第4章 狙われた巫女姫(3)

 がらがら車輪が回るのに合わせ、積まれた酒樽もごとごと音を立てる。

 エレ達は今、ユニアスへ向かう隊商の馬車のひとつに、積み荷と一緒に揺られていた。幌馬車は箱馬車と違い、地面の振動が直に伝わって来る。馬車の中に漂う熟成した酒精のにおいは、はじめこそ違和感を覚えたが、慣れてしまえば心地良い香りへと変化していった。

 ハリティンからイシャナ王都へは、大河ヴォミーシアをひたすら下るか、山賊が出没する事があるというテネの山脈に通る道を進むしか無い。

 楽さで言えば圧倒的に前者だが、万一襲撃を受けた時に逃げ場が無いという致命的な欠点がある。人の間にとけ込んだ方が追手もそう簡単には手を出せないだろうという判断のもと、テネを越えた向こうの都市ユニアスへ、セァク西方の町コーツ産の酒を運ぶ隊商の護衛を引き受けたのだった。

『噂のインシオン遊撃隊に守ってもらえるとは、光栄ですよ』

 出発前に五人揃って挨拶をした時、恰幅の良い隊商の長は糸のような目を更に細めてインシオンの手を握り締め、何度も上下に振った。

 主戦力であるインシオンとシャンメルは馬を借りてそれに乗り、いつ敵襲があっても対応できるよう、周囲に油断無く注意を払っている。エレとリリムとソキウスは、隊商の子供達と共に最後尾の馬車に乗り込んでいた。

 子供は少年が二人と少女が一人、下は五歳から上は十二歳まで。今は肩を寄せ合って眠りについている。リリムは薬草を選り分けており、ソキウスは何やら難しそうな本を読んでいる。ここは誰かと会話をすべきなのだろうかとエレは考えたが、この静けさを壊してはいけないような気もして、膝を抱えたまま沈黙を貫いた。

 赤い組紐で結った髪が流れて膝に触れる。耳の奥では出発前にインシオンに言われた言葉が繰り返されていた。

『これからはお前をいざという時の戦力としてあてにする。だが、絶対に遊撃隊以外の人間の前でアルテアは使うな』

 馬車から少し離れて商人達に聞こえない位置にエレを呼び出し、インシオンはエレを見すえた。意味をはかりかねて小首を傾げると、相手は呆れ気味の半眼で見下ろしてくる。

『察しろ。言葉であらゆる現象を起こす女、それが魔女だって知らんイシャナ人はいない。セァクに恨みを持っている奴に出くわしたら殺されるぞ』

 殺される。その言葉に背筋を正すと、『それに』と続けられた。

『そうでなくとも、お前を横取りしていいように使おうとしてる輩はぜろじゃねえんだ』

『横取りって……』

 完全に物扱いだ。エレが眉間に皺を寄せて洩らすと、不服を感じ取ったインシオンがたしなめるように言う。

『不愉快だろうがそれが事実だ。自分の身は自分で守ると考えろ。俺達もできる限りの事はする』

 そうしてぽんぽんと軽く頭を叩かれた。

 あてにすると言っておいて結局子供扱いか。悔しさを思い出して、エレは膝に顔をうずめて小さく唸った。

 馬車の中は相変わらず静かである。車輪の回る音と荷の揺れる音。子供達の規則的な寝息と、リリムの薬草を数える動作。そしてソキウスが時折本のページを繰る音。それ以外に混じり気は無い。

 エレは馬車後方からのぞく光景に視線を馳せる。テネの道は若草で翠に彩られ、あちこちで新たな花の蕾がほころぶのを待っている。

 イシャナは春を迎えようとしている。もう冬のセァクではない。今後もセァクからは距離が離れるばかりだ。故郷の人々はどうしているだろうか。ヒョウ・カは姉の身を案じて寂しそうな顔をしているだろうか。

