カミサマ襲来 前編

  さて、と浅葱は思う。


 ―――― さて、どういう状況だ? これは。



 まずは落ち着いてよく考えてみよう。

 本日、自分は用事を言いつけられて町まで出てきたはずだ。日用品の買出しや商家への届け物など、子供でも出来るような簡単なお遣いを命じられるのはこれが初めてのことではない。そもそも町自体が自分の馴染みの場所なのだから、迷子になる要素など欠片もなかった。

 なのに、気が付いた時には知らない場所にいたという現状である。


 本当に、気が付いたら。 というよりは、目を覚ましたら。

 ……そう。ふと意識が飛んで、次に目を開いた時には見覚えのない室内に、手首をがっちりと縛られた状態で転がされていた。

 これは迷子というよりも、どう考えても拉致監禁の類である。


  しまった、落ち着くよりも慌てるべきだった、と浅葱は思った。

 人はこれを後の祭りと呼ぶ。



   *  *  *



 ふむ、と浅葱はがっちりぎっちりと縄で縛られた己の両腕を持ち上げながらひとりごちた。

 あれ、何か既視感、と思う。そう思う自分をどうかとも思う。

 前にもこんなことがあったなぁ……なんて、十をいくつか超えたような子供が思うようなことでもない。ついでにそんな感慨は欲しくもなかった。何故だろう、自分など浚ったところで楽しくも何ともないと思うのだが。

 加えて、身代金目的であるのなら、即座にごめんなさいと謝らなければならないぐらいの実家の経済状況である。兄弟が多いので、口減らしも兼ねて働きに出されたのが浅葱だ。金による助けなど、期待するだけ無駄だということは嫌という程に知っている。絶望的状況ではあるが、それを悲観するような可愛げとも無縁なのでどうということもない。


 困った、と浅葱は小さく嘆息した。

 格子の嵌まった窓から見える空は、もう随分と暗い。浅葱が町へと出たのは、お昼を少し過ぎた頃だ。言いつけられた食品を買い終わって、さぁ帰ろうと思ったところからの記憶がない。それから何刻経っているのだか判らないが、両手を縛られた無理な体勢で転がされていたため、身体の節々が痛い。ついでに買ったはずの食品の行方が地味に気になる。

 生物分類のものだったんだけどなぁ……と、もう一度ため息を吐いた、その時。


「―――― ハ、気が付いたのか」


 声が、した。

 え、と浅葱は思う。思っていたよりも、随分と若い声。

 いっそ幼いと言ってしまった方がいいだろう。変声期を迎えたばかりの、まだ低くなりきっていない子供の声だった。


 予想外のその声にぐるりと首を巡らせれば、すぱんっ! と勢い良く開け放たれた障子戸の向こう側に、人影がふたつ。

 ―― どう見ても、浅葱と同年代と思われる子供が二人、そこにいた。男女の違いはあるものの、良く似た面差しの二人を見て、浅葱はあぁと納得する。


 見覚えが、ある。

 そしてその見覚えが、どこからきたものなのか。気付いてしまえば、納得するしかなかった。


 ああ、これ、俺っていうか、カミサマ絡みの何かだ ―― と。


 つまりは、そういうことである。





 ちらり、ちらりと雪が舞っていた。

 吐き出す息が、白く凍る。

 夜闇が広がる、そんな中で。


 満足に防寒もしていなかったカミサマは、一緒にいた少年にばさりと上着を被せられ、少女にふわふわの襟巻きを巻かれ、不器用に照れたように笑っていた。

 そうして、右手に少年、左手にそれと面差しの良く似た少女、それぞれの手を大切な宝物みたいにぎゅうっと握り締めたカミサマはそのまま神代の家の外へと出て行った。



 それが、浅葱の見た一部始終。


 俗に言う、『カミサマの駆け落ち事件』の始まりの光景だ。



「『鶴来』の、カミサマ……」


 五家のひとつ、鶴来(ツルギ)。

 『闘争』と『増幅』、それを主だった力とするカミサマのいる家。


 確か今代のカミサマは双子だったはずだ ―― と、乏しい知識を引っ張り出しながら、浅葱は目の前に現れた少年と少女をぼんやりと見上げる。ああ、そうそう、こんな顔してたなぁ……と、褐色の肌のどこかいたずら坊主のような印象を受ける少年と落ち着いた雰囲気の少女を見て、僅かに記憶を懐かしんだりもした。状況を考えれば随分と余裕である。


