第2話離別

「何故ですか教官!? 何故私ではなく、クレアが選ばれるのです!?」


 ナルタート騎士学園。


 騎士を育成するための学園。一般の学校で言うところ、職員室にでも当たるのだろう。しかし、一際張り上げられた声が険しい事意外に、これといった教員たちの活気はなかった。

 ハイネは怒りのままに声を荒げ、自らの教官につかみかかる。


「ハイネ、お前は先の試合でクレアに負けている。まずそのことを自覚してもらおう」


 手の先は白いドレスグローブに、脚には編上靴に脚絆が嵌められている。

 軍服に身を包む筋骨隆々とした肉体の、褐色に染まる肌の露出は少ない。

 教官の冷たい言葉に、ハイネは訝しげに顔を歪めた。


「だが、あれに指揮官は向かない。総合的には私の方が優れている」


 荒げた声は収まることなく続いた。自負の表れでもある言葉をなんの躊躇いもなく続けた言葉は、正に教官が冷酷に言い放ったとおり、自惚れでしかない。ハイネには酷だが、クレアに負けたと言う事実は学園での成績にも左右される。更に、今しがたのやり取りはハイネの評価を下げてしまう要因でしかなかった。


 ハイネとて、忌みすべき相手の実力ぐらい理解している。否、知らないはずがなかった。百年に一人の天才に唯一勝る相手だ。他の追随を許さない実力を持ったハイネは、血の滲むような努力をしてきた自負がある。才能に見合うだけの努力をしたハイネは、自由気ままに生きてきたクレアに劣ることが憎かった。


 このハイネがお世辞を言うことなどあり得はしないが、言ったとしてもクレアに指揮官と言う立場は向いていない。言うなれば、兵士としてのクレアは天武の才で孤軍奮闘する騎士だろう。部下を従え戦う才能ならばハイネのほうが上回っているのというは、教官も認める事実だ。

 ともすれば、教官がクレアに指揮権を持たせるには意図がある。


「――確かに、そうかもしれん。だがハイネ、あくまでも訓練であることを忘れるな。訓練を終えた暁には見えてくるものもあるだろう」


 教官の言葉にハイネは引き下がる。言い争ったところで無駄なことだと、今更になって理解した。


「……いいでしょう。甘んじて受け入れます。ですが私は、こんな下らないこと割く時間があるならば、剣を振るっている方がましだとは思いますがね」


 いくらハイネが嫌味を言ったところで、所詮負け犬の遠吠えに過ぎない。覆ることのない屈辱がハイネの背には張り付いている。それを理解しながらも、彼のプライドは認めなかった。

 憎むべき相手を超えると言うのが、復讐心か向上心か。誰にも負けるはずがなかった才能は、その両者の心得を兼ね備えているのだろう。


 貪欲に頂点を目指す姿は、本来輝かしく映るはずの姿とはかけ離れ、黒い心のみを教官の目に映し出していた。



  ◆  



「訓練の内容は簡単だ。ボルキュス大森林に潜む魔獣の討伐、その素材の持ち帰りである」


 真上に上った太陽が自己主張激しく差し込む中、褐色の肌の露出は尚も少なかった。暑さからか、厳つい顔を訝しげに歪める。額に僅かな汗を滲ませるのは、彼だけではない。

 随分とあっさり説明を終わらせる教官の説明を、暑さに耐えながら聞いているのは他ならぬ生徒たちである。ハイネを始めクレアと、二人の天才も今ばかりは存在感を放つこともなく、多くの訓練兵の中に紛れていた。つい先日二人の試合を観戦し、闘技場に熱気を立ち上らせたのは彼らだ。彼らもまた騎士の端くれであるならば、教官の言葉を静かに待ちわびる。

 教官は暑さに眩む訓練兵に容赦もなく続けた。


「大森林まで歩いていくならば半日かかるだろう。今から出れば日は沈むことになるだろうが、野営は個々で行うように。無事返ってきた小隊から訓練を終了とする。それでは、健闘を祈ろう」


