陽だまりのカミサマ 前編


 浅葱(アサギ)は、あまり深く物事を考えない。

 とはいっても、何もかもを考えないわけではない。一瞬は考える。文字通り、嘘偽り無く、一瞬。思考に引っ掛かる程度のそれは、大概がまぁいいかという結論に落ち着く。


 そう、だから浅葱も考えてはみたのだ。考えて、まぁいいか、と思ったのでとりあえず行動に移してみた。考え込むよりも行動。浅葱の育ちがこれでもかと反映されている。


 浅葱は立派な門構えの屋敷を見上げて、こてりと小さく首を傾げた。わーでっかい、などという割とどうでもよい感想を引っ提げて、すみませんと声を上げる。声に気付いて出て来てくれた屋敷の家人に、浅葱は淡々と告げた。


「鶴来の当主に会いたいんだけど。今その人、いる?」


 供も付けずに単身での鶴来のお屋敷訪問。


 それが、浅葱が一応は考えてまぁいいかと結論を出した挙句、躊躇わずに行動へと移した事の顛末だった。








   *  *  *


 五家、と呼ばれる家がある。

 書いて字の如く、五つの家。籐条(トウジョウ)、縁(エニシ)、吾妻(アヅマ)、鶴来(ツルギ)、そして神代(カミシロ)。その名を持つ家には、それぞれ神と呼ばれる存在がいる。


 人に非ざる、と称される程に強い『異能』を持つのが『神』。逆に言えば、そういった存在を『真主』として頭に据えている家を総称して五家と呼ぶのだ。不思議なことに、それ程までに強い『異能』を宿す者は、五家以外に存在することがない。一代につき、神がひとり。それで五つの家は長い間成り立っている。


 強い『異能』を持つ、カミサマ。

 そのカミサマたちの大半が、まだ年端もいかない子供であることを知っている者はごく少数であろう。ほとんどの者にとって、神は随分と遠い存在である。


 がしかし、浅葱はまだ十代半ばにも満たぬ年齢でありながら、その少数に当たる。神代の家に従者見習いとして入ったそれを縁として、まずは神代のカミサマと鶴来のカミサマたちが駆け落ちする瞬間を目撃するに至ったのが浅葱だ。初っ端から何かが盛大に間違っているとしか思えない。浅葱はごく自然にカミサマたちの逃避行を見逃し、後日連れ戻されたカミサマにも積極的に近付くことはしなかったが、本人の思惑とは裏腹にカミサマたちとの遭遇率がそれはもうべらぼうに高かった。


 浅葱は、鶴来のカミサマたちのことも見知っていた。駆け落ちを目撃したのもそうだが、何といっても拉致実行、監禁未遂をされた仲だ。字面にするとなかなかひどい。

 鶴来のカミサマは、双子の神様だ。『闘争』と『増幅』、それを主だった力とする、二人でひとつのカミサマ ―― その片割れが、今浅葱の目の前で判りやすくお怒りだったりする。


「―――― っ、馬ッ鹿じゃねぇの!?」


 人間、あまりの事態に遭遇すると、まずは声も出なくなるものらしい。


 否、人間というか、分類的にはカミサマ。でも紛うことなく人間の子供であるところの青嵐(セイラン)は、事の次第を把握してはくはくと何度か口を動かした後、腹の底からそう叫んだ。それはもう、屋敷中に響き渡れと言わんばかりの叫びだった。

 一方、怒鳴られた方の浅葱はといえば、あー、久しぶり? 元気そうで何より、という、青嵐の怒りなどどこ吹く風といった反応しか返さなかった。素で、大真面目に、これである。


「お前、ほんっと馬鹿じゃねぇ!? 何考えてんだ!?」

「うん? 来て早々、目的人物その一に会えて幸先良いなぁ、とは思ってる」

「意味判んねぇし!」


 普段の無関心さををかなぐり捨てて、青嵐は叫んだ。何だ、その一って。とりあえずその二は瑠璃(ルリ)だろ、絶対。己の片割れを思い浮かべながら青嵐はそう思う。


「ってか、初めにお前を見付けたのが俺だったのに感謝しろよ」

 はぁーっ、と深々としたため息と共に吐き出された青嵐の言葉に、浅葱は僅かに首を傾けてみせた。


 鶴来の家は随分と閉鎖的な家である。五家のひとつではあるが、他の五家との交流はそう多くはなく、特に神代の家とはまったくないと言っても差し支えない。事実、現状では皆無である。