 ぽつり、と呟いた浅葱に、双子のカミサマはぴくりと眉を動かした。

 へェ……? と小さく呟きながら、歩み寄ってきたのは少年だ。


「俺らのこと知ってんの?」


 ゆるり、と少年の唇が弧を描く。

 ……おお、瞳が笑ってない、とその笑みを間近で眺めることになった浅葱はそんな感想を抱いた。笑っているのに笑っていない、他者を威嚇するような笑みだ。


「……顔だけは、知ってる」


 後は知らない、と答えた浅葱に、少年は再びへェ……? と呟いた。

 何故だろう。あまりよろしくない反応を頂いている気がする、と浅葱の本能に近い部分がそう感じ取った。どうも微妙に地雷を踏んでいるようなのだが、それがどこのどういう地雷か判らないまま踏んでいるので、浅葱としては対処のしようがない。

 というわけで、まぁこのまま成り行きに任せようと、軌道の修正は放棄した。ただ面倒だっただけとも言う。


 そんな浅葱の内心など知る由もない少年は、くつり、と喉の奥で笑って浅葱の目線に合わせるように屈みこんだ。先刻よりも更に間近で覗き込むことになった瞳は、やはり笑ってはいなかった。

 獲物を捕らえた時の、野生の獣みたいだな、と思う。

 ぎらぎらとした光を宿した、ひどく強い瞳。


「お前、俺達の顔、知ってるって?」


 それは事実だったので、浅葱は素直にこくりと頷いた。

 間近で、獣の瞳がすぅっと細まる。へェ……と漏れた声は、押し潰すように低かった。


「俺は、お前になんて会ったことねぇけどなァ……?」


 それはそうだろう、と浅葱は思う。

 過去に一度、しかもほんの僅かな間、こちらが一方的にカミサマたちを目撃していただけだ。

 ウチのカミサマとは最近やたらと遭遇するので、そろそろきっちりと認識されているだろうが、特に何の接点もない鶴来のカミサマたちに認識されていたら逆に怖い。自分は何をやったのだろうか、と悩むところだ。


 …………いや、そういえば今の状況も、結構そんな感じではあった。

 今更のように浅葱は思う。何やったっけ俺。


 答えない ―― というより、本人的には答えようがないだけなのだが ―― 浅葱に、少年は苛立ったようにチッとひとつ舌打ちをした。


「―― お前、何が目的だ?」


 そして続いて出てきたのは、低く恫喝するような声だった。

 もはや、口元さえも笑ってはいない。怯えてもいいようなその状況で、しかし浅葱は普通に質問の意図を捉えかねて考え込んだ。

 目的……?


「って、何の?」

「あァ? とぼけるつもりかてめぇ!」

「や、とぼけてるつもりはないけど……」


 あ、しまった。敬語を使うべきだったか、とそこまで答え掛けたところで浅葱はそれに思い至った。完全に同年代を相手にしている気分で話していたのだが、そういえば相手はカミサマだった。

 がしかし、同時にそういえばウチのカミサマにも敬語なんて使ったことなかったな、という事実に思い至り、浅葱はとりあえずすべてを考えなかったことにした。敬語は使えないことはないが、どうもこの場合使っても良いことがなさそうなのでそのまま流す。深くは考えない。気にしないと決めたら気にしない。浅葱はそういうことは得意だった。


「……貴方」


 不意に、それまで黙って成り行きを見守っていた少女が口を開いた。

 熱くなっている少年とは逆に、どこまでも涼やかな声音。いっそ冷ややかと称してもいいかもしれない。それぐらいに温度のない声だった。


「何が目的で、琥珀に近付いたの?」


 色も温度もない、そんな声だったけれど。

 ……あ、俺、現在進行形で何かの地雷踏んでるな、と浅葱が察するに十分な声音だった。しかも、きっとでっかいやつ。だって声に隠し切れない憤りが見え隠れしている。


 少女の気配は、少年のそれに比べてひどく静かだ。

 けれどそれは決して凪いだ穏やかなものではなく、どちらかといえば鋭く尖った印象を受ける。細く、細く、研ぎ澄まされたそれを受けて、狩りの最中の猛禽類を目の前にしてる気分だな、と思った。というか、抱いた感想がまたしても野生である。面差し以外の共通点を見付けたが、あまり嬉しくはない。

 浅葱は脳内で自分のところのカミサマを思い浮かべた。……うん、野良猫。怖くない。むしろかわいい。


 少し和んだところで、あれ、と思う。

 何というか、今……、


「『琥珀』……?」


 聞き覚えのない名前を、浅葱はぽつりと呟くように口にした。

 誰だろう、それは。

 純粋に疑問だっただけなのだが、直後、双子の雰囲気が更に刺々しくなったことを感じ取り、浅葱は地雷を踏み抜いた数をもうひとつ追加した。さっきから地雷しか踏んでいない。

