第83話 ジジイの嫌がらせ

 ようやく暖かくなって来たころ。

「そろそろ攻勢に出る時かもしれんの」

 十人委員会の会議でウェルデンベルグは、あっさりと――――まるで、夕飯を何が食べたいななどと――――つぶやくような気楽さで、ひどく簡素な結論を言った。

「あらまぁ。先生ったらやっとお決めになられたんですか?」

「そういうでない。シシリーちゃん」

 特別顧問として参加しているシシリーは、ウェルデンベルグの呟きに対してコロコロと笑って見せた。

「で―――じゃ。いままでやられっ放しだったわけじゃが、ここらで一発やり返そうと考えておる――――異論はあるかの?」

 皆、首を横に振るか、何も口を開くものはいない。

「よかろう。まず、狙いは、ローデリアに賛同しておる都市へ『嫌がらせ』行う」

「嫌がらせとは?」

 十人委員会の一人クラリーチェ ・ディカニオが静かに問いかけた。

クラリーチェの質問を受けて、ウェルデンベルグの目がぎらつく。それを見て、シシリーは自分の師匠でもあるこの老人のダメな一面を思い返した。

(自分が動けるとなると、この人はすぐにはしゃぐのだから)

 その証拠に目がぎらつき、口角が少しだけ上がっているのをシシリーは見抜いていた。内心は相当うれしいに違いない。

「まずはローデリアの東の玄関口であるアナントリに向かって敷設中の線路レールを奪う――――ついでに兵舎にある糧食を全部奪ってやるわぃ」

「随分と大がかりですな。誰を使うつもりです?特務ですか?」

「今回は、シシリーちゃん。ユースティア先生。そしてワシで行くことにする」

「―――はぁ?」

 十人委員会のマルセル・ボネから間抜け声が上がった。

「やれやれ。マルセル君。聞こえんかったのか?もう一回言うぞい。シシリーちゃん――――」

 ウェルデンベルグは首を横に振り――――やれやれといった感じで再度同じオーダーを伝えるべく言いかけ

「聞こえなかったのではありません。なぜ総長様がお出になるのですか!馬鹿げている」

 ボネがその言葉を途中で遮る。

 しかし、ウェルデンベルグは落ち着いて――――至極真面目に次の言葉を放った。

「ここが分水嶺じゃ。今ここで動かねば、敵が付け上がることになる」

「しかし――――」

「―――――それにな、もうそろそろワシも我慢の限界なんじゃよ。ボネ。」

 ウェルデンベルグは有無を言わさぬ口調で回りを人にらみして見せる。

 その眼光にマルセル・ボネは口を閉じる他なかったのである。



「信じられんな。全く」

「仕方ないんじゃありませんか?総長様はああいうお人ですから」

 十人委員会序列1位のマルセル・ボネと同委員会4位のダリダ ・メッディ女史が町中を歩きながらぼやき、マーケットの中央通りへと差し掛かろうとした頃。

 王国の上空を箒に立って飛んでいく生徒たちの編隊が空を通過し、地面に一瞬だけ影を作った。

「――――やれやれ。また出撃か。今日の当番はどこだったか」

「騎士課ですよ。まぁ――――心配はいりませんでしょう」

「心配はしとりゃせんさ。ただの――――こう毎日のように出撃させては疲労がたまろう。そのことのほうが気がかりでな」

「ですね。皆、空戦が得意とはいえ、中には小さな子もいる。本当は大人が先に立ち戦うべきだというのに、あの子たちは嫌な顔をしてくれませんから」


 王国内でも戦うことができるのは、島民約1万5000人に対して300人と少しで、今は、一時帰国命令がローデリア、月狼国生まれの生徒に下されているため、島に残っている兵力としては、学舎内に残っているのは教員を含め、200人余りしか残っていない――――加えて、この状況に乗じるように、ローデリアは対岸から海賊船を偽装した軍船で姿を現すようになった。