 それは鶴来と神代のカミサマたちによる駆け落ち未遂事件が主な原因ではあったけれども、そもそも先代の神代当主と鶴来の当主の仲がそう良好ではなかったせいもある。駆け落ち未遂事件前でも両家の交流は必要最低限のものでしかなかったし、事件後はそれが必要最低限以下になっただけだ。お互いがお互いを嫌い合っていた当主たちの姿を見て、浅葱などは同族嫌悪ってこういうのを言うんだっけ? などと、割と容赦の欠片もない感想を抱いたものだがそれはさておき。


 鶴来の家に、神代の家の者がやって来る。しかも、鶴来の当主に会わせろという要望を引っ提げて来たとなれば、鶴来の不興を買うのは必至である。己の肩書も名乗っていない浅葱では追い返されるのが関の山であったところを、たまたま通りがかった青嵐が「……はぁっ!?」という表情をしながら助けてくれた。多分、青嵐のそれはほとんど反射の行動だったんだろうなぁ、と浅葱は思っている。だって何か呆然としてたから。目が口以上に「……はぁっ!?」と言っていた。


「うん、ありがとう。青嵐」


 だがしかし、助かったのは確かだったので、浅葱は素直にそう礼を述べた。そしてついでに頭も撫でておいた。以前会った時よりも随分背が伸びてはいたが、今の青嵐は脱力ついでに項垂れているので、その頭を撫でるのにさしたる労力は必要ない。ついでに言えばここ最近、自分の背も急激に伸びている。


 が、自分以上に成長している青嵐を見やって、ほんとに大きくなったなぁ……という感想を抱く浅葱は、完全に視点が親のそれである。少なくとも同年代へと向けるものではない。

 頭を撫でられ、一瞬ぎしりと不自然な体勢のまま固まった青嵐だったが、お前、それ、やめろ……と呻くような呟きを漏らした。本気で嫌がられている風ではなかったので、浅葱はさらりとそれを無視した。だって案外手触りが良いのだ。少しぐらい楽しんだっていいだろう、という心意気である。驚愕の表情で己と青嵐を見やる使用人の姿なんて、浅葱は知らない。興味の範疇外である。


「お前な……」

「うん、感謝を伝えるついでに感触を楽しんでる。ありがとう」

「素直に言やいいってもんじゃねぇぞおい」


 もうこいつやだ……と呟く青嵐に、浅葱はよく判らないといった表情で首を傾げた。


「てか、ほんとに何しに来たんだ、お前……」

「え? ここの当主に会いに?」

「はぁっ!?」


 心底ぎょっとした表情をされたが、浅葱としてはごく普通の要件を述べたに過ぎない。そう、初めからここへは当主に会いに来たのだから。


「鶴来のご当主様から、お前らの自由、奪い取ろうかと思って」


 つまりは、そういうことである。


 何の気負いもなく、淡々と、いつもの口調で。

 そう告げた浅葱に、青嵐は「……は?」とぽかんとした表情になった。間の抜けた顔は、どこか幼く見える。そのことに内心で少し笑いながら、浅葱は僅かに瞳を細めた。


「―――― ほう? 随分と面白そうな話が聴こえた気がするが……?」


 私の気のせいか? ―― と。

 唐突に場に割り込んで来た声に、別に浅葱は驚きはしなかった。低い、男の声。何のことはない、近付いて来るその男の姿を浅葱はずっと視界の端に留めていたのだ。


 痩せぎすで少しばかり猫背の、自分を不愉快そうに睥睨するその男のことを、多分浅葱は知っている。

 直接、会ったことはないけれど。男の声を聴いて、即座に舌打ちでもしそうな程の渋面になった青嵐だとか。男の後ろに控えている、驚いたような表情の瑠璃の姿だとか。

 そういったものから、男が誰であるのかを推測するのはとても簡単なことだった。

 だから。


「面白いことを言ったつもりはないけど、別に気のせいでもないよ」


 浅葱は、淡々と言葉を紡ぐ。猫背の ―― 鶴来の当主に向けて。


「俺はあんたから、そこのカミサマたちの自由を奪い取りに来た」


 先程の台詞を繰り返し口にして、笑った。



 これは、宣戦布告だと。


 浅葱は、考えて、まぁいいかと結論付けて ―――― 真正面から堂々と喧嘩を売りに来たのだ。







   *  *  *


 神代と鶴来は、誰がどう見ても不仲である。

 それが以前からのものだったのかどうかまでは浅葱は知らないが、少なくとも浅葱の知る当主たちの仲はよろしくなかった。周囲にさほど興味のなかった浅葱がそう感じるぐらいなのだから相当である。


