パズルのピース

高層ビルが天を突き刺し、煌々と輝く。その明るさの前に、昔は夜空を支配していた星々も平伏している。その光景は何よりも人が自然というものを支配しているという事を感じさせる。まだまだ人々には理解しきれているものは少ないが、傲慢な人間は夜空を支配した。目の前の国道を走り抜ける車。赤いテールランプと、眩しいヘッドライト。人は元々空に存在した天の川を図らずも地上に作り上げた。

仕事と称して下らない話を聞き、無責任な発言をする。そんな金曜日の日常を終わらせた私は、とあるビルに向かっていた。私の視界は背広姿の男たちに遮られ、まだ夜も早いのに悪い酒の匂いが微かに鼻にかかる。高給取が多そうなこの街でもつなぎの入った悪いビールを飲んだ者たちの嫌な匂いがするのか、と私は溜息をついた。


目的のビルにつくと弧を描く大仰な自動扉が開き私を迎え入れる。円弧状の自動扉は不快だ。肉食獣に捕食されるかのような感覚がするのだ。口を開き、人が通り過ぎれば口を閉じる。ただ、最初から口を開いた間抜けな罠とは違うところが不快感を和らげる。言いがかりに近いことを考えていても仕方がないと鼻で笑うと警備員が私の前にやってきた。

名刺を見せ行先階を伝えると、無言で私をエレベーターの前へと導きボタンを押した。仕事はそれだけだ、といった感じで彼はすぐに私から離れていった。


普通であれば、その階には何があるかという事が明示的に表示されているのだが私が釦を押した階にはそれがない。しばらくすると扉が開き、私の前に異世界が広がる。

ゴシック建築をビルの中に押し込むようにそのまま縮小したような空間。磨かれた黒い范蠡岩のタイルの床に敷かれた赤い絨毯が私を導く。誘われるままに絨毯の上を歩いていると、長髪の青年が私の前に現れる。燕尾服を纏った眉目麗しい彼は、私の顔を一度だけ見ると視線を伏せて私に近づいてくる。

「失礼ですが、お名前を伺ってよろしいでしょうか」

私は名前を答えると、お待ちしておりましたと彼は私の前を歩き始めた。

通されたラウンジには誰もいなかった。精緻な細工がされたシャンデリア、その光を忠実に反射する革張りのソファー、煌びやかな数々の調度品。私がソファーに座ると、彼は橄欖岩で作られたバーカウンターに向かって歩いて行った。

「準備が終わるまで少しお待ちください」

そういうと彼は革張りの品書きを私に手渡した。まずはラガーだけでなく種々のエイルやスタウト。ビールの種類が多いのは素晴らしい。もちろんそれだけでなく日本酒も、焼酎もあり、スコッチやワイン、そして調べなければどういうものか分からないような蒸留酒の名前が整然と並んでいる。マイルドエイルの一つを頼むと、彼はどこか申し訳なさそうな表情を浮かべ、よく冷えたグラスと缶をこちらへ持ってきた。

「樽から出すわけではなく、缶ですのでお口に合わないかもしれませんが……」

確かに冷やさずに、室温程度で注がれるエイルは美味しい。英国へ出張するといつも食事はイタリア料理、インド料理、チャイニーズ等で済ませ、その後パブへと向かう。楽しみといえばそれくらいしかない。逆に言えば、もし日本で気軽にラガー以外のビールを飲むことができるようになればほとんど私にとっての楽しみがなくなってしまう。それどころか、長時間あの不快な狭い空間に閉じ込められる事になるだけだと思うと断る理由を必死に探すようになるだろう。


コトッ、と乾いた音を響かせると私が盃を乾かすのを待っていたかのように先ほどの青年が私の許へとやってきた。

「お楽しみのところ、申し訳ありませんが準備ができました」

私は促されるままラウンジを出て彼の後ろをついて歩く。並ぶ絵画、美しい青磁の壺に活けられたどこか慎ましやかな蘭。白い壁に蝶や花の金細工を施された黒い扉。そんな空間の中を少しだけ歩くと、彼は立ち止まり扉を開く。

