第13話 初瀬と早雪の章 その13(了)

 当日の朝、目を覚ますと、庭が何だか騒がしい。見ると早雪が久々津で操った箒で一心不乱に落ち葉をかき集めている。私は早雪に話しかけた。

「朝から忙しいな。何をしている」

「福を呼び込んでいるのですわ」

 そういえばそのような箒を買い込んでいたのだった。すっかり忘れていたが。私は早雪に頭を下げた。

「そうか。すまない」

「いいえ、何かしてないと落ち着かないのです」

「しかし久々津の腕も上がったな。これならばきっとうまくいくだろう」

 私は早雪を褒めるが当の早雪は眉を曇らせる。

「そうでしょうか。早雪は不安です。生きている人を操ったことはありませぬゆえ」

「確かに。生きている人間は操れぬ。魂が入っているからな。だが今回は魂の抜けた人を操るのだ。物と同じだと思っても構わぬ」

 私は早雪の不安に答える。けれど早雪には一抹の不安が残っているようだ。私に聞いてくる。

「藤花様はそのようなことはいたしたことはありますか?」

「いや私もない。憶測で物を言っているに過ぎんことは認める」

「やはり、心配です」

「うむ。一度予行をしたかったが。薬が一回分しかなく申し訳なく思う」

 それに私は薬の調合師ではない。薬に関することは蚊帳の外であった。それにこの薬がまだ効力を保っているかもわからぬ。念のため新しい薬を届けるように帝都に手紙を出したが、届くのは何時になるのやら。と箒が止まった。庭を掃き終えたのだろう。落ち葉一つ無い庭を見回して私は早雪を褒めた。

「早雪には才能があるようだな」

「そんな、照れますわ」

「その箒は早雪が自由に使うが良い」

 私は早雪に言った。

「では次に玄関を掃いて参りますわ」

 しかしその言葉を聞いて慌てて私は早雪を止める。

「それは待て早雪。人目についたらどうする」

「それもそうですわね」

「玄関は私が掃こう。あげたばかりですまんがその箒を貸してくれ」

「はい、どうぞ」

 音もなく箒が私の手元に来る。やはり弟子ながら大したものだ。それを受け取って私は玄関を掃きに行く。私とて初瀬のために福を呼び寄せたい気分だった。


 玄関を掃いていると初瀬がひょっこり顔を出した。

「いよいよ今日だの」

「うむ」

 初瀬の言葉に私は頷いた。初瀬は興味深そうに私の持っている箒を見る。

「それは福を呼ぶ箒か」

「そうだ。験担ぎと言ったところか」

 私が言うと初瀬は目を向いて言い返してくる。

「験担ぎなどではない。きっと福を招いてくれる」

「そうか。おまえがいうのならそうなのだろうな」

「わしの目に狂いはない」

「そうだな。そう信じよう」

 私はそう言うと後は黙って玄関を掃く。そんな私を初瀬は飽きることなく眺めていた。


 後は普段通りに飯を食べ夜に備える。あとは五つ辻で私が横たわるための茣蓙(ござ)と鋏を用意するぐらいで努めて軽く今日という日を過ごした。

 そして夜も更けた。いよいよ決行の時である。私は荷物をまとめ、座敷の二人を呼ぶ。二人は音もなく現れた。

「手はずはどうなっているのじゃ」

「まずは私が一度閉じた白壁の新しい脈を開ける。それが終わったらいよいよ早雪の番となる。私が薬を飲んで仮死状態になる故、そこを操って二人の魂の繋がりを断ち切る。そうしたら初瀬は脈の所へ向かい、私はそのまま目が覚めるのを待つ。そんなところかな」

