第4話吸血鬼・後



「吸血鬼の一族の、結末……?」


 ハイネは声を潜めるように復唱する。

 そもそもこの淑女が吸血鬼であることから怪しい所ではあるが、そうである前提として話さなければ異様に発達した歯牙は説明がつかない。件の歯牙を誇るように、淑女は優雅に笑みを零した。


「まずは、人間の歴史には吸血鬼の敗北が語り継がれているだろう? おおむねその認識で正しいが、吸血鬼が自ら敗北を選んだと語れば、小僧。貴様はどう思う?」


 耳を疑うようなことを語っておいて、淑女はハイネに問うた。淑女の言葉を借りるとすれば、数百年も前に及ぶ歴史をほんの十数年しか生きていない小僧に語れるはずが無い。ハイネとて濃密な人生を過ごしてきた自負はあるが、所詮長き時を生きる吸血鬼の寿命には届かない。


「興味深い話ではあるが、我々の勝利であることに変わりは無いな。それこそ吸血鬼のように長寿でもなければ、もはや過去の歴史に過ぎん」


 吸血鬼を含め、過去に滅びた種族は多々あるだろう。人々はそれらを歴史に押し込め、歴史に学んで繁栄してきた。そういう意味では糧となった彼等に感謝はある。ただ、それをハイネが抱くには漠然としたものに過ぎなかった。 


「まあそう言ってくれるな。目の前に正真正銘吸血鬼の私を見据えておいて、寂しいじゃあないか」

「フン。そもそもそれが既に怪しいと言うのだ」


 自虐的に笑う淑女の言葉に、ハイネは愛想笑いとも取れるような笑いを鼻で鳴らした。ハイネの疑いの目が晴れることは無かった。


「優雅なか弱い淑女が異様な歯牙を引っさげてこんな時間にこんな場所を出歩いている理由が、吸血鬼だからという一言で事足りるとは思わんかね?」


 皮肉なことに、自ら優雅だとかか弱いなどと豪語する女性の図々しさと胡散臭さは、ある意味理屈にもなっている。淑女の容姿が見せる美貌と対極の内面があまりにも愚かしく映り、ハイネはどこか虚しさを抱えた。

 愉快な冗談も淑女の嗜みの一つとでも言うのだろう。生憎と、ハイネには理解できない理論である。吸血鬼と名乗る以上にそんな下らない部分で納得せざるを得ないと言うのも、虚しい話だった。


「……わかった。では、貴様が吸血鬼である前提として話を聞いてやろう」

「ふむ、やや癪に障るが、もはや何も言うまいて。私も久方ぶりの世間話に恥ずかしながら少々昂ぶっているようだ」


 淑女のその雪のように白い頬が、若干紅く染まったような気がした。月夜が見せた錯覚か、月夜が魅せた演出か。いずれにせよ、恥じらいを秘めた表情が堪らなく美しい。全ての仕草が上品に仕上がった、淑女としてあまりにも完璧すぎる佇まい。時折見せる茶目っ気が可愛らしくもあり、全ての男を魅了するような色香でもある。

 妙齢には見えるが、妙齢とは思わせない。そんな一つ一つの仕草が奇妙に、そしてハイネに吸血鬼を連想させていた。


「あの戦争で吸血鬼が人間に押されていたことは認めよう。虫のように涌いてくる速さは人間の強みだ。だがしかし、我ら一族とて個々の力は勝っている自負がある。我ら吸血鬼は、人間を惨殺した」

「……そして私たち人間も、吸血鬼を駆逐した」


 淑女の語り口が一方的に人間を討伐したような語りに聞こえ、ハイネは耐えられずに口を挟む。人類の名誉などと、そんな大義名分はハイネの中に存在しない。件の戦争の時代を生きた当事者でもないのだから、ハイネは全ての事実を知っているわけではなかった。つまるところ、人間を捻れると言う吸血鬼の実力が語られてきたからこそ、吸血鬼と言う前提で目の前に佇む彼女への虚勢だった。

 言うなれば数の暴力で押し切った歴史は、一対一というハイネの現状を冒涜的に写し出している。

 柔らかな物腰に控えた本性に警戒しているとも言い換えられる。

 反論とも呼べないようなハイネのささやかな牽制を、淑女は予想外とばかりに目を丸くした。圧倒的な余裕を装って、頬を緩ませた表情は既に幾度か見てきた姿だった。

 そうだったなと、互いの傷の深さを認めて淑女は続ける。


「宣戦布告は我々からだったか。たしか、人間の生み出す上質な血を求めて支配を試みていたような気がするよ。知っているか小僧。我々は良い血を吸えば吸うほど寿命が延びていくのだぞ。何よりも吸血鬼にとって血は馳走でな。私も含め、多くの吸血鬼はその快楽を求めていた」


 次々と語られていく吸血鬼の生態。歴史の書物にも、医学書にも書かれていない事実もある。吸血鬼の滅びた現代において既に意味の無い事実ではあるのかもしれないが、変わり者の学者が立ち合わせていれば狂喜乱舞する内容だろう。


「やがて数の暴力によって押された我々は、会議を開いたのだ。当時吸血鬼の間で禁忌とされていた行為。同属の血を吸うことを、示唆する会議だ」


 同属の血を吸う。

 それがハイネからしてみれば何を意味することか分からない。人間で言うところの、殺人にでも当たるのだろうか。だが、確かに殺人を犯した者は法に裁かれるが、決行に会議をするほどの禁忌、それも戦時中にしなければならないものだろうか。殺人に会議と言うのも可笑しな話であり、ハイネにはその行為の意味が読み取れなかった。


