掌編 子猫話

 時は大昭の御代。帝都から逃げるようにこのへんぴな田舎町にやってきた私こと重宮藤花は、最近愛らしい怪異を二人ばかり拾った。これから話すのは私とそんな愛らしい二人の怪異が織りなす、ちょっとした物語である。まあ補遺(ほい)と思ってくれて構わない。

「藤花よ」

「なんだ初瀬」

 最近拾った和装の少女の怪異、初瀬の問いに私は声だけで返す。時間は昼下がり、昼餉を食べ終わってすぐ、少し体を休めていたい時。私はごろんと座敷に肘をついて、右腹を下に横になっていた。今日の昼餉は麦飯と梅干と漬け物、そして味噌汁であった。重くはないが、代わりに量を食べた。それに最近とみに胃が弱くなった気がする。帝都から胃薬でも取り寄せようか。

「食べてすぐ寝ると、牛になるぞ」

「うむ」

 そう言ったものの起き上がる元気はない。軽く身を動かしまた目を閉じる。そんな私に初瀬の叱咤の声が飛ぶ。

「では起きよ!」

「牛、そういえば最近食べておらなんだなぁ」

 初瀬の忠告も聞かずに寝っ転がったまま私はぼやいた。そうだ。ここには牛肉がない。鶏肉や豚の代わりの猪肉はあっても牛肉はなかった。

 この町にも牛はいることはいるが、農家の働き手であり、食べるなんて言ったら目を丸くされること請け合いだ。ああ、牛か。牛肉か。帝都が恋しい。牛すきの甘じょっぱい味が恋しい。昼餉を食べたばかりなのに私は最早簡単には食べられない肉のことを思う。少し腹の動きが増進したのか、胃の具合も良くなってきたようだ。私は手で胃の辺りをなで回す。

