第5章 つかめない衣(2)

「くだらぬ」

 それがアーヘルの返事だった。

「ただ布の色を見ただけで犯人と決めつけるなど、愚の骨頂だ」

 シュリアンがエレを殺そうとしている犯人だと直訴する為に、レスナはエレを連れて王への謁見を願い出た。しかし、アーヘルは第二王妃の訴えを、あっさり退けたのである。

「第一、シュリアンは先程まで余と共に昼餐についていた。席を外してもいない。どうやって見晴らし台まで行って帰って来る事ができる」

「いくらでもやりようがあるでしょう。身代わりを立てるとか」

「身代わりを見抜けぬほど、余の目が節穴であると申すか、お前は」

 必死に訴えかけてもことごとく反論で封じられ、レスナがぐっと黙り込む。自分自身が危険な目に遭った事ながら、レスナには申し訳無いが、この問答は勝てる要素が無い、とエレは考えていた。最初にアーヘルが言った通り、薄布の色などいくらでも取り替えがきく。ただ青というだけでシュリアンを真犯人に仕立て上げるには、証拠が足りなさすぎるのだ。

「エン・レイ姫も、レスナ殿と同じように、わたくしが犯人と疑っていて?」

 部屋に第三の声が響く。流れる水のように滑らかなその声が誰のものか、初めはわからずぽかんとしてしまったが、消去法で、シュリアンが口を開いたのだとわかった。長い睫毛を持つ青の瞳は、挑戦的にエレをまっすぐ見すえている。

「エレが見たのですわ。間違い無く」

「私は今、エン・レイ姫に訊いているの」

 レスナが口を挟もうとするのをぴしゃりと遮って黙らせる。険のある女性だとは思っていたが、その内面も強い精神を持つ人間であるらしい。レスナがかあっと顔を赤くして引き下がるのを一瞥して、シュリアンは再びエレの方を向いた。

「どうやら、あなたにも確信は無いようね」

 紅を塗ったふっくらした唇から深々と溜息を吐き出して、

「では、こうしましょう」

 シュリアンは人差し指を一本立てて、すっと顔の前を横切らせた。

「陛下の名において、三日後に法廷を開いていただきます。それまでに、わたくしが犯人であるという証拠をつかんでらっしゃい。わたくしの罪を暴けばあなた方の勝ち。できなくても、恥をかく以外にあなた方に不利はもたらさないわ。どう?」

 口角を持ち上げて、挑発的な視線が刺して来る。自身が罪をかぶるはずが無いという自信に満ち溢れた態度だ。伊達に前王の代から王妃の座を保っている女性ではない。したたかさを備えた強敵である。

 しかしここで負ける訳にはいかない。真犯人をいぶり出せなければ、いつか本当にエレの命が奪われる。自分の生死がかかっているのだ。エレは翠の瞳に決意を燃やして、しっかりとうなずいた。

「面白い事になったな」

 三人の王妃のやりとりを、頬杖をついて聞いていたアーヘルは、満足気に笑って膝を叩く。

「良かろう、許可する。やってみせろ」

 そうして腰を上げると、「三日後が楽しみだな」と言い残して部屋を出てゆく。シュリアンも余裕の笑みを見せて、静かに後に続いた。

 二人の背を見送っていたエレは、ぎり、と歯ぎしりする音で横を向き、そして我が目を疑って絶句してしまった。

 レスナが明確な怒りの炎を瞳に燃やして、ぶるぶる震えている。その形相は破獣カイダさえも逃げ出しそうなほどに歪んでいて、折角の愛らしい顔が形無しだった。

 エレが恐る恐るレスナの腕に触れると、彼女ははっと我に返ったようだった。冷や水を浴びせかけられたかのごとく目を丸くして、それからのろのろとエレの方を向く。

「あ、ああ、ごめんなさいね、エレ」

 取り繕うような笑顔を作って、レスナがエレを抱き締める。薄紫の髪がさらりと頬を撫でた。

「あなたの力になりたかったのに、逆に難題をふっかけられてしまったわ」

 でも、と耳元で吐息と共に囁きが謡う。

「安心して。決してあなたを殺させはしない。恥もかかせない。絶対にシュリアンを追い詰めてみせるわ」

 エレを抱き締めるレスナの腕に、一層の力がこもる。味方がいてくれる事を頼もしく思いながらも、エレの心の中では、何故か違和感が生まれていた。

 本当に、シュリアンが真犯人なのだろうか。あの態度は、「絶対に尻尾をつかまれない」という余裕ではなく、「自分は決して関わっていない」という潔白の確信から来るものではないのだろうか。だがそうすると、果たして誰が黒幕なのか。わからなくなってしまう。

「さあ、まずは身体の調子をととのえる事から始めましょう。また薬を飲んで」

 ぐるぐる考え始めると、思考の迷走は止まらない。レスナに腕を引かれるまま、エレは自室に戻る。

 が、部屋に入ろうとした所で、手を引くレスナが足を止めた。すっと目を細めて、絶対零度の声で、中にいる者に呼びかける。

「あなた、何をしているの」

 びくりと肩を震わせて振り返ったその顔には、エレは見覚えが無い。しかし、王妃に仕える侍女は王妃と同じ色の衣をまとう。彼女の衣は、紛れも無い青だった。そして彼女の手には、赤い杯が、ふたつ。

「それは何?」

「こ、これは」

 レスナの詰問に、侍女は明らかに狼狽えて杯を隠そうとした。そこへ素早く一歩を踏み込んだレスナが手首をつかむと、杯がふたつとも侍女の手からこぼれ落ちる。がしゃんと音を立てて、杯は粉々に砕け散り、血しぶきのように破片をまき散らした。

「もう言い逃れはできないわよ」

「あた、あたし、は」

 得意気に胸を張るレスナの前に、おびえきった侍女はしどもどと震える声を紡ぎ出す。

「それとも、身の白さは死をもって証明するかしら?」

 その途端、侍女の目つきが変わった。ぎん、とレスナを睨むと、手首を振りほどく。そして、腰に帯びていた短剣を抜き放ったかと思うと、奇声に近い雄叫びをあげながらレスナに切りかかったのである。

「あぶ……っ!」

 危ない、と叫ぼうとして、喉の痛みにエレはうずくまってしまう。視線を逸らしたその間に、うっと呻き声がして、人の倒れる音が耳に、鮮血のにおいが鼻に届いた。

 苦痛が去る間ももどかしく、顔を上げる。立ち尽くすレスナの腕からはぽたぽたと血が流れ落ちていた。

 そして、シュリアンの侍女は。

(死んだ……!?)

 砕け散った杯より大きな紅の花を床に咲かせ、侍女は絶していた。喉笛が切り裂かれ、かっと目を見開き、その手には血の付いた短剣を握りしめたままだ。

 レスナは大丈夫だろうか。近寄ろうとしたエレは、彼女の姿に一瞬怯んで、その場に足が縫い止められたかのように立ち尽くしてしまった。

 レスナは恍惚とした、焦点の定まらない目でどこか遠くを見ていた。その唇が血で塗れている。エレがぞっと身をすくませて一歩後ずさると、

「エレ」

 いやに優しい声色でレスナは振り返り、いつも以上に穏やかな笑みを浮かべて、切れた腕の傷に舌を這わせる。更なる赤が彼女の口に移った。

「これで大丈夫」

 得意気に、満ち足りたように、彼女は満面の笑みをほころばせる。

「私達は、シュリアンに勝てる」

 もしかして、自分は何かとんだ勘違いをしているのではないだろうか。そんな予感が、黒い蛇となって足元からじわじわ這い上がって来るような感覚を、エレは覚えた。

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