第6話 マルステンと魔王

 随分と前に日が落ち、街頭も人の営みも感じられない森の中。

 パチパチと火を伴い、薪が燃える。

 火の周りには、横になって眠る少女と、その寝顔を見守る青年の姿があった。

「明日の昼には着くか……」

 動きやすそうな軽装に身を包んだ青年──ユーマは、その手に持った剣の手入れに精を出しながらボソリと呟いた。

 少女──マオの来訪、そして刺客の襲撃から一度の昼夜を超え、一行はマルステンへの旅路を進んでいた。

「まさか、あの『箱』が魔導車になるとは思いもしていなかったが、すげーもん持ってるよな。さすが魔王様だ」

 自分自身に語りかけるように言葉を口に出すユーマ。

 マルステンへの道のりをここまで短縮できたのは、間違いなく魔導車の存在があったからだ。

 魔導車とは、その名の通り魔法で駆動する乗り物の名前だ。大きさにもよるが、大きいものなら人が居住する空間を有するものもある。移動する小さな家と捉えたほうがわかりやすいだろう。主に富裕層が移動手段として用いることもあり、悪く言えば富と名声の象徴とも言える代物だった。

「まだ起きてたの? ユーマ」

「あぁ」

 どこからともなく流れてきた声に対し、ユーマは素っ気なく返す。

 木の葉が風に揺られ奏でる音に紛れ、いつの間にかエミリアが頭上に位置する木の枝の上から見下ろしていた。

 エミリアの戦装束の色は黒い。薄暗がりという色に紛れるために完全な黒とまではいかず、紺色に近かった。色使いの迷彩効果によってエミリアの気配は感じるにしろ、その姿をはっきりと発見することはかなわない。

「追手はまだないみたい」

 数メートルはあるだろう木の上から、エミリアが飛び降りて来て言う。普通なら衝撃で足や腰を痛めそうな高さからの降下だったが、エミリアは屁でもないような顔でそのまま焚き火の横に座った。

「マルステン、やっぱりまだダメなの?」

「…………」

 エミリアが焚き火の横で物憂げな顔でそっと呟く。

 それはユーマに対しての質問。だが、ユーマは即答することはできなかった。

 問には答えないまま、黙々と剣の手入れに精を出すユーマ。

 答えようにも、それにピッタリの答えが見つからなかった。

「……やっぱ、言いたくないこともあるよね。ごめんね、ユーマ」

「…………」

 エミリアは申し訳なさそうに悪びれ、立ち上がる。

「もうちょっとだけ、辺りを見回ってくる」

 嫌な空気を生み出してしまった事を悔いるようにそう言って、エミリアは再び風と消えた。

「くそっ!」

 苦虫を噛み潰したような表情のユーマは、いつの間にか剣の柄を思い切り握り締めていることに気づいた。個人的な感情が、集団の中で優先されるはずなどないと知っているからこその自己嫌悪だった。

「……随分と仏頂面じゃないか」

「マオ……」

 いつから起きていたのだろうか。

 上半身を起こしたマオは膝を抱えて座る。その瞳は、ゆらゆらと揺れる焚き火の炎が反射して輝いていた。

「私の依頼は、心に影を落としたままこなせるようなものだとは思っていない。お前がそのしこりを胸に抱いたまま戦えば死ぬ。決して自分の死が怖いわけではない。一度、もう……経験したことだからな。だが、私も善意でお前を助けた。できるならば、お前には死んで欲しくはない」

