第09話 マスターキー連続殺人事件(2)


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ぼくの孤独はほとんど極限に耐えられる

ぼくの肉体はほとんど苛酷に耐えられる

ぼくがたおれたらひとつの直接性がたおれる

もたれあうことをきらった反抗がたおれる


――吉本隆明「ちいさな群への挨拶」より



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     9


   七月二十三日


     ※



「ヒッ——!!」

 既に陽が昇っていた。飛び起きた孝義は、汗だくのまま反射的に右手を確認する。

「ん、ぐ……!」

 右手は妙な感覚に包まれていた。彼はあわてて右手を擦る。どうやら寝返りを打ったときに体の下に敷いていたようで、堪え難い痺れのようなジィン、とした感覚があった。

「ぐおお、ふぉぉ……」

 そう言いながら、彼は右手をプルプル振るわせて身悶えする。しばらくそのままの格好で、血流が回復するのを待った。この時既に、彼の頭から先ほどの夢の記憶は霧消している。

「あぁ……畜生、死ぬかと思った……」

 彼はそう呟き、時計を見る。時刻は午前10時。結果的にちょうど良い時間に起きられたと思う事にして、彼はいそいそと身支度を始めた。ノートパソコンも、持ち運ぶためにケースへと入れる。彼は、青藍に昨日調べたマスターキー連続殺人事件の概要を伝えようと思っていた。


 準備を終えて外に出ると、日差しは午前中とはいえ強く、容赦なく孝義の肌を焼いた。苦し紛れに頭にタオルを乗せたりもしてみたが、あまり効果はない。

 大通りに沿ってしばらく進み、人波に従って駅前へ続く道へと折れる。

(……あ)

 そこでふと、彼は足を止めた。レンガ色のタイルが張られた、大きなマンション。南を向く頂上付近が台形状になっており、その特徴的な形を見上げながら、彼の脳裏に昨日調べた事件の内容がフラッシュバックする。

で、一家惨殺か……想像できんな)

 そう、そこはまぎれも無く、『マスターキー連続殺人事件』の現場となっていたマンションだった。いつもは風景の一部にすぎないそのビルは、今では景色から奇妙に浮いたものに見える。

(早く、青藍に色々伝えないとな)

 そう思い、ハンバーガーショップへと足を向けようとした、その時だった。

「あら、志田さんじゃないですか」

 聞いたことのある声。孝義がハッとして声の方向を振り返ると、そこには全身緑色系の服を着た女性が立っている。

「……ああ、緑青さんか」

 思わず『さん』をつけてしまい、孝義は歯がゆい感覚に襲われた。それに感づいたのか、にっこりと笑う、青藍と同じ顔。

「なんですか、変な顔して。姉さんじゃなかったのがそんなにご不満ですか?」

 緑青はカツカツとヒールの音を鳴らしながら孝義に近づき、最初に会った時のような屈託の無い笑顔を浮かべる。その笑顔が作りモノの営業スマイルだと認識しているためか、孝義は思わず一歩後ずさり、気味の悪いものを見たような顔をした。

