第23話 咎める者はなし
──ユシカが笑った。
──ユシカが泣いた。
──ユシカが怒った。
そうやって様々な表情を見せてくれた彼女はもうこの世にいない。
ユシカが生まれた時、家内を失った。
大事な者の命と引き換えに生まれた命。それがユシカだった。
愛想はよいと決していえるようなものではなく親として不十分な私に育てられた子供は、一体どんな大人に育つのだろうと危惧したこともあった。にも関わらず、ユシカは良い子供だった。
粗相も働かず、私のために尽くしてくれた。妻が死んだのは自分のせいなのだと言って、つい制止の声をかけてしまうほどユシカは身を粉にして私のために尽くしてくれた。
しかし、魔王が支配する時代の終わりとともに、ユシカは変わった。私のためだけではなく、街の人間のためにも尽くすようになった。自らを消耗させるが如く。
大人になったといえばそうなのかもしれない。実際、すでに子どもと言えるほど幼くはなく、見た目も十分に成熟した女性となっていた。
そしてそれと時を同じくして、ユシカは私に愛情を示すことはなくなった。
暗黒の時代の終わり、大陸中を旅する人間は激減した。もともとそれらの人間を狙っていた山賊や盗賊の類は得物を失い、街を直接襲うようになった。それはマルステンも例外ではなく、被害をうけることも少なくなかった。
人々は毎日のように旅人が訪れ、情報や物資の行き交う街だった頃のマルステンからの変貌にショックを受けた。商業街であったが故、それら賊の暴力に対向する手段を持つ人間は少なかったのだ。
そんな時、街の人間を励まし続けたのがユシカだった。
彼女の愛は人々の心の傷を癒し、救いを与えた。しかし、それは私への愛情を犠牲にしたものだった。
日に日に減っていく会話、そしてアテルカからの許嫁の話。
精神をすり減らす日々。救いを求めた先は、薬と酒だった。
おかしくなり始めていた実感はあった。それ以上に私は苦しみを感じていた。変わっていく日々を、止められない時間を憎むようになっていた。そうして、いつしか自分の中で全てが歪み、救いを求める先、ユシカを手に掛けたのだ。
そして、その罪から逃げるように人を殺める日々。
それはもはや、到底許されるようなことではなかった。
「やはり、私が……弱かったのだな……」
上半身を起こしたジーダは歳に見合わない弱音を吐きだす。胸元の首飾りを手に平に乗せて、震える声で言った。
すぐそこで自分の屋敷が炎で巻かれているという状況であるにもかかわらず、ジーダの反応は至って冷静なものだった。その様子は覚悟とも、あきらめとも取れる感情だった。
それを気付かされた相手が、見覚えもない小僧だということが癪だった。そして首飾りをなぜあの小僧が持っていたかも謎だ。しかし、問題はそこじゃない。
「ムーンストーン……永遠の愛、か」
ジーダはユシカへと送ったその首飾りを見つめてこぼす。
まるで家内にでも送るような重苦しい言葉だ、と小さく笑ってみる。それがいかに虚しい事か、自分自身わからないわけでもなかった。
愛ゆえに首飾りを送った相手を、愛ゆえに殺し、そしてまた別の人間の愛ゆえにそれは手元に戻ってきた。
これが笑わずにいられるか。無理な話だ。
鼻で笑って、ムーンストーンの首飾りを弄ぶ。
「…………っ!?」
薄い笑い混じりにその首飾りに付いた宝石を裏返したところで唐突に息が詰まった。
心臓が突然萎縮してしまったかのような息苦しさと、激しい動悸。数多くの年齢を重ねて入るが、その体は至って健康そのもの。持病など一切持たないジーダにとって、不可解な出来事だ。
多分、それは切なさというものだった。
ガラに合わない嗚咽が漏れるもの構わず、ジーダは瞳から雫が溢れるのを止めようともしない。堪えようにも肩が打ち震えた。
「ユシカ……っ! 本当に、本当に……すまなかった……っ!」
青いムーンストーンがはめ込まれた首飾りのその後ろ。
それは、傷だった。本来その宝石にはあるはずのない──鋭利な物で無理やり刻み込まれたような傷。
それは──。
まだユシカが幼かった頃。
『今日はユシカにプレゼントがあるんだ。ほら、これだ』
『わぁ! ありがとう、パパ!』
『? 何をしているんだい?』
『無くさないようにね。名前を書いてるの』
『うれしいね』
『うん。私、ずーっと大事にするよ!』
そう、疑いようもなくあの時ユシカが直接刻みつけた傷跡だった。
そしてユシカの亡骸には、ムーンストーンの首飾りは見当たらなかった。なくしてしまったのだと、自分への愛などその程度なのだと、勝手に見限ってしまっていた。
しかしその答えも、手に持った宝石の裏に同時に存在していた。
──さようなら、愛してる。と、一言だけ。
「知っていたさ! 知っていた……! 『愛してる』など……」
ユシカは全て悟っていたのだ。
自分がいつか殺されるのだろうという事も、自分の行動が父に負担をかけていたのだということも。アテルカ家の事、街の住人の事。その全てを。
ジーダの胸に募るのは後悔の感情。過ちを過ちと認めざるをえない絶望感だった。
過ぎた時は戻らない。犯した罪は決して消えることなどない。
首飾りを抱えてうずくまるジーダの背を、未だ勢いを失う様子のない炎が落とす影が、まるでその罪を咎めるかのようにゆらゆらといつまでも揺れていた。
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