 これに対し、王国側は各課の中から空戦を得意とする生徒たちを選出、5人編成で2組を、昼夜の交代制を組み、島の周りを飛ばせ、警戒態勢に当たらせる事が決定した。

 王国の領海はローデリアとの真ん中まで。

 そこを超えてくる船があれば勧告を行い――――それに従わない場合は魔術での攻撃をするとの通達をしていた。


 今はちょうど交代の時間なのだろう。

 今度は沖側から5人の編隊が飛んで来て――――そのまま、学舎の方向へと飛んでいくのが見える。

「随分飛ばしておるのがおるなぁ。ありゃフレデリカじゃな―――――」

 飛んでいく姿を見てボネが困ったようにつぶやいた。

「次は――――ニックですか。尻が滑っていますね」

 ダリダは冷静に箒雲をみながら、眼鏡を押し上げて見せる

 二番手に飛んでいく箒は大気に抵抗に負けて――――少しぶれているように見えた。



「はいはい。見回りご苦労様。―――――異常は?」

 フレデリカを出迎えたのは医療課のサラ ・バウティスタだった。

「勧告が2隻。いずれも民間船だったから、ほかの航路を伝えておいたわよ」

 サラのほうをちらりと見て、フレデリカは最小限な報告だけを行った

「そぅ。軍船は居なかったのね?」

「居ません」

「飛竜の類は?」

「今のところは確認できていません。それよりも――――」

「?」

 不思議そうな顔をする医療課のサラにフレデリカは手を上にして差し出した。

「なにボケーっとしてんの。よこしなさい」

「何を?」

「シトラウスよ。冷えたのを作っとく約束になっているハズでしょ?」

 シトラウスとはこの島原産の柑橘類の果汁と水を混ぜたものだ。島のマーケットに行けば気軽に手に入る。最も――――マーケットにあるものに回復薬は入っていないが――――今は医療課の生徒が交代制で見回りを終えた生徒たちに回復薬入りの特性シトラウスを配ることになっていた。

「温いのならあるけど?今作ったばっかりの」

「はぁ?昨日から冷やしておいたのがあるはずでしょ?どこやったのよ!」

「もう朝から配って無くなったわよ?何言ってんのかしら」

 阿保かと言わんばかりの顔で、サラは笑って見せた。事実、朝から見回りの度に配っていたのだ。もう作り置きはない。

「何てことなの…。この熱い中飛び回って来たってのに…!」

 フレデリカは見れば、少し汗ばんでいた。のども乾いているだろう。

「しかたないでしょ。贅沢言わない。―――――これ以上何か言うなら、先生に報告するからね?」

 フレデリカはサラの言葉に黙るしかなくなってしまった。



「じゃあ行くぞい」

 ウェルデンベルグはそう言って床に書いた魔術陣の上に乗った。

「とりあえず、ユースティア先生も早く陣へ入ってくれ――――そうびくびくせんでもええ。転移魔術でアナントリの近くへと移動するだけじゃよ」

 ウェルデンベルグは簡単に言ってはいたが――――転移魔術は最高難度の魔術に分類されるのだ。どうしても恐れが先に立ってしまう。

「大丈夫よ。ユースティア先生。総長様を信じなさい――――手を握っていてあげるから」

 シシリーはユースティアの手を取るとそのまま抱きしめた。

「え?ちょ―――――」

 それから一瞬後にはウェルデンベルグ達3人の姿は消えていた。



「起きて――――」

「――――ん」

 ゆさゆさと体を軽く揺さぶってユースティアの目を覚まさせたシシリーはまだ心配そうにユースティアの顔を覗き込んでいた。

「ちょっとした魔力酔いじゃな」

 ウェルデンベルグは長くなった顎髭を撫でながら、ユースティアを観察していた。

(強い魔力に充てられて意識混濁を起こしたのね。まだ目も虚ろ。でも、ここで時間を食うわけにはいかないわ)

「ユースティア先生?回復は自分でできそうかしら?」

「ええ――――」

 そう言ってすぐさまユースティアは目を閉じて意識を集中しだした。

 全身に回っている魔力を感じ、乱れているようなところはないと確認すると

「リカブル―――ノウス」

 治癒系魔術リカブルの派生――――リカブル・ノウスを自分に掛け朦朧としていた意識を正常なものへと戻して見せた。

「お上手ね」

「医療課出身ですから」

 まだ眩暈はするが、軽いものだ。これなら行動には支障はない。ユースティアは立ち上がり、ウェルデンベルグの後を追った。

「先生とお出かけなんて昔みたいですね」

「昔を思い出すかい?シシリーちゃん」

「ええ。先生の悪戯も全部覚えていますよ」

「そういうことは――――忘れていいんじゃよ?」

 ウェルデンベルグは顔を顰めるが――――

「忘れるもんですか。今、文献に乗っているのはやわらかく書いてありますもの。事実はもっと苛烈でしたわ」

 シシリーはころころと面白そうに笑うだけだ。

 前を行く二人の大導師を見ながら、ユースティアはぼんやりと考える。

(ほんと、見た目はどこにでもいるお爺さん、とお婆さんなのよね)