 だが、そんな彼の様子を完全に無視し、緑青は声をかける。

「どうしました? 志田さんはお一人なんです?」

「あ、いや、えーと、今は……」

「今は? 待ち合わせでもされてるんですか?」

「うん、青藍に会おうと思って、この先のバーガー屋に行くつもりなんだけど」

「あぁ、あのお店ですね。何かお話があるんですか?」

「ええと……僕の周りで起きた事故とか、事件とかの話をするんだけど……」

「あら、もしかしてそれ、『マスターキーなんとか』の話も含みます?」

「は? なんでそれ……」

 思わぬ緑青の言葉に、孝義は後ずさった足を一歩前へと踏み出した。

「いえ、私もその事件に目星をつけて調べていたものですから」

「……なんで?」

「そうですね、今後犬飼さんが何かに巻き込まれないとも限りませんし」

「む……?」

 緑青の言葉の意味に困惑している孝義を見て、彼女はもう一度屈託なく笑った。

「何か解った事があれば、情報交換しませんか?」

「え? あー、まぁ、多分大丈夫だと思うけ——」

「それじゃあ私犬飼さん連れて来ますね!」

 孝義の言葉を若干遮り、少し跳ねるように背伸びをして、緑青は全身で喜びを表した。対する孝義は、苦虫を噛み潰したような顔で頭をかいている。なぜかといえば、単純に


「もう、志田さんったら。私たちはもう争う理由ないでしょう?」

「は?」

「だから、ね? 協力し合おうじゃありませんか」

 緑青に言い寄られ、孝義は新興宗教の勧誘に遭っているような感覚に襲われた。胡散の臭いがプンプンする彼女の様子に、もう一度彼は一歩後ずさる。


「ま、まぁ、ええと、しばらく多分、あの店に居るから、来たければ、来たら良いんじゃないかな……?」

 孝義の目は凄まじい勢いで泳ぎに泳ぎ、しどろもどろの言葉を緑青の目を見ずに紡ぐ。すると緑青は期待たっぷりの表情でその言葉を受け取り、


「わかりました! では一時間後ぐらいに向かいますので!」

 と言い残し、キラキラの笑顔でその場を去っていった。


 残された孝義は、ぼんやりと空を仰ぐ。


 蝉の声が辺りに響き、電車が線路をリズムよく叩く音が聞こえてくる。

 空は青く、太陽は白かった。アスファルトは黒い肌をその光で焦がし、反射した熱で孝義の顎から一滴の汗が落ち、アスファルトに短い命を染ませた。遠くの道路には、陽炎が揺らめいている。


「夏だな……」

 そうつぶやく、起きて一時間も経ってないはずの彼の表情には、深い疲労の色が浮かんでいた。



     ※



「よ」

「えっ」

 想像だにしない展開に、孝義は手に持ったトレイを取り落としてしまうところだった。


「な、なんで居るんだよ」

「いや、呼ばれた気がしたので」

 彼がハンバーガーショップに到着し、注文を済ませチキンバーガーのセットを手にイートインコーナーに向かうと、既に窓際のテーブル席に青藍が陣取っていたのだ。


 彼女は狼狽える孝義の様子を見ながら、コーヒーの紙カップを片手にへらへらと笑っている。さっき見た緑青と同じ顔のはずなのだが、どうにもこの不真面目そうな雰囲気に孝義は調子を崩されていた。

 彼はため息をつきながら青藍の対面に座り、無言で背負っていたバッグを隣の席へと置く。


「なんか大荷物だね」

「あー、一応ノーパソを持って来たから」

「のーぱそ?」

 聞き返す青藍に、孝義はバッグの中に入った薄型のノートパソコンを取り出し見せる。


「これ。ノート型パーソナルコンピュータの略」

「なるほど、それで『ノーパソ』ね、覚えた」

 昨日彼が八トントラックがどういうものかを教えた時のように、青藍はふむふむと納得した様子で、しげしげとノートパソコンを眺めている。


(なんだか、普通の言葉は知ってるけど、略称とかそういうのになると、こいつ疎いよな……)


 孝義はそう思いながら、コーヒーを飲みつつパソコンを開き、電源をつけた。立ち上がるまでの間、孝義は疑問に思っていた事を口にする。


「そういえばさ、なんでこの事件調べようとか言ったんだ?」

「なんでって、そりゃ今後キミが巻き込まれないとも限らないからさ」

 さも当然だと言わんばかりに青藍は鼻で笑いながらそう言った。そして、

「ま、これが『本持ち』の仕業だってことが確信できたら、きちんとした理由を教えてあげるよ」

 と続けた。


「ふーん……まあ、いいか。じゃ、えーと、ニュースからいくか」

 彼はそう言うと、昨日の夜に調べた事を一つ一つ追いながら青藍に伝えていった。彼女はそれを聞く度にふむふむと納得した様子で首を縦に振り、時折膝に置いた青い本に手を当て、目を閉じてぶつぶつと呟く。孝義はそれが何かしら意味のある行為なのだろうと思い、あえて理由を聞くことはせず、調査結果を伝える事に終始した。


 ただ、昨日見た動画——貞野家の葬儀の動画を、彼は青藍に見せなかった。イヤホンを持ってくるのを忘れてしまったため、公共の場で音声付きの動画を再生するのが躊躇われるという気持ちもあった。だが、何より彼は、貞野凛のあの目を——筆舌に尽くしがたい、暗く焦げ付いた心に染まったあの目を、もう見たくはない、と強く思っていた。


 そして一時間ほどの時間をかけて彼の説明は終わり、孝義はノートパソコンを閉じる。その頃には太陽は南中を迎えており、ブラインド越しの窓から見える日差しはより強くなっていた。


「だいたいこれで調べた事は全部だな、あとは新聞記事の切り抜きが……これ」

「おっ、今度は紙切れかい」

 最後の仕上げに、直近の事件の書かれた記事を孝義は青藍に渡す。彼女がそれを読んでいる隙に、孝義は残ったポテトをかき込み、もぐもぐと口を動かしながら青藍が読み終わるのを待っていた。


「うん、よし。これでかなり可能性が上がった。志田くん志田くん、ここ、ここ見て」

 まだ口の中が芋だらけの孝義に、青藍は新聞記事を反転して寄越し、それから指先で記事のとある部分を指差した。整った爪の先が指し示す部分には、『事件発覚後の記者会見において~』という文章が続いている。それを見ながらなんとか口の中の芋を嚥下し、彼は口許を紙ナプキンで拭きながら青藍に尋ねた。