 ボルキュス大森林は、王都の中で最も大きな規模を誇るナルタート騎士学園から半日近く歩くことになる。

 今回の訓練の目的とすれば、小隊行動でのチームワークに他ならない。

 ハイネとクレアだけでなく、二人の存在に霞むが、生まれる世代によっては並み居る実力者として名を馳せることになるだろう訓練兵たちで小隊を組む。学園での成績を上から順に五名が一つの小隊として、ボルキュス大森林を目指すのは十組。ナルタート騎士学園にはそれ以上の訓練兵も在籍するが、実力が伴わず今回は見送られた。彼等の帰還が一日から三日を見据えるとして、その間以下の訓練兵たちがこってりと絞り上げられると言うのは別の話である。

 先日職員室で教官に向かい声を張り上げたハイネは、未だ不服のまま旅立とうとしていた。


「――それにしても、今回の訓練は楽に終わりそうだな」

「ああ。なんてたって、クレアとハイネが同じ小隊だからな」

「頼んだぜ、お二人さん」


 現在ナルタート騎士学園を在籍中の訓練兵において上から五人の実力者、ともすればクレアとハイネを含む小隊の中から、ボルキュス大森林へ続く街道を進みながら三人が呑気に声を上げた。昼過ぎの出発から既に日が暮れようとする時間帯を迎えて、そろそろ野営の準備に取り掛かろうとする中の発言である。

 間違いなく学園で最も強い小隊は、最初に出発したため一番先頭を歩いていることだろう。訓練中であるにも拘らず気を抜いていられるのは、訓練の性質上教官の目が届かないこと以上に、二人の天才が傍に居るからだった。

 先頭を歩いて指揮しながらも負担を見せず、苦笑交じりにクレアが言う。


「おいおい。もういつ魔獣が出てきてもおかしくない場所に居るんだ。俺だってお前らのことを頼りにしてるんだぞ?」


 勿論ハイネもなと付け加えるクレアに、ハイネは忌々しくその笑みを一瞥する。


 この訓練では、個々の実力の上下よりも指揮能力を見て隊長を選ぶべきだろう。教官が見極め選ばれた結果、この小隊の指揮権はクレアに委ねられた。クレアの実力はハイネも認めざるを得ないが、教官につかみかかった言葉どおり本来指揮を握るのはハイネであるべきだったのだろう。一時的なものとはいえ、ハイネは先頭を歩むクレアがあまりにも憎かった。

 何故この自分がこの男の下に居なければいけないのか、と。

 一秒でもこの立場で居るだけで、腹の底が煮えくり返る。よりにもよってクレアの指揮下は、ハイネにとってこれ以上にない屈辱だった。


「……先に貴様らにも言っておく。私は馴れ合うつもりはない。自分の身は自分で守らせてもらう」

「お、おい、ハイネっ?」


 呼び止めようとする声に一切振り向かず、ハイネは街道の脇に歩いていく。そのまま孤立したハイネが先に行くのを止めることも出来ずに、クレアを含める四人は呆然とした。日も沈みかける時間帯に指揮権を委ねられたクレアが、ハイネを追いかけるのも必然ではあるのだが、それはハイネをより不愉快に陥れてしまうだけだった。


「どうするつもりだ、ハイネ」

「貴様はともかく、私は雑魚の面倒を見るなどごめんだ」

「おい、あいつらは仲間だぞ」


 雑魚呼ばわりに、僅かに離れた場所で呆然とする三人は聞こえていなかった。聞こえていたところで、同じ指揮下の中にある明確な上下関係は彼らに口出しする権利を与えていなかっただろう。

 二人の様子を見ながら先行きを見守っている。というより、並々ならぬ雰囲気に口出しを出来るはずもなく縮こまっているだけだった。

 その姿が更に腹立たしく、気に入らない。


「仲間などと、貴様はいつでも私を不愉快にしてくれる」


 ハイネは虫唾が走る言葉に鼻で笑った。

 仲間ならば、否、そんな意識などあるはずもないが、このハイネの行動を許しはしないだろう。呆然と見守っているだけと言う行為は、既にその言葉の価値を陳腐なものに落としている。唯一追いかけたクレアがその意識の下行動したと言うならば、それは端から間違っていた。ハイネとクレアが相容れることなど起こり得るはずがない。揺ぎ無い、事実だった。