 とても、ドラゴンを退治した。だの、両軍合わせて3万ほどの軍勢を魔術で吹き飛ばした人間とは思えない。


 暫く、街道を行くと―――アナントリの街が見えてきた。

 アナントリは人口約1万ほどの小都市だ。主な産業は漁業と林業。そして、海沿いの都市として観光業が盛んであった。

 近年はそこに、蒸気機関車の線路が開通する予定が決まり、観光業が一層盛んになり始める兆しを見せていた。

「何もなければ線路をひいてもらっても一向に構わんのじゃがの。今は戦争のさなかじゃしの。仕方なかろうて」

「ですね。線路が完成してしまえばアナントリは兵の一大集積地になる――――なってしまう。そうなる前に妨害をするのは当然のことです」

 ユースティアは語気を強めた。

「そうしなければ―――――兵力で劣る我々はローデリアと帝国の物量にすりつぶされてしまう。総長様――――あなたも其れは分かっているから戦力を遅らせるためにこんなところまで来たのでしょう?」

「その通りじゃよ――――ここで戦局を遅延させることで、各地で同盟を取り付けに走っている子達に時間を与えてやれる。―――――今ここで蒸気機関自体をつぶすことも考えておるよ。ワシはな」

 ウェルデンベルグはユースティアに寂しそうな顔をしてみせた。


 アナントリの街中は活気にあふれていた。

 城門をくぐり抜け、目抜き通りの左右には様々な店が立ち並ぶ。

 空は煙突から出る煙で黒くくすんで見える。

(やれやれ――――町の様相がワシがいたころのロンドンに似てきたの)

 ウェルデンベルグは肩を落とす。

 以前見た光景だった。同じように産業化が押し住められていく一方で、貧富の差が増大していく。

 アナントリの街はローデリアの恩恵を受けこれから伸びていくだろう。

 裏通りにはひしめき合うように民家が立ち並び、その間を狭い路地が縦横に走っているのが見て取れる。

 表通りには浮浪児や汚いものは見えないが――――匂いは隠せない。

(腐ったような匂い――――それに、混じる鉄と石炭の匂い――――)

 嗅ぎなれている匂いが、昔の思い出をフラッシュバックさせた。

(発展の陰に、弱者が居る――――元居た世界と変わらんなぁ。そうならん様に――――と考えて王国を作った。じゃが、王国外ではこうして又、発展と呼び名を変えた開発と搾取。際限なき自然破壊が繰り返しておる。儘ならんのう)

 そんなことを考えながら、ウェルデンベルグは息を吐いた。

(――――しかし、このままローデリアの好きにさせるわけにもいかん。せめて手の届く範囲は王国だけは守り抜かねばな)



 すこしあるくと――――開けたところに大きな看板がみえる。蒸気機関終点予定地と書かれており周りには、衛兵が4、5人たって住民を寄せ付けないようにしていた。

「あれじゃなぁ」

 ウェルデンベルグは声を潜めて言った

「ここをヤルわけではないのでしょう?」

 後ろでは、シシリーが笑顔を崩さずに疑問を返した。

「もちろんじゃよ。ヤルのはもっと先、人気の少ない時間帯になってからじゃ」

「ここは素通りですか?」

 ユースティアも歩を止めずに聞いた。

「ああ、今は、先に軍施設を見にいく」

「飛びますか?」

「いいや―――――飛べばかえって怪しかろう。このまま歩いていく」

 こうしてウェルデンベルグ一行は人ごみに紛れ、一路線路建設予定地から軍施設へと方向を変えることにした。



 ローデリアの軍宿営地は街のはずれ――――オネイル川のすぐ近くにあった。

 四方を土嚢と柵で囲まれた一つの街の半分が入るほどの規模で船が絶えず出たり入ったりを繰り返していた。

 川の岸沿いを姿を消した3人はつぶさに観察しながらまずは、兵士の宿舎まで移動を開始する。

(あれは銃かしら?――――思ったより警備は厳重みたいねぇ)

 シシリーは遠見の魔術で対岸を確認した。

(ユースティア先生も上空から見ているし――――もうしばらく待ち、かしら)