 その不仲が決定的となったのは、やはりカミサマの駆け落ち事件であろう。

 鶴来の双子のカミサマが、神代のカミサマの手を引いて逃げた。その瞬間を正に目撃しながらも、逃げれるならその方がいいとばかりにそのまま見逃した浅葱が特殊であっただけで、両家の間では大騒ぎになった。世間的に大騒ぎにならなかったのは、体面的なあれこれからくる隠蔽工作がそれなりに効いたせいだろう。

 逃げ出したカミサマたちに、両家の当主たちは怒り狂った。そうして、逃げ切れずに捕まったカミサマたちの自由は大幅に無くなり、お互いに会うことさえもままならないのが現状だ。おそらくは、浅葱の拉致監禁未遂の際が、駆け落ち事件後初の邂逅だったと思われる。何だかいろいろひどい。


 その状況は、今も変わらない。神代のカミサマと鶴来のカミサマたちは、あれ以来顔も合わせていない。

 なので。


「―― 自由に会わせてやりたいよなぁ……って、この前呟いてたんスよねぇ、若様」


 会いたいのに会えないのって寂しくないか? と呟いてた己の主の姿を思い出しつつ、千歳(チトセ)は告げた。

 口を動かしつつも、手は休めない。外見に似合わぬ繊細な手つきでゆっくりと茶を注いだ彼は、ふわりと柔らかな湯気が上がるそこから視線を動かした。視線の先、鮮やかな赤を纏った子供に、どーぞ、と茶を差し出す。ああ悪いね、ありがとう、と年に見合わぬ落ち着きで夕焼け色の瞳を細めた子供は、受け取った茶器に口を付けながら楽しそうな笑みを浮かべた。


「それはそれは……彼らしいと言えばいいのか?」

「らしい、ってか、その後に『まぁ……そうなるように俺が頑張ればいいだけか』って、あっさりと結論付けてた辺りが途轍もなく若様ッス」

「その男らしさに、もはや感嘆の声しか出ないよ、僕は」


 うわぁ、だね、とくつくつと笑みを含んだ声で繰り出されたそれに、ほんと、うわぁッスわ……とこちらはどこかげんなりとした声が応じる。そんな千歳の様子に、子供は尚更楽しそうな様子で笑みを漏らした。


「……朱緋(アケヒ)様、楽しそうッスね」


 じと目を向けられた子供 ―― 朱緋は、特に堪えた様子もなく、実際に楽しいからねとしれっと口にする。籐条のカミサマ、そう呼ばれるようになってそれなりの年月を経た子供にとって、千歳の恨めし気な目線などそよ風のようなものなのである。いっそ心地よい、と言い切ってしまえる辺りは、単に朱緋の性格がよろしくないせいもあるが。

 涼しげな表情で茶を啜る朱緋に、千歳は諦めたようなため息を吐いた。


「もー、別にいいッスけどねー。若様が男前なのも、今に始まったことじゃねッスし。てか、何なんスかね? 若様のあの妙な安定感みたいなの。若様がそう言うんなら、あーもう大丈夫だー、とか思っちゃうんスけど」

「ああ……」


 判らなくはないね、と朱緋は頷いた。


「彼のあれは、半ば言霊みたいなものなんじゃないかな」

「言霊、ッスか……」

「そう。言葉には力が宿るものだよ」


 知っているだろう? と問われ、その通りではあったので千歳は素直にそれに頷いた。


 言葉には、力が宿る。

 口に出したそれは、良いものであれ、悪いものであれ、力を持つ。


「それが異能持ちのものであるなら尚更だ」


 ゆるり、と言い切られたその言葉は、どこか冷やりとした温度を持っていた。


 朱緋は、言わずもがなで強い『異能』を持っている。当たり前だ、籐条の神と呼ばれる存在なのだから。

 千歳は、カミサマたち程ではないが、一般的には強いと分類される異能を持っている。そうでなければ世話役や傍付きなど務まらない。


 浅葱は、異能など持っていなかった。どこにでもいるような、普通の子供でしかない。だからこそ、過去に異能持ちに殺されかけたこともある。

 けれど。


「今の彼は、立派に異能持ちだからねぇ。彼の言葉は、それだけで立派な武器にもなるよ」


 ふふ……と笑んで、朱緋は手にした茶器へと視線を落とした。


 そう、昔の浅葱には異能なんてこれっぽっちもなかったけれど、今の浅葱にはその力がある。彼に足された神代の当主という肩書がそうさせた。その事実は、朱緋もよく知っている。