「それが、なんか問題あるのか?」

「記録によると、毛髪を武器に出来る能力を発現した人間が過去に三人ほど居る」

 真剣な面持ちで、青藍は孝義を見つめた。事態が深刻な状況になっているのだろうか、いつものような不真面目な様子は見られない。


 青藍から視線を外し、孝義は新聞の文面を読み直した。毛髪が武器、という単語を聞いてからは、青藍の指し示す場所から先の文章が別の意味を持ち始める。

「……『被害者の傷口に被害者たちのものではない毛髪が付着』、か……」

「そう、キミがそのノーパソで調べた情報の中にはこの一文がなくて取っ掛かりが見えなかったけど、このシンブンキジとかいうもののおかげで確信した」

 青藍はそれからひとつ息を吐いて足を組むと、テーブルに身を乗り出し、こう言った。



「これは十中八九『本持ち』の仕業だと思う。んで、ここで相談だ」


 一度青藍は言葉を切り、さらに孝義に向けて体を乗り出し、口の横に手を当てた。どうやら内緒話の体らしく、孝義は青藍に倣って体を乗り出した。


 小さな声で、青藍は呟く。



「犯人を見つけないかい?」



「……!」

 予想を遥かに超えた青藍の提案に、孝義は目を見開いて絶句した。ふざけた調子ではなく、至って真面目な様子の青藍は、孝義の目をジィッと見たまま『私は本気だ』とでも言うように、一度だけゆっくりと頷く。


 話が大きくなり始めている。覚悟を決めた様子で、孝義は眉間に皺を寄せたまま、もう一度青藍に向けて体を乗り出した。


「……一応聞くけど、なんで?」

「もう少し勘が良いと思ったけどねぇ? 本当にわかんない?」

「……?」

 どうにも話が見えない。孝義は小さく首を傾げた。

 すると青藍はあきれた様子でため息をつき、テーブルに乗ったトレイの上を片付け始める。孝義が飲んでいたコーヒーを机の隅に除け、バーガーの包み紙やポテトのケース、トボケた顔のマスコットが印刷された敷紙等を一息に丸めて後ろのゴミ箱に投げ込んだ。


「お、おい、なんだ?」

「解りやすいように説明してあげるから、はい手ェ除けて」

 孝義の抗議の声に耳を貸さず、青藍はすっかり片付いたトレイを机の中央に据えると、まず彼女はコーヒー用のミルクを手に取った。


「いいかい、一つ一つ考えていこう。まずキミが死んだ事故だ。キミは無人のトラックに引き潰され、見事死んだ。これが一つ目」

 言いながら、彼女はそれをトレイの上に置く。嫌なものを見たような表情で、孝義は首を一度縦に振った。尚も青藍の説明は続く。


「そしてこの事件は『本来起こるはずの無い事故』として認識され、キミは鴉羽に生き返らされた。ここまでは良いかい?」

 そこまで言うと、青藍は孝義をジィッと見つめる。それに応じるようにもう一度彼が頷いたのを見て、次に彼女は細いプラスチックのマドラーを手に取り、ミルクの隣に置いた。


「よし。次に病室の爆発。私はその事故を予報し、キミはなんとか回避した」

「……だけど、犬飼が死んだ」

 重々しく言う孝義。話し続けていた青藍もその表情に一瞬言葉を詰まらせるが、彼女はクッと顎を引いて続ける。


「そう、彼はこれに巻き込まれて死に、キミと同様に鴉羽に生き返らされた。そこはこの話の中で、特に重要なポイントの一つだよ」

 そこで一旦彼女は言葉を切ると、トレイの上のマドラーをミルクの方へと滑らせた。


「さて、この二つの事件には共通点がある。見た目は派手なのに対し、被害の及ぶ規模が小さすぎる点」


 さらに彼女は孝義を指差し、

「それとキミが主立って狙われた点だ。さらに、ここで通常では考えられない事が起きている」

「考えられない事?」

「私が病室の爆発を『予報』したのに、鴉羽がそれを『本来起こるはずの無い事故』として認識し、犬飼くんが蘇った点だ」


 それを聞いて、孝義はふと、昨日の出来事を思い出した。真一といざ戦う、という直前、青藍と緑青が言い争っていた場面。


「……それって昨日、お前と緑青が言い合いしてた時、答え出てなかった?」

「ああ、緑青の台詞は半分は合ってるけど、半分違うんだよね。私たち『本』は持ち主が関わる事象しか予報できないけど、私たちが予報として認識できた時点で、それは『ほぼ確実に起きる事故』として鴉羽の認識と同期する。私たちは鴉羽の目であり耳なんだ。だからこそ、あの事件は『本来起こるはずの無い事故』としては認識されないはずだった」

