第2話 銀の縄

 魔界に降り立った勇者一行は天下った死の光のごとく闇の世界を照らし、さらに色濃い死の色に染め上げた。


 すさまじい戦いが、大地を裂き海を沸騰させるような戦いが展開された。


 人界でない場所だ。勇者たちの力を抑える枷はなにもない。


 聖剣がひと薙ぎされるだけでケダモノの群れが蒸発し、『タンカー』の生み出す神鉄の壁は敵の呪力を一寸足りとも通さず、『キャスター』の威神力は巨大な城塞都市をクレーターに変えた。


 信じられない光景が魔界のあちこちで見られた。


 灼けつくような、物悲しくさえある滅びの波。


     *


 勇者はひとりになっていた。


 魔界に投入されてからどのくらいの年月が経っただろうか。


 あまりに激しい戦いは魔界をして地獄に変えさしめ魔族は死に絶え魔王の城は荒廃し引き換えに魔界の将軍と相果てて仲間たちは落命した。


「顔を合わせるのは初めてだな」


 魔王は勇者に向かい言った。水晶が大理石の床を転がるような声。


「最後になる。挨拶など不要だ」


 勇者はそれだけ言って神剣を構えた。


 妙な痛みが勇者の胸を突いた。怪我でもしたのだろうとごまかそうとしたが彼は知っていた。自分の心を知っていた。魔王を殺すために生み出された対魔王相殺神兵・勇者。自分の存在意義を。


 魔王と相対し初めてそのことに思いが及んだ。


 その先は?


 先などないはずだ。


 魔王と戦い相殺し結果として待つのは己を含む死だ。そのとき人界の勝利は確たるものとなる。自分が人界に帰ることはない。なぜなら魔王を殺すほどの力を持つものは魔王と同じ存在であるに等しい。


 勇者の居場所は、もはや人界にはない。魔界にもない。どこいもない。


 だが気にする必要はない。


 今から始まるのは戦いでありその後に待つのはお互いの死であり、絶滅だ。


 その先などない。


 だから気にする必要はない。


 ないはずだ。


     *


 勇者は全身を血に染め、同じように青い血に染まった魔王と向き合った。


 勇者と魔王はふたりとも笑っていた。


 お互いの顔は血みどろだった。


 魔王の顔は仮面だった。魔王には肉体と呼べるものはなくその体は冷たい刃の塊であり人を模した仮面をつけているだけだった。


「化け物め」


「お前もな、勇者よ」


「ぼくが化け物。そうだな。お前の言うとおりだ魔王」


「私はどうだ?」


「何?」


 勇者は戸惑った。魔王が、己のことを化け物かどうか尋ねている?


「そう……だな。なぜそんなことを」


「そんなことを問うものはこれまで誰もいなかった。私は生まれついての化け物。お前と同じく」


 勇者は沈黙した。


 崩れかけた魔王の城で戦うふたりは勇者と魔王であり同時に等しくこの世の果ての怪物だった。


 ふたりは同じものだった。


「だからこその相殺だ」


 勇者は黒煙のような迷いを払い懐から銀の縄を取り出した。魔王の魔力を封じる最終兵器。力の拮抗する両者の決着にはもはや剣では不可能と判断した。


 ぎりぎりまで使わなかった銀の縄の存在に、魔王は壊れかけた仮面を歪め、笑った。


「そうだ。全部だ。お前の力を全て使え。私もそうする。そうでなければ」


 魔王はそれ以上言わなかった。勇者も何も言わなかった。


 だがお互いに何を言いたいのか分かった。


 そうでなければ生まれた意味が無いと。


 銀の縄が投げられた。


     *


 無数の冷たい刃でできた身体が、同じくらい冷たい魔王の城の床に崩れ落ちた。


 決着はついた。


 銀の縄で縛り付けられた魔王の身体は見る間に崩れ始めた。


 魔王はもはや魔王ではなく力と尊厳を剥ぎ取られた鉄くずに成り果てようとしていた。


「見事だ、勇者よ」


 絶え絶えの声で魔王が言った。勇者はかすかな疑問を覚えた。声色が違う。硬く冷たい金属質のものではなく、血と肉を感じさせるものだった。


 もしやまだ秘密を隠しているのでは?


 油断できない。


 勇者は聖剣を構え、真の決着を着けるべく足を引きずり血の筋を描きながら、魔王の首をはねようとした。


 魔王は覚悟した。


 勇者も覚悟を決めた。


 剣が振り下ろされた。


 しかしその切っ先はぎりぎりで止まり、玉座の間に剣風だけが舞った。


「どうした勇者よ」


「お前こそ」


 勇者の声は震えていた。


 魔王の刃の身体は力を完全に奪われ崩れ落ちたはずだった。あとは仮面を破壊すれば終わるはずだった。


「誰だ、お前は」


「誰だ、だと? 私は――」


 魔王である、と言いかけたその言葉は途切れた。


 血にまみれつつなお輝きを失わない鏡のように磨かれた勇者の神剣に映る己の姿に、魔王は動揺した。


 そこにいるのは見も知らぬ魔族だった。


 血と肉の体を持つ魔族の――少女だった。


     *


「どういうことだそれは」


 もはや消耗に立っていられず、玉座の間に片膝をついた勇者は純然たる疑問を口にした。魔王のに少女がいたというのか?


 そんなはずはない。勇者の聖なる剣は幾度も魔王の冷たい刃の身体を切り裂き刺し貫いた。


 もし元々中に入っていたとして、それは死んでいなければ理屈に合わない。


「わからぬ」


 魔王は魔王の声ではなく少女の声で言った。


「なぜ私がこのような姿になるのだ」


「……お前は女だったのか?」


「バカな。私は男……いや、性別の存在しない体だ」


「性別がない?」


「魔王は魔界の究極存在にして不滅。ただひとりの王に後継は不要。ゆえに性別も不要」


「それがなぜ」


「知るところではない!」


 魔王は声を荒らげた。少女の声が荒れ果てた玉座の間に響き渡った。


「もはや意味などない。続きといこう」


「続き?」


「痴れたか、勇者よ。私はもはや抗う力を失った。とどめを刺せ。そうすればはどうでもよい話だ」


「たしかにそうだ。でもぼくは」


「女子供の姿であれば殺せぬと?」


 勇者は答えられなかった。これまでの戦いで魔界を蹂躙してきた。魔族を飽きるほど殺した。その中には子供も女もいた。


 今さら剣を振り下ろさぬ理由にはならない。いや、理由にしてはならないはずだ。


 だが、できなかった。


「お前はもう力を全て奪われた、魔王よ。ぼくはお前の首をいつでも刎ねることができる。だが、ぼくにも体の限界はある……少し休まないと、剣が」


 勇者は途切れ途切れに言った。


 その言葉は自分をごまかすものだったが半分は事実だった。もう神の力を帯びた絶滅聖剣を持ち上げるだけの体力さえ残っていない。


 仲間たちも死んだ。


 本懐は遂げた。


 それでいいのではないか?


 目の前に突然現れた魔族の少女は、もう魔王の力を持たぬただの小娘にすぎない。


 もはや……。


 もはや相殺すべき相手はいないのではないか?


 勇者の意識は遠のいて、床に倒れた。


 死んだように眠りに落ちたが、死ねなかった。


 倒すべき魔王を失った勇者に何ができるというのか。


 ただ今は死んだように眠りにつくのみの勇者。


 魔王だったもののなかから立ち上がった魔族の少女は、残骸から刃を一本拾い上げ、勇者の首筋に突き立てた。

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