 遠ざかってゆく慣れた地を思い、溜息をついた時、視界の端、通り過ぎる木々の向こうで何かがきらりと光るのが見えた。

 警告を発するより先にインシオンが鞘走りの音を立てて剣を抜いた。彼が馬の尻を叩いて速度を上げる。直後、空気を裂く音がして、何本かの矢が幌を突き破って来た。ソキウスが即座に本を閉じて、リリムがばらけかけた薬草を抱え込み、子供達が目を覚まして悲鳴をあげながら身を寄せ合う。他の馬車にも矢が刺さったのだろう。悲鳴と馬のいななきが聞こえた。

「走れ、そのまま!」

 インシオンが御者を叱咤して馬を走らせる。茂みのあちこちから、弓や半月刀を手にした男達が野生馬に乗って飛び出して来た。既に隊商が通るのを予測して潜んでいたに違いない。

 馬車に近づく山賊に向け、インシオンが馬を走らせる。透明な刃が振り下ろされ、肩口から切り裂かれた賊は呻いて落馬し、あっという間に後方に置き去りにされた。

 山賊が馬上から矢を射て来る。インシオンは身をひねってかわし、あるいは剣で叩き落とす。相手に一切命中しなかった事で怯んだ敵目がけて突撃し、更に一閃。山賊が転げ落ち、乗り手を失った馬が混乱してあらぬ方向へと走り去った。

「ヤッハー!」

 向こうではシャンメルが歓声をあげながら立ち走りで馬を駆る。近寄って来た山賊を足一本で蹴り落とし、振り向きざま、背後に迫っていた敵を馬ごと斬り倒す。

 シャンメルに向かって矢が降り注いだ。インシオン同様剣で叩き落とすが、今度は全てをいなしきれず、一本が馬の後ろ脚に刺さった。馬が痛みで狂ったように暴れ回り、背中の少年が振り落されそうになって上体を泳がせる。

 エレは思わず馬車から身を乗り出したが、当のシャンメルはけらけら楽しそうな笑いを振りまくと、馬の背を蹴って宙に飛び出した。見事な一回転の後、横から馬を駆って迫っていた男の後ろに席を取る。

「お前、邪魔」

 突然背後を取られてぎょっとする山賊に、子供のように無邪気な笑顔で死の宣告をすると、シャンメルは剣を横様に払った。山賊は驚愕の表情を浮かべたまま馬から転落し、本来の乗り手を失った馬の手綱をシャンメルが握って、呵々大笑しながら残りの敵へ突っ込んで行った。

 インシオンとシャンメルの活躍は目覚ましいものであったが、二人の護衛に対して敵は二十近い。全ての敵を相手しきれるものではない。二人の隙をついて、数頭の馬が馬車を追って来る。

 エレは意を決して言の葉の石に唇で触れると、小さく呟いた。

『風翼に乗って軽やかに』

 途端、蝶が緑色に輝いてひそやかに舞い、馬車の車輪が回る速度が上がる。凡人にはわからない程度の差だったが、リリムとソキウスは察したようだ。非難がましい視線が刺さる。しかしエレは自信を持って言い切った。

「これなら逃げきれます。インシオン達に余計な負担をかける事もありません」

 三人揃って馬車の外を見やる。少しずつ彼我の距離が空いて山賊達が追いつけなくなる。やがて彼らは馬頭を巡らせて引き返して行った。後方ではまだインシオンとシャンメルが戦っている。荷は諦めてせめて彼らを討つ事にしたのだろう。二人は大丈夫だろうかと、身を乗り出した時。

 どん、と背中を押され、エレは前につんのめった。

「……え?」

 そんなに強い力ではなかったが、不意を突かれて対応できなかった。何が起きたのか理解するより早く、エレの身体は地に勢いよく叩きつけられ、運悪く傍らにあった崖を落ちてゆく。

「エレ! エレ!!」

 天地がめまぐるしくひっくり返る中、リリムが慌てふためいて自分の名を呼んだ気がする。しかしその声も、駆けてゆく馬車と共に遠ざかっていった。

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