第2話 始まりの死

「ぐご」

 息が詰まる。

 閉塞感に両目がぱっちりと開き、青年──ユーマは目がくらむ様な眩しい光を存分に浴びた。

「うおおぉぉ……」

 両手で目を抑えこみベッドを転がる。視神経が刺激を脳へと伝え、感覚はそれを苦痛と受け取る。痛みすらない苦しみが彼を襲っていた。


 ──どずん。


「おふっ」

 気づけば彼の体はベッドの縁に迫っており、そのまま腰から地面へと落下する。

 朝っぱらから散々な目だ。ついにはカミサマにまで見放されたか。腰を抑えて彼──ユーマは毒づいた。

「くっそぉ。今日も依頼は来ず、か……」

 そのままの格好で時計に目をやり、現時刻が昼を迎える時間だと知りつぶやく。

 何しろすることがなかった。話し相手も居なければ、仕事もない。名義上、『何でも屋』という肩書きを名乗ってはいるが、依頼が来なければ話にならない上、稼ぎもない。ほかに何かをしようにもやる気がでない。

 典型的な自堕落生活を送るユーマに、暇ではない時間を聞くほうがむしろ困難だった。

 数年前、姉がここを出て行方不明になってから、ユーマはこんな生活を続けていた。

「姉貴がいたら、今頃頭ぶん殴られて朝飯作っていたんだろうな」

 遠い過去を思い出し、ため息をつく。

 そろそろ、何かしないとまずいか。そうは思いつつも行動には移せないのが常というもの。人間、意志と行動が釣り合うことなど稀なのだ。

「──む」

 間抜けな格好のまま、突如ユーマはかすかな足音を捉えて耳を澄ました。同時に、周囲を取り巻く空気に緊張が走る。

 人の気配……だけではない。獣の足音なのだろうか、地面を擦るような音すら聞こえる。

 こんな人里離れた家屋に寄り付く人間といえば、バカか山賊くらいだ。

 だが、この近辺で活動する山賊は獣の類を使役したりしない。というより、それほどの技能を持ち合わせていないというのが現状だった。

 だとすれば、誰か。

 足音は確実にこちらへ近づいている。気配をこんなにも振りまいてやってくるというのは只者ではない。最悪、もっと悪意を持った何かの可能性も無くはなかった。

 しかし、逆に考えてみる。

 人気のない山奥の小屋に誰が何の用で訪れる必要があるのか。ちょっと歩けば村があるとはいえ、ここは山道に慣れている村人たちでもない限り徒歩では近寄りがたい場所だ。とすれば、今まで幾つもの山を超え、小屋で一休みしようと考えた旅人、と考えるのがある種当然だろう。

「…………」

 数ある可能性を思考した上で、訪問者に害はないと判断すると、ユーマはスタスタと玄関へと近づく。相手が扉に手を触れる前に、一呼吸入れてそれを開けた。

 新鮮な空気を全身に感じ、山の向こうから駆けてきた風が木々を揺らしコーラスを奏でる。鳥のさえずりさえも心地よく、陽の光が一層眩しく照らした。

 そんな中に一つ、ひときわ目立つ影。

「よいしょ……っと。あ、ユーマさんですかぁー?」

「……は?」

 突然の名指しに、つい呆けた顔を晒すユーマ。

 彼の目に写ったのは、巨大な立方体を引く男の姿だった。しかもそいつは黒いフードをかぶってその視線すら読み取れない。

 一言で形容するなら異質。それ自体に危険すら感じ取れないものの、災いを招く象徴のようにも思えてしょうがなかった。

「あのー、ユーマさんですかー?」

 警戒の眼差しを送るユーマは、そいつの甘ったるい声で我に帰る。

 性別の判断がしづらい声だな、とユーマはしみじみ思った。

「え、あ、はい」

「よかったー。やっと見つけましたー」

「……?」

「随分と探したんですよぉー。それはもう国から国を巡って北から南へ、東から西へ。縦横無尽にねぇー」

「は、はぁ……」

 黒フードは箱を引きずって小屋の前まで来ると肩にかけた紐を下ろし、大きく息を吐いた。

 どうやら直前に聞いた底引き音はこの巨大な箱を引きずる音だったらしい。大きさは黒フードの胸の下程度まである。中身が何かしらの物でぎっしり詰まっていたなら相当な重さだろう。しかもそれを長旅の間ずっと引いていたかと思うと……。

 ユーマはゾッとして身をすくめた。

「これ、ユーマさんへの贈り物ですー。受け取ってくださいー」

「贈り物? 誰から? 中身は──」

 そこでユーマの言葉は途切れた。

 否、途絶えさせられた。

「か……か、か、か……」

 息が吸えない。

 息が吐けない。

「……かっ、はっ……!」

 胸には、ちょうどこぶし大の──巨大な穴が穿たれていた。

 ユーマは目を見開いて膝から崩れ落ちる。ひゅーひゅー、と空気が漏れていく音が切なく響く。ユーマはまだ、自分の身に何が起きているかを理解してはいなかった。

「はっ、なん……だ、これ……」

 地面に倒れ伏したユーマは、痛みを生み出す胸元に手をやり、やっと状況を把握して顔を歪める。

 見上げると、黒フードが手を前に突き出していた。

 その手に武器は握られてはいない。そして、血痕が飛び散ったような様子もない。

 だとしたら、手段は物理的なものではなく、魔法に限られる。

 それは黒フードが、ユーマの意識外で呪文を唱えていたということに他ならなかった。だが、いくら呪文を簡略化された魔法とはいえ、それほど高速に唱えられるわけがない。

 だとすれば、あり得る可能性は──無詠唱。

 魔術を極めた者が会得するという、威力を抑えること無く発動の速さを求めた最終型。素質として類まれなるものを生まれつき所有した者のみが出来るという、常軌を逸した魔法の形だった。

 それも大陸に両手の数ほどもいない人間のはずだ。

 胸には虚無感が絶え間なく訪れ、さらに血は出続ける。

 夢なのではないかと考えた。──痛みは連続してユーマを締め付ける。

 狂言なのかとも考えた。──すでに出血は冗談ではない域に達している。

 奇妙な訪問者との出会いが一転、死という現実に置き換わった事を実感した時、ユーマは果てしない虚しさがこみ上げていた。

「嘘……だ、ろ……」

「ごめんなさいー」

 ユーマは自らの血にまみれた手を黒フードに向けて伸ばす。丈の長い服の裾をせめて掴んでやろうとする。無論、力ないその手は空を掻いた。

 黒フードはユーマを見下ろす。その表情は陽の光が影となり全く読み取ることは出来ない。

 騙されたのか? 妙にヘラヘラしていたのは、俺を殺すためだったのか? だとしたら、こんな終わり方、あっけなさすぎる……。

 いつの間にか、ユーマの目尻に涙が浮かび始める。血で汚れた全身がだんだんと力を失っていくのが感じられる。

 地面に指を立ててもさっぱり力が入らなかった。

 だめだ。もう持たない。意識が消えていく。

 悔しい。まだ何も始まっていないのに。

 恨めしい。まだ何も終わっていないのに。

 なぜこんなところで死んでしまうのだろう。

 どうしてこんな時に思い出すのは、姉貴の顔なんだろう。

「後はおまかせしましたよー」

(……何者だよ、お前……)

 黒フードの気に障る声を最後に、ユーマは意識を暗黒に落とした。

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