第7話 魔王と剣
「今日も張り切って行ってみよー!」
「元気なこった」
「騒がしいのは嫌いではないぞ」
マオの出した魔導車に揺られ、三人はマルステンへの旅路を進んでいた。
魔王が一度封印される前、冒険者達が踏み固めていった道の手前、魔導車はとくにトラブルにも見舞われず、比較的快適な旅行気分を味わうことができていた。
その冒険者達が死に物狂いで命を狙った魔王と共に旅をしているのだから、なんとも不思議な気分であった。
「にしてもここいらは本当になにもないよな。マルステン、キントの村……あとは山、山、山。山しかねぇ」
何十年も暮らしてきた鬱憤をぶちまけるユーマ。
それを言うのは今更だ、と自嘲気味に笑いながら魔導車の小気味よい振動に身を任せていた。
「山もいいところだよ! 狩りが出来るし!」
「お前の言う狩りっていうのがどんな狩りなのか想像がつくわ」
「よくわかったね! うん、逃げた獲物を仕留める狩りだよ!」
「まだ何も言ってないし、それじゃあ答えになってない気もするが……」
ユーマはそこで口をつぐむ。
エミリアは不思議な感性を持っている。時に、それがチームにとって多大な被害をもたらす可能性があるものだと否定出来ないのが辛い。
彼女は自分に敵対心を抱くものを一方的に殺害しようとする傾向にある。それは師であるルキの教えの一つなのだが、どう考えても日常生活に支障をきたすものであるに違いない。他にも、その陽気な表情に隠した暗殺者としての顔だ。幼馴染であるユーマと共に行動している内は抑制出来ているようだが、離れた途端、何をするかわかったものではなかった。
そんなことを考えて、ユーマはため息をついた。
「幸運が逃げるぞ」
魔導車の操縦に集中しながら、マオが視線を変えずに言う。
「ため息で幸運が逃げるなら逃げてみろってんだ」
「あー……、ユーマ。幸運は逃げなかったかもしれないけど、不運が──来たかな」
「は?」
マオの言葉に対抗して返すと、エミリアから理解し難いで反応をもらう。エミリアのいう言葉の意味がわからず、つられて彼女の視線の先に目をやるとそこには、白い毛で体を覆われた獣達──。
「トロールか!」
トロールが興奮した様子でこちらを伺っていた。
トロールは、人に似た骨格を持つ獣だ。
しかし、その体に秘めた力は人間の比ではなく、人の腕を簡単に引きちぎってしまうほどもある。目立つ特徴としては、全身に体毛を生やし、長い手を持っていることが挙がる。トロールはその長い手を使って四つん這いで走ることにより、恐るべき走力を持っていた。
そしてトロールと出会った時には、更に注意すべきことがあった。
「数は?」
「十一……十二、十三……十四……」
「やっぱり群れか」
それは彼らが群れで行動する生き物だということだ。
人の規格を超えた力に、数よる戦力差。
前述のとおり、彼らは走行速度も速い。魔導車の全速でも振りきれるかどうかあやしいラインだった。
「マオ、振りきれないか?」
「無理だ。囲まれている。ヘタをすれば魔導車ごと破壊されるぞ」
「面倒だな……」
唇を噛むユーマ。
その表情に、どこか嬉々とした部分が含まれているのは、彼が心の片隅で戦うことを望んでいたからかもしれなかった。
『誰かのために剣を振るう』。それが今なのかもしれない。
舌なめずりをして笑った。
「仕方ねぇ……」
ユーマは魔導車の荷の上に乗る。
森からは怪しい眼光がいくつも覗いていた。
幸いなことは、ここが森だということ。多くの障害物があるここなら敵を撹乱させることは容易だ。
だが、それは逆に欠点でもある。
もしも戦闘中にユーマが木にでもぶつかり足が止まりでもしたら……すなわち、それは死を意味していた。
魔導車は速度を変えずに走り続ける。トロールの群れはそれに合わせるように、魔導車を囲んだまま周囲を移動していた。
「エミィ、アレ持ってるか?」
「もちろん」
気づかぬ間にユーマの横に立っていたエミリアに手を差し出す。答えるエミリアの声と共に、手には少しひんやりとした感覚が伝わってきた。
「すぐ追いつくから、エミィ。マオと魔導車を頼む」
「まかせて」
エミリアの返答を最後まで聞かず、一息でユーマは荷台から飛び降りた。
着地してすぐ、ユーマの上にはトロールの影が落ちてくる。
「────ッ!」
振り返りざま、背中に背負った剣を引き抜き、飛びかかってきたトロールに向けて突き出した。一瞬の強い抵抗と重みを感じて、すぐに肉を切り裂く反動が手に伝わる。
片刃の剣はあまり突き刺すという行為に向いていない。刃でない方の摩擦が高く、突くことおよび抜くことに強い抵抗があるからだった。
だが、厳しい鍛錬を積んだユーマにとって、それはもはや問題にすらならなかった。
「まずは……一つ」
