第9話 街の闇

 長い間魔導車に揺られ、日はいつの間にか落ち始めていた。橙色のぬくもりが、荷台で横になるユーマを包み込む。

 まどろみに目を開けて、寝てばかりだと自分で笑いながら思った。

 体を起こす。

 荷台の後ろでは鼻歌を歌うエミリア。前には魔導車を操縦するマオの姿があった。

「来ちまったな。……マルステン」

 マオの背の更に先、見える街の塀をみて呟いた。

「わっ、マルステン! なつかしー!」

 エミリアは荷台の後ろから進行方向先を見て、嬉しそうな声を出す。

 ユーマは大きく伸びをして、背筋をしゃっきりとさせる。脇に抱えた剣を持ち直して魔導車から飛び降りた。

「やっふー!」

 続けて、楽しそうな歓声を上げながらエミリアが着地する。と、すぐに魔導車はその形を煙に巻いて消滅し、小さな箱に変化してマオの手に乗った。

「やれやれ、やっと着いたな」

 そして最後に、小柄なマオが地に降り立った。

 塀の外から街の中へ入るには、門をくぐる必要がある。

 外敵からの攻撃に鉄壁の守りを有する外壁。

 それは栄えた町である特権──のはずだった。

「……これがマルステン?」

 門をくぐり、マルステンの現状を目の当たりにしたマオは不用意にもうめいた。

 土地の現状というものは大体一目見ればわかる。

 第一に、その街並みだ。栄えている街なら、その景色は色彩豊かなものとなるだろう。敷地の中は大抵美しいものであることが多い。

 第二に、治安だ。人の心は環境に大きく左右される。良い環境ならば、人はそれに合わせるように気高く、高貴を目指すようになるものだ。その逆なら、人の心は荒れる。そして、犯罪が横行するようになるのだ。

 マオの見たマルステンは──、その最悪な例に該当していた。

「これがマルステンだ。……マオ」

 横並びでマルステンの街に立ち尽くしながらユーマは言う。

 こうであることを知っていた──あるいは予想していたような口ぶりだ。

「ま、立ち話も何だし、宿屋へ行こうぜ。幸い、ここから近い」

 先導して歩くユーマ。あえてなのだろうか、道の真中をあるくユーマの姿は少し奇妙でもあった。

「懐かしいなぁ! ルキ先生いるかなぁ!」

「あんまさわいで注目を浴びるな。めんどうだから」

 声を大にしてはしゃぐエミリアをユーマは止めた。ボロ布を纏った──おそらくこの街の住人──は皆、決められた通り道であるかのように端を歩いて行く。道のど真ん中をあるいているのはユーマ達だけだ。そしてその様子を寝珠しげに、恨めしげに見つめる街の住人は、どれも死んだ目をしていた。

 ──トン。

「ん?」

 前を歩くユーマに、一人の子供がぶつかる。よろよろと歩いていたところからすると、病人か怪我人なのだろうか。髪は無為に伸び放題だ。着衣もホコリやら垢やフケで汚れ放題になっていた。