「——なるほどね……」

 言いながら、改めて緑青への怒りが彼の中にフツフツと湧いて来たが、今は青藍の話に集中しようと思い直し、孝義は彼女に向き直る。

 その様子を見て、青藍はフッと微笑んだ。


「ただね、おそらくだけど、キミが死んだトラック事故の現場に私が前もって居たとしたら、予報は可能だっただろうと思う。過ぎてしまった事を言うのは好きじゃないけどね」

「……なるほど。だけど、僕が死んでなかったら、青藍は生まれなかったんだろ?」

「はは、違いない」

 孝義の言葉に、青藍は少し顔を綻ばせる。


「そこで、昨日の推論を一カ所訂正するよ。キミを殺したのは、鴉羽にだけ、認識されないように事故を起こす能力を持った『本持ち』の可能性が高い」

 青藍はミルクの上に細い指を乗せて言い、次にマドラーの上に指を移した。


「さらに言えば、病室の爆発もその『本持ち』の仕業の可能性が高い。ただ、まだ断定は早計かも知れないけどね。ただそう考えれば、犬飼くんが生き返ったにも関わらず、その事象を私が予報できたことに対しての説明がつく」


「……なるほど。しかしそんな妙な能力があるのか?」

 孝義は腕を組みながら言う。その言葉に青藍はニヤリと笑うと、どこからとも無く青い本を取り出し、机の上に置いた。


「そういう能力が過去に存在した事は、この本で解る。百科事典みたいなモンさ。ただ、現在その『本持ち』が生きているかどうかは解らないし、今生きていたとしても、その人間のことは一切解らない」

 言われて、孝義は事件の話をしている時に青藍が不可解な行動を取っていた事を思い出す。膝の上に乗せた本に手を当て、ぶつぶつと呟いていた、あの行動。


「あー、さっき何かやってたのはそれか……」

「そ。んで、最後。散々キミが説明してくれた『マスターキー連続殺人事件』についてだ。事件の概要は君の方が詳しいだろうから説明は省く。そしてさっき話した通り、この事件は『本持ち』の起こした事件という線が濃厚だ」

 素っ気なくそう言い、青藍は自分の飲んでいたコーヒーの紙カップをマドラーの横に置いた。それから意地悪そうな顔をして、孝義にぐっと身を乗り出し、両手でトレイを囲むような格好をして言う。


「さて、この三つの事件の共通点は?」


「……うーん」

 孝義はコーヒー用ミルクとマドラー、紙カップの三つを睨みながら腕を組んだ。




     ※



 犬飼真一と緑青がハンバーガーショップに到着すると、前に孝義と青藍を見つけたその席に、以前と同じように二人は座っていた。


「お、居る居る……って、あいつら何してんだ?」

「さぁ? 手品か何かですかね?」

 窓越しに見える孝義は、何かを考え込んでいる様子。対する青藍はしたり顔でトレイの上で手を広げ、挑戦的な眼差しを正面の孝義に送っていた。それを横目で見ながら、二人は不思議そうな表情のまま店内へと入る。タンクトップの襟で顔を煽ぎながら、真一はハンドタオルで額を拭う。金髪に染めた髪を掻き上げるように後ろへ流し、レジへ続く注文待ちの列に加わった。


「……本当に何してたんだろうな、あいつら。お前紅茶でいいの?」

「ええ、お願いします」

「あいよ——そういえばお前、前ウチに来た時缶の紅茶持ってたろ。金とかどうしてんだ」

「ああ、それならほら、こうやって」

 そう言うと、緑青はどこからとも無く緑色の本を取り出し、その裏表紙を開いた。裏表紙の内側、見返しや効き紙と呼ばれるその部分には装丁の皮が引き続いており、そこに同じ素材で作られた五センチ四方ほどの小さな袋が縫い付けられている。緑青はそこに細い指を突っ込むと、五百円玉を一枚取り出した。


 それから真一の耳元に口を近づけ、小さな声で囁くように言う。


「一応、この世界に於いてこれは必要不可欠ですからね。私が必要だと感じた時には硬貨に限定して取り出す事が出来ます。どうやら紙幣は通し番号のせいで干渉ができないみたいです」