「部屋の中でもお酒を楽しむことできますので……」

広がる芳香、闇の中に浮かぶ桃源郷。

こちらに近づいてくる人影の輪郭は少しずつ確かになってくる。恐らく数秒程度の時間しか経っていないのだろうが、その幻想的な光景の前に私の感覚が加速したように感じとても長い間、非現実的な世界に立っていた。肩に少し掛かる程度の艶やかな黒髪。前髪は切り揃えられ、切れ長の瞳が私を射抜く。男性的だとか女性的だとか、そういった区別をすることに意味がないと私に語り掛けるような美しい造形の顔。少年らしさを感じるどこか角ばった肩、胸板。その胸板を彩る薄く色づいた乳首。腰を締め上げるという存在意義を失い、ただ性的な興奮を促すための造形をした編み上げのコルセットに下着を隠すことを忘れた黒いレースのスカート。そして、男性器の存在を主張する膨らんだ女性用の下着。

「お待ちしていました」

彼がそう言って私に抱き着くと、金木犀の香りが私の鼻腔から脳へと駆け上がる。これは、幻想でもなく、桃源郷でもなく、夢でもなく、現実。これが現実であるという事を触覚と嗅覚が私に突きつける。


―――ここは、美少年が性的接待を行う会員制倶楽部。招待を受けなければ会員となることはできず、通信経路の秘匿化を行わなければ予約することもできない。そんな狭き門の先にある、現実世界に唯一存在する理想郷。


「えっと、どうしたらよろしいでしょうか?恭しく話した方がよろしいでしょうか?それとも自然体の方がお好みですか?」

彼と共にベッドに座り煙草に火をつけると、彼はそう問いかけてきた。自然体で構わないよ、と私は笑顔を作ると、彼は深くため息をつくと両手を高く上げ伸びをした。

「ボクは睡蓮、よろしくね。……とは言っても、指名してくれたんだから知っていて当然だよね」

彼は立ち上がって先ほどのラウンジにあったものと同じ品書きをこちらに持ってくると、月下美人の花が開くように愛らしい笑顔を浮かべた。

「ここは気に入った?」

「ああ、お酒の種類が多いし、それに……」

他人に対して可愛い、とか、綺麗だ、とかそんな言葉を掛けるのには慣れているのだが、その言葉を今口にするのは妙に恥ずかしくなってしまい口ごもっていると彼は唇を重ねてきた。お互いの腰に腕を回し、余った手と手を重ねて指を絡めると、求めるままに唇を奪い合い、舌を絡め、お互いの中を行き来する。男女問わず、何度もしてきた行為のはずなのに身体が熱くなり、初めての快楽に脳が戸惑いを覚えているのを感じる。ありがと、という言葉を発するための唇の動きを感じると、彼は私から離れた。