「ご、ごめんなさい……」

「あぁ、大丈夫だ」

 ぶつかった少年は一歩下がってペコリと頭を下げる。ユーマはうっすらと笑い、片手を出して少年をたしなめた。

 少年が振り返り、その場を立ち去ろうとした時、

「……ひッ!?」

 少年の上ずった声が通りに響いた。

「…………」

 それもそのはず。振り返りざま、突如剣の切っ先を首元に押し当てられたなら、だれだって驚くものだ。例え剣を突きつけられたのがユーマだったとしても。

 むしろ、恐怖で失神しなかったことのほうが評価できるとも言えた。

 だからこそ、不意打ちは怖いのだ。

「やめとけ。エミィ」

「…………」

「ひっ……ひぃ……」

 少年に続き、今度はエミリアに静止の手を突き出す。

 エミリアは無言で視線を返して寄越した。多分、止めるのが一秒、いや、コンマ一秒でも遅ければ、少年の首は宙を舞っていたことだろう。

 残酷な話だが、それはそれで通りにいる人間のいい食料となるかもしれないが、今はそういう話ではない。

「『大丈夫』と言ったのはそのことだ」

「…………」

 エミリアは言葉を発さない。

 暗殺者は言葉を発さない。

 それすら雑音と捉えるのが、エミリアの師、ルキの教えだった。

 昔なじみという事もあり、エミリアの言いたいことはわかる。が、ここで人殺しをして周囲から浮いた視線を向けられること何としても避けたかった。

「何かあったのか?」

 マオは歩みを止めたユーマの背からひょっこりと顔を出して言う。

 マオはすぐに緊迫した状況を理解して黙り込んだ。

「……行け」

 エミリアの小剣を既出抑えつつ、少年に言うユーマ。

 少年は恐怖の表情を顔に貼り付けたまま、ゆっくりと後退りする。

「…………」

 もう一度ユーマが無言で告げる。

「あ……あっ……」

 少年は感情を押し殺した顔で一目散に走り去った。

 マオは通りをうろつく人達の目が、自分たちでなく少年の背を追いかけていることに気づいていた。そして暗殺者から少女に戻ったエミリアが口を開いた。

「ユーマ! どうしてあの子を行かせたの!?」

「…………?」

 エミリアの言うことが理解できず、マオは首をかしげる。

 無理もない。おおよそ優秀な目を持っていたとしても、先程の一部始終を捉えることは難しいくらいだ。要するに、マオにはそういった事態に対する予測と気構えが足らなかったということだった。

「ユーマの財布、盗られたでしょ」

「そ、そうなのか!?」

「スらせてやったんだ」

 宿屋に向かって再び歩き出したユーマをエミリアが問い詰める。マオはそこで初めてユーマが財布を取られた事実を知って驚き、ユーマは負け惜しみに似た言葉を吐いた。

「エミィ。大体お前、あのガキを殺すつもりで抜いただろ」

「もちろん。悪い子には痛い目見てもらわないと、更生しないよ?」

「死んだら更生もクソもねえだろ」

 ユーマは吐き捨てるように言う。

 マオはあまりこちらの会話に口を挟むこと無く、二人の会話に干渉しないようにしているのか、見慣れない街の風景をキョロキョロと見回していた。

「ま、カタは俺がつけるさ」

「…………?」

 が、ユーマが小さく呟いた一言をマオは聞き逃さなかった。

「さ、ここが宿屋だ」

「ここが……宿屋?」

「あんま珍しくもないだろ」

「マオ、どうかしたの?」

「いや、はは……」

 マオがからからな笑い声を漏らしたのは、到着が予想外に早かった──からなどでは決してない。つまり、マルステンの宿屋がその名を関するにふさわしくないほどボロボロだったためだ。

 ユーマとエミリアにはそれが普通なのだろう。これといった抵抗はみせない。

「ま、いい。入ろうぜ」

「うん。ベッドもあるしね」

 二人はズンズンと家屋に入っていく。

「お、おい!」

 置いていかれたマオは慌てて宿屋の中へと駆け込んだ。

 宿屋の主人は思ったよりも手際が良く、ユーマ達の背格好からすぐに旅の人間だと判断したようだ。ユーマはエミリアから金貨を受け取り、人数分の料金を受付に置く。

 コレが習わしか、とマオは一人頷いてユーマ達の背を追った。

「ここが部屋だ」

「ども」

「ありがと、おじさん!」

「世話になる」

 二階の部屋まで案内され、宿屋の主人に小さく会釈してから中に入るユーマ。

 それに続いてエミリア、マオが部屋へと入った。

 扉を閉め、店主は無言で去る。

「さて」

 部屋に入って早々、適当な椅子に腰掛けたユーマが口火を切った。

「ここまで見てきた通り、マルステンの街は荒廃している」

 おさらいとばかりに言うユーマ。エミリアは話を小耳にはさみながら、部屋のあちこちを物色している。マオはベッドの縁で体を休めながら聞いた。

「ユシカが死んで、俺と姉貴がここを出た後、マルステンはこうなった。盗み、強盗、殺し──。何でもありだ。人としての誇りを捨てちゃあいるが、ここの人間は生きるのに必死なんだ。今は大目に見てくれ」