 ユースティアの上空からの偵察が終わり次第情報がくる。それを合わせて兵舎へと潜り込む――――それも食料庫の中へ直接だ。

 転移はウェルデンベルグ自身が行い、食料を奪う。奪った後はそのまま、逃走。

 次の目標へ移動する。夜になってからはアナントリへ戻りレールを奪取する。

 他の手段として、魔術で兵舎自体を焼き払うことも考えたが、それでは、ローデリアにつけこむ口実を与えかねない。

 今は、同盟を取り付け、帰ってくる子達の家を守る為にも、相手に地味な痛手を与える術が最良で有ると、ウェルデンベルグは結論した。



「?!」

 翌日。いつも通りに食料庫へ追加の食料を持ち出そうと――――炊事番の兵士が食料庫のカギを開け、中に入ると―――――中身が空になっているのを発見した。

「食料庫から食料が一切無くなっております!」

 その後、炊事版の兵士は、長官室に転げ混むようにして駆け込み、なんとか敬礼を行い――――怒鳴るような声で報告を叫んだ。

「なにを言っとるんだ?貴様?――――さっさと職務に戻れ」

 無論のこと、彼の上官は取り合わない。

「しかし、上官殿!本当に――――!」

「ええい!つべこべぬかすな――――」

 上官が大きな声で黙らせようと声を上げようとしたところで

「報告します!食料が消え去りました!」

 あとから他のものからの第二報がもたらされるころになって

「!――――本当なのだな?」

「はい。食料庫から一切の備蓄が消え失せております!」

 上官は顔を青くした。



「総長様が転送してきたのがこれですか―――また、随分な数ですこと」

 ビアンカ ・チェンバレンとロベルタ・カルローネが王国の保管庫の中身を見て――――その量にお互い、あきれ顔を見せた。

「総長様お得意の転送の魔術ね。でも――――盗られた方は今頃は大変でしょうね」

「全くですわ。前の日にあると思っていたものが次の日には全く無くなっているのですもの。さぞびっくりしているはずよね」

 ビアンカ ・チェンバレンは改めて、ウェルデンベルグという人物の埒外さを感じた。

「ロベルタ様は転送の魔術の原理は知っておいでなのですか?」

 ビアンカは隣にいる遥かに先輩であるロベルタに問う。

「総長様が昔、まだ教師として教えていたころに、説明をされたことがあるけれど――――正直、難しくて半分もわからなかったわねぇ。確か――――今の場所と先の場所を指定し、そのまま間にある事象を切り取って『無し』としてしまうのだそうよ――――」

「事象を無しに?」

「ええ――――良くわからないでしょう?」

「はい。もしできるとして――――その事象はどこに行くのかも不明です」

「その先はもし興味があれば、総長様に聞くことね。私の頭では理解ができないから」

「そうですね。総長様がお戻りになられたら聞いてみることにします」

 ビアンカ ・チェンバレンは目の前の膨大な物資を見上げながら呟いたのみだった。


 ビアンカ ・チェンバレンとロベルタ・カルローネが王国であきれ顔をしていた頃。ウェルデンベルグ達は――――まだ、アナントリの町中に居た。

「いやぁ――――気持ちいい。実に爽快。明日の朝にはさぞびっくりするじゃろうて」

くっくっく…とウェルデンベルグはニタニタ笑って面白そうに笑っている。

ユースティアはその笑みを見て不安に駆られ聞く。

「こんなところでゆっくりしていていいんですか?」

「心配かね?ユースティア先生」

「当たり前ですよ。なぜすぐに移動しないのです?」

「逃げる必要などないな。喜劇の開演は目の前。あとはゆっくり待てばいい」

 夜のゆっくりとした時間の中でウェルデンベルグは紅茶を口に運ぶ。

 どうやら彼は、朝までココに居座るつもりだとユースティアは確信した。

(悪戯を仕掛けた子供の様だわ――――)

「そうよ。ユースティア先生。老人の言うことは聴くものよ?――――さ、落ち着いてゆっくりお茶を楽しんで―――ね?」

 シシリーは人の好さそうな笑みを浮かべてユースティアにお茶を進める。

 ユースティアは

「はぁ」

 と間の抜けた返事を返しながら――――お茶で気持ちを落ち着かせることに専念しようと心に決める、が――――心の中では

(これからどうなるのかしらね?―――――この世界は)

 そんなことを思ってもいたのだった。

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