前日譚:紅の鬼神
1 ある夜の事
それは、ある晩唐突にだった。
「お
「あん?」
枕に頭を並べてすやすや寝息をたてる双子にそっと毛布をかけてやりながら、エレがそう言い出したので、ソファに座って明日の会議についての書類と睨み合っていたインシオンは、眉間に皺を寄せて顔を上げ、妻を振り返った。
父親について話す事など無い。双子の王族は不吉だという迷信に惑わされ、己に似ていない容姿だからというだけで自分を捨てて兄を選んだ。そして大勢の人を振り回した挙句、人間として超えてはならない一線を踏み超える大罪を犯したのを、この手で討った。思い出すだけでも胸が悪くなる。
夫の不機嫌を感じ取ったのだろう。「あ、すみません」エレが慌てながら首と両手を横に振り弁明した。
「あなたを育てた方の事です」
彼女の説明をよくよく聞くと、こういう事だった。
三歳に近づいた双子が、同じ年頃の子供達と遊び回って話をしている内に、友達には「パパ」と「ママ」以外に、「じいじ」と「ばあば」という家族の存在が大抵いるものだと知った。
そして、
『エレとインシオンにはじーじとばーばいないの?』
『じーじとばーばのはなしきかせて!』
と、赤の瞳と翠の瞳をきらっきらに輝かせながら、二人してエレに詰め寄ってきたのだという。
しかし、幼い頃に生まれ故郷を失ったエレに、語れるほど両親の記憶は無い。インシオンも、実の父親に見捨てられ、母親とは一度も言葉を交わす機会が無かった。そうなると唯一話せるのは、インシオンの養父についてだけになったのだ。
「お父様である事に変わりはありませんし、あなたに関係がある方の話ならば、特にミライが喜ぶでしょうし」
娘のミライは大変な父親っ子である。弟のカナタが母エレにべったりなのとは対照的に、インシオンが家にいれば膝の上に乗って甘えたい放題。彼が任務で数日家を空ける時には、まるで昔のエレのようにしょんぼりして目に涙をためながら、『……いってらっしゃい』とうつむきがちに小さく手を振る。
『ミライはインシオンとけっこんすーの!』
姉が高らかに宣言すれば、
『じゃあカナはエレおよめちゃんにすうー!』
対抗するように弟も意気揚々と叫ぶのだ。
両親を「パパ」「ママ」でなく名前で呼び捨てする事について、エレは容認しているのだが、インシオンは「何か気に食わん」と矯正しようとした。しかし、周囲の誰もがエレとインシオンを名前で呼ぶし、ある意味同一人物である大きいミライとカナタも二人を父母と呼ぶ事が無いのを、子供なりに何か共鳴でもしているのか、子供達が呼び方を改める事は無かった。
『もう少し大きくなったら、自然と身に付く可能性もありますから』
エレの弟のヒカまでもが、まだ喃語しか発しないよちよち歩きの我が子を抱き上げながら苦笑して諭したので、「時間の経過を待つ」という妥協案を受け入れるしか無かったのだ。
そういえば自分も養父を「ジジイ」か「クソジジイ」としか呼んだ事が無いのを今更思い出しながら、インシオンは書類をテーブルの上に置いて、がりがり頭をかく。
「ガキどもが聞いて面白い話だとは思わねえぞ」
「英雄のお父様のお話ですもの。興味津々で聞いてくれますよ」
エレがくすりと笑み崩れ、夫の隣に腰掛け、翠眼を細めて見上げてくる。インシオンはそれでも渋り顔をしながら、やがてぽつりと。
「……俺だ」
苦々しく呟いた。
「え?」
「
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