 だがしかし。


「と、いうよりね?」

「……ハイ?」

「言霊がどうのとかいう以前に、彼みたいにあれだけ自信満々に物事を言い切られると、それだけで妙な説得力があるというか」

「あー……」

「むしろ彼、自分の言ったことは確実に実行してくれてるみたいだから、もう言霊も何もあったもんじゃないというか」

「前提大崩壊じゃねッスか……」


 あー……でもそれで間違ってないッス……と千歳は項垂れた。そうだろう? と朱緋は真顔で頷く。

 間違っていない。間違っていないその現実が大間違いだと思える事実にどう対応したものか。


「―― ところで」


 最後のひと口を啜り、空になった茶器を戻しながら、おもむろに朱緋が口を開いた。いつも通りの落ち着いた声に、ハイ? と千歳は首を傾げる。


「それなりに時間が経ったけど、彼、来るの遅くないかい?」

「え」


 そういえば、と千歳は思う。

 朱緋の訪問は、いつもの如く急なものだった。聞けば、浅葱に用があると言う。ちょうどその場にいた琥珀が、いいよ私が呼んでくる、と請け負い、浅葱がやって来るまでの間、千歳が朱緋の相手を請け負ったのだが……。


 確かに、遅い。無駄話だけでもそれなりの時間が経っている。

 神代の屋敷はそれなりに広いけれども、浅葱を呼んで帰ってくるだけでこうまで時間は掛からないはずで。


「……何か嫌な予感がして来たッス、俺」

「奇遇だね、僕もだよ」

「いやいやいやいや……」

「千歳、さっき君が言ってた『会わせてやりたい』って彼のあの発言、いつのだって?」

「いやいやいやいや! 追い打ち掛けるのやめてくださいッス!」

「―――― ねぇ」


 唐突に割り込んで来た声に、二人は顔を上げる。見れば障子戸の向こう側から琥珀が顔を覗かせていた。身体の半分を戸の向こう側へ残したまま、不機嫌そうにぎゅっと眉を寄せている。

 否。それは、不機嫌ではなくて。


「浅葱、どこにもいないんだけど……」


 どういうこと? と、どこか不安気な琥珀の問い掛けの意味を余すところなく理解して、千歳は素直に頭を抱えた。


 屋敷内のどこかにいるんじゃないか、なんて楽観的なことは考えない。きっと琥珀があちこち探し回った後だろうから。

 普段から外出時には絶対に供を付けろとあれ程口を酸っぱくして言っていただろうとか、せめて一声掛けろとか、発案から実行までの間が短すぎるとか、言いたいことは山程あるけれどもとりあえず。


「ああああああああ嫌な予感的中ッスうううううううううぅぅっ!」


 心のままに絶叫した千歳に、琥珀がぎょっとしたように目を丸くする。え、なに? と戸惑ったような声を上げるが、それに応えるだけの余裕は千歳にはない。


「言霊って恐ろしいねぇ……」

「これもう言霊じゃないッス! 若様の暴走!」


 有言実行を地で行きすぎるのもどうかと思うッスー! と喚く千歳に、朱緋は「違いない」と至ってのんびりと同意を返した。








   *  *  *


 浅葱はあまり深く物事を考えない。

 浅葱自身、自分の世界は至って簡潔に構成されているな、と思う。好きか、嫌いか。興味があるか、ないか。そんな風に、線の内側と外側がはっきりしているのだ。大切なものはちゃんと大切にしたい、そう思うし、実行しているつもりでもある。

 好きなひとたちには笑っていて欲しいと思うし、その為に自分が出来ることなら何でもやる。『これ』はきっと、今の自分ならば出来ることだ。


「子供が自由に遊べるようにしてやろうかと思って」


 会いたい、って子供が言うなら、その願いを叶えてやるのが保護者だろ?