 にっこりと笑う緑青。真一は一瞬ぎょっとした表情に変わったが、それから緑青の耳に顔を近づけて、先ほどの彼女と同じように小声で話しかけた。


「——あのさ、ちょっと聞きたいんだけどよォ……それってまさか、無限に出るのか?」

「ええ、出ますよ。そりゃもう、ジャンジャンバリバリです」

 緑青はあっさりそう答えると、本を逆さにして一度振る。ジャラッと小気味好い音がして、彼女の手のひらには五百円玉が五、六枚現れた。


「……出所は?」

「さぁ?」

「——まあ、いいか……」

 触れない方が良い事もある。それに俺は今腹が減っている。彼はそう考えると、レジの上にある大きなハンバーガーの看板に視線を上げた。


 真一と緑青が注文を終え商品を受け取り、孝義と青藍の座る席へと近づいたとき、孝義は叫んだ。


「そうか、『裏技』だ! この三つの事件、犯人は『裏技』を知ってる!」


「よう志田、来たぞ」

「あ……、ひ、久しぶり……」

 背後の気配にサッパリ気付かなかった孝義は、久しぶりでもないのにそう言うと、ぽかんとした表情で真一を見上げた。真一の後ろの緑青と座ったままの青藍は、その様子を見て肩を震わせて笑いをこらえている。


「ところでよォ、さっきからお前らは何やってんだ?」

「ええと……これは、その……」

 そして冷静な真一のツッコミに、顔を赤くして孝義は俯いた。真一はそんな彼の隣の椅子にドッカと座ると、机の中央に鎮座していたトレイを孝義の方へとずらし、自分のトレイを押し入れた。


「よっこいせ、と。んで、さっきのはなんかのゲームの話か? 裏技とかなんとか……」

「あー、どこから話せばいいかな……」

 真一の質問に孝義が言い淀んでいると、青藍はずらされたトレイからコーヒーの紙カップを取り上げ口を開く。


「いやぁ、そうじゃなくてね。緑青に聞いてないかな、『マスターキーなんちゃら』のこととか」

 その言葉を受けて、真一は青藍の隣に座ろうとしている緑青に視線を移した。だが緑青はニコニコとしているだけで口を開かない。どうやら緑青は真一に詳しい話をしてはいない様子だった。


「おォい緑青さん。もしもォし」

「どうしたんですか犬飼さん、そんな口調で」

「いや、どうしたの、じゃなくてよォ。仲直りついでに昼飯でも一緒に食おう、って志田が言ってるって言ったから、俺は——」

「そうでしたっけ? 最近物忘れが激しくって——ふふ」

「お前なァ……今日だって家に来ていきなり家族に『婚約者です』とか言いやがってよォ、この後俺は家族にどう言い訳すりゃいいんだ? あァ?」

 そんな会話を続ける二人を順番に見て、青藍は大きなため息をついた。


「……また一から話さないといけないわけ?」

 すると孝義は思いついたように、鞄からノートパソコンを取り出しながら言う。


「あー、ちょっと待って、僕がまとめながら話すよ」

 彼は端から見れば痴話喧嘩にも見える真一と緑青を尻目にテキストエディタを立ち上げ、『マスターキー連続殺人事件』の記事を順番にブラウザで立ち上げた。それから喧嘩の落ち着いた真一に対し説明をしながら、さらに青藍と緑青の追加説明を交え、今まで青藍と話した内容を記述していく。



 それは次のような形でまとめられた。


※【無人トラック暴走事故】

 ①七月二十日に申酉通り南の丁字路で起きた事故。

 ②ただ、不自然なほどに事故の範囲が狭い。鉄骨入りの電柱をへし折るほどの勢いで走って来たトラックは、狭い申酉通りの看板や人を全く傷つけていない。被害はトラック、電柱の全壊と、パン屋のガラスに少しの傷。人的被害は皆無。人為的なものだと青藍は推理。緑青もそれに同意。

 →☆ 被害があまりに局地的

    嵯峨崎総合病院病室爆発事故との共通点

 ③事故の原因は不明。人為的なものだと仮定した場合、青藍によると、『鴉羽にだけ認識されない事故を起こす』という能力を持った人間の犯行らしい。緑青もそれに同意。

 →☆ 嵯峨崎総合病院病室爆発事故との共通点


※【嵯峨崎総合病院病室爆発事故】

 ①七月二十一日に嵯峨崎総合病院で起きた事故。

 ②不自然なほどに事故の範囲が狭いのは前述の無人トラックの事故と同様。被害は二〇一六号室のみ。他の病室はガラスすら割れていない状況。

 ③事故の原因は不明。人為的なものだと仮定した場合、青藍によると、『鴉羽にだけ認識されない事故を起こす』という能力を持った人間の犯行らしい。緑青もそれに同意。

 →☆ 被害があまりに局地的

    無人トラック暴走事故との共通点

 ④また、人為的なもので、かつ無人トラック暴走事故と同一犯だと仮定するならば、『人を殺してはいけない』というルールに反していることとなる。即ちそのルールを破る何らかの方法を知り、犯行に及んでいる可能性大。

