第7話末裔

 淑女の余興に付き合うように、ハイネは身の上を語り続けた。

 たった一つ語るたび声を上ずらせ表情を綻ばせる淑女が、その美貌も相まっていとおしく見えてくる。

 ただしそれは忠誠以上の感情には遠く及ばない。眷属としての宿命か、かつて使えるべき人間すら見下してきたハイネが、初めて主君として認められる。あらゆる諦めに繋がる圧倒的な敗北という事実は、ハイネの価値観を捻じ曲げた。

 ハイネの中で失った復讐心が生み出した洞は、ただ本能的な殺意のみを残した。今はそれすらも忘れてしまうほど、淑女の綻びにいとおしい忠誠が如実に湧き出てしまう。

 数百年ぶりの、曰くお喋りがどれだけの愉悦か、ハイネには到底理解できないままにも語る口が止まらない。爛々と輝く瞳に吸い込まれそうで、淑女の期待の視線に答えるために、尽くす勢いで語り明かしていく。その中で、淑女が一際興味を示したのは、ハイネの名だった。


「――ほう! あの男爵家の末裔か!」


 ハイネの家の文献によると、かつて祖先は序列も看做されないような爵位からの歴史が始まったと伝えられている。現在の序列としては、侯爵。貴族と、一律に並べても天と地ほどの差があるその序列で、ハイネの家が現在冠する序列は淑女がのたまう爵位ともまた違うものではあるが、ハイネの代には更に上り詰めるとまで囁かれている。

 そして淑女が嬉々とする仕草に、ハイネは歴史が描く縁と言うものを感じてしまった。

 それはおおよそ、数百年も前。吸血鬼と人間の戦争が始まってからだと、文献に記されている。ハイネの祖先が明確に男爵の序列を襲名したのは、戦争に勝利した直後だ。


「彼の者は覚えておる。確かに、腕っ節だけは優れていた記憶があるよ。何を隠そう、吸血鬼の敗北はあやつの力によるところが大きかった」


 真相は、自ら手を引いただけの吸血鬼の傲慢で歴史は止まった。否、ハイネは実際に体感したからこそ

理解できるが、この剣の時代に、剣の刃も通らない脅威を撃退しようが無い。おおよそのところ人類最強であるハイネが、仮に、仲間を連れたところで適わないと悟ってしまった吸血鬼。例え数百の兵を引き下げようと、例えクレアと共に剣を振ろうと、その足元にも及ばないだろう。


 歴史に伝わる戦争の立役者、ハイネの祖先。この戦争で得たハイネの家の地位は今も尚止まることを知らない。言うなれば英雄だ。この時代にまで、英雄が創り上げた伝説は生きている。厳密には、英雄を超えるほどの末裔に引き継がれた、といったところか。

 伝説の続きであるとするならば、現在淑女とハイネが描くこの談笑の場面は、ハイネ以外の人類が知り得ない汚れた一部なのだろう。もっとも、クレアというかつての歴史にはなかった人間が、その汚れの一部を背負っているのだが。


 人類が曖昧な勝利で喜ぶのも数百年ほどの束の間、ハイネは目覚めさせてしまった力の膨大さに抵抗の意思すらもてなくなった。人類最強のハイネが意志を捨てた、それが即ち仮に淑女が暴れたとき歯止めを利かすことは不可能だと、体現している。あるいは、この談笑も終えれば人類は滅んでしまうのではないかと、今更どちらとも構わないような表情で淑女の昔話を聞き入れる。純粋に、ハイネの祖先にあたる人物の淑女との関係に興味があった。今のハイネの弛まぬ忠誠の中には、祖先への一筋の嫉妬も含みながら。


