第21話 待ちわびる邂逅の夜
夜風が肌を突き刺す。
全身を寒気が多い、体を震わせた。
止めた魔導車の横には少女が控えている。心残りがあるのか、不安げな表情を顔に貼り付けたまま立ち尽くしていた。
「うまくいっているのなら、そろそろ脱出している頃か……」
少女──マオは白い息を吐きながら言った。
マルステンの外の街道は明かりもなく人通りもない。時折聞こえる獣達の鳴き声が不安を煽った。
「心配していてもしょうがないか」
マルステンの街を囲う城壁を見上げて呟く。
思えばいつからこんなに人のことを考えるようになったのだろうか。人はそれを思いやりだとか優しさだとか言うらしい。
それは、魔王として生きていた頃にはなかった感情だ。
いや、違うか。勇者と出会い、教えてもらったものだ。
「…………」
再び心細い感情に包まれるマオ。
これじゃあ堂々巡りだ。何故か笑ってしまっていた。
我ながらおかしなものだ。まるで人のように喜怒哀楽を示すなんて。
「あのー……、あなたが魔王様でしょうか?」
「────ッ!?」
ポン、と肩に触れられると同時に後方からかけられた図星な問いかけに、おもわず血の気を失いうろたえるマオ。
自分が何者かバレてはいけない。目的を果たすまで。
マオはそう自分に言い聞かせ、その容姿に見合ったあどけない表情を浮かべて振り返った。
動きやすそうな白い防具に白いマント。そして着込んだ防具に似合わない幼さを残した顔。背はユーマと同じくらいだ。
性別は、顔や声が妙に中性的で判別が難しいが、防具の形状からして男に違いない。剣は右腰にあり、右手で松明を持っているところからすると、利き手はおそらく左か。
マオは、自分に声を掛けた青年の特徴を一目で見抜いていた。
「えっと……、やっぱり違うよね。そうだよね。アハハ……」
手を後頭部に当て、反省したように青年は笑った。
これだけ見ていれば、青年はまるでおっちょこちょいな剣士か何かのようにみえるかもしれない。だが仮に剣士だということが本当だったとしても、この青年は決しておっちょこちょいなどではない確信を、マオは感じていた。
物思いに耽っていたといえ、もしも何かがあった時のために常に周囲を警戒していたマオが、こんなにも急接近を、ましてや松明という光源を手にした人間に背後を許すことなどありえない。
それにこの青年は一人きりだ。青年が歩いてきたと思しき街道の先を見ても、明かり一つ、魔導車の影すら見えない。歩いて近づいてきたとして、気配を、あまつさえ光すらも消して近づけるわけがないのだ。
可能性があるとすれば、瞬間移動か、マオの頭上──木々を無音で渡ってきたかのどちらかに絞られた。
「お父さんか、お母さんを待っているのかな? マルステンの中にいるなら探してこようか? それとも旅の仲間でも待っていたりするの? こんな夜中に、一体仲間はどこでなにをしているんだろうね。……と、まあ冗談冗談」
冗談を仄めかすように再び笑って青年は言った。
その言葉に人知れず心臓が飛び跳ねそうになるマオ。
この場で殺してしまおうか、と考えて思いとどまった。
今の自分はあの時の──魔王として君臨していた頃の完全な自分ではない。勇者との約束で生かされた命、無駄には出来ない。
それに青年の技量が読めない今、力の衰えた状態で挑むのはかえって危険だった。
「お、みんな来たみたいだね」
青年は振り返って彼方先の街道を見やった。
それにつられマオも青年の視線を追う。と、
「うわっ!」
目の前の新たな人影と頭をぶつけそうな距離で視線が合い、思わずマオは驚きの声を上げた。
「む~、ジーシー驚かしたー?」
「突然現れたら驚くよ、そりゃ」
尻餅をついたマオに、おそらくジーシーと自称している少女が手を差し伸べながら言う。青年はそのジーシーとやらと顔見知りのようで、マオのように狼狽すること無く彼女を諭していた。
「悪いことをした。ジーシーは謝る」
「う、うむ……」
ジーシーという少女の手を取り、立ち上がりながらマオは頷いた。
ジーシーと青年の背後数十メートル先には魔導車の明かりが見える。青年が『来た』と言っていたのは間違いなくアレのことだろう。