 特にエミリア、と小さく後付けしてユーマは言う。

 エミリアは切り替えが早すぎる。マルステンに長く住んでいたことがあるはずなのに、彼女の容赦の無さは恐ろしいものだった。

「ん? “今”は?」

 マオはユーマの発言に引っかかりを覚えて食い下がった。

「俺も短い間であれ、ここで世話になったんだ。ちょっとしたケジメだよ」

「う……ん?」

「ま、気にする必要はないな」

 あまり納得できなかったようで首を傾げるマオ。

 ユーマはそれ以上の無用な説明を避け、話を続けた。

「それで、あの手紙には『マルステンに行け』と書いてあったんだろ? 何か感じたりはしなかったか? 元々お前の一部だったんだろ?」

「うむ……。もちろん──と言いたいところなのだが、さっぱりその筋は感じなかった」

「そうか。……でもまぁわざわざ手紙に書くくらいだ。数日滞在してみて様子を見るしかないな」

 ユーマはあっけらかんと言う。

 マオは少々落胆気味だが、そこには涙を飲んでもらうしかない。ユーマにはどうしてもマルステンでやっておきたいことがあった。

 それは、


 ──ユシカを殺した奴を見つけ出す。


 実はユーマは、その犯人の名を知っていた。

 それだけでなく姿、容姿、その人の立場ですらも。

 全てはあの事件の日、姉から教えてもらったことだ。当時のユーマには何故姉がそれを知っているのかなど興味はなく、ただ、知識として理解しただけだった。

 それを含め、事件自体もう何年の前の話だ。犯人はとっくにマルステンを出てどこか遠いところでのうのうと暮らしているかもしれない。

 だが、ユーマは諦めきれていなかった。

「うん。特に怪しいものはなかったよ」

「おう、おつかれ」

 エミリアが室内装飾やら収納やらを全て物色し終わり、マオの隣に座る。ユーマは備え付けられた蛇口からコップに水を注ぎ、一口飲んでからエミリアに手渡した。

「ユーマと関節キスだ!」

「バカ。毒見だ。変な解釈を起こすな」

 嬉々としてコップを受け取るエミリアに対し、喚くユーマ。

 横から見ていたマオも、何故ユーマが一度水を飲んだのかわからず、つられて内心胸騒ぎを覚える。献身的などこか見覚えのある動作に、マオの胸はざわついていた。

「魔王とあろう者が……」

 脆弱な己の体を呪い、ため息混じりにマオは呟く。

「────ッ」

 突如、突き刺すような痛みがマオの頭を襲い、思わず歯を噛み締める。視界が揺れ、ユーマの顔が醜く歪んでいく。平衡感覚が失われ、自分の足が地についているのかすらわからなくなる混乱状態に陥る。

 やがて景色が明滅し、そこは──。


『ね、約束して欲しいの』

 マオの目の前には、忘れもしない──約束の人の体があった。白い光の世界で一人、立ち尽くしこちらを伺っている。

「────。……?」

 その名を呼ぼうとして、マオは口を開く。だが、声は出なかった。どれだけ喉を震わせようと、空気がかすれる音すら出てこない。

 名前を呼ぶことができなかった。

『あなたが再び目覚めた時、きっと私はもういない。だから、あなたにお願いするの』

 その女性の顔は逆光ではっきりと見えない。

 シルエットでわかるのは、彼女が二本の剣を腰に掛けているということだった。

「────、────!」

 マオは再び彼女の名を叫ぶ。

 が、それを虚しく口を開閉するだけにとどまってしまう。

『世界を救うのは、私じゃなく、あなた。あとは任せるわ。自分勝手な私を、許して──』

「待ってくれ!」

 光の女性は、目尻から涙を溢れさせる。こぼれ落ちた涙が逆光に照らされて眩しく輝き、女性は光の中へと吸い込まれた。

 そして、光の世界は終わる。


「────はッ!?」

 目が覚めて、始めて自分が意識を失っていたことに気付く。上半身を起こしたマオには、布が被せられ、辺りはすっかり真っ暗になっていた。

「ユーマぁ……むにゃむにゃ」

 隣にエミリアの寝顔がある。呑気な寝言が、どれほど無防備を晒しているかを表しているようだ。それはつまり、自分がそれだけ信頼に値する人物なのだと──エミリアの中でそのような位置づけになったのかと思うと、自然に笑みがこぼれていた。

「しかし──」

 ユーマの姿が見当たらない。こういう時、明日のために、と言って真っ先に寝床に入るはずのユーマが、その場に不在だった。

 マオはエミリアを起こさないようにそっとベッドから這い出る。月明かりが差し込む窓際に立って、火照った体を冷ました。

「まさか、魔王である私が人であるこやつらに大きな隙を見せるとはな」

 人間──ユーマとエミリアの目の前で気絶したとあれば、魔王という身分、その場で命を奪われることもおかしくはなかった。それが例えユーマ自身の命を失うことだとしても、だ。

 自嘲気味に呟いて思いを馳せる。まだ魔王の座をほしいままに弄び暮らしていた時のことを。

 ただ自由に生きていただけ。ただ楽しく生きていただけ。

 命を狙いに来る者はいくらでもやってきた。魔王とは呼ばれていても、有限の命。自らを守るために他の生命を刈り取る。こうして当たり前の事をしてきただけだ。いつしか魔王は、その魔王たる悪名を大陸全土に轟かせていた。

 そして、勇気ある者に敗北し、封印され……そして復活し、ここにいる。

 数奇な運命だ、とマオは再び笑った。

「しばらく、月でも見ていよう」

 空高くのぼり煌々と輝く月を見上げ、少しの肌寒さを身に刻みつけながら、マオは静かに言った。

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