第9話潔癖男子の活動
昨日の紫倉さんの宣言通り、放課後から園芸委員の手伝いが始まった。
俺は紫倉さんに会える喜びと、手伝いで汚れるかもしれないという恐怖の板挟みにあい、はっきり言って授業中は気が気でなかった。
しかも昨日の姉さんとの電話が微妙に尾を引いていて、妙にセンチメンタルにもなっていた。
だから仕方ないんだ。
野球部のノック音をBGMにして迎えた放課後、下足場の前で紫倉さんを待っていたら、馴れ馴れしく、かつ図々しく彼女の肩を抱いて「よっ」と片手を上げて登場した羽柴に、消毒用アルコールを浸したコットンをなすりつけても仕方ないんだ。
「し、シナガセさん? ダメですよ、そんなことしちゃ……っ」
慌てて止めようとする紫倉さん。俺は彼女に聞こえないよう、ギリギリと食いしばった奥歯の隙間から声を発する。
「……羽柴お前、俺は紫倉さんに素手で触れられんというのに、よくも汚い手で彼女に触れたな……っ」
しかも何故、お前まで手伝いをすることになっているんだ。
腕まくりをした羽柴の手にちゃっかり軍手が装着されているのを見て、俺はこめかみを引きつらせた。
「紫倉ちゃんに『ハシバさんさえよろしかったら』って誘われたんだ。ねっ?」
俺の疑問を察した羽柴は、紫倉さんに同意を求めた。やる気の表れなのか、細い髪を束ねたポニーテール姿の紫倉さんは、毛先を躍らせながら「ねー」と相槌を打つ。
傍から見れば、美男美女のカップルだ。しかも羽柴よ、何だ『紫倉ちゃん』って。何か昨日より仲良くなってないか。
俺が勘ぐりの目を向けると、羽柴は
「二人だけじゃ心配だし、オレは何かあった時にフォロー入れるために来たんだって」
と、うざったいウインクを飛ばしてきた。
が、正直俺は、甘ったるいマスクと、女を口説くことにかけては殊更よく回る口だけが取り柄のお前に、あまり他人の優しさに慣れていない紫倉さんが靡かないかの方が心配だ。切実に。
ところで、園芸委員の手伝いとは、具体的に何をするのか。
紫倉さんが最初に俺と羽柴を案内したのは、創立三十周年を記念して建造された記念会館へと続く道だった。等間隔に四角い石の敷かれた、細い道だ。
すぐ傍には澄んだ池や青々とした芝生の中庭が広がっており、細道とは茶色いレンガの花壇に植えられた低木によって、一部が区画されていたはずなのだが――――……。
「低木が……ない……?」
土だけが残って禿山のようになった花壇を一瞥し、俺は呆然とした。
細道と中庭を几帳のように隔てていた低木が、根っこごと綺麗さっぱりなくなってしまっている。
「はい。皆さん意外と気付いていらっしゃらないんですけど、この前のゴールデンウィークの間に、校長先生の指示で取り払われたんです」
花壇を見つめる俺の後ろに立って、紫倉さんが説明した。
「あの黒々とした灌木では、中庭の雰囲気を台無しにしてしまうから、と……」
確かに、休暇前まで此処に植わっていた暗い色の低木は手入れがいき届かず、葉っぱが道の方にまで両手を広げていたが……それにしたって……。
俺は犬に掘り返されたような有様の花壇を見下ろす。
「雰囲気に合わなくても、これよりはマシだろう」
そう言って荒れた花壇を指さした俺へ、紫倉さんは「実は話には続きがありまして」と言う。
「取り去った灌木の代わりに、この花壇に花を植えることになったんです」
「あー……展開読めちゃったかも」
それまで黙っていた羽柴は、訳知り顔で言った。
「生徒の自主性を促すためとか何とかで、園芸委員がその仕事を一任されたわけだ?」
「その通りです。でも、他の委員の方々は、あまり乗り気ではなかったようで……」
伏し目がちに話す紫倉さんには悪いが、「だろうな」と胸中でひどく納得してしまい、俺は羽柴と顔を見合わせた。多分、奴も考えていることは同じだ。
紫倉さんは真面目な性格だし、雨の日の放課後の様子からして、花が好きで委員の仕事をしているんだろうが……他の委員の奴らが花好きとは限らない。
どうせじゃんけんで負けて押しつけられた委員で、骨の折れる仕事をしたい奴はいないだろう。
詳しくは知らないが、種を蒔いてからも、花が咲くまで小まめに水や肥料をやらなければならないのだろうからな。
「つまり、俺たちは主に、この花壇に花を咲かせる手伝いをすればいいんだな?」
俺はこれまでの会話からそう推測し、花壇の痩せた土を見つめる紫倉さんへ確認をとった。
「はい。私一人の力で何とか出来ればよかったんですが……他の花壇の手入れや水やりがあって、この花壇を構ってあげられないままでしたので……。でも、シナガセさんたちが手伝って下さるなら、三人でなら何とかなりそうです!」
紫倉さんはこちらを振り返り、にっこりとほほ笑んだ。彼女の脳内にはもう、この十メートルほどの長さがある花壇いっぱいに、花が咲き綻ぶ風景が浮かんでいるに違いない。
「本当にありがとうございます! あ……モチロン、潔癖症を克服するというシナガセさんの目的も、忘れてはいませんのでっ。頑張りましょうね」
紫倉さんはメラメラとやる気を燃やし、胸の前で小さな拳をぐっと握った。
頼りにされても役に立てる自信は米粒ほどもないが、彼女の花開くような笑顔を見て先ほどまでの憂愁が薄れる俺は……男として、まあ、なかなか単純なのかもしれない。
「で、この花壇に、何を植えるんだ?」
「花壇って言ったらパンジーとかが定番だけど、あれって秋に植えるんでしょ? 今日からもう六月だしねぇ……」
俺と羽柴は紫倉さんの返事を待つ。
紫倉さんは、「それなんですが……」と記念館の方へ視線をやった。
「この時期に種を蒔いても間に合う、百日草にしようかと……」
ヒャクニチソウがどんな花なのかはさっぱりだったが、何となく嫌な予感を覚えた俺は曇天の空をあおいだ。
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