マオは目を細めてその魔導車を注意深く観察する。
ただの旅商人の魔導車なら何も問題はない。じゃまにならないよう道を開けてやり過ごすだけだ。
しかし、剣士の青年と、服装からしておそらく暗殺者であろうジーシーを連れる仲間とは一体どんな仕事をしているのか気になるところもあった。
特にこの青年、用心棒としてなら十分過ぎる腕前を持っているはずだ。
人を見た目で判断するなとはよく言うが、まさしくそれを思い知らされたといった感じだった。だがそれと同時に、用心棒に暗殺者を雇うのは一体どういう用件なのだろうという疑問も少なからずあった。
「……くっ」
その魔導車、そして青年、ジーシーの正体を大体把握し、唇を噛むマオ。
つまり全てはマオの理想であり幻想だ。
青年とジーシーがただの用心棒であって欲しいという事も、魔導車の彼らが商人であって欲しいということも、全て。
「こら、ディータ! ジーシー! 勝手に飛び出すなっていつも言ってるでしょう!」
「あはは、ごめんごめん」
「ジーシーはまた謝るのかー」
「やれやれ」
魔導車がマルステン街門前まで到着し、中から新たに少女と見上げるほどの大男が出てくる。
大男はディータと呼ばれた青年が着る防具と似た模様が刻まれた甲冑をガッシリと着込んでいた。
──王都騎士団。
大陸を統治する集団だ。
正義と騎士としての誇り、そして武力をもって大陸に平和をもたらすもの。
おそらく、本気で魔王の力を取り戻そうとする時、最も弊害となりうるもの。
そうユーマが言っていた。
もし今この瞬間、自分が復活した魔王だと彼らに知られたら、問答無用で斬り伏せられるに違いない。よくて捕獲されることだろう。例え捕獲されたとして、待ち受けるのは処刑か再封印という結末。
すなわち、それは死。
勇者との約束も果たすことはできず、そしてユーマも死ぬ。
そんなことは絶対にあってはならない。
「隊長、この子は?」
「その子、魔導車で待ちぼうけしているみたいなんだ。多分、両親か保護者を待っていると思うんだけど……」
「こんなに暗くちゃ心配ね」
少女が困り顔で言う。
武器を携帯しているようには見えない。魔術師か、とマオは理解した。
「ジーシーは早く街に入りたいー」
四人の中で最も小柄なジーシーがぼやいた。
マオにとってジーシーの言葉は非常に助かっていた。この窮地、最もよい解決法は彼ら四人が黙ってこの場を通りすぎてくれることだったからだ。
しかし、そのためには自分から彼らの注意を逸らし、かつ、彼らがすぐにでも駆け付けなければいけないような事態が今すぐ起きる必要がある。
「あーっ」
「何? 煙?」
「隊長、街で火の手が上がっているようです」
「えぇ!? 本当かい!?」
そう、例えば火事だ。
より多くの人に危害を加える可能性を持ち、さらに迅速な対応が求められる火事。
「……か、火事?」
四人につられてマオもマルステンの外壁を見上げる。
周囲が暗がりであることも起因して、モクモクと上がる黒煙と火の粉が視界に写った。
「わー、ジーシーはどうしよー」
「どうするもなにも、行かなきゃ駄目でしょう」
「被害が増える前に、向かったほうが良さそうですね」
ジーシー、少女、大男の三人はそれぞれ火事の様子を見つけるやいなや、すぐさま街門をくぐり街の中へとかけ出した。
心地良い正義感だ、とマオは率直に感じた。
「あ、みんな待ってよ!」
置いてけぼりにされたディータは三人の背を追って走りだす。
急なアクシデントのお陰で救われた思いのマオがホッと息を吐いた途端、ディータは突然足を止め、振り返って言った。
「またね。魔王様」
「────ッ!?」
それだけ告げて、ディータは街の闇へと消える。
マオは背筋の寒気を感じていた。
闇の奥底からじっと見つめられているような、そんな悪寒。
「何者なんだ……あやつ」
今までの優しそうな雰囲気がごっそりと抜け落ちたようなディータの目に、何か不穏な空気を予感して、マオはグッと歯を噛み締めた。
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