第7話潔癖男子の友人

「羽柴!?」


「ハシバさん?」


 俺と紫倉さんの声が重なって、閑散とした踊り場にハーモニーを奏でる。


 踊り場へ続く階段には、いつの間にか羽柴が湧いて出ていて、高い位置にいる俺と紫倉さんを見上げながらへらへらと笑っていた。


「お前が何でここに……」


「二人がこっちに向かったって女の子たちに聞いてさー。そーちゃん声でかいんだもん、すぐ居場所分かっちゃった」


 語尾にハートマークでも付きそうな調子で言った羽柴は、二段飛ばしで踊り場まで上ってくると、馴れ馴れしく紫倉さんの隣に立った。


「おい羽柴、紫倉さんから今すぐ離れろ。お前の卑猥な菌に紫倉さんが感染したらどうしてくれる」


 青筋を立てる俺を挑発するように「えー」と焦らす羽柴。


 その無駄に色気を放つ顔面へ除菌スプレーを吹きかけてやりたいところだったが、紫倉さんがマイペースに


「おはようございます」


 と挨拶しているのを見て、彼女が立ち去った後に羽柴の顔面を血が出るまで除菌シートで拭いてやろうと固く誓った。


 というか……。


「二人は知り合いなのか」


 俺が不機嫌を隠さずに問うと、羽柴は


「昨日、そーちゃんが失神した件で仲良くなったんだよ」


 と思い出したくもないことをむかつく笑顔でのたまった。


「まあそんなことはどうでもよくて。聞いてたよー? そーちゃん。勝手に納得して、勝手にもう関わらないなんて、紫倉ちゃんの感情を無視して話進めちゃダメだよ―」


「ホントは仲良くしたいくせにさ」と続けた羽柴を、俺は親の仇を見るような目で睨んだ。


「お前は関係ない。熱湯で消毒されたくなかったら、ちょっと黙っていろ羽柴」


 俺がどすの利いた声で言い捨てるそばで、紫倉さんは「あの」と声を上げた。


「本当ですか? あの、シナガセさん、私と、な、仲良くしたいと、思ってくれてますか?」


 胸の前で祈るように手を組んだ紫倉さんは、眩しいくらい期待に満ちた顔を俺へ向けた。

 無垢な笑顔を向けられた俺は、ぐっと詰まる。


 そりゃ、俺は紫倉さんに好意を抱いているのだから、親しくなりたいに決まっている。決まっているのだが……。


 昨日、羽柴に「紫倉さんのことは諦める」と言ってしまった手前、彼女に何と返したらいいのか……。まさか、仲良くしたくないなんて嘘をつくなど、出来るはずもないし……。


 俺は紫倉さんの隣でニヤニヤこちらの様子をうかがう羽柴へ、ちらりと目線をやった。


 嫌な笑い方をして……羽柴の奴、俺の心中を看破しているな……。


 黙りこむ俺に痺れを切らしたのか、紫倉さんはスカートを揺らしながら一歩つめ寄ってきた。


「あ、あの……っ。もし、もしシナガセさんがごメーワクでなければ、わ、私と友だちになって下さいませんか……?」


「……は?」


「だ、ダメ、ですか?」


 肩を落とし、紫倉さんは見るからに意気消沈する。俺は紫倉さんの見えないウサギの耳が垂れていくような錯覚を受けた。


「お恥ずかしながら、私、いつも土いじりばかりしているせいか友だちが少なくて……だから、シナガセさんさえ良ければ、お友だちになってくれたらって……思ったんですけど……」


「俺と、友だちに……?」


 半信半疑で尋ねる俺へ、紫倉さんはシュンとしたまま頷いてみせた。


「…………」


 願ってもない申し出だが、安易に返事は出来なかった。理由は単純明快だ。潔癖症の俺に、まともな交友関係が築けるとは思えない。


 しかし俺が何かを発する前に、


「いーじゃんいーじゃん! 友だち!」


 と第三者の羽柴が愉快そうに手を打った。


「あ、でもクラス違うと関わり少ないか。んー、じゃあこういうのはどう? そーちゃんの潔癖症のリハビリもかねて、放課後、園芸委員の紫倉さんのお手伝いするとか」


「な……っ。羽柴!?」


 羽柴の強引で勝手な提案に、俺は閉口した。そんな俺とは対照的に、紫倉さんは大きな瞳をキラキラさせる。


「本当ですか!? それはとてもステキです。嬉しいです!」


 え? いいのか? そこは言葉を濁しながら、丁重にお断りするところだろう紫倉さん!