 自分の年齢を完全に棚に上げたことを大真面目に述べた浅葱に、当主は一瞬の間を置いて眉を寄せた。浅葱の言葉の意味を理解したからであろう、不愉快気な表情を隠そうともしないその様子から、当主の心情を推し量るのは然程難しいことではない。鋭い眼光で睨まれたところで、浅葱にはそよ風程の影響もない。

 同じように浅葱の言葉の意味を理解したのだろう、ぽかんとした表情になった双子に目線だけで笑い掛けて、浅葱は当主へと向き直った。


 鶴来の当主に直接会うのは初めてだ。こんな顔してたんだなぁ、と今更な感想を浅葱は内心で抱く。どちらかと言えば線の細い神経質そうな面持ちを見やって、成程これは癇癪や八つ当たりで接触禁止を言い渡しそうだな感じだなぁ、と更にそんなことを浅葱は思った。かなり失礼ではあるが、口には出してないのでかろうじて体面は保たれていると思いたい。


「……子の愚行を止めるも、役目かと思うが?」

「うん、それもある。悪いことをすれば叱る。それも当たり前だろ」

「ならば……」

「でもカミサマたちは皆いい子だから、俺が叱らなきゃならないようなことなんてないし」


 浅葱の知るカミサマたちは、皆自分の意思で考えて、他者を思いやりながら行動することのできるいい子たちばかりだ。悪いことをしたとしても、それに気付けば自ら認めて謝ることもできる、そんな潔さも持っている。浅葱の出番はそこにはない。

 だからそっちはお役御免なんだ俺、としれっと言い放つ浅葱に返されたのは、忌々しげな舌打ちだった。うわぁ、怒らせたー、と内心で嘯く浅葱は、判っていてやっている。


「―― 戯言を」


 苛立たしげに、当主は吐き捨てた。


「そいつらが何をしたか、知らないわけでもあるまいに」


 暗に駆け落ち未遂事件を指しているのだろうその言葉に、浅葱は逆らわずあっさりと頷いた。


「ああ、うん。知ってる」


 でもそれが何? と続ける。

 駆け落ち未遂事件があった頃、浅葱はまだ神代の従者見習いでしかなかった。カミサマたちに関わることもなく、その距離がまだ随分と遠かった頃。けれどそんな状態でも、当主たちのカミサマに対する扱いに思うところがなかったわけでもないのだ。


 可哀想だな、と思ったのが最初。まだ小さな子供にしか見えないカミサマに覚えた、憐憫にも似た感情。

 子供に対する態度じゃないよなぁ、と。当主たちの振る舞いに、内心で思っていた。

 だから。


「そもそも、カミサマを自分たちの都合でどうこうしようとしてたのが問題なんだろ。理不尽に扱えば、子供だって反発する。強硬手段にだって出る。ただそれだけのことだ」


 己への理不尽に、反発して、抵抗した。

 駆け落ち騒ぎに対するあれこれを、浅葱はそう結論付けている。両家に与えた衝撃も動揺も、当主たちの憤怒も、そんなものはいっそどうでもいいものだと位置付けだ。浅葱にとって、あるいはカミサマたちにとって、重要なのはそこではないのだ。


 カミサマは、強い力を持っている。

 普通の人よりも出来ることは多いし、そこに在るだけで様々なものを齎すのだという。富を、名誉を、さらなる繁栄を約束するもの。神、と呼ばれる存在。

 けれど浅葱は、カミサマたちが普通の人間でしかないことを知っている。怒るし、泣くし、笑う。それは確かに普通の子供でしか有り得ない。


「カミサマの自由を奪って、奥底に閉じ込めて。それで得られるものなんて何にもないよ」


 例えあったとしても、そんなものを浅葱は認めない。

 淡々と言葉を紡ぐ浅葱に、当主は射殺しそうな視線を向けた。


「戯言を……!」


 先程と同じ言葉を、先程とは比べものにならぬぐらいの苛立ちを乗せて当主は叩き付ける。


「鶴来の神を、私がどう扱おうと勝手だろう!」


 吐き捨てたその言葉に、眉を顰めた青嵐も、すぅっと表情を消した瑠璃も、当主の視界には入っていないだろう。彼はきっと、心の底からそう思い、信じている。カミサマたちが、自分の思い通りになるものだと。だからこそ、自分の意に反した双子が気に食わないのだ。

 けれど。



「カミサマは、あんたの『もの』じゃないよ」



 理不尽なことには怒るし、傷付けられれば泣くし、嬉しかったら笑う。


 ものじゃなくて、ひとなのだ。

 そこを取り違えている相手を、浅葱は敬う気はない。


 ひた、と見据える浅葱の瞳は、静かな強さに満ちていた。その力に気圧されたように、当主はぐっと息を呑む。直後、そんな自分に気付いて苛立たしげに舌打ちをひとつ。彼は、認めようともしないだろう。例え一瞬だったとしても、己が目の前の子供に恐れにも似た感情を抱いたことなど。

