春の日に(2)

 さんざめく春の太陽の下、アイドゥールの街が照らし出される。

 十四年前に破神タドミールに焼き尽くされた悲劇の場所は、一年前のイシャナ王とセァクの姫との結婚式――結局は途中で中断され果たされなかったが――の準備の際に一通りの瓦礫が撤去され、街を囲む石の外壁を除いては更地になっている。元から空き地だった場所には背の高い雑草がびっしりと生え、あの日からの年数の経過をまざまざと見せつけていた。

 そんなアイドゥールの一角に、箱馬車が止まる。御者台から黒装束の青年がひらりと飛び降りると、

「エレ」

 馬車の扉を開けて、中にいる人物の名を呼んだ。はい、と応えがあって、久方ぶりにイシャナの旅装に身を包んだ赤銀髪の少女が降りて来る。青年がごく自然に手を差し伸べ、少女も当たり前のようにその手を借りた。

「気分はどうだ」

「平気です。おかげさまで、酔ってもいません」

 気遣いの言葉に、少女――エレは笑顔を返す。実際ここまでの道程は、馬車酔いする事は無く、最近ずっと悩まされていた体調不良も山を越えたらしく、外の風景を眺める余裕さえありながら穏やかに過ぎた。

 エレとインシオンの結婚が決まってからのヒョウ・カの手回しは鮮やかの一言に尽きた。あっという間に式の会場と日取りを決め、ドレスを縫うお針子を雇い、王族ではなくなるのだから城下で暮らしたいと言うエレのわがままを聞いて、一等地に一軒家の建設を始めた。セァクの巫女姫を息子の妻に、あるいはイシャナの英雄を娘婿に、と望んでいながらその希望をかっさらわれ、いまだに文句を言う旧セァク、旧イシャナの重臣達には、それなりの地位の相手をめあわせる事で、不平を分散させたりもした。

 それらが一通り落ち着いた頃、アイドゥールに行きたい、と言い出したのは、エレだった。生まれた家はもう無いが、故郷を訪れて、今は亡き、顔も覚えていない両親にこの事を報告したい。

 その要望をインシオンに告げると、すげなく却下されるかと思ったが、意外にも彼はエレの望みをすんなりと受け入れた。

『お前の身体が安定してからな』

 そう条件を添えて。

 そして、エレがつわりに悩まされる時期を過ぎ、そこそこの体調が戻ってきた日、二人は馬車を借りて街道を通り、アイドゥールへと訪れたのである。

 インシオンと手を繋ぎ、まっさらになった土地を歩く。奥には、一年前かなりの急ごしらえで造られた結婚式場と、その後セァクとイシャナの王が和平条約を結んだ大使館がよく見渡せる。それらを右手に見る一角で、エレは足を止めた。

「この辺りか?」

「恐らく、そうです」

 一度は消えてしまった幼い日のおぼろげな記憶の上に、もう目印は何も無いのだ。どこまで正しいかなど怪しいところである。エレがうすぼんやりと覚えている、生家があったと思われる場所は、雑草がたくましく根を張り、春の風に揺られてさわさわと音を立てていた。