「緊張するのう」

「お前が緊張してどうする。早雪にすまんと思わぬのか」

「しかし緊張する物は緊張するのじゃ」

 確かに素直に感情を吐きだしていた方がよいかも知れぬ。私は初瀬に言った。

「そうだな。心の乱れは術に差し障ろう。今のうちに吐きだしてしまうが良い」

「うむ」

「では行こう。早雪もあまり不安がるな。教えたとおりにやればよいのだ」

「わかっておりますわ」

「では参ろう。初瀬よ、早雪よ」

「うむ」

「はい」

 こうして私たちは五つ辻に向かった。

「大丈夫じゃろうか。やはり帝都へ行った方が良かったのではないか?」

 道すがら初瀬が心配そうに私に聞いてくる。

「心配してても仕方ない」

「よくもそう落ち着いていられるの」

「うむ。不思議と落ち着いている。やれることはやったからだろうか」

 私は初瀬の不安にそう答えると暗がりを明かり頼りに歩く。みれば道に落ち葉が散っている。里の紅葉もそろそろ見納めだろうか。

「わしはちっとも落ち着かぬ。やれることがなかったからじゃ」

「すみません。覚えることに精一杯で」

「すまんな。一人だけのけ者のようにしてしまった」

 二人して初瀬に謝る。確かにここしばらくは早雪のことにかかりきりであった。

「まったくじゃ。わしに何か出来ることはなかったのか?」

「うむ。今思えば手伝って貰うことぐらいは出来たような気もするが、いまさら言っても仕方ないことだ」

「まったく。仕方ないのう」

 私は初瀬の愚痴を聞きながら歩きやがて五つ辻に辿り着く。夜も更けた頃だ。ここに人通りはない。私はまず脈の側に自分が横たわる用の茣蓙を敷き手に持っていたランプの明かりをその枕元に置いた。

「では開けるか」

 次に私は言い、先日のように釘を取り出す。そうして力の脈を縫った箇所にあてがい、釘を打ち込んでゆく。

「おお、力がわき出してくる」

「はい。早雪にもわかります」

 私は釘を打ち込み終わると懐にしまい二人の方を見て言った。

「これでこちらの準備は良いだろう。初瀬よ、魂が切り離されたらすぐにここへ向かえ」

「うむ、わかった」

「では薬を飲もう」

 私は懐中から薬を取り出し、飲んだ。そうして鋏を右手に持ち茣蓙に横たわる。すぐに意識が遠くへ飛んでゆくのを感じた。


 これからのことは夢の記憶である。なので簡潔に記す。

 気がつくと自分の体を見下ろしていた。隣には初瀬がいる。やがて、私の肉体の方が動き始めた。鋏を持って立ち上がり、私と初瀬の繋がりを絶とうとする。やめて欲しかった。私の心がざわめき震える。そんな私に肉体の私も戸惑っているようだった。しかし、肉体の私は勢いよく私と初瀬の繋がっているところを鋏で切断してゆく。心がひどく痛む。痛んでいたんで仕方なかった。私は暴れる。暴れ回ったが、魂はうまく動かず、鋏は容赦なく私と初瀬の繋がった部分を切断してゆく。みれば初瀬も苦しそうであった。何故このようなことをするのか。魂である私にはわからなかった。やがて処理が済んだのか。二つの魂は分かたれた。私は何かを失った気がして地面に落ちる。そのまま消えてしまいたかった。しかし私の肉体はそんな私の魂を拾い上げて抱き寄せる。私はなぜかそれにひどく安心してしまい、また意識を失った。


 気がつけば私は五つ辻に倒れていた。体を動かす。問題はなさそうだ。ではうまくいったのだろうか。私は辺りを見回してみる。ランプの明かりは消えかかっており、一体どれほどの時間が経ったのか私にはわからぬ。とりあえず消えかかったランプの芯を出して周囲を明るくしてみる。