 →★ マスターキー連続殺人事件との共通点


 ※【マスターキー連続殺人事件】

 ①去年の十月十五日から嵯峨崎市内で起きている殺人事件。

 ②犯人は鋭利な刃物らしき凶器で一家を惨殺して回っている。被害現場に被害者以外の毛髪が残っていたり、逆に被害者の毛髪が切り取られている場合がある。現在被害者は三十二名。一人だけ生存者が居る。

 ③青藍と緑青によれば、犯人は『髪の毛を武器にする能力』を持った人間の可能性が大。

 ④尚かつ、大量の人間を殺しているにもかかわらず犯行を続けている事から、『人を殺してはいけない』というルールを破る方法を知っているはず。

 →★ 無人トラック暴走事故、病室爆発事故との共通点


 ここまでを一気に書きながら説明し、孝義は青藍にある事を話してもらっていない事を思い出した。 


「あ、そういえば青藍、改めて聞くけど、なんで僕らが『マスターキー連続殺人事件』の犯人を見つけなきゃいけないわけ? さっき、ちゃんとした理由教えてくれるって言ってたろ」

「あ、そりゃ俺も気になってた。緑青もそんなこと言ってたけどよ、なんでだ?」

 どうやら真一も同じ疑問を抱いていたようだ。質問をされた青藍と緑青は一度顔を見合わせると、したり顔をして孝義と真一に向き直る。そしてまず青藍が口を開いた。


「ええとね、理由は二つあるんだ。私たちは君たちを生かし続ける義務があるってのは、昨日か一昨日か話したよね」

「ああ」

「そうなると、一度君たちを襲ったあの不可解な事件たちの原因を究明して、二度とそういう事故に巻き込まれないようにする必要があるワケさ。今後君たちがもう一度狙われないとも限らないからね」

 なるほど、と孝義は思い、結論を口に出した。


「だから、その人物へ繋がる可能性が一番高い、『マスターキー連続殺人事件』の犯人を捜そう、ってことか」

「ご名答」

 孝義を満足げな表情で指差し、青藍は言った。

「さらに言えば、こちら側——鴉羽の都合とはいえ特赦として蘇った人間が、平穏無事に生きている人間の命を脅かしている。鴉羽はそれを本来許さない。だから私や緑青のような『本』がその後始末をしなきゃいけないってことさ」

「ううむ……」

 真一が唸る。何かを考え込んでいるような表情で、彼は腕を組んだ。


「……犬飼、どうした?」

 気になった孝義が尋ねると、真一は首を少しだけ捻って続ける。

「あのよ、殺人犯を追う、って言ってるが、相手はその……なんだ、三十人以上ブッ殺してる頭のイカレた奴だろ? 仮にそいつが俺たち二人を巻き込んだ事件の原因を究明するカギを握ってたとしても、そんなのに関わらずに放っとく方がよっぽど安全なんじゃねェのか? 俺らを生かす、ってんなら、そうだろうがよ」


(……確かに)


 孝義はそう思い直す。探偵まがいの事をしている、という現状に多少テンションが上がっていたせいか、そんなことにすら気付けなかったことが、多少空恐ろしい。もし、仮に彼らが犯人を見つけたとして——

「そんな奴間違えて追いつめちまったら、こっちがスッパリ……こう、されかねねェ」


 真一は自分の首に手刀を当てるようなジェスチャをする。同じ事を考えていた孝義は、無言で頷いた。


「あら、そうですか? 犬飼さんには『間接の爆弾』があるでしょう? それに志田さんには『内燃器官』がありますし、そうそう一方的な展開にはならないと思いますけど」

「いや、正直もう死ぬような目には遭いたくねェ。平穏無事に過ごせればそれで御の字だっての」

 真一がそう言う。その言葉を聞いて——

「平穏——ですか……」

「無事、ねえ……」

 同じ顔で、緑青と青藍が笑った。哀れむような、嘲るような、言いようの無い表情。


「な、なんだよ……言いたい事あんなら言えよ」

「だって、ねぇ? 緑青?」

「ええ、姉さん。んふふ」

 孝義はその二人が、ちらちらと自分に視線を送っている事に気付いた。


「な、なんだ、僕? え?」

 彼がそう聞いても、本の化身はちらちらと見るのを止めない。そして真一に向き直り、




「ねぇ、犬飼くん。志田くんの失った人生の一部って、なんだと思う?」



 と、ゆっくりと言った。


 ほんの少しの間を置いて、孝義の顔は一気に青くなる。


「あ……!」


 冷房が強くなった訳でもない。当然店内だけが急に冬になったわけでもない。だが、孝義は全身を貫く寒気に襲われた。



(忘れてた、忘れてた……! いや、気付かなかった……!)