 二人はしばらく手を繋いでそこに立ち尽くしていたのだが。

「……お父さん、お母さん」

 エレはゆっくりと口を開いた。

「私は、一生を共にしたい愛する人を見つけました。私は今、とても幸せです。だからもう何も心配しないで、ゆっくりお休みください」

 ぎゅっと手を握り締めると、強く握り返される。インシオンがおもむろに頭を下げて、

「お義父とうさん、お義母かあさん」

 その言葉を口にした。

「俺は戦士としての生き方しか知りません。こいつを置いて戦いの中で逝く日が来るかもしれない。それでも、この命ある限り、あなた達の娘を守り、幸せにすると誓います」

 低頭するインシオンの横顔は真剣で、見つめると、胸に迫る波があり、目に熱いものがこみ上げる。感情をごまかすように目尻を拭うと、

「そうだ、インシオン」

 手を離して肩から斜め掛けしていた鞄の中をまさぐり、失くさないように持っていた物を取り出す。

『レイ王の遺品を整理していたら出て来ました』とヒカが託してくれたのは、銀製のロケットペンダントだった。

「レイ王がこれを大事にしまっていたそうです」

 顔を上げたインシオンの眼前でぱちんと蓋を開ける。その中に収まっていたのは、肖像画だった。すらりと背を伸ばして椅子にかける、整った顔の女性が描かれている。しかし肝心なのはそこではない。その女性は、瞳の色こそ碧だが、絹のように艶やかな黒髪をしている。そして何より、イシャナの双子の王族を彷彿させる目鼻立ちをしていたのだ。

「……まじかよ」

 インシオンが困ったように髪をかきあげ、ぽつりと洩らす。

「俺達の母親だ」

 想定の範囲内の答えである。双子によく似た女性の肖像画をレイが大事に持っていたといえば、それしか考えられない。

「母方は代々黒髪で、ひいが三個くらいつくじいさんが、赤い瞳だったらしい」

 だが、と先祖返りの瞳を細めて、インシオンは続ける。

「先代は他に嫁にしたい女がいてな、それがプリムラの母親だ。政略結婚だった俺達の母親と先代は折り合いが悪かった」

 世継ぎは産んだが不吉な双子をもたらした事を体のいい理由にされて、インシオンの母親は離宮に遠ざけられ、そこで病を得て孤独に亡くなったという。インシオンは結局、一度たりとて母と言葉を交わす機会が無かった。レイに訊いても、彼女が息子の前でもう一人の息子について言及する事は無かったというので、彼女がインシオンをどう思っていたかを知る事は、永久にかなわない。

「これはインシオンが持っていた方がいいと思います」

 蓋を閉じ差し出すと、こわごわと手が伸びてきて、壊れ物を扱うかのようにインシオンがペンダントを受け取る。おしいただくように銀の輝きに口づけて、彼は感慨深げに目を閉じた。

 さらさらと風のそよぐ音ばかりがしばらくその場に流れた後。

「……俺はしないからな」

 唐突に彼が口を開いたので、何の事だろうと小首を傾げると、赤い瞳がまっすぐにこちらを見つめて、真剣な表情で言葉を重ねた。

「俺は自分の子供達がどんな容姿でも、差別したり、遠ざけたりしないからな。俺とお前の子だ。どんな子でも、お前も子供達も生涯愛すると誓う」

 エレの鼻の奥がつんと突かれたように、甘い痛みを覚える。また濡れてきた目をしばたたいていたので、「まあ、俺が関わらないとどういう風に育つかって極端な例が、身近にいるしな」とぼやくインシオンの小さな独り言を、聞き逃してしまった。もっとも聞こえていたとしても、エレにはまだ理解できない話であったのだが。

「俺達が受けられなかった分まで、子供達には、親の愛情を注いでやりたいと思っているのは、本気だからな」

 さっきからインシオンが「子供達」と複数形を使っている事にも意味があるのだが、エレはそれに気づく由も無い。ただ正面から愛する人の言葉を受け止めて、泣き笑いでうなずき、伸ばされた腕に身をゆだねる。

 いつか永遠に別れる日が来ても、いつか生命が終わる日が来たとしても、この人を愛して本当に幸せな人生だった、と笑ってこの世を去れるだけの日々を送りたい。あなた達の子供として生まれて来て幸せだった、と我が子に言ってもらえるような親になりたい。

 きっと世界はまだ平和ではなくて、悲しい事も沢山満ちているけれど、少なくとも破神の血に惑わされる人間はもういないのだ。大切な人と笑い合って生きてゆきたいと、切に願う。

 穏やかな風の音はまだ耳をくすぐってゆく。

『幸せになりなさい』

 その風の中に、幼い頃優しく呼びかけて頭を撫でてくれた人の声が聞こえた気がして、頼もしい腕の中で、エレは静かに涙を流したのだった。

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