「残党狩りと称した吸血鬼の虐殺でも第一線を張っていたな。あの時、そう……正にこの城で奴と僅かながら交流した」

「ほう。それは中々興味深い、不思議な縁だ」

「ああ、正に不思議なものだな。不思議な者だったよ。あれは、私が同胞の吸血鬼が殺されていく様を見て、快楽を取り上げられる恐怖に溺れていた時だ。その時まではまだ、曲がりなりにも人類を食い殺すつもりでいた」


 流れるように恐ろしいことものたまいながら、躊躇無く淡々と進めていく。本当に、良く快楽に溺れてくれたものだとつくづく思う。これ以上に無い、至高の快楽にめぐり合ってくれたものだと。

 吸血鬼の間で保たれた秩序もまた、人類の生存に繋がったか。吸血鬼同士の吸血が一般的でもあれば万に一人くらいは、快楽に満足しない吸血鬼も居ただろう。たった一人相手取ることを想像するだけで絶望的な力を、よもや複数も在り得た恐怖。

 勝手に想像を膨らませていく内心を読み取ったのか、淑女の視線はハイネを捉えている。

 ふと交差する視線で、淑女の目尻は全て見通したとばかりに下がっていた。


「次々と見せられる同胞の死に、私も焦慮で暴れたものだよ。人類にしては一際強かった奴に獲られまいと、乱雑に同胞の血を吸っていった。その戦場の巡り合わせだったなあ。直接対面したのは、もはや僅かとなった吸血鬼が人類から、そして私から逃げ惑いだした頃だ」

「我が祖先が、失礼をしたものだ」

「ハッハッ! なに気にするな! 実に愉快な者だったよ。思い出しただけでも、つい綻んでしまう」


 声を潜めるように喉を鳴らす仕草は、淑女たる一環だろうか。

 今更気にする体裁は無いにせよ、そんな佇まいがハイネにより強く忠誠を植えつける。古い作法と言うべきか、高貴な佇まいの中でどこか未成熟な部分が魅力の一つとして、ハイネを虜にするように誘っていた。無邪気に綻ぶ表情一つが美しかった。


「虚しいなと、同胞を貪る私に奴は言ってくれたよ。心底腹が立った。虚しいだけなのは既に自覚していた私に、まるで部屋を片付けようと思った子供が親に片付けろと叱られた時の様な、途端にやるせなくなる子供のような理由で腹が立って、死ぬほど殺したくなった」

「彼がそこで死んでいれば、私もこの世に生を持っていなかったというのか。まったく、怖い話だ」

「怖い……か」


 思いつめるように淑女は俯いた。

 再び顔を上げた淑女は、妖艶な瞳でハイネに迫る。


「ならば、今の私が怖いか――ハイネ?」

「――いいや、今となってはもはや恐怖という感情自体どうでも良い。それよりも今はただただ、その歴史の縁に興味がある」

「……私は、私が怖かった。気付いてしまったのだよ。既に周りから全て居なくなった同胞、居るのはただ、私を最後の残党として狩ろうとする人類だけだった。そう、気付いてしまったのだ。吸血鬼を滅ぼしたのは、私だと」


 同胞の未来のため命を託された淑女が、その手で自ら同胞を滅ぼしてしまった恐怖。例えば本来ハイネが正当な未来を歩み、やがて幾百もの兵を率先し、その果てに失態で全滅したとすれば、ハイネにはそんな想像しか出来ないが淑女の恐怖には共感できる。実際はそんな例ともまた想像を度しているのだろう。

 ハイネは淑女が語る口の重さを知り、言葉が出てこなかった。


「気付けば、吸血鬼を殺した数で言えば、残党狩りよりも私の方が多かった。そんな未来、私に命を託した同胞が見据えた未来では、当然無いのだろう。永遠の命を持ち、永遠にすら同列の力を持ち、それで居ながら私を見下すあやつを、私は殺せなかった」

