第7章 背を押され(2)
「誰が手ぶらで帰ってこいと言いましたの。このへたれ」
ミライのアルテアでイナトに帰還したインシオンを出迎えたプリムラ姫は、腰に手を当て開口一番、罵倒をぶつけて来た。
「皆にさんざん迷惑かけて助けに行っておきながら、振られて戻って来る無様な弟を持って、お兄様も草葉の陰で泣いていらしてよ」
そう言って睨みつける彼女の目は赤く腫れぼったい。恐らくインシオンが帰って来るまで、レイの喪失をひたすら嘆いていたのだろう。
「プリムラ姫、それくらいにしてあげてください」
彼女の横に立ってたしなめるのは、セァクから来たヒョウ・カだった。彼はきちんと婚約者の身内の死に駆けつけるだけの配慮と情愛を持つ男だったという事だ。彼が妹の傍についていてくれた事に、内心感謝する。
「とにかく、皆で話し合いましょう」
少年王――と呼ぶのも最早失礼なほど精悍さをそなえて来た皇王が、手を振って全員を促した。
「シャンメルとリリムも戻っています。話を聞く面子は揃っているかと」
「あいつらも無事だったのか」
「海を『神の足』で駆け抜けたそうです」
インシオンがほっと息をつくと、ヒョウ・カは「途方も無いですね、『神の力』は」と困惑したように肩をすくめる。きっとシャンメルは相当な距離を駆けただろう。一体どれだけ寿命を縮めたのか。
「あの馬鹿」
小さく罵りながら、インシオンは王城内へと足を踏み入れた。
レイ王がそこで過ごすのを楽しみにしていた中庭のあずまやへ。本来の主がいなくなった場所に、インシオンとヒョウ・カ皇王、プリムラ姫と、シャンメル、リリム、ソキウス、そしてミライが顔を揃えた。
メイド服に身を包んではいるが、冴えない眼鏡姿の変装ではなく
それまで緊張した面持ちでずっと黙りこくっていたミライが、一口茶をすすると、堰を切ったように語り出した。
西方の騎馬帝国の勃興。インシオンの敗北から始まる死の連鎖。エレの悲劇的な最期。世界の終焉。千年の過去。歴史通りに燃えたアルセイル。そして、カナタが辿り着いた狂気。
ミライが全てを吐き出す間、誰もが口を挟めずに話を聞いていた。
この少女は小さな身体にこれだけの絶望を抱えて、孤独な戦いをして来たのだ。誰にも助けを求める事ができずに。
一通りの話が終わり、ミライが口を閉じてうつむく。膝の上で握り締めた拳が震え、雫が一滴、二滴と手の甲に零れ落ちた。
少女の向かいに座したインシオンは、ずっと腕組みして話を聞いていたが、ミライの言葉を噛みしめるようにしばらく瞑目すると、やがて目を開けておもむろに席を立ち、少女に寄り添ってその小さな肩を両腕でそっと包み込んだ。
「お前達を守ってやれなくて、すまなかった」
ミライの身体がびくりと震える。これだけで許されるはずが無いだろう。だが、自分とこの少女の関係を思うと、この台詞は未来に死した自分の代わりに、今、言わなくてはならないと思った。
控えめにしゃくりあげる声が聞こえる。ぽんぽんと頭を軽く叩いてやると、呻き声が洩れた後、爆発するようにミライが号泣して、インシオンの胸にとりすがった。
全てを諦め、何者にも頼る事をせずに生きて来た少女は、張りつめた緊張の糸を切って泣きじゃくる。そんな彼女を腕の中に収めながらも、インシオンの胸中では新たな混迷が生じていた。
カナタは自ら破神になって騎馬帝国を殲滅せしめるまで、エレを追う事を諦めないだろう。時を超えてまで執着するのだ。考えを改めるつもりならばとっくにしている。最悪の状況を回避する為にも、一刻も早くエレを見つけ出してカナタから守ってやらねばならない。
だが。
エレはインシオンの傍にいる事を拒んで去った。もう一度会えたところで、果たして差し伸べた手を彼女が取ってくれるだろうか。
「インシオン」
瞳に浮かぶ迷いを読み取ったのだろう。プリムラが少し怒ったふうな語気で口を開いた。
「お兄様は遺言状を遺されておりましたわ。本来部外者のあなたにその権利は無いですけれど、今のあなたにはお見せするべきですわね」
部外者、を強調して、彼女はひとつの筒を差し出した。まだしゃくりあげるミライから手を離し、イシャナ王だけが使える、絡みつく蔓草の装飾が銀で施されたえんじ色の筒を受け取る。蓋を開ければ、真っ白な高級紙が一枚出て来た。そこには見慣れた兄の筆跡で、ヒョウ・カ皇王とプリムラ姫が結婚し、セァクとイシャナの統一王国成立を、自分の喪が明けるのを待たずに押し進めるように、という内容がしたためられ、レイの記名と王印でしめくくられていた。
「……これだけか?」
「そうですわ」
怪訝に思って顔を上げると、プリムラが神妙にうなずいた。一月前、わざわざ王都に召還してまで、お前がエレと結婚して王になれ、と言い含めたレイだ。てっきり自分を王族に戻して王位を任せる旨の文面があると覚悟していたのに、いささか拍子抜けの感がある。眉をひそめると。
「おわかりになりませんの? あなたの頭はピーマンよろしくスッカスカでして?」
プリムラがまたも姫に似合わぬけったいな台詞を吐いて、菫色の瞳で真正面からじっとインシオンを見つめた。
「お兄様はあなたに遺産を遺されたのですわよ。自由という、大きな遺産を」
強く頭を殴られた気分だった。あれだけ自分に期待していたレイが、最後の最後に、イシャナ王家にインシオンを縛りつけない事で、いち個人としての人生を与えてくれたのだ。
エレと共に、人として生きられる可能性を。
プリムラがインシオンを『部外者』と敢えて強調したのは、彼女なりのせめてもの腹いせだったのだろう。
『死神』の名を抱いて空っぽの生を送り、誰にも理解されないまま、いつかどこかで誰にも看取られずに果てるつもりでいた。それで良いと思っていた。その考えがどれだけ傲慢なひとりよがりであったか、片翼をもがれて初めて気づく。
だが今、「すまない」と皆に素直に頭を下げるだけの決心が、インシオンにはつかなかった。遺言状を筒に戻して元通り蓋をすると、プリムラに突き返し、
「……頭を冷やす時間をくれ」
とうつむきながら小さな声で言う事しかできなかった。
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