 ビシ。

 そんなことを言ったり思ってたり行動していると初瀬にこめかみを叩かれる。私は起き上がり、ようやく初瀬の方を見る。初瀬は不機嫌な顔で私のことを見上げていた。

「なんだそんな不機嫌な顔で」

「不機嫌にもなろう。最近のおぬしと来たら食っては寝てばかりで何事をなすこともなく一日を無駄に過ごしておる!」

「そもそもそういう暮らしを求めてきたのだ。不平を言われる覚えはない」

 私が言うと初瀬が目を丸くする。

「なんと、まだ若いのに萎びたことを言う」

「実際私は萎びた抜け殻よ」

「うむむ、口ばかりは達者だのう」

 初瀬が私のあしらいにうむむと唸っていると早雪が顔を出した。早雪もまた初瀬と同じ時に拾った少女の怪異である。まあ、実際の年齢は二人ともわからぬが。

「二人とも、いかがなされましたか」

「うむ早雪よ。おぬしも何か言ってやれ。近頃のこやつときたら、まるで働こうという気概がない。これではわしも退屈じゃ」

「平穏なのはよろしいことですわ」

 私たちに割ってはいるようにちょこんと座って早雪が言う。

「早雪まで言うか! わしはもう少し彩りのある生活がしたい」

「あらあら、初瀬はわがままですわね」

「何を言うか」

 初瀬はいきり立つが早雪はのんびりしたものである。諭すように初瀬に言う。

「怪異が忙しいときとは身に危機が迫ったとき。私たちは静かに過ごせることを喜ぶべきかと」

「そうかのう」

「ええ。そうですわ」

「早雪も言ったろう。平穏なのが一番なのじゃ」

 初瀬と早雪の言い争いに私も早雪の側で加勢する。すると初瀬はぷいとすねてしまった。「しかし退屈じゃ」

「ならば一戦交えるか」

 私の言葉に少し妙な空気が辺りに漂う。座っていた早雪が少し足をもぞりを動かした。だが初瀬はその気ではなかったようだ。私に言う。

「それも悪くないが、それはますます不健康じゃ。わしはまず健康的に散歩でもすることを提案するぞ」

「ふーむ、散歩か」

「どうじゃ」

 重ねて言う初瀬に私も重い腰を上げることにした。実際行くところは探せばあるのだ。私は初瀬に切り出す。

「いいだろう。丁度出かける用事もあった」

「何じゃ」

「庄屋の所よ。また漬け物を貰わねばならぬ」

 私が言うと初瀬が提案してきた。

「藤花よ。貰うだけではなくおぬしも一つ漬けてみてはどうじゃ」

「うむ、しかしあれは生き物じゃ。毎日手間を掛けねばならぬからのう」

 私は言った。あれは毎日ぬか床をかき混ぜる必要がある。男やもめにはどうもぴんと来ない作業であった。早雪もそれに同調する。

「そうですわ。万一に備えなくてはならない藤花様には酷ですわ」

「しかし、その万一とやら、いつ来るのかのう?」

 若干嫌みっぽく言う初瀬に私は答えた。

「来なければ来ないで良いが、やはり来るときは来るのだ」

 私は言った。すると初瀬がまた提案してくる。

「藤花よ。得意の占いであらかじめ予見できぬか」

「あいにくそういったことは占えぬ。先のことは占っても当たらぬ」

「なぜじゃ」

 怪訝そうに問う初瀬に私は答えた。

「わからぬ。だが占うことが先のことに影響を与えてしまうのではないかと言われておる」

「ふむん。わからんの」

「難しいのですわね」

 私の言葉に初瀬は腕を組み早雪は首をかしげた。話題を切り替えるように私は言う。

「とにかく、庄屋の所に向かおう」

「あいわかった」

「承知しましたわ」

 付いてくる気満々の二人はそう言って了解するのであった。


 庄屋の所へ向かい、いつもの若旦那から漬け物と根菜を貰う。それを抱えた帰り道のことである。

「童(わらし)の泣き声がするの」

 初瀬が声を出した。早雪も耳を澄まし言った。

「はい、聞こえますね」

 言われて私も耳を澄ます。だが私には何の声も聞こえなかった。二人とも五感が優れているのだろうか。私はあてずっぽうで言う。

「ふむ、大方いたずらでもしてしかられたのであろう。私も幼い頃は」

「黙っておれ!」

 初瀬の叱咤に私は言葉を呑み込む。しかたなく私は荷物を抱えたまま二人の気が済むまでその場で佇んでいた。

「ふむ。あまり良くない泣き声じゃの」

「ええ」

 初瀬と早雪は二人で顔を見合わせるが私は困惑するばかりだった。耳を澄ましても童の泣き声など聞こえない。ただ猫が近くで喧嘩しているのかニャァニャァと声がするのみ。私は二人に向かっていった。

「私にはとんと聞こえぬ。一体どこから聞こえるのだ?」

「おぬしには聞こえぬか」

「藤花様に聞こえないとなると……ますますよろしくない泣き声ですわね」

「うむ、救いを求めてもあれでは手をさしのべるものもおるまい。早雪、わしらが向かうぞ」

「はい」

「待て二人とも。どこへ行くのだ」

「すぐそこじゃ!」

 初瀬は振り返り私に言うと、早雪と一緒に駆けだした。和装なのに大した物である。見物していると、二人の足が止まった。初瀬と早雪は私の方を見つめ、不服そうに声を出す。

「藤花。おぬしも走らんか」

「なぜだ?」

「ここは白壁の力が薄い。おぬしが持っている壁のかけらが無くては遠くまでゆけぬ」

「そうですわ。急いでくださいまし」

「やれやれ……」

 私は荷物を抱えたまま走り出す。まだ消化し切れていない腹が突っ張ってとても走りにくかった。

「あそこじゃ!」

 やがて立ち止まった初瀬が一本の枯れ木の上を指さす。私は指さした方を見上げ言った。

「上か」

「うむ。あの木の上じゃ」

 私は葉が落ちて裸となった木の上を見る。そこに一匹の小さな猫がうずくまっていた。私は言う。

「なんだ。猫ではないか」

「うむ、猫じゃ。言っておらなんだか?」

「童(わらし)と言っておったぞ」

「猫の童じゃ」

 初瀬の言葉に私は文句を付ける。

「子猫と言って欲しかった。それならば聞こえていたのに」

「そうか。それはすまなんだ。しかし救いを呼ぶ声とまではおぬしには聞こえなかったのではないか?」

 初瀬の指摘に私は唸る。

「むむ、それは確かに」

「あの子猫、あんな高いところまで昇って、きっと昇ったはいいけれど降りられなくなったのですわ」

「だろうな。さて藤花。どうする?」

「助けるのだろう。このお人好しどもめ」

 私は言った。初瀬がにやりと笑う。

「うむ、あのままでは良くない怪異にもなろう。その前に救うのも先に怪異になった者の勤め」

 初瀬の言葉に早雪も無言で頷き子猫を見上げる。しかし私はそんな決意を込めた二人の横顔を見ながら別のことに思いを馳せていた。


 初瀬。お前も泣いていたのか?