「……虚しさ故、か。なるほど。今の私も確かに、貴方の眷属となった体では虚しさしかないな」

「ああ。そうだとも。だから私は、奴に提案したのさ。人類に、吸血鬼は滅びたのだと報告しろと。それでこの戦争は終わりだ、と」

「ふん……それで我が祖先は晴れて英雄か。まったく呑気なことに、我が国での歴史には一匹の吸血鬼も逃していないと記されている」


 仮初の平和と知らずに安心して眠る王都の民たちの呑気さに、気付けば嫌悪が湧き上がっていた。当然それはハイネ自身にも当てはまり、貪欲に力を求めていた日々が記憶の中から一気に消沈していく。学園でしのぎを削りあった訓練兵たちとの日々が、あまりにも下らないと知らしめられる。

 直近くにそれ以上にありえることも無い力が佇むのを知らず、自分を最強と思い描いて剣を振るった。

 今にして思えば、こうして淑女の目の前で談笑することが既に人類としてこれ以上にない力の誇示でもあり、その血を分け与えられただけの行為で人類の限界すら簡単に超えられる。それでも届かない更なる力を前にすれば、ハイネは自らの人生を全て否定したくなった。


 あまりにも簡単に、力は手に入る。

 同様に、あまりにも脆く、力という意味の無い象徴は砕ける。


 そうと知っていれば、無駄な努力に費やした日々を有意義に過ごせたはずだった。剣を振って、剣に振った時間を取り戻せるのならば、あのクレアには無い才能を存分に伸ばすことも出来たのだろう。

 ハイネは、まだ自分が人間であったならばと、胸の内の後悔を抹消する。


「――否、奴はそこで引き下がらなかったよ」

「……ほう?」

「奴はそこで私に決闘をせがんできた。人類の勝利は素直に頂く、だが私との決闘もさせてもらうと。なんとも傲慢な、意地汚い懇願だよ」


 血のつながりが、かつてこれほども憎いと思ったことは無い。貴族として生まれ、恵まれた生活を施された優秀な一族。当然生まれ持った才能と自負していたつながりを、断ち切りたいと思ったことは初めてだ。

 ハイネが唯一忠義を誓う淑女に、なんと無様な、何を無礼にせがめたものか。ハイネが初めて淑女と会ったときでさえ、畏怖したものだ。吸血鬼という事実を認めなかった時間こそ強気で居たが、ハイネの祖先は淑女を吸血鬼と知って戦い挑んでいる。

 抗うことさえ馬鹿馬鹿しいと思えてしまうほどの脅威に対し、ハイネが唯一誓える忠義によくも無礼を晒してくれたものだと。その血が今もハイネの中に流れている感覚が、どうしようもなく気持ち悪い。


 それでも、ハイネは共感している。

 もはや洞のみを残された心のどこかに、強い者と戦う好奇心が今もあることを自覚していた。

 クレアへの殺意を司る、それは根幹の一部なのだろう。その好奇心と嫉妬が絡み合った結果が、今のハイネだ。


「小僧と同じく、簡単にあしらってやったさ。片手で奴の剣を全て受け止め、果てには剣を折ってやった」


 ハイネと同じくと、名指しを受けて清清しいほどに祖先の負けを理解する。ハイネの家に伝わる歴史の誇り、自負、理解するまで数秒も掛かることなく、そこにハイネのプライドはもはやなかった。

 淑女ならば騎士の誇りを当然の如くへし折れるのだと、むしろ淑女の強さこそハイネの誉れである。


「――心臓を貫いた……殺してやった。私が化け物と化してから唯一、それが素直に衝動に従った時だ」

「な……に……?」


 耳を疑うような言葉に絶句する。

 歴史が繋がらない。そこで彼が死んだのであれば、なぜハイネがここに居られるのか。この世に生を受けているのか。死んでしまった遺伝子で、如何様にして一族は続いていったのか。


 淑女が語るたびに重要な注釈が加えられていく歴史が、どうしようもなく胡散臭い。

 淑女の続く言葉が出るまで、今ここに居る自分が何者かすら、ハイネは信じられなかった。


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