剣がトロールの胸を貫き、その命を終わらせる。
刃から滴り流れる死の感触が、ユーマの昂った気分を落ち着かせた。
自分の腕に、胸を貫かれたトロールの重みが伝わる前に、剣を引き抜く。剣にこびりついた血を一度振り落として再び周囲に気を張り巡らせる。
仲間を殺されたことに怒り心頭な様子のトロール達は、地団駄を踏み、ユーマを威嚇する。
トロールの数は十。
エミリアの言っていたことが間違いないなら、四匹のトロールが魔導車を追っていったことになる。
「ちっ……やるしかねぇか」
舌打ちをして、剣を地面に突き刺す。
それは自暴自棄になったからではない。ユーマの戦い方だった。
ユーマの目的は、まずこの群れのボスを倒すことだ。
トロールのような獣を群れで動かすためには、統率者の存在が不可欠だ。あまり高い知能を持たないトロールに指揮を取るものが居なければ、頭に血が上ったトロールは仲間内で殺し合いをしてしまうハズだ。
「あいつか……」
ユーマの観察眼は、トロールのボスの居場所を容易に見つけ出していた。ひときわ目立つ巨大な体躯に、蓄えられた体毛。
ユーマはニヤリと笑ってエミリアから受け取ったモノ──魔石を取り出した。
魔石とは、一言で言えば『擬似ウィーツェルコア』だ。人の魔力を高純度の炭素鉱石に蓄積させたもので、これがあれば魔力素質の有無にかかわらず、ある程度の魔法の使用を可能にする。
剣に不自然にポッカリと空いた窪みに魔石を嵌めこみ、ユーマは剣に取り付けられたトリガーに指をかける。
狙うはトロールの親玉。
一瞬で決める。
タイミングを合わせたように、トロールは一斉に襲いかかってくる。
トロールの挙動と同時、ユーマの口からはたった一つの鍵詞《キーワード》が紡がれた。
「『イグニション』!」
* * *
「疾ッ!」
トロールの目にエミリアの小剣が突き刺さる。刃は骨の無い眼孔をえぐり、安々と脳へ達し、その組織を破壊する。
ぎゃあッ、とトロールが呻いて荷台から転げ落ちた。
「今ので全部か?」
「……うん。そうみたい」
エミリアは剣についた血と脂を丁寧に拭き取りながら答える。
追手に回ったトロールは全て片付けたはずだ。とすれば、残るはユーマのもとに残った数だけ。
マオは周囲の安全を確認すると、魔導車をジリジリと減速させた。
「あいつは無事だろうか……ハッ」
マオは無意識に自らの胸に手を当て、ユーマの心配をしていることに自分で驚き、あわてて手を隠した。
自分の行動に疑問を抱きながら、マオは考える。
何故、無意識にユーマのことを心配してしまったのか、彼女にはわけが分からなかった。
「大丈夫だよ。ユーマ、強いから──」
エミリアがあっけらかんと言いのけた瞬間、
──ズン。
激しい地鳴りと爆音が、マオとエミリアの乗る魔導車を揺らした。
「見て、木が……!」
その直後、森の一角に生えていた高木群が、まるで根本から切り落とされたかのように次々と折れていくのが見えた。
おくれて、その場から発せられたと思われる音が魔導車へと届く。
木々の破砕音の中に混ざったかすかな雑音を、エミリアは聞き逃さなかった。
「トロールの声。それと──剣の風切り音。……ユーマだ!」
「…………」
エミリアは大げさに飛び上がり、マオの肩を叩いてはしゃいでみせる。
数百メートルも離れた地でそれだけの音を聞き分けるエミリアの耳は異常を通り越し、異様とも取れる所業だったが、マオはそれに一切の興味も示さない。
ユーマの無事を喜ぶどころか、先ほどと打って変わって、マオは冷や汗を流して沈黙していた。
胸のざわめきの正体がわかった気がした。
「どうして、ここに『勇者の剣』が……。『
驚くべき聴力を持つエミリアだったが、マオのつぶやきを聞き取ることはできなかった。
走る集団に合わせ、切り倒した高木からの落ち葉が舞い、視界を悪くする。
トロールがその長い手を横薙ぎに振るい、落ち葉の群れが更に舞った。
「でぇえああッ!」
気合一閃。
刃はトロールの腕に深く食い込み、切り取る。
落ち葉がハラリと二分され、その後ろでまた一匹、トロールが倒れた。
目の先を見据える。残るトロールは二匹。ボスとその取り巻きだ。 取り巻きはもちろん、トロールのボスの体は今まで倒したトロールの二回りはでかい。
「ちぇっ、作戦失敗だ。最後に残りやがんの」
肩を上下に揺らし、激しい呼吸を繰り返しながら悪態をつくユーマ。
予想外だったトロールの強さに手こずった結果だった。
ユーマの剣は、本来片手での使用を勧められたものではない。片手でも諸手でも使えるように考えられた重量設計をしているものの、いささか片手では無理を感じる程度の大きさを持っているのだ。それを振るい続け、数体のトロールを斬った。なおかつ魔力による加速にも耐えなければならなかった。