「ふふっ、飲みたいものを教えて」

「これかな」

本当は君の精液、と答えたい所なのだが私は著名な日本酒の酒造が少量だけ作っている、手に入れることが難しい焼酎を指さした。

「オーケー、じゃあ頼んでおくからお風呂に入る準備をしてもらってていいかな?それとも……」

彼は私のスーツに手を掛けた。何も言わず抵抗する素振りも見せないと、メモ用紙にスラスラと注文した酒の名前を書くと扉の隙間に差し込む。そして私の服を脱がし始めた。

「新しい、というか着慣れていないって感じだね」

「ああ」

「どんなお仕事をしてるの?」

「まぁ……先生と呼ばれる仕事かな」

そんな他愛のない会話をしているうちに私は裸にされ、カーテンで仕切られた浴室へと歩いて行った。

「先生……か」

彼は少しだけ嫌そうな声色でつぶやいたが、すぐに明るくこちらを見てほほ笑んだ。

「先生は嫌い。教養がないくせに偉そうな事言ったりしてくる。けれどもおじさん?お兄さん?はその『先生』とは違う先生だよね」

その後にどこか邪悪な笑みを浮かべるとこう呟いた。

「そんな『先生』だったらここを紹介してもらえるはずがないよね」

高校生か、中学生かは分からないが、学校に通っているのだろう。まぁ私はそんなところの『先生』ではない。私も彼と同じような笑みを浮かべようと鼻で笑った。


「ふふふ、ちゃんと剃ってるんだ」

笑顔で私の性器を撫でながらもう片方の手で彼は桶に湯と石鹸を注ぎ泡立てる。

「偏見で申し訳ないけど、剃ってるって事は私生活も男とする人なの?」

彼は体を泡まみれにし、密着しその薄い肉体で私を洗う。

「うん、まぁそうだな。女ともするけど」

「じゃあバリバリのタチさんだね」

全身泡まみれの彼は私の至る所に既に固くなった彼のペニスの感覚を刻み込んでいく。彼のペニスが揺れ私の肌を意図せず不規則に洗うたびにくぐもった声をあげる。二人の肌がほぼ完全に泡で隠れるようになると上気し恍惚とした表情で私の膝の上に座ろうとする。何度も滑り落ちそうになる彼は最終的に私の背を掴みうまく座るとどちらともなく唇を重ねる。何度もお互いに啄み、唾液を流し込みあい、舌を絡ませ、一つに溶けていく。彼が安定するように彼の背に手を回してやると、彼は私と自分自身のペニスを重ねて握りゆっくりと手を上下させる。

「ボクが上に座ってるのに一緒の位置に亀頭があるとかめっちゃ大きい……」

唇を重ねながら、吐息交じりの声でそう言うと一旦顔を離し私の耳を啄み始める。頭を貫くような快感。それは彼の舌が私の耳の中を舐めまわすのを感じるのと共に脳の中へと流れ込んでくる。そして更に言葉で私の中に快感を流し込もうとする。

「ボクの体も洗ってよ……」


彼を椅子に座らせ、後ろから抱きしめながら優しく身体を撫でる。私が手を動かすたびに彼は上ずった声を上げる。もっともっと声を聴かせてほしい。私はそう思い、彼の耳の中を舌で洗ってあげる。

嬉しそうな声を上げる彼と触れ合っていると、私は我慢ができなくなり彼を押し倒していた。

「あっ、ちょっと……」

浴室の床は薄く湯が張られていて寒さを感じさせないから大丈夫だろう。両手を抑え込み彼の体に舌を這わせる。

「紳士的な態度は仮面だった……?」

そんな挑発的な言葉も、息絶え絶えで口に出されては欲望を加速させる燃料にしかならない。

首筋に舌を這わせ、交わった証を刻むように強く肌を吸い印をつける。鎖骨、胸板、腋、あばら。強い石鹸の匂いの中から微かに香る確かな少年の匂いを強く求めて彼をむさぼる。彼のペニスに舌を這わせると、既に先走りのぬるりとした舌触りと味を私に感じさせてくれた。

「ちょっと待ってよ……敏感になってるから」

彼の制止は最早ただの挑発でしかなかった。

彼のそれなりに大きく若々しいペニスを触覚、嗅覚、味覚の全てを用いて感じるために責め立てる。特に裏筋が好きらしく、腫れあがったそれを舐めあげたり啄んだりすれば彼は快楽を声高らかに歌う。何度も何度も同じ事してあげるうちに彼はもう出そうと鼻にかかった声で私に訴える。

彼の生命の躍動を口で受け止めると、口腔内を染め上げた精から湧き上がる匂いが咽喉から鼻腔を通り抜け、そして私の脳に届く。肩で息をする彼とそれを分け合うと、私の背中に腕を回しきつくきつく抱き締める。


交換し合う粘液がほぼ唾液に置き換わると、彼はこう囁いた。

「する?」

私は彼の首筋に顔を埋め彼を感じながら右手を適当に動かして避妊具を探していると、その腕を彼が掴んだ。

「生でいいよ、そのために診断結果のスキャンしたやつ送らせてるんだから」

「でも次の日辛くならないか?」

「大丈夫、ここは朝まで過ごす店だから連勤はできないし、明後日は休みだよ」

彼はもう一度私を抱き寄せ軽い口づけを私に与えると、来て、と呟いた。

彼の中に入っていく、飲み込まれていく。掴んで離さないように、一度入ったら逃げられないように。肉食獣に捕食されるように、蛇に飲まれるように滑らかに入っていくと彼の臀部と私の腰が当たる。