「は? 知らねェよ。なんだよそれ。おい志田、どういうことだ」

 顔を青くしたままの孝義は、強ばったまま動く気配がない。


「なんだよ……おい、緑青、青藍、どういうことだ、きちんと説明を——」

「志田くんはね、生き返る代償として『平穏』を失ってるんだ。だからこの先、志田くんにとって真の『平穏』は訪れ得ない」

 一度そこで青藍は言葉を切り、コーヒーを一口飲む。



 それから背中をソファに預けると、一言一言、言い聞かせるように言葉を続けた。



「人生に於ける『平穏』というのは、その本人だけを対象にしたものじゃない。その人間が置かれた環境すべてにそれは適応される。人生の一部を失うってのは、そういうことだ。犬飼くんが死んだ事で、志田くんはそれを学んだと思ったんだけれど……その様子を見る限り、そうでもなかったみたいだね」



 にやり、と笑う青藍。続けて、緑青がその説明を引き継ぐ。



「志田さんのご家族は、大量殺人鬼が出没しているこの街に住んでいらっしゃいます。さらに犯人は、寝静まった頃を見計らって、『家族全員』を滅多切りにするという犯行特徴を持っている」



 それが意味するのは。



 本の化身二人は、やはり同じ表情で微笑んでいる。



 事情を知らなかった真一も、本の化身の言葉が紡がれるにつれ、表情が引きつり、顔色は青くなっていった。



「おい、マジかよ……」



「やっと気付いたみたいだね、二人とも」



 少なくなったコーヒーを、青藍は紙コップを回すように揺すった後、一気にのどに流し込んだ。それから紙コップを机に置き、言葉を続ける。



「そう。次に『マスターキー連続殺人事件』の被害に遭うのは、ほぼ間違いなく志田くんの家だ」



 青藍は、空になった紙コップを優しく、そっと指先で倒した。


 カタカタとテーブルが震える。


 その震えの原因は、確かめるまでもない。


 そんな孝義を見て、真一は太い腕を組み天井を仰ぐと、大きなため息をついた。それから決心したように、孝義の肩にガッシと腕を回す。


「な、なんだよ……」

 驚いた孝義は、眉間に皺を寄せて真一を見つめ、すぐに目を逸らした。開いたままのノートパソコンの画面を見つめ、孝義は唇を噛む。視線は、『マスターキー連続殺人事件』の項目に向いていた。


「志田よォ、俺はお前と会ってから、たいして時間経ってねえが……俺はお前を友達だと思ってるぜ」

「だから、何なんだよ……」

「だからよォ、お前が『マスターキー連続殺人事件』の犯人を見つけようってんなら、俺は喜んで手を貸す」

 そこで、真一はニヤリと口許を持ち上げる。


「家族が巻き込まれちゃ、たまんねェもんな」

(ああ、そうか……)

 孝義は、真一が自分に対し襲いかかって来た理由を思い出す。それは病室の爆発に、自分の弟と妹が——家族が巻き込まれた事に対する怒りだった。

 家族に手を出した人間を許さない、そういう性格の彼だからこそ、孝義の家族が巻き込まれる可能性が高いと知った今、こうして手を貸そうと言ってくれているのだろう。


 出会いは最悪だった上に、一度命を脅かされたが、味方になればこれほど力強い人間は居ない。


「ああ……助かる。ありがとう」

 孝義は、力強くそう真一に答えた。孝義の目の色が戻ったことを確認し、真一は手をかけた肩を一度ポン、と叩いた。


「へっ、この件片付いたら、もう貸し借り無しだぜ。お前をボコボコにしたこと、これでチャラにしてくれや」

「はは……元々そんなに気にしてないよ。あの状況じゃ仕方ないって」

 何度か頷くような仕草をして、孝義は目許を両手でぎゅっと拭った。眼球を覆うように、ほんの少し溢れ出していた恐怖の涙を、彼はそれで文字通り払拭する。その様子を、満足げに青藍が見つめていた。



「さあ、志田くん。覚悟のほどは決まったかい?」

「……ああ」

「それじゃあ、『マスターキー連続殺人事件』、私たちの手で解決してやろうじゃないか」

 そう言うと、青藍は力強い視線で孝義を見つめ、机に身を乗り出す。その横では姿勢を正した緑青が、青藍よりも少しだけ優しい表情で孝義を見つめ、彼女の正面に座る真一は変わりのない不敵な表情を浮かべている。


「ああ、絶対に、犯人を見つけてやる……」


 自分の家族を、自分の手で守るために。


 自分が背負った『平穏の無い人生』に巻き込まないために。


 自分の命を脅かしたことのある友人の協力と、得体の知れない本の化身の力を借りて。


 彼は今、『平穏の無い人生』に立ち向かう決意をした。



     ※


 