 流れるような展開の早さに口を挟めないでいた俺は、これ以上勝手に話が進む前にと、ラテックスをはめた手で羽柴の腕を引っぱった。


「羽柴、どういうつもりだ」


 俺は紫倉さんに聞こえないよう声のボリュームを絞り、ほとんど唇を動かさずに羽柴を問いつめた。


 しかし羽柴はひらひらと気楽そうに手を振り


「いいじゃん。これで紫倉さんと一緒にいられる口実が出来たでしょ」


 と、やはり俺と同様、内緒話をするように言った。


「いや、お、俺は紫倉さんのことを諦めると……」


「未練たらたらって顔しといて、どの口がいうのさ」


 羽柴は呆れたように言った。


「そーちゃんは潔癖症に引け目を感じてるみたいだけど、だったらなおさら、園芸の手伝いをすべきだよ。手伝いをすることで潔癖症を克服出来れば、自信を持って紫倉さんにアタック出来るし、手伝いを通して距離も縮まる。まあマジメな話……」


 それまでチャラついていた羽柴の表情が、急に真剣みを帯びた。


「そーちゃんの初恋が実るかどうかは別にしても、これは潔癖症を克服するチャンスだと思うんだよね。きっかけがないと頑張れないと思うし」


「きっかけ……」


 俺は噛みしめるように繰り返した。


 確かに、好きな子に近づくという目標があれば、潔癖症を克服するために努力する気も起きて、一石二鳥なのかもしれない。何だかんだ言って、俺自身が紫倉さんともっと一緒にいたいと思っている部分もある。


 それに……俺ももう高二だ。今は学生だから許容されていることも、社会に出れば「潔癖症だから」なんて理由は通じないだろう。このまま女性にもろくに触れられないなら、結婚だって夢のまた夢。


 ……それは嫌だから、潔癖症を治したいとは、常々思っていた。


 何より、俺が潔癖症を克服出来れば、紫倉さんにいらぬ勘違いをさせてしまったような、誤解や不快感を他人に与えずに済む……。


 それらのことを考えると、羽柴の提案はとても魅力的に感じられた。


 俺たちの会話を知らない紫倉さんが、黒真珠の瞳を輝かせて言った。


「園芸の仕事のお手伝いをしていただけるのはとても助かりますし、微力ながらでも、潔癖症克服の助けになれるなら、嬉しいですっ」


「うんうん。ね、双方にメリットもあるし、いい案だと思うんだけど?」


 得たり顔で羽柴がうながす。


 得意げな羽柴に対し若干の苛立ちを覚えるものの、俺は「紫倉さんがそう言ってくれるなら……」と思い、頭を下げた。


「……分かった。友人が増えるのは、俺も嬉しい」


 出来れば友人以上の関係を希望したいが、とは口に出さず、胸の内にそっとしまっておく。一日二日で友人に昇格しただけでも、まずまずの出だしだろう。


「これからよろしく頼む」


「……っはい!」


 元気いっぱい言った紫倉さんは、メレンゲのようにふんわりと笑った。そんな彼女に、俺は胸が温かい湯で満たされたような気分になる。


 しかしそんな心地は――――……


「どうしましょうか、今日の放課後から、早速始めますか?」


 という彼女の一言によって、手のひらに舞い降りた雪のごとく溶けていってしまった。


「そ、そんないきなり……っ!?」


 俺は狼狽して一歩下がった。


 紫倉さんと一緒にいられるのは嬉しいし、潔癖症を克服して紫倉さんと人並みに交際したいという願望はある。だが……。


 園芸ということはつまり、苗を植えかえたりするんだろう? お、俺には土に触る覚悟というものがまだ――――……。


「あ」


「どうされました?」


 間の抜けた声を出した俺に、紫倉さんはさらりと髪を揺らしながら小首を傾げた。


 不思議そうな表情も可愛いんだな……ではなくて。


「ああ、いや、悪いが、今日は無理だ」


「ええー。そーちゃん逃げるのー? 怖気づいちゃった? ……っぶ!」


 戯言をほざく羽柴にはとりあえず除菌スプレーをお見舞いしてやり、紫倉さんに事情を説明する。


「今日は四時頃に荷物が届く予定だから、早く帰宅しないといけないんだ」


「そうでしたか。それでは明日からにしましょう」


 紫倉さんは納得した様子で頷き、ほわり、とタンポポの綿毛のように微笑んだ。


「これからよろしくお願いしますね、シナガセさん」


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