 早雪もそうか? それでも誰も助けてくれずに怪異となったのか?


 聞くことはできなかった。だがこの猫を救わねばならないと思い始めたことは確かだ。今は怪異となりはてた初瀬や早雪のためにも、必ず。私は持っていた荷物を近くの草むらに置き木の枝に手を掛け足を木の幹に回す。私の体重で木は軽くしなり、子猫は木の枝にしがみつきさっきとは別の声色で鳴き始めた。ああ、くるな。くるなと言っているな。なんとなくそれがわかった。

 だが行かなければ助けることはできぬ。私は木を昇り始めた。木登りは正直あまりしたことはない。ひょろひょろのくせにやけに高い木だ。何という名前だろう。そんなことを思いながらゆっくり昇る。少しつき出た腹が体と木が密着するのに邪魔となる。これは確かに気を抜きすぎたかも知れぬ。初瀬の忠告が今更ながら身にしみた。来るかもわからぬが万一のためにも体を保っておかねばなるまい。

 だが今はこの木だ。ゆっくりゆっくり足をかけ手をかけ昇ってゆく。子猫はくるなくるなと泣き叫ぶ。高くなるにつれ木は細りしなりもどんどん大きくなった。子猫は震えてもはや身動きすらせぬ。

 ようやく子猫の体に手がかかる場所まで昇った。そろそろと子猫に手を伸ばす。背を捕らえた。だが子猫は枝にしっかりしがみついて離れぬ。これはどうしたものか。私は対処に困って下を見た。高い。少しくらっとするような高さだ。初瀬と早雪はこちらをじっと見ている。

「首をつかみなさりませ。母猫はそうして運びます」

 口に両手を当て早雪が助言をしてくれた。そうか、ならばあともう少し昇る必要がある。私は手を猫から放し木を昇ろうとした。その時である。強い北風が吹いたのは。木がしなる。子猫が枝から離れる。私は思わず手を伸ばし、子猫を掴んでいた。子猫がしゃむにに暴れ、私の手をひっかいた。しかしここで離すわけにも行かぬ。私は力を込めて子猫を捕らえる。子猫は爪を立てるばかりではなく勢いよく噛みついた。鋭い痛みに私の手が子猫から離れる。そうしてそのまま私の手から飛び跳ねて空へ。

「初瀬!」

「うむ!」

 初瀬がその力――念動力を使う。子猫の周りに力が働き落下速度が遅くなった。そのまま子猫は草むらへとやんわりと着地する。初瀬が力をとくと猫は一目散に逃げていった。

「やれやれ」

 傷を負わされた手を見ながら私は言った。そのまま木を降りる。昇るのとは違い、あっけなく地面まで辿り着いた。私はめくれ上がった衣服を直し、初瀬と早雪に向き直る。

「初めから飛び降りてくれれば初瀬の力で手間はなかったんだがな」

「仕方あるまい。降りろと言っても猫には通じん」

「木を蹴れば良かったかな」

「それでは藤花が猫をいじめているようにしか見えぬ」

 初瀬に早雪、二人の姿は他の者には見えぬ。確かにそんなやりかたで猫を追い落としている所を誰かに見られたら私が無碍にいじめているとしか見えないだろう。

「それもそうだな。しかし初瀬のお陰で助かった。猫も感謝しておろう」

「さて、どうじゃか」

 私が初瀬をねぎらうと初瀬はつんとそっぽを向いた。そんな初瀬に私はさらに言葉をかける。

「謙遜するな。良いことをしたのだ。きっと良いことが返ってくる」

「そうですわ。きっと良いことが帰って来ますわ」

 私の言葉に早雪も同意する。

「じゃといいがの。時に藤花よ。良い運動になったであろう」

「まあ。そうだな」

 つい落ちる子猫を掴んで傷ついてしまった手をふらふらさせながら私は言った。それを見て早雪が心配する。

「それにしてもひどい傷。洗わないと腫れてしまいますわ」

「うむとりあえず、井戸は近くにないだろうか」

「あの家の井戸を借りましょう」

「うむ」

 私は側にあった家の井戸を家の者に断って借り、傷の応急手当をした。


 荷物を抱え家に戻る。野菜と漬け物をしまい、水で洗った傷口をさらに焼酎で清める。包帯は巻かず、そのままに任せる。しかし今日は右手が使えないので飯炊きは止めにした。漬け物と珍味の梅干しだけの簡単な食事とする。それとついでに毒消しに使った酒を少しいただく。それで酔ってしまったので後でこっそり取っておきの茶菓子を食べてしまった。