「初瀬に早雪。おるか」

 次に呼びかけてみる。するとすぐに返事があった。

「終わったぞ。藤花よ。いままで感謝する」

「ええ、なんとかうまくいきました」

 その言葉と共に二人が暗がりから姿を現す。私は言った。

「終わってみればあっさりだな」

 私の言葉に初瀬は大笑する。

「それを言うな。おぬしの占いと同じよ」

「こちらは色々大変だったのですが」

「そうか。すまん」

 私は初瀬の言葉に納得もし、また早雪の言葉については謝った。

「いいのですわ。藤花様の魂が初瀬と離れたがらないで困っていたぐらいですから」

「そんなにか」

「ええ」

 では先ほどの夢は実際にあったことなのだな。私は納得し、早雪の方を向く。

「感謝する。早雪」

「いいえ。二人とも無事で何よりです」

「そしてすまない。初瀬の面倒をこれから末永く見てやってくれ」

「ええ、それはまったく構わないですわ」

「そう言ってくれると助かる。では私の仕事はこれで終いだ」

 本当に終わったのだな。私は感慨深げに言う。

「そうですか。少し寂しくなりますね」

「なにここに来ればまた会える」

「それもそうですわね」

「では初瀬に早雪、いままで世話になった」

「こちらこそですわ。何かあったりまた力をお貸し致しましょう」

「初瀬もじゃ。おぬしのお陰で命を長らえたようなものじゃ。貸しはたんまりある」

「では、何かあったら頼ろう」

 私は二人に言う。

「そうしてくださると嬉しいですわ」

「うむ。何かあればわしらに任せるが良い」

 初瀬と早雪、二人の言葉に私は頷いた。

「ではな。二人仲良く過ごすのだぞ」

「わかっておる」

「ええ、仲良くいたしますわ」

 名残は惜しかったが、ここに来ればまた会える。私はそっと五つ辻を離れた。初瀬と早雪は私の姿を何時までも見送ってくれていた。


 家に帰る。こんなにがらんとしていただろうか。私は着替え、体を拭き、服を着ると座敷にごろりと横になる。初瀬に早雪、いなくなればなったで寂しいものがある。

 だがこれが私のいつもの生活だ。そう言い聞かせて目を閉じる。今日は疲れた。一眠りしよう。私は初瀬と早雪の残り香のする布団にくるまって眠る。

 

 明け方だろうか、まだ暗い夜に一度目を覚ます。あたりはしんと静まっている。私は布団の上でしばらく呆けていた。やはり心にぽっかりと穴が空いたようだ。しばらく闇の中で思考を走らせる。このような生活を望んでいたのに、もうこれでは満足できない自分がいる。あのにぎやかさが恋しい。だめだ。寝てしまおう。私は布団にくるまり目を閉じる。


 目を覚ましてもやはり一人だった。今日は布団を干そうと思う。これでおそらく初瀬と早雪がこの家にいたという痕跡が全て消えることになる。私は布団を縁側で干し、しばらくそれが日に当たる光景を見ていた。その後は市に行き魚と葉野菜を買い求める。市のことも初瀬と早雪がいなければ知るのはずっと後だったろう。

 家に帰り布団をひっくり返し昼餉にする。お湯を沸かし麦入りの米を炊き、味噌汁を作る。魚を焼いて食事とする。食事が済むと椀を洗い、また布団をひっくり返し叩いた。薄く埃がもうもうと上がる。私は座敷に戻った。目を閉じる。そうしてじっと孤独に耐えていた。


 干していた布団をしまい、今日からは前のように奥の茶室で眠ることにする。畳んでいた布団を広げ寝る支度をする。これが自分の生活だと言い聞かせても孤独感は強まるばかりだった。しかし用も無くあの五つ辻に行くのはどこか気恥ずかしく思われた。初瀬や早雪、特に初瀬にからかわれそうで。私は昼とあまり代わり映えのない夕餉を摂り、そうそうに茶室の布団に身を横たえる。そういえばここでは早雪と交わった。何気ない思い出が今の私の心を苦しめる。気がつけば私は小さく叫んでいた。

「初瀬。早雪」

「なんじゃわし等を呼んだか?」

「意外と早かったですわね」

 すると二人がぬっと暗闇から姿を現した。幻ではない。なぜだ。私の不審を悟ったのだろう、二人はそれぞれに理由を説明する。

「ここは白壁の中と申しました。早雪は自由に動けます」

「初瀬も最早白壁の怪異。早雪と同じじゃ。それにおぬし、白壁に縁のある物を今も持っておろう?」

 そうだった。以前削った白壁のかけら。今も守り袋に入れて首から提(さ)げていた。

「すっと藤花様をみておりましたわ。何時早雪たちを呼ぶか楽しみで」

「意地の悪いことを」

 早雪の言葉に私が言うと初瀬が困惑したように言葉を返す。

「わしらも自信はなかったのじゃ。藤花にとってわし等をこの家に住まわせることが、はたして本当に良いことか自信がなかった」

「だから呼んでくださるまで姿を消していようと二人で話し合ったのですわ」

 初瀬の言葉を早雪が受け継ぐ。理はわかった。だが。私は口にする。

「なるほど。しかし」

「しかしもないですわ。呼ばれたから参りました。これからも末永く愛してくださいまし」

「初瀬もじゃ。呼ばれた以上仕方ない。おぬしの側にいよう」

 そういうと二人は私に身を委ねてくる。慌てて抱え、肉の重みと柔らかさを感じ、それが真の初瀬と早雪であると理解する。ならばと私は二人を抱きしめる。

「もう離さぬ。今宵は覚悟せよ」

「望む所じゃ」

「うれしゅうございますわ」

 こうして私の平穏な日々には二人の愛らしい怪異が付け加えられたのであった。

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