、その顔をカナタに近づけ口元を歪め、カナタにしか聞こえない声量で囁いた。

いぬ風情が、我らが姫に気安く触れるな。姫に許されたからといい気になるなよ」

 カナタが目をみはって驚きにとらわれている間に、ハシムはなれなれしくユスティニア姫の肩を抱いたまま謁見の間を出てゆく。

「何を言われたかは大体わかるから」

 呆然と突っ立っていると、隣の大きいカナタが、再び肘で小突いてきた。

「いちいち目くじら立てていたら駄目だ。正騎士になったら嫌味もやっかみも雨霰だよ。流せるようになれ」

 どうやら、カナタが怒っているととらえたらしい。しかし、カナタの中では、ハシムの嫌がらせなど最早どうでも良くなっていた。

 手の中に残る柔らかい感触。幼い頃妹を抱っこした経験はあるが、人生で初めて触れる、きょうだい以外の女性の身体つきを思い出し、カナタの頬は我知らず熱を帯びるのであった。


 抜けるような蒼空に、ぽん、ぽんと花火があがり、白い煙が風に流されてゆく。ユスティニア姫の訪問を歓迎する祝砲は次々と軽快な音を立てた。

 大通りには国防軍の兵が一定の間隔で並び、沿道の民衆はその後ろから、主役が姿を現すのを、今か今かと待っている。

 やがて、銀の剣を腰に佩いた白い制服の兵士達が、対照的な黒馬に乗って粛々と進む後ろから、四頭立ての馬車が現れると、観衆からは歓呼の声があがった。

 車上から沿道の民に向けて、ユスティニア姫が手を振っている。彼女はにこやかな笑顔を振りまいて、伊達に有力者の娘として普段から人々に接する立場ではない、堂々とした振る舞いをしている。

 兵に混じって警護にあたり、その様を眺めるカナタはしかし、何か違和感を覚えていた。

「西方の騎馬民族だっていうから、どれだけ勇ましい娘さんが来るのかと思ったが」

「いやはや、可愛らしい姫君だ」

 民衆はこぞって褒めたたえる言葉を交わし、カナタの隣に立っている兵も「お近づきになりたい……」と鼻の下を伸ばしてこぼすのが、耳に滑り込んでくる。

 だが、何かが違うのだ。何が、というのをはっきりと形にできない。

 ユスティニア姫はたしかに美しい。今年十八になるという彼女は、少女と女性の狭間にある危うさを帯びながらも、朗らかな笑顔を見せて人々を魅了している。だが、先ほどカナタが受け止めた姫君の雰囲気とは、何かが違う気がした。

 差異の正体を模索してぐるぐると考え込んでしまうカナタだったが、不意に視界の端できらりと光ったものに、はっと表情を引き締めて、すぐ飛び出せるように身構えた。反応が速かったのは、道を挟んだ斜向かいにいる大きいカナタも同様だった。

 だが、二人が動き出すよりも更に速く、飛来した光は矢の形を取って、ユスティニア姫の馬車を牽く一頭の首に突き刺さる。馬が竿立ちになって暴れ回り、他の馬にも恐慌が伝播して馬車はめちゃくちゃな方向に走り出した。なだめようとした御者が蹴落とされて首の骨の折れる音がし、ぐったりと道に崩れ落ちる。馬車が横転してユスティニア姫も席から放り出され、これには沿道の民から悲鳴があがった。

 その混乱の合間を縫って、裏通りから一台の幌馬車がやってきた。闖入者は人々を蹴散らしかねない速度で近づいてきたかと思うと、黒いフードを頭からすっぽりかぶった男が馬車内から身を乗り出し、地面に転がったままのユスティニア姫の長い赤髪をひっつかんで引き上げ、馬車の中に引きずり込む。そのまま、馬車は怒濤のように人波の向こうへ消え去った。

 瞬く間の出来事に、誰もが唖然として立ち尽くす。しかしその後には、さざ波のようにどよめきが伝播し、しまいには大声をあげる騒ぎへと発展してゆく。

 西方からの賓客が大衆の目前で誘拐された。それは西方と王国との関係に決定的な亀裂を入れかねない、とんでもない事態であった。

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