第20話別
俺は急いでベッドから飛び上がった。
今、母親は何と言っていた?
もう一度頭の中で巻き戻して考える。
『さなだみづきだか何だか知らんけど、勝手に人の家入ってくるんじゃないよ!!』
さなだみづき。
真田観月。どうして。家の住所は教えてないのに。
気づいたときにはもう階段を駆け下りていた。
1階の玄関のところで2人は向かい合っていた。俺は、そっとトイレの近くの壁からそれを見守る。
真田は、一身に母親の怒声を浴びていた。制服のままだからそのまま来たのだろう。2人とも口論に夢中で立っている俺に気づかない。
「大体、うちのケイちゃんには友達だなんてものは作るなと言ってあるんだよ!お前みたいに勝手に玄関押しかけてくるような奴は知り合いですらありえない!」
「そんな友達を作るなだなんて親としておかしいです!あなたも友達の1人や2人くらいいるはずでしょう!それなのに子供にはそうさせないっていうのはありえないです」
あの母親に言い返すなんて何て命知らずな。
そう思ったけれど体が動かない。この言い合いで真田が母親を打ち負かしてほしいという思いが多々あるからだ。
真田は天性の、人を変える力がある。
俺でも、あんな陰気だった俺でも真田といるととても楽しかった。
だからお願いだ。俺を変えることができたのだから。俺の母親も変えてください。
身勝手で他人よがりな感情があふれ出す。
「人んち勝手に乗り込んできて失礼なんだよ!あんたみたいなガキの言葉なんか誰が聞くか!」
「あなたは自分が大人だと思っているようですけど。私、あなたは心がガキのまま外だけ大人になっただけの人だと思います!」
「ああん⁉私の方が人生経験長いんだよ!15年と少ししか生きてないあんたみたいな奴に言われたくないね!」
真田は唇を噛みしめた。
それはあきらめたかのようにも見え、俺はそろそろ助けようと思い、トイレの壁から少し身を離したのだけれど。
真田はあきらめてなんていなかった。
そっと、体勢を崩し始め、膝をぺたんと床につけた。
そのまま正座して、そして…土下座した。
「そうですね。確かにあなたほどは生きてないかもしれません。でもだからこそ水谷君には未来があるんです。お願いです、彼を自由にしてあげてください。縛らないで上げてください」
俺は、もう状況が状況すぎてどうすればいいのか分からなかった。
泣きそうで、嬉しくて、彼女の友情が暖かくて。
ところが母親は自分の息子がこんな風に思っていることなど思いもよらぬのか、
彼女の長い黒髪を、手でつかみあげた。
「っな、何するんですか…!」
「人様の家庭に入ってくるなと言っているじゃないか!それに土下座なんてされてこっちは迷惑なんだよ!」
「やめろ!このクソババア」
お前こそ人様の娘に暴力をふるって何様なんだ。
後ろから母親の腕をひねりあげ、真田を解放する。
そして真田の前に立ち、母親が真田に手を出せないようにする。
真田の目は少しうるんでいたから相当痛かったのだろう。
恨みをこめて母親をにらみつける。
「なんだい、その目は⁉」
「人の親友を殴ってんじゃねえよ!」
それを言うか言わないかのうちに、こぶしが出ていた。
母親の顔を殴るのは初めてだった。
頬をおさえてうずくまる母親をはた目で見て、真田の手を握り、家の外へ出た。
「何で俺の家が分かったの?」
外に出て、2人で並んで歩きだす。
こんな時間もうないと思っていた。
「…尾行したから」
尾行か。真田がそれをするとは考えてなかった。
意外と不愉快な気持ちにはならず、すこし笑いまで込み上げてきた。
「送ってく。でもこれで最後にしよう。君はもう俺にかかわらない方がいい」
笑顔で言った。最高級の笑顔で。
これで分かっただろう、真田。俺という存在は結局いつも君に頼ってそして傷つけるだけなんだ。
「…私。いやだよそんなの」
真田は足を止めて、俺を懇願するような目で見つめる。
…俺だっていやだ。
「今日のことで母親の支配は一段と厳しくなるだろう。だからさ、な?」
「……じゃあいつかまた会うって約束して。また話してくれるって」
「もちろんだよ」
即答したけれど、それが本当にできるのかが分からなかった。
俺は本当に母親の支配から抜け出せるのか。本当は不安で胸が一杯だ。
気づけば真田の家に行ったときに見たクリーニング屋さんの前まで来ていた。
「じゃ、俺もう行かなきゃ」
「…うん」
俺は立ち止まり、真田はそれでも歩く。
それが俺たちの関係性にも似ていて、少し皮肉だった。
「ありがとう」
遠くなる背中を見つめてつぶやいたら、真田はそっと手を振ってくれた。
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