剣を持つ右手の握力はとうに限界を超え、腕はプルプルと痙攣を始めていた。
しかし、だからといってここで背を向け逃げるわけにはいかない。ここでトロールを始末しなければ、さらなる群れを呼び出される可能性があった。
剣にはめ込んだ魔石の魔力容量もあと一吹かしが限界だった。
ユーマの剣は、ただの剣ではない。剣を打ったとある鍛冶師によって特殊な加工を施されたものだった。魔力の供給をうけ、爆発的な推進力を生み出す剣。
それがユーマの持つ──姉から譲り受けた剣の特徴だった。
(ラストチャンスは、あのデカブツに残す必要がある……。そのためには、取り巻きを先に倒したいが──)
次第に呼吸を整えていく中、ユーマが心中でそう考えていた。
トロールの外皮は人間の何倍も分厚い。今まで八体も斬り伏せることができたのは魔石による力の恩恵と、その刃自体の重み。そしてユーマの手入れがあったからだった。
だが、すでに剣は血と脂で切れ味を大幅に失っている。その上、疲労もたたってトロールを一刀両断とはいかなくなっていた。
そうこう考えている刹那、
「──かかった!」
取り巻きのトロールが一息の元、ユーマに飛びかかってきていた。
振り下ろされる爪を、刀身の脇──鎬を滑らせるように受け流す。その動作の延長で、トロールの手の平に一筋の傷口を作る。その手の平から拭き出た返り血を、浴びる直前に左手で受け、そのままトロールの顔面に浴びせかける。
「がぐあぁごおお!」
振り払って飛ばした血はトロールの目へと吸い込まれる。突如無防備な眼球に異物の混入を感じたトロールは悲鳴のような声をあげ、顔面を抑えてうずくまった。
「……はぁ……はぁ……」
とどめだ、とばかりに隙を晒した首に切っ先を押し付ける。
一瞬の駆け引きに精神をすり減らしたこともあり、体に疲労感が雪崩れ込む。緊張からの心拍数の上昇もあって、ユーマは肩を大きく上下させた。
覚悟を決め、剣を持った手に力を込めたその時、
「ぎぃああああ!」
「なっ──」
見かねたトロールのボスが一目散にユーマへと猛進していた。
ユーマは驚き一瞬動きを止める。ボスというものは傘下の者達への指示だけにとどまらず、生存し、子孫を残す事を優先させるのが獣の世界の掟だ。だからこの場合、ユーマにとって想定外の事象だった。どちらにせよ、トロールは全滅させる予定ではあったが。
「ちぃ!」
苦し紛れに舌打ちをして頭を回転させるユーマ。
今、剣を引けばトロールのボスへの攻撃を対処が出来る。だが、視界を再確保した目の前のトロールに手痛い反撃を食らうだろう。かといって、怯んだトロールの対処を先行させれば、ボスの攻撃を受け、最悪は即死もありえる。
二つに一つ。どちらも凶とでるならば──。
「『イグニション』!」
残った魔力を使いきり、ユーマはトリガーを握りしめ、鍵詞を高らかに読み上げた。
赤黒い魔力を纏って、剣が刃の方向へとてつもない推進力を発揮する。刃をあてがっていたトロールの首を早々に弾き飛ばした。
「右手に、力が……!」
握力の減衰した手では躍動を抑えきれず、剣はユーマを振り回すように暴れ回る。
嵐や、竜巻か何かのように風を切り殺意の渦を撒き散らす。
体が勢いに振り回され、足がもたつく。剣がユーマを軸に回転し、周囲の木々をなぎ倒していく。
この一吹かしで倒せなければユーマの負け=死が確定する。右手の握力が持たず、剣を手放してしまった場合もだ。
ユーマの死は、マオの死。
守るために振るった剣で誰かを死なせることなど許せるはずがない。
「────ッ!」
そして剣は突如──動きを止めた。
歯を食いしばっていなかったのなら、衝撃で舌を噛み切ってしまっていたかもしれない。
右手に持った剣に激しい抵抗を覚えて、ユーマが顔をあげる。
そこには、その胴体に深々と刃を食い込ませたトロールのボスの姿があった。
刃は胴のほとんどを寸断され、傷口からは血が滲み出て来た。
「ぐこ……が……」
うめくトロールのボス。
トロールのボスは驚いたように声を上げ、やがて悟ったように抵抗をやめる。
己の死期を悟ったのだろうか、そのまま後ろに倒れこんだ。
ユーマはトロールのボスが絶命したことを確認して、その体から剣を引き抜く。剣を一度振り、刃に付いた血を振り払った。
「ひでぇ目にあったぜ。で、二人はどこに行ったんだか」
トロール達の返り血を、さも汚いものかのように拭い取りながら、ユーマは戦闘で荒れた森から抜け出し街頭へと出る。
「はぁ……待つしかねぇか。疲れちまった」
ため息混じりに言って座り込む。
街道の側に生えた損傷の少ない木を選んで寄りかかり、力尽きたように静かにその目を閉じた。
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