「――ク、クレア! 魔獣が出たっ!」


 僅か離れた場所、ただ見守るだけの三人を四本足の魔獣が襲っていた。

 声を荒げて助けを求め、応戦している。彼らとてクレアとハイネに次ぐ実力者ならば、その姿はあまりにも愚かに映る。


「くそ、こんな時に……」


 すぐさま駆け寄ろうとするクレアが小さく呟いた。

 こんな時に、というのは、この場合クレアが唱える仲間を自身で愚弄していることになるだろう。


 仲間を呼び止めるのに忙しい時に、今ここで自分が離れたらこの仲間は去ってしまう。

 去ってしまう仲間を信頼できず、応戦する仲間の実力を信頼できず。


 ハイネはむしろその言葉を嬉々とした。クレアの生ぬるい仲間意識は、所詮仮初のものであることを証明してくれた。


「クレア、どけ」


 クレアの肩につかみ、強引に振り払う。驚愕するクレアを一瞥もせず、背中に提げる一振りを抜き出し、魔獣の下へ悠然と歩んでいく。訝しげにした三人も居たが、ハイネの目にはただの石ころのようにしか映っていない。

 この場合、石ころだったことがどれだけ幸運だったことか。

 下手に今のハイネを刺激していれば、ハイネは同じ小隊の一員であっても切りかかりかねない。

 ハイネの感情は、高揚している。


「雑魚が。愚かにも私の前に現れたことが、何を意味するか、教えてやろう」


 言いながら、剣を振りかざす。

 石ころ同様に立ちすくむ三人は、天に向かう剣先に狂気を感じた。歴然とした力の差。魔獣とハイネの間にはあまりにも大きな力の差がある。人間の持つ知能が、本能的に三人に教えた。それはある意味、たった一頭の魔獣に対し若干の遅れを生じた三人との差でもある。彼らも学園でしのぎを削りあった仲であり、互いを高めあってきた。

 だがしかし、あるいは、ここで悔しいと言う感情を抱くには、傲慢が過ぎる。


 その剣先の恐慌に怯える三人と対極に、知能が乏しい魔獣は臆すこともなくハイネに立ち向かう。

 誰に誇るでもなく、当然であるかのようにかざされた剣の前で、魔獣の姿は蛮勇にしか見えない。この歴然とした力の差を魔獣が見極められなかったことで、知能に乏しいことが直接命を失う原因になろうとは、魔獣が知る由もない。

 誰かが形容した世界の摂理、弱肉強食。それはある意味知能の差でもあり、才能の差でもある。

 ことハイネとこの魔獣の間において、圧倒的な力の差は知能や才能以上に単純な能力のみが物語る。


 かざされた剣が振り下ろされ、空を薙ぐ音と共にいとも容易く魔獣を切り払った。無残に歪な断末魔を上げて、魔獣の胴体から血が噴出す。あまりにも淡々と斬ったハイネは、不快感も気にせずに返り血を浴びた。

 頬に血が掛かり、さながらハイネの血でもあるかのように、頬から零れ落ちた。

 斬られてしばらくこそ敵愾心溢れる眼で立ち尽くしたが、やがて地に倒れ伏す魔獣は間も無く絶命するのだろう。


「ハイネ……」


 礼を言うでもなく、怯えを隠すでもなく、三人のうち誰かが声を掛ける。

 同じ小隊の一員という立場が、今のハイネでさえも対等に見せてしまう。そのしがらみが一切なければ声を掛けることさえ躊躇われるほど、ハイネが静かに怒り狂っていることが見えていた。ともすれば声を掛けたのは、ハイネの放つ並々ならぬ雰囲気に不安を煽られ余計に怖かったのだろう。愚行というならば、ハイネの行動も声を掛けたのも、どちらにも形容し得る。


「クレア、やはり私は貴様らと馴れ合うつもりなど毛頭無い。貴様らの生ぬるい思考回路には虫唾が走る。これ以上下らないお遊びに付き合わされる前に、この先は私一人にさせてもらう」


 改めて向き合った二人の視線は交錯する。

 何を言うでもなくクレアは沈黙を貫いた。


 既に日が沈みかかる夕暮れに、ボルキュス大森林へ続く街道をハイネは歩く。

 この辺りの魔獣は夜行性だが、それを知りながらもハイネは歩みを止めなかった。静寂が支配するこの空間に、地面に敷かれた砂利の音のみが虚しく響いた。


 そしてハイネがクレアの隣を過ぎて、互いに一瞥も下さず、言葉も交わさず、歩みも止めず、魔獣の血に塗れたハイネは訝しげに歪めた顔のまま進む。

 孤高に佇んだハイネの背は、誰も止めることもなく見送られた。


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