砂漠渡りの前夜 4
紅茶の甘い香りが鼻腔をくすぐる気配に目を開いた。
何をしていたっけ、と霞のかかった視界で思い出してみると、覗きを咎(とが)められたことに些(いささ)か腹が立つ。
(したくてした訳じゃないし)
よくある言い訳を胸の内で吐き出していると目の前に突然(とつぜん)紅茶が現れた。
「!?」
「兄上、大丈夫? レックに殴られたんだよ?」
やっぱりかと薄く目を閉じた。
遠慮なしにルゥロを殴るのはレックしかいない。
ルゥロはレックに腹を立てた。
あれは覗きではないと取りあえず弁解したい。
けれどルゥロは殴られたというのにやけにぴんぴんしていた。何処(どこ)にも怪我(けが)が見当たらない。
「大丈夫、大丈夫。セイテは心配しすぎなんだよ」
「そう? まあ、切れてないみたいだから大丈夫なんだろうけど」
セイテから紅茶を受け取り、殴られた部分に触れた。血が出ていないようで安心した。
怪我しなかったと言えど、あの衝撃は二度と忘れないだろう。
レックを睨め付けると知らぬふりをされた。
「レック…」
「まあまあいつものことだよ。それにしてもルゥロが覗きなんてねー」
ルチルクルーツが感心したように言った。
「だから覗きじゃない! 普通に気になるだろ」
「それを人は覗きと言う」
「レックは黙ってろ! それに砂漠からの訪問者だからな」
ルゥロの言葉に空気が綺麗に止まった。
ルゥロ達は顔を見合わせ、深く頷いた。
「…クロス様とアテナ様に後で話を聞こうよ。だからルゥロ、覗きは止めようね?」
「まだ覗きの話続いてたのかよ……」
沈黙を破ったルチルクルーツにルゥロは呆れたように言った。
砂漠からの訪問者も帰っただろうからルゥロの両親に話を聞きに行こうと、部屋を出ようとした時だった。
タイミングよく国王がやって来た。
「ルゥロ、今いいか?」
「父上、部屋に入るときはノックしてくれってあれほど」
ルゥロがノックもせずに部屋に入って来た国王に注意すると、国王は眉根を下げながら謝った。
国王の困った顔が瞬時(しゅんじ)に真剣な表情になったのを見て、ルゥロ達は沈黙(ちんもく)を表す。
「お前たちに頼みたいことがあるんだ。…砂漠境界(きょうかい)のすぐ西にある町を知っているか?」
「知ってる。あそこは最後に砂漠化に巻き込まれた場所だからな」
「さっきまで客が来ていたのは知っているだろう? その客がその町の長の娘だ。俺達が何度も訪れる内に顔見知(かおみし)りになったんだが……、その子の両親が賊(ぞく)に殺(さつ)害(がい)されたらしい。そして、町を乗っ取られたそうだ」
セイテから唾液(だえき)を飲み込む音が聞こえる。
ルゥロは弟の緊張(きんちょう)を感じながら話の先を促した。
「何人かの住民も殺害されたようだ。彼女は俺を頼りにしてここまでやって来たみたいでな、取(と)り敢(あ)えず宿屋を手配した。明日にはここを立つ予定なんだが、その時お前達も付いていってほしい」
「罠だとしても、ですか?」
ルチルクルーツが言うと国王はただ頷いた。
ルゥロは小さくため息をついた。
「分かった。俺達が行って、賊を捕まえればいいんだろ」
彼の声に深い怒りが含まれていた。
ニミルにも伝えなければと思っているとレックが抑揚(よくよう)を付けながら国王に質問した。
「賊は人間ですか?」
「いや、人外(パース)だ」
「兄上」
「ああ。明日だったな、ニミルが帰ってきたらすぐ仕度(したく)するぞ」
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