 思い出を語りだすように、ゆったりと優しい声で話すマオ。

 数多くの経験をしてきた魔王だからこそ、全てを達観した言葉を紡げるのかもしれない。

 純粋な気持ちでユーマは思った。

「保身のために言っているわけでない。お前を心配しているのだ、ユーマ。話してくれないか? お前と、その街の話を……」

「…………っ」

 心に突き刺さるものを感じ、ユーマは一瞬顔を伏せる。思い出すのも胸糞悪い、この思い出を語り出すのは辛いことだ。

 ただ、これを話しだすきっかけはどうでもよかった。聞いてくれる人が欲しかっただけなのかもしれない。

 いや、だからこそ──

「これは、俺がまだマルステンで暮らしてた頃の話……」


 …………

 魔王の支配が続く、いわゆる暗黒の時代と言われた頃の話。

 マルステンは、当時には珍しい商業の栄える活気づいた街だった。魔王を倒し、自らの名を世に知らしめようとする者が集まり、街の外の事も知らずに手に入れることができた。先祖が長く耕してきていた畑が広大に広がり、作物もよく取れた。

 当時のユーマは、姉と街の中の一室を借りて暮らしていた。ユーマが物心ついた頃からすでに両親はおらず、七つ離れた姉と一緒の日々だった。そんな生活は贅沢ではなかったが、決して不満はなく、むしろ幸せとも言えたかもしれない。

 冒険者から旅の話を聞かされ、「旅にでる」と喚き散らして姉を困らせたのはいい思い出だった。

 数ある栄えた街の間では、街同士で同盟を組む目的で許嫁を送ることがよく行われていた。

 ユシカ・シューツルはマルステン代表の許嫁だった。

 事実上、マルステンで最も権力を持つシューツル家の一人娘だ。愛情を込めて育てられた彼女は、人による区別差別などしなかった。

 富裕貧相に囚われず、どんな人にもやさしく接する彼女の姿は、街の誰からも嫌われること無い。だからこそ、街の人間はユシカをマルステンから遠ざけてしまう、許嫁に反対した。

 それはもちろん、ユーマも同じだった。

 『ユシカにどこにも行ってほしくない』『街から離れてほしくない』

 何とかしてくれ、と姉に懇願したこともあった。

 …………


「ユシカと俺の出会いは、そのずっと前の事だ。姉貴に剣を教わって数日経ったある日、俺は嬉しくなって街を飛び出していったんだ──」


 …………

 街の外の森で獣に襲われたユーマは、その場から命からがら逃げ出した。だが、山道は険しく一層行く手を阻み、幼い体はとっくに限界を迎えていた。

 ついに膝から崩れ落ち、山道を転がった時、ユーマは意識を失った。

『あなたの命はそんなところで終わっていいものじゃないわ』

 目が覚めた時、優しい女性の声がユーマへと投げかけられた。

 それが初めてユシカと出会った瞬間だった。

 多分、ユーマはこの時から恋に落ちていたのだろう。とはいえ、それは兄弟や母親に向ける無意識の恋心だったのかもしれないが。間違いなく、ユーマはユシカに惹かれていた。

『いつか大きくなったら、誰かを守るために剣を振るうのよ?』

 そう言って、ユシカはユーマの首に光沢を持つ美しい首飾りを通した。

『これは私の大切なお守り。あげるわ。もう絶対危ないことはしてはだめ』

 ユーマを家の前まで送り届け、ユシカは背を向けその場を去ろうとした。

 だけどその時、その背に刻まれた獣に付けられたと思しき爪痕をユーマは見逃さなかった。一歩間違えれば致命傷と成りうるほど深い傷だ。血は出ていたし、着ていた衣服の背は朱に染まっていた。