 それを誤魔化すかのように、当主は低く唸るような声を押し出した。


「……そもそも、お前のような子供にどうこう言われる筋合いなどない」


 負け惜しみのようなその台詞に、浅葱はあれ? と瞳を瞬いた。


「筋合い、って…………あれ?」


 知らないんだ……と、先程までそこにあった意思の強さを霧散させ、年相応の表情で瞬く浅葱に当主は怪訝な表情になる。青嵐と瑠璃の反応も右に同じだ。


 浅葱と当主は、これが初対面である。だが、そもそも浅葱は当主との面会を目的として鶴来にやって来たこともあり、目の前にいる男が誰であるのか教えられるまでもなく知っていた。

 が、しかし。当主にとってみれば浅葱はただの子供である。ただの、というか突然やって来て好き勝手なことを言い放つ、不審かつ無礼な子供でしかない。その認識の違いに、今更のように浅葱は気が付いた。


 そういえば自己紹介まだだったっけ……? と、とこてりと浅葱は首を傾げた。ここに来て、自分の名前も肩書も何ひとつ告げていないことに気付いて、うわぁちょっとやらかした、と内心で緊張感のない呟きを漏らした。


 鶴来の当主の様子からして、浅葱がどういう者なのか彼は本当に知らないのだろう。浅葱が今の肩書を手に入れて、それなりに時間は過ぎている。にも関わらず知らないというのは、情報すら集めていないと公言しているようなもので、さすがにそれはどうなんだろうなぁ……と思わなくもないが、所詮は他所の家のことである。まぁいいか、と結論付けて浅葱は肩を竦めた。

 当主がこれだ。双子のカミサマたちも、浅葱が今どんな立場にいるのかなんて、きっと知らないのだろう。どうりで青嵐にもやたらと何考えてんだと言われるはずだ、と今更のように納得する。そりゃ言うわ。心配されるわ。


「じゃ、まずは自己紹介しようか?」

「お前の紹介などいらん。とっとと……」

「まぁそう言わず」


 苛立たしげな声を遮って、浅葱は一歩前に出た。当主相手に、目を逸らすこともなく対峙する。


 不敬だとも、無礼だとも言わせない。


 ―― だって、立場は同じなのだから。



「名前は浅葱。ついこの前、代替わりして神代の当主になった」



 淡々と、事実だけを告げる。

 一拍の間を置いて驚きに見開かれた瞳に、浅葱は少しだけ唇をほころばせた。


「よろしくはしてくれなくてもいいけど、とりあえず覚えておいて貰えたら嬉しい」


 浮かべた笑みは、先制攻撃。

 別にここへは仲良くしに来たわけではないのだと、そう示すように浅葱はゆるりと笑みを深めた。


 望んで手にいれた当主の座ではないけれど、望む場所にいるための必要措置であることは理解しているので、浅葱もそれを維持するのに努力は惜しまない。そして、どうせ手に入れた肩書なのだから、それを最大限利用することに何ら抵抗も覚えない。使えるものは何だって使う。それが浅葱の信条である。


「は、え、なん……え?」

「……当主?」


 驚きも露わに目を丸くする双子に、ああやっぱり知らなかったのか、と浅葱は笑った。当主へ向けたものとは違う、随分と柔らかな印象の笑みを浮かべて、うん、そうと頷いてみせる。


「そ。俺、神代のご当主様」


 いたずら気に告げれば、え、と再び戸惑ったような声を返された。青嵐と瑠璃、二人分の声。それがあまりにもぴったりと重なっていたものだから、思わず笑ってしまう。さすが双子。


「……当主?」

「うん」

「神代、の?」

「うん」

「……誰が?」

「俺が」


 どことなく間の抜けた会話が交わされてゆく。呆然とした双子の表情がこれまたそっくりで、浅葱としては笑いが止まらない。見た目がそれ程似ているわけではないのだが、ふとした瞬間に見せる仕草や表情がそっくりなのだ。


「貴方、が……?」

「お前が、当主……?」

「そ。俺が当主」

「……琥珀は?」

「うん? ああ、琥珀はうちのカミサマのままだな」

「……はああぁっ!?」


 一拍の間を置いて、今度は唐突に叫ばれた。


「なん……っ!? 当主、って……何がどうなってそうなった!?」

「いや、その辺は俺にもさっぱり……」

「……いいから答えなさい。何がどうなってそんな頓狂なことになったの」

「え、死に掛けて目を覚ましたら既にそんなことになってた」

「意味判んねぇーしっ!」


 つか死に掛けたって何だ無事なのか!? と混乱しながらもそこを気に掛けてくれる青嵐は心底いい奴だなぁと浅葱は思う。何なの貴方、死に掛けたとか馬鹿なの琥珀泣かせる気なの馬鹿なの、もうちょっと詳しく教えなさいとりあえず説教よ ―― と素晴らしい滑舌で容赦のない言葉を吐いた瑠璃も同様だ。言葉が優しいわけじゃないけれど、確かに他人を思いやれる優しさを持ってる。