 座敷にいると初瀬だけがいた。

「早雪はどうしたのじゃ?」

「早雪は五つ辻に行っておる。わしらは一応あそこが本拠だからの。たまには見て回らないと気が済まぬらしい」

「初瀬はいいのか」

「今日は早雪にまかせた」

「やはりお前は得な性格をしている」

「そうじゃの。おや、少し酒の臭いがするの」

「うむ。毒消しに使ったからな」

「猫の童に付けられた傷か。見せよ」

 私は初瀬に傷を見せた。傷は塞がっているがまだ赤く腫れ上がっている。

「子猫の代わりにわしが感謝の意を示そう」

 そういって初瀬は私の手を取ると猫のように舐めてくる。

「何を? 初瀬?」

「これも毒消しじゃ」

「……」

 確かに唾にはそのような効能がある。私は初瀬のさせるがままにした。初瀬が私の右手を舐めながら言う。

「酒の味がする。酔ってしまうかも知れぬ」

「怪異でも酔うのか」

 私の言葉に初瀬が少し笑ったようだ。私に言う。

「酔ったわしを見たくはないか?」

「少し見てみたい」

「ではもう少し舐めさせよ」

「傷が開かぬ程度に頼む」

「あいわかった……」

 うっとりと初瀬は私の傷をなめる。やがてそのまますやすやと寝息を立ててしまった。本当に酔ったのだろうか。下戸な上に寝上戸だったとは。

「あら、今日はお早いお休みですか」

 五つ辻から帰って来たのだろう。早雪が言った。

「うむ、初瀬は酔ってしまったようじゃ」

「お酒ですか、では早雪も少しいただきとうございます」

「そうか。なら酔った初瀬を肴に一杯やるか」

「おつきあいいたしますわ」

 私は台所から焼酎と茶碗を用意する。そうして早雪と自分の前に並べた。ゆっくりと注ぐ。早雪はそれを受け取った。

「いただきますわ」

「早雪、酒は大丈夫か」

 あっさり眠ってしまった初瀬のこともあり私は聞いてみた。

「ええ、多分。昔はよく振る舞われていたものです」

 そう言って早雪はコクコクンとあっという間に飲み干してしまう。

「ふむ」

 私は早雪の縁について少し頭を巡らせてみたが、それよりも今を愉しむことにした。早雪の茶碗にも新たに酒を足し自分の茶碗にも酒を注ぎ、こちらはちびりちびりとやる。

「あまり傷には良くないな」

 酔ってくると塞がったばかりの傷が痛み出す。あまり深酒しないほうが良さそうだ。私は早雪に薦める側に回り、早雪は底なしのように酒を飲み干してゆく。

「こんなに酒が好きだったとはな。気づかなんで申し訳なかった」

「それよりも伺いたいことがあるのですが」

「何だ」

「子猫を助ける前に早雪達の顔をご覧になりましたわね。何か感づかれたのではないですか?」

 早雪に問われたので私は言った。

「うむ。そなた達の生まれについて考えていたのよ。お前達もあの猫のように……」

「みんな昔の話ですわ」

 話を割るように早雪は言った。私は同意する。

「そうだの」

「今が幸せならばそれでよろしいかと。早雪は幸せでございます」

 そう言って早雪は服をわざと乱し私にしなだれかかってくる。

「酔ったか早雪」

「さて、どうでしょう」

 しばらく早雪を抱き寄せ、肩や腕をさするように撫でる。しばらく早雪はくすぐったそうに身をよじっていたがやがてするすると眠ってしまった。

 二人とも寝たところで私も眠ることにした。二人に布団を掛け、酒と茶碗を部屋の隅に片付け、明かりを消し、自分の布団に潜って目を閉じた。

 これで猫の話はおしまいである。あのあと特に恩返しがあるとかそう言うことはなかった。

「そんなものよ」

 初瀬は笑い、この話はおしまいとなった。

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