 それは当時のユーマでも何が起きたのかわかることだった。ユーマを助けるため、ユシカが体を張って獣から守ったのだ。

 そしてこの時、ユーマは誰かのために体を賭して守る。その尊さを感じたのだった。

 ただがむしゃらに訓練を重ね、剣を振り続けていた自分が、初めて恥ずかしく思えた瞬間だった。いつか、この人のために剣を振ろうと、そう誓った。

 …………


「許嫁の話が双方の街で確定してから五日後──ユシカがマルステンを出る前日、彼女は唐突に死体となって発見された」

「……自殺か?」

「いや、殺人だ──」

 ユーマが薪を投げ入れると、火は一層つよく燃え上がった。


 …………

 ユシカの死体が発見されたのは、ユーマの住む借家からすぐの通り。おそらく最初にそれを見つけたのはユーマだった。

 目がえぐられ、四肢を寸断された遺体。そしてあらぬ方向にまがった体の節々。まるで赤い水を辺りにぶちまけたような惨状だった。

 ユシカの死は、あっという間に街中に広がり、犯人を吊るし上げろと大騒ぎになった。だけど、結局犯人は見つからなかった。

 その時、無性に腹がたってしょうがなかった。ユシカが殺されたという事実に対してではない。

 悲しみはあった。しかしソレ以上に怒りがこみ上げていた。

 あなたはこんなところで終わってしまう命だったのか、と。あの時ユシカがユーマに投げかけた言葉が頭の中でグルグルと回っていた。

 それからすぐ、ユーマは姉と共にマルステンを出た。

 …………


「たったこれだけだ。これだけのことなんだ」

 両手を空に掲げ、やけになった気持ちで言うユーマ。

 胸元の首飾りがチラリと月明かりを受けて輝く。

 むしろ、話す事が出来て晴れたかもしれない自分の心が少しだけ恨めしかった。

「ユシカは死んだ。そして今でも俺は彼女の言葉の意味がわからない。『まだここで死ぬべきじゃない』? 死に場所を探せってか? 正確に言えば俺はすでに一度死んだのにな」

「バカ者……」

「え?」

 適当に言葉だけを並べてユーマは何もない空へぶちまける。

 それを全否定するようなマオの言葉。マオは、真剣な顔でユーマを睨みつけていた。

「本当にユシカ嬢の言葉を理解できていないとすれば、お前は本当の阿呆だ。私が命を救ったことを後悔するくらいにな」

「…………」

「投げ捨てていい命などない。命は、繋がっていくものだ。人から人へ。親から子へ。それを人は愛と呼ぶのだろう?」

 マオは心を見透かすかのような強い眼差しをユーマに向ける。

「魔王である私には人がわからない。だが、ユシカ嬢の言いたいことはわかる。お前が出来ることをただひたむきにすればいいのだ。誰かのために剣を振り、誰かのために生きる。生きる意味は、そうして自ずとわかってくるものだと、少なくとも私はそう感じた」

「お前に……そんなことわかるわけねぇだろうが……」

「いいや、わかる。伊達に長生きしているわけではない」

「……おばあちゃん」

「殺すぞ」

「信頼する、根拠は?」

「あるわけがない」

「……だろうな」

 マオが人を語るのは、端から見れば歪なことだった。

 魔王と呼ばれ、人の命を弄ぶ存在として世界にその名を知らしめたマオ。

 だが、話してみれば一転、マオはこんなにも人を思っていた。

「何で、お前みたいな奴が魔王だったんだろうな」

「さぁ、気がつけば私は魔王だった。だが、人の心は尊いものだ。自信を持って言える」

 それがつまり、この旅の終わりでどのような結果をもたらすか、ユーマにはわからない。

 マオがどういうつもりでこの話をしたのか、ユーマにはわからない。

 ただ一つ、わかったことは──ユーマがマオのことを守っていかなければならないということだった。

「それに──」

 マオは体を半身こちらへよこし、ユーマの胸に触れた。

「なにを……?」

「私は信じてる。お前が、ユシカ嬢の意味を理解できる人間であると。むしろ、そうでないと困る」

 マオが軽く頬を膨らませる。

 幼少の恋心を膨らませた相手が残した言葉。

 自分の中では決して簡単な意味の言葉ではなかったにしろ、それはしっかりと心の奥底に根付いている。今までユーマが荒れる事無く生きてきたのも、そうした性格も、彼女との出会いが起因していると言っても過言ではなかった。

「……だな」

 ユーマは軽く笑ってそんなマオの頭に手を載せて同意した。

「明日も朝から出発だ。寝ておこうぜ」

「うむ」

 頭上まで登った月を仰いで、ユーマは言った。

 マオは、一言だけ同意して、再び寝床へ入った。

 火はまだ明るさを失うこと無く、燃え続けていた。

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