「それじゃあ、本題に移ろう。さっき私が説明したように、これは毛髪を武器にする能力を持った『本持ち』が起こした可能性が高い」

 そう言うと、青藍はノートパソコンのディスプレイの縁を指す。

「これから私と緑青で説明するから、メモするならメモして」

「ああ、わかった」

 孝義は真剣な面持ちで頷き、本の化身二人からの説明を受け、テキストエディタへとそれを記していく。内容は次のようにまとめられた。



     ※




 だんぱつ

  髪に弾力と伸縮性を持たせる能力。他の詳細は不明。

  能力を引き出す条件は

  その他詳細は不明。

  ×刃物としての使用は不可能のため、

  マスターキー連続殺人事件の可能性なし


 とうはつ

  手櫛で整えた髪に刀剣のようなを持たせる能力。

  形は手櫛により自由自在。

  能力を引き出す条件は使

  ☆マスターキー連続殺人の犯人の可能性あり


 かみやすり

  手櫛で整えた髪にヤスリのようなを持たせることが出来る。

  形は手櫛により自由自在。

  能力を引き出す条件は使

  ☆マスターキー連続殺人の犯人の可能性あり



     ※



 まとめ終わった時の孝義の表情は、えも言われぬ複雑なものに変わっていた。それを横で見ている真一の顔も、似たような趣の表情へ変わっている。


「……うーん――」

「……ううむ――」

 二人は同じように唸り、顔を見合わせると、再び同じように首を傾げた。

「どうしたのさ二人とも。変な顔して」

「だって、なぁ……?」

「ねぇ……?」

 困ったような苦笑いを浮かべて、孝義と真一はどうにも腑に落ちないとでも言いたげな表情になっている。能力の内容はともかくとして、二人の抱いた感想は、


(なんで駄洒落なんだ……?)

(言葉遊びじゃねェか……)


 というものだった。その点がどうにも妙な可笑しさを醸し出している。

「……ああ、なんとなく解った。二人が何考えてるか」

「いや、正直な所私もこれは無いわー、って思ってましたけどね」

 どうやら本の化身としてもそれは悩みの種らしく、青藍と緑青は自分の本に向けて大きなため息をついた。

「仕方ないでしょ、いちいち『髪に削る能力を付加する能力』とか呼んでられないんだって! なんとなくそれっぽい単語当てはめないといけないんだから!」

「そうですよ! 私たちだって好きで駄洒落言ってるわけじゃないんですからね!」

 若干必死めいた言い訳のような言葉を聞いて、孝義はいつも飄々としている本の化身の悩みらしい悩みが聞けたような気がした。

(それでもこいつらは人間じゃないってんだから、不思議だよなぁ)

 ただ、そのおかげで少し前まで強ばっていた彼の心は、ほんの少しだけ緩む。

「さ、ネーミングセンスは置いといて、この能力については大体解ってくれたね」

「ああ、だいたい解った。それで、どうやって見つける?」

 孝義がそう青藍に聞くと、彼女は机の上に放ってあった新聞紙の切り抜きを手に取った。

「ここまで何度も犯行を重ねている犯人だ。簡単にシッポは出してくれないだろう。そこをまず考えないとね……」

 新聞記事には、今朝の待ち合わせ場所として使われたマンションの外観が映っている。その横には簡単な犯行時の間取りなどが書いてあった。

 ――そういえば、さっき緑青は、あそこで何をしていたんだろう……? 

 そう思い、孝義はちらりと緑青に視線を移した。返事の代わりに緑青はニコリと笑い、青藍の肩をちょんちょん、とつつく。

「姉さん姉さん」

「あ? 何?」

 面倒くさそうな表情をする青藍、既に信用していない顔の真一、そして固唾を飲んで次の言葉を待っている孝義を順に眺め、緑青はこう口にした。


「『髪鑢かみやすり』の人なら、午前中会いましたけど」


「「「はァ!?」」」


 三人はほぼ同時にそう叫ぶ。周囲が一瞬シンと静まり、客と店員の全員が彼らを注視した。その様子に気付き、孝義だけが腰低くぺこぺこと頭を下げる。

 数秒の後、視線が散ったのを確認してから、彼はため息まじりに椅子へと座った。

「……ああ、もう。ええと――それで、どこで会ったんだよ」

「ええと、ほら。午前中志田さんとお会いした、あのビル――」

 青藍が思わず握りしめてしまい、くしゃくしゃになった新聞記事。それを指で伸ばしながら、緑青はにしし、と不敵に笑う。

「これが私と犬飼さんからお話できる情報です。明日の昼、私はその『髪鑢』の能力を持つ方とお会いすることになりまして」

 そのセリフに、その場にいた全員が言葉を失った。

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