 いや、単純に、本当に、疑問に思っただけなのだ。


 ―― 何が目的で、琥珀に近付いたの? 問われた言葉。

 それに対する浅葱の答えは、意味が判らない、だ。

 琥珀というのが誰なのかも判らないし、目的を問われてもそもそもの前提が判らない。


「……そう」


 ふっと息を吐いて、少女が近付いて来た。少年の隣に立ち、その位置からひたと浅葱を見据えるその瞳にも、やはり温度はない。

 が、怒の感情をこれでもかと伝えてくるのはどういうことなのかと浅葱は問いたい。おお……あからさまに見下されている、と実感している場合でもない。


「あくまでも、知らないと言うつもりなのね」


 いや、本当に知らないし、と浅葱は心の内だけで呟いた。

 それは紛れもない事実ではあったのだが、それを口にすれば余計にややこしくなるのはこれまでの経緯からもなんとなく判る。浅葱だって空気を読むのだ。さっきから好きで地雷ばかり踏んでいるわけでもない。

 というか、根本的に噛み合ってない気がするんだけど……。

 二人分の友好的ではない視線を受け止めて、しかし浅葱の脳内は未だにそんな暢気なものであった。

 いっそ人違いじゃないだろうかと、そんな可能性すら思い浮かべた程である。


 少女が言う。

 色も温度もないくせに、鋭く尖ったその声で。

 少年が言う。

 野生の獣みたいな、獰猛さを宿したその声で。


「知らない、というのならそれでも構わない。私たちは私たちの目的を達するだけ」

「……だな。アイツの害になりそうなものを排除できりゃそれでいい」

「害……?」

「てめぇのことだよ!」


 容赦なんて欠片もない速度で言い放たれた言葉と共に拳が迫ってきた。

 殴られるのかと思ったが、それにしては軌道が少しずれている。そのまま視線で追った先、浅葱の顔の横ぎりぎりの位置に少年の拳は打ち付けられていた。……気のせいでなければ拳が壁にめり込んではいないだろうか。バキッとかいった。

 位置的にも状況的にもまじまじと確認するわけにもいかず、浅葱は目の前の少年へと視線を戻した。かち合った瞳は、判りやすい敵意に染まっている。


 えぇと……と、この期に及んで暢気に浅葱は自身が置かれている状況を確認した。

 要するに、だ。

 誰だか判らないけど、この双子は『琥珀』さんとやらを大事に思っているらしい、という前提があって。

 身に覚えはないのだが、その『琥珀』さんとやらに近付く浅葱の目的は何なのかと訝ったらしい。

 そして、それを問い質すために何故だか拉致という手段を取られ、挙句の果てに『害悪』という判断を下されたのが今現在の浅葱である。


 なんとなくの状況は理解したが、相変わらず意味が判らない。あと、状況は理解しなかった方が幸せだったんじゃないかと思わなくもなかった。だって理解したら疲労感が増した。本気で人違いじゃないだろうか。


「てめぇが何企んでんだか知んねぇけどな、アイツに何かしようってんなら容赦しねぇ」

「私たちは、それを排除するだけ」

「……えぇと」


 言葉遣いの凶悪さと、内容の凶悪さというのは、必ずしも比例するものではないのだな、と浅葱は思った。

 比較して、少女の方が物騒なことを言っている。排除というのは、その意味合いを率直に解釈するに、おそらくそのまま人生が終わる。雑草の如く命を刈り取られるという意味での排除だ。それを淡々と告げられるのだから余計に怖い。


 一般人の平均よりも、恐怖心だとか自己防衛本能だとかその辺りのものがごっそりと軒並み低い浅葱はその限りではなかったが、あ、今さりげなく殺人予告的なもの貰ってる、と滅多とない体験に瞳を瞬かせた。

 というか、当事者なのに状況から置いてけぼりを食らっている。

 今更のようにしみじみと思い、何度目なのだか判らないため息を落としたところで ―――― あれ? と脳内で何かが引っ掛かった。

 ちょっとした、どころではない、盛大な引っ掛かりだったように思う。


「あ……」


 気付いて、浅葱は呟いた。

 割と内心では「あああああ!」と叫んでいるぐらいの勢いだったのだが、とりあえず呟いた。


 浅葱が双子のカミサマたちを知っているのは、神代の家のカミサマと関わりがあったからだ。鶴来のカミサマたちと、直接の面識はない。

 けれど、双子のカミサマは確実に浅葱のことを知っているという風である。逆に言えば、双子のカミサマたちはどこで浅葱のことを知ったのか。浅葱と双子のカミサマとの間にある共通項を考えた時、ぽんっと浮かんでくる該当者が約一名。


 もしかして ―――― もしかしなくても、だ。


「『琥珀』って……」


 ウチのカミサマの名前だろうか、と浅葱が呟きを漏らしたのと。


 ―――― バッキィィッ!


 何かが盛大にへし折れたような音がしたのは、ほぼ同時のことだった。


 え、と思って浅葱が見やった、先。

 怒りに染まった、金色のカミサマが、そこにいた。

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