 大丈夫、生きてる、詳しいことは朱緋に訊いた方が早いぞ原因あの辺だから、と大雑把にも程がある答えを返しながら、浅葱はふと視線を動かした。視線の先には、鶴来の当主の姿。まだ驚きから覚めやらぬ様子の男を見やって、浅葱は少しだけ瞳を細める。


「―― 理解した? こんな子供だけど、口を出す筋合いぐらいはあるんだよ」


 浅葱としては事実だけを淡々と述べたつもりであったのだが、鶴来の当主はそう受け取らなかったらしい。驚きに染まっていた瞳が徐々に怒りに塗り替わってゆく様を見るに、どうやら挑発と取られたようだ。若様は割と素で他人を煽るッスよねー……ええそりゃもうがんがんと! これでもか、ってぐらいに! と千歳に称されたこともある。天然の煽りっぷりは他の追随を許さないッスね! という嬉しくもない保証付きだ。浅葱としては首を傾げるしかない。今も正に首を傾げている。傾げて ―― まぁいいか、と結論付けた。

 相手が怒ろうが気分を害そうが、浅葱としてはやることに大差はないのだ。


「うちのカミサマが、望んだ。それなら、俺はそれを叶えるだけだ」


 琥珀が、望んだ。

 元より琥珀は、何かをしたいとか欲しいとか、そういう希望を率先して述べる性格ではない。どちらかと言えば、我慢して飲み込んでしまう性格だ。


 鶴来のカミサマたちに会いたい ―― と。

 口に出してそう望んだわけでもない。


 けれど、五家の集まりで鶴来は不参加だと聞いた瞬間に浮かべた落胆の表情だとか、時折吐くため息の数だとか、そういう諸々を拾い集めるとそう言っているのと大差ないな、と浅葱は思う。以前はともかく、浅葱と出会ってからの琥珀は、感情が割と顔に出やすく、それ故に読み取りやすい。かわいらしくなっちゃったもんスねー、と感想を述べた千歳に、うん、かわいいと深々と同意の印に頷いた浅葱である。うちのカミサマかわいい。


 望みを、口に出さない。それは望みがないわけではなく、望むことさえも諦めてしまうような周囲の状況がそうさせるのだと知っていたから、浅葱は浅葱で汲み取った望みは勝手に叶えてしまおうと心に決めている。だって琥珀は、本当に望むもの程口には出さない。小さな願い事などはおずおずと口に出してくれるようになったが、心の底からの願い事に関してはまだまだである。


 会いたい、とは口に出さない。だけどきっと、望んでいる。だからこそ。


「自由に会う権利ぐらい、もぎ取ってやろうかと思って」


 どうしたらいいのか少しだけ考えて、まぁいいか、と導き出した結論に従って浅葱はここにいる。


 従者見習いの肩書しかない頃ならともかく、当主の肩書が付いた今ならまぁやってやれないことはないだろうという、大雑把を通り越して無謀でしかない思考が展開された結果だ。とりあえず神代の屋敷で事態に気付いた千歳が絶叫したぐらいにはひどい。ひどいとしか言いようがない。何がひどいって、浅葱ならばやる、と確信されている辺りが、特に。


 そんなとんでもないことを、ごく普通の顔で、あまりにも淡々とした口調で告げる浅葱に、当主は苦虫を噛み潰したような表情になった。苛立たしげな雰囲気を更に増して、ぎり……と拳を握り締める。


「馬鹿な、こと……」

「うん?」

「そんな馬鹿なことがあってたまるか……!」


 唸るような、声だった。認めない、と当主は喚く。

 当主とて、さすがに神代の家の当主がすげ替わったことは知っていた。ああ、あの馬鹿な男がいなくなったのかと、むしろせいせいするような気持ちでそれを知った。当主が変わろうとも神代との交流を復活させる気もなく、次代の当主がどんな者なのかも興味はなかった。どうせ誰がなっても同じ、直接見えることもそうないだろう、と結論付けて。


