第4章 終焉を見た者(1)

『お兄ちゃんは、生きて』

 懐かしい声に導かれて目を開けると、南国の木々の間から差し込む木漏れ日が視界に映る。木陰に横たわっているのだと気づくのに、聡い彼にはさほどの時間が要らなかった。

 身を起こして周囲を見渡す。どこかの浜辺のようだ。海破獣マール・カイダに襲われ船から投げ出されて、もがきながら意識を失った。運良くどこかに漂着したにしては、しっかり木の下に寝かされているし、ご丁寧に掛け布までしてもらっている。誰かが自分を助けてくれた事は間違い無いようだ。しかし誰だろう。灰色の目をしばたたいた時。

「あっ」

 控えめな驚きの声が聴こえて、彼――ソキウスはそちらを向いた。咄嗟に木の幹に姿を隠す小さな影が見え、赤銀の髪が翻る。

「もしかして、あなたがミライさんですか」

 できるだけ安心させるように声をかけると、幹に隠れきらなかった肩がびくりと震えた。

「何故、私を助けましたか」

 聞いた話によれば、この少女はエレの命を狙っている。共にいる遊撃隊の面々も敵とみなされて仕方無いはずだ。しかしこの状況はどう考えても、彼女が自分を助けて面倒を見てくれたとしか思えない。その理由がわからなかった。

 長い沈黙が漂った後。

「……から……」

 少女がぼそぼそと言葉をこぼした。

「え?」

「あなたが私を助けてくれたから、私も返したかった……だけです」

 はて、と考え込んでしまう。自分はこの少女と初対面のはずだ。それとも、欠損した記憶の中で出会っていて、知らぬ内に彼女を助けた事があるのだろうか。

「とりあえず、害意が無いならこっちに来てくれませんか」

 口の端に笑みを浮かべて自分の傍らの地面を平手でとんとんと叩く。恐る恐るといった様子で赤い瞳がこちらを向き、数瞬躊躇った後、少女は意を決したか木陰から姿を現した。

 改めて見ると、本当に小さい。腰に帯びた鋼水晶の剣が不釣り合いに大きく見えるほどだ。こんな愛らしい外見をしながら、瞳だけは地獄を見て来た人間の諦観で曇っている。一体どんな絶望が彼女をこんな風にしたのだろうか。生来の知りたがりの性格が頭をもたげた。

 ミライはソキウスの脇に腰を下ろすと、膝を抱え込んだまま黙り込む。彼女が口を開いてくれるのを待っていようかと、ソキウスも腕組みして沈黙を貫く。しかしやがて聞こえて来たのは、嗚咽だった。

 隣を見ると、少女は膝に顔をうずめて身を震わせていた。

「何故泣くのですか? 恐いですか、一度は破神(タドミール)になった男が?」

 自嘲気味に訊ねると、少女はいいえ、いいえ、と呻きながら首を横に振った。

「逆です。嬉しくて仕方無いんです」

 しゃくりあげながら少女は言った。

「あなたにまた会えて、言葉を交わせる事が。私はあの時まだ小さくて、こうしてあなたと対等に話す事ができなかったから」

 段々とソキウスの中で仮説が構築されてゆく。そしてそれは当たっているような気がした。

「あなたはエレに嘘をつきましたね」

 真剣な瞳で少女を見つめ、ソキウスはその仮説を口にした。

「時の彼方を見る事ができるのではなく、実際にそれを経験して来ましたね」

 濡れた瞳がはっとこちらを向く。少女はしばらくの間、唇を半開きにしてあっけに取られていたのだが、やがて口をへの字に歪めて諦め気味に洩らした。

「やっぱり、あなたほどの嘘つきにはなれませんね」

「話してくれますか」

 促すと、ミライはぐっと言葉に詰まり、視線を外した。

「大丈夫。私は嘘つきですから、本当の事を他人に口外したりしませんよ」

 唇の前に人差し指を立てて片目をつむってみせると、少女は半笑いになり、それからその笑みをふっと消して、

「あなたの想像を超えているかもしれませんよ」

 とぽつり、ぽつりと語り出した。

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