「先も言ったとおり、我々は良い血を吸うほど寿命が延びていく。言ってしまえば、吸血鬼の使命とは吸血により永遠の命を手に入れることだろう。吸血とは一概に固体が絶命するまで血を吸い切ることを言う。吸血鬼の血は、この世に現存する生物の中で他の追随も許さぬほど最も上質な血である。それが意味するところ、分かるだろう、小僧」


 これまで小噺をするかのように振られた質問も幾度かあったが、こうも確信を持って淑女が問うて来るのは初めてだった。そしてハイネも、淑女の期待に添えるだけの答えを用意できる。


「永遠の命を持つ吸血鬼を、作り上げたのか……?」

「ご名答。小僧にしては、よく出来た。正解ついでに、もうひとつ教えてやろう」


 人を小ばかにしたような賞賛。

 ハイネにとって、試合の後クレアが求めた握手よりはむしろ清清しい。褒美とばかりに、淑女が続ける言葉にハイネは耳を疑うことになる。


「――上質な血を吸った吸血鬼はその寿命と同様に、莫大なる力を得ていく」

「……なん……だと?」


 賞賛を貰ったばかりのハイネも、さすがに一瞬理解が遅れた。

 つまりは、永遠の命を持った吸血鬼は、この世の生物で最強でもあることを意味するのだ。歴史が語った吸血鬼の強さはそこに隠されていたのだろう。強き吸血鬼ほど多くの血を吸い、多くの強者の血を吸ってきた。与えられた情報を下に考えれば考えるほど、よく人間は勝利を収めたものだと思ってくる。


「会議の末、吸血鬼の未来は一人の少女に託された。将来を有望視されていた貴族の娘。永遠の命を得るほどの血ともなれば、一族の全ての血が必要だった。娘には重過ぎる、一族の全てだ。それは近い将来、人間に復讐するためだけに禁忌を犯してまで残した唯一の希望」


 永遠の命を持つ吸血鬼。

 その存在を、既にハイネは察している。

 もはや疑う余地も無い。吸血により寿命を得てきたと言うならば、数百年前の歴史を語る淑女はそれなりの血を得てきたのだろう。だがしかし、ともすれば、まだ一つの疑問が残ってしまう。


「では、吸血鬼が自ら敗北を選んだと言うのはどういう意味なのだ?」


 ハイネは可能な限り声を潜めて尋ねた。

 それこそ、禁忌に触れてしまう恐ろしさを秘めた淑女の語り。恐ろしさが胸中を支配していく中、ハイネも今更になって引き下がるわけにもいかない。興味本位以上に、淑女の目に見えた悲壮感が痛々しかった。


「虚しくなってしまったのだよ。だってそうだろう。吸血鬼の生きる理由が永遠の命を手に入れることだというならば、吸血とはもはや私には必要の無くなった行為だ。小僧にも、血を求めない吸血鬼の姿は滑稽に映るだろう」


 ハイネの表情から心事を読み取ったのか、淑女は既に自分を永遠の命を持った吸血鬼として語っている。

 ハイネにとって、吸血鬼とはもはや歴史に過ぎなかった。漠然と存在を認識し、御伽噺の一つとして幼少の頃より伝わってきた。現在、それを確かな存在として目の前の淑女を認めつつある。歴史が淑女の口から掘り下げられるたび、背徳的な感覚が刺激されている。


「同属の血を吸い尽くした私の命は永遠であり、その快楽以上に私を絶頂させるものはもう、この世に存在しない。一族の希望を託されて置きながら、身勝手にも世の理に飽いてしまったのだ。以来私は、再び戦場に立つことも無いまま過ごしてきた」


 人間の勝利とは、実に下らない虚しさの上に成り立った歴史である。

 聞けば聞くほど華やかな歴史が否定されていく。ただただ世に飽きて、一族の野望を忘れ堕落した淑女は、絶対的な力を振るうことも無く自ら戦場を去った。今再び淑女が力を解放すれば、多くの騎士を擁する王都とてたった一人の吸血鬼に陥落しかねない。

 胡散臭いと言えば全てが胡散臭いが、ハイネは疑うことを忘れてしまった。それほどまでに威圧的に、淑女の眼光がハイネを捉えている。

 種族的に人間より力が強く、更に吸血で力を増していく吸血鬼。会議の末、禁忌を破って残された娘。 ハイネには初めての感覚だった。戦わずして身が臆すのは、敗北を悟るのは。かつてたった一人ハイネに屈辱の泥を塗ったクレアでさえ、その境地には至っていない。もとよりハイネがクレアに臆すことなどありえないが、この淑女を前に自ら泥を望むのもやぶさかではなかった。

 圧倒的絶望感と共に、ハイネは屈辱に塗れる。

 この場合、命を乞う言葉とは何が最適だったのだろうか。

 ハイネとて、この先の人生にやるべきことなどいくらでもある。


「――ところで」


 淑女は口端を吊り上げた。

 優雅な振る舞いを忘れ、歪に、獰猛に。


「久しく喋った所為か、喉が渇いたぞ」


 吸血鬼が意味するところの、乾き。

 鋭利な歯牙が垣間見える。

 美しき淑女は顔を崩して、細い顎を伝う唾液が光沢を放った。


 上弦の月明かりは、吸血鬼の姿を切り取った。


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