「あっ、ごめん」

どちらとする時もそうなのだが、奥まで入れると受け入れる側は気持ちよくない。だから私が腰を引こうとすると彼は足を私の腰の後ろに回し逃げられないように捕まえる。

「大丈夫だって」

そして私の首の裏に腕を回しキスをせがむ。

「すごいっ……おなかパンパンだけど……」

軽く口づけをしてあげると彼は微笑んだ。

「童貞みたいにがっついたと思ったら、経験豊富な所が出てきて優しくしてくれたり……」

彼の頭を撫でながら彼の空気を吸い込み首筋を舐める。

「かっこいいから、惚れちゃうかもね」

―――こんなところに遊びに来たんだから、そんな言葉を本気にするはずがない。

前から、後ろから、横になり後ろから……。様々な方向から彼の気持ちよくなる深さを確かめながらそこを擦ってあげると兎に角いい声で鳴いてくれる。囀りと共に彼のペニスからあふれ出る精は、それが演技ではなく本当に感じてくれていることを私に理解させてくれる。何度も何度も、彼の中に快楽を吐き出し、彼の吐き出した精を分け合った。二人の区別がつかなくなるように、二人を分かつ輪郭が無くなるように……。




浴室で性交をしすぎたせいで、ベッドに戻る頃には私は疲れ切っていた。いつの間にか部屋の中には注文した焼酎がおかれていた。あまり飲もうとは思わなかったが、折角なので氷を出してもらい一杯だけ飲むことにした。とても良い酒なので彼にも勧めたが「ボクはお酒は飲まないよ、身体売っておいてこういう事いうのは可笑しいかもしれないけどね」と舌を出して笑った。

盃を乾かし、机にグラスを置くとしばらくして氷の角が解け風鈴が鳴る。その音を聞いた私たちはベッドに潜り込み、抱き合い、唇を奪い合っているうちに眠りに落ちていた。

朝が来たら少しだけ話をしてから帰ろうと思っていたが、私だけ先に目を覚ましてしまった。安らかな寝顔の彼を見ると起こすのは忍びないと思い、枕元に札束を置き外へと出た。


眩しい朝日が私の目に差し込み、私の目の機能を一時的に奪う。―――目の前に広がる暗闇の中に、私にしてくれたように彼が他の男に抱き着き、そして口づけを交わしている姿が見えた。私の胸に鋭い痛みが広がる。

風俗で抱いた女が、この後誰に抱かれようが私は嫌な想いをしない。例え、私を慕って私に抱かれた女や男がやがて私の事を忘れ他の誰かと恋愛ごっこをしていたとしても、私の胸は少しも痛まない。人と肌を重ね、慰め合い、快楽を交える。煙草と同じようにいつか消える炎で自分を慰める。ある時はピースが足りていない、ある時は嵌らない形のピースしかなくそれをそれらしく無理やり押し込む、そんな永遠に完成しないジグソーパズル。そんな下らない遊戯は人生を退屈させないための刹那的な遊びに過ぎない。

それなのに何故私の胸はこんなにも痛むのだろうか。―――これが、本当の恋か。

思えば、肛門性交をすんなりと行うことができる時点で既に誰かに仕込まれていたんだ。それなのになぜ私は本気になってしまっているのだろう。顔も見えない誰かに抱かれる彼を思い浮かべると心が嫉妬の炎に焼かれ悶え苦しんでいるのが分かる。知りもしない誰かに抱かれ、そして乱れる彼を思い浮かべると理性とは関係なく私は勃起していた。


私はそれでも、彼の許に足繁く通うようになった。恋を知らなかった、恋のようなもので遊んできただけで恋を知ったふりをしていただけの哀れな男の末路と、人は笑うかもしれない。

しかし、そういう貴方達の方こそ、本当の恋を知らないのだ。

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