 その結果が、今目の前にある光景なのだと言う。

 まだ年端もいかぬ子供が、一人前の顔をして自分を見据えている。神の自由を寄越せ、と。―― そんな馬鹿な話があってたまるものか。


「……と、言われても……」


 えー、と緊張感なく首を傾げる浅葱とは逆に、普段自家の当主との折り合いがかなり悪いと自他共に認めているとはいえ、双子には当主の気持ちの方がよく理解出来た。もう何と言っていいのかも判らない。


「……まぁ、馬鹿なことをやっているわね、という部分には同意を返すわ」

「……だな。普通やんねぇ」


 普通、そんなことの為に、他所の家まで乗り込んで来ない。馬鹿だろう、と掛け値なしに思う。


 そんなことの、為に。

 自分は何ひとつ得をしないというのに。

 真正面から堂々と、やって来たと言うのか。


「そんなこと、じゃないよ。元はお前たちが一生懸命勝ち取ろうとしてたものだろ?」


 あと、お前らと自由に遊べるようになるぞー、って言ったら絶対に琥珀喜ぶから。そしたら、俺も得。何も問題ない。

 大真面目にそんなことを言い切る相手に、青嵐はお前ほんと馬鹿だろ……と呟いた。瑠璃は、馬鹿ね……と更に断言に近い調子で呟いた。けれど、それが言葉通りの意味ではないことを、浅葱は知っている。


「ほんと、お前、何考えてんだ……」

「よく判らないにも程があるわ」

「あー……うん。何かそれよく言われる」


 何でだろ? と首を傾げる浅葱は、自分の言動がどんな風に他人の目に映るのかを理解していない。特に理解する気もないので、本日も浅葱は自分の思うが儘に行動する。だから、目の前のカミサマたちの頭も当然の如く撫でる。自重はしない。


 よく判らない、と言われることには不本意だが慣れている。神代に来る前も、自分の弟妹たちに、幼馴染の青年にも幾度となく言われていた。そのことに傷付くような可愛げは欠片も持ち合わせていなかったので、今もなおその辺りの改善がされていないのはいっそ嘆くよりも笑うべき事柄なのだろう。

 浅葱としては、自分の行動をよく判らないと言われることの方がよく判らない。以前、そう零した際には「もう俺にはお前の生き方そのものがよく判らん域に達しつつある」という更なる暴言を幼馴染から頂いた。


 ああ、そうそう、よく言われたなぁ……といっそ懐かしく思う。思えば随分と長い間、家族とも幼馴染とも会っていない。


「……る、な」

「え、あ、ごめん。なに?」


 ぼんやりと過去を思い出していたせいで、自分へと向けられた声を聞き逃した。悪気なく訊き返した浅葱に返されたのは、先程までの比ではない苛立ちと怒りのこもった眼差しと声で。


「ふざけるなっ! そんな馬鹿な話があってたまるか! お前が当主だと!?」


 激高した相手にも、浅葱はきょとん、と瞳を瞬かせるのみである。


「と言われても。俺が当主なのは事実だし、それを決めたのはむしろ俺というよりも籐条の家だし」

「……っ! そもそも! 自由に会う権利だのなんだの訳の判らん理由を付けて、一体何が目的だ!? 何を企んでいる!?」

「え? 別に何も……」

「嘘だ! 会うだの遊ぶだの……っ、そんなことの為に単身でここまで来たと!? 冗談だろう!?」


 当主には浅葱の思考がまったく理解できないのだろう。青嵐や瑠璃にとってすら、馬鹿だろうと言われてしまう浅葱の行動は、己の損得のみで動く当主には完全に理解の範疇外であったらしい。


 とはいえ、冗談だろうと言われても、浅葱としてはどこまでも本気でしかないので、さてどうしたものか……と思ってしまう。……ああ、そういえば。お前はもう存在自体が冗談みたいなものになってるな、と。そんなことを言われたこともあったなぁ……と、ずれた思考がそんなことを思い出した、その瞬間。


「―――― 残念だがな」


 割り込んだ声が、ひとつ。


「そいつ、嘘も冗談も言わねぇから。それ、恐ろしーいことに、裏も表もなく心底本気だぜ?」


 そいつ、という声が指し示すのは、間違いなく自分のことだろう。

 聞き覚えのある声に、振り返る。そこに在った姿は、ちらりと脳裏を掠めたそれと、寸分違わず同じもので。


 え、と浅葱は思う。思考と同時に漏れたその声は、浅葱にしては珍しいことに紛れもない驚きに彩られていた。

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