第5話 初瀬と早雪の章 その5
今朝の目覚めは存外に早く、そしてさわやかだった。昨夜はあまり回数をこなさなかったせいかもしれない。私は身を起こし衣服を整え、台所へ向かう。まず体を清め、手早く米を炊き、その三分の一と昨日買い求めた鰺の干物の残りで朝食を摂り、残りの三分の二は梅干しを入れた懐中食とする。そうして私は山登りの支度を調えると、二人を呼びに座敷へと向かった。
「初瀬に早雪、起きているか?」
「ええ、起きています」
「起きておるぞ」
私の問いに二人の声がする。私は座敷に入った。普段通りの格好をした初瀬と早雪が座敷に座って待っていた。
「これから山へ向かう。準備はいいか」
「わしは問題ない」
「早雪も問題ありませぬ」
「では行こうか」
そこで初瀬は私の姿を上から下まで眺めて言った。
「それにしても、おぬしその格好は山伏みたいじゃな」
「そんなたいそうなものじゃないさ」
私は答え、今日は予定通りに家を出発した。目指すは北の小高い山だ。昼過ぎに着ければよいが。私は杖を突いて歩き出す。
山登りがこんなにきついとは。私は歩きながら思う。獣道や猟師が作った道を踏み分けながら山を登ることは存外に難しい。私は息を乱さないように進む。それにしても。
「見よ早雪、紅葉が見事じゃの」
「ええ、ほんとに」
二人はそんな私に構わずのどかであった。確かにここの紅葉は見事だった。だがそれを気にしている余裕は無い。私は必死に山を登る。と獣の影が現れた。牝鹿である。こちらを見て逃げるかと思ったが、向こうは逃げもせずにずんずんこちらに近づいてくる。
あやかしか。
私が思ったその瞬間だった。
「あやかしなどと一緒にするな人の子よ」
頭の中に声が響く。どうやらこの山の神らしい。私は非礼ををわびて一礼をした。初瀬と早雪は姿を消す。
「これは失礼をした。我らはこの山の頂上にある怪異を養う地を閉じに参った者」
そう私は言う。するとその場の緊張の気配がわずかにほぐれた。
「それはいいことを聞いた。あれが開いてからよそからここに怪異が集まってきてならぬ。追い払うだけでも一苦労じゃった。早く閉じてくれると助かる」
「無論そのつもり」
私が答えると山の神は私を一瞥していった。
「しかし怪異とは言え女連れとは呑気なものよ」
「女人禁制の山とは聞いてはいなかったが」
私が言うと山の神は面白くなさそうに鼻を鳴らした。また頭に声が響いてくる。
「初めは怪異をこの山の頂上に住まわそうとしておるのかと思って警告しに来たのじゃ。それが間違いであって良かった。人の子よ。我はもう行く。うまく用事を達成することを祈る」
そう言って姿を消そうとする山の神を私は呼び止める。
「ああ待ってくれ山の神よ。一つ聞きたいことがある」
「なんだ、人の子よ」
首だけで振り返り山の神はまた頭に声を響かせてきた。
「五ヶ月ほど前にこのあたりで異変が起きなかったか?」
「我に人の年月はわからぬ。年長く生きている者故。人のことは人に聞くが良い」
「そうかわかった。呼び止めてすまなかった山の神よ」
「……」
もう何も語らず山の神は視界から消えていった。
「怖かったの」
「まったく」
初瀬と早雪は再び姿を現すと互いに顔を見合わせて言った。私も正直怖かった。ここに初瀬か早雪を住まわそうと一時でも考えていたと知れたら一体どうなっていたことか。私は深く深く息を吐き、心を落ち着けるとまた山を登り始めた。
途中で懐中食を半分食べ山頂に着いたのは予定通り昼過ぎであった。私は早速力の漏れ出でているところを探る。見つけると昨日のように針と糸とで綻びを縫ってゆく。
「何度見ても見事なものじゃ」
「ええ、本当に」
初瀬と早雪が感想を漏らる。山の神が守っていたお陰でここには怪異の存在がいなくて助かった。昨日のような無益な争いは願い下げである。私は綻びを縫い止めると、しばらく山頂からの眺めを楽しんだ。
「ああ、あそこに白壁が見えますよ」
「どうれ本当じゃ。ずいぶん歩いたのう」
二人も歓声を上げながら秋の山の眺めを楽しむ。
「あなたは憑いてきただけではないですか」
「何を言うおぬしもそれはそうではないか」
「まあまあ争いは止めよ。景色を楽しめ」
少し険悪になりそうだったので仲裁に入る。そうして水筒から一口、水を飲んだ。
「では帰るぞ。日が落ちる前に山を抜けたい」
しばらくして私はそう言った。二人とも無言で頷いてくれた。私たちは山頂を後にする。
特に事件はなく山を抜ける。もしかしたら山の神の加護かも知れぬ。とはいえ山を下りる頃には辺りはすっかり真っ暗になってしまっていた。私は持っていた提灯に明かりをともし家路を急ぐ。帰りにあの白壁の五つ辻に立ち寄った。私は早雪に尋ねる。
「どうか、白壁に力は戻ったか」
「少しは。けれど、十分と言うほどにはほど遠うございます」
「そうか。ふむう」
繕いは閉じたはずなのだが。一体何故。私は考えたがすぐに答えは出なかったので、後回しにすることにした。今は帰還することが第一だ。私たちは五つ辻を去り家へと帰る。
「ふう、疲れた」
「お疲れ様じゃ」
「今日は良い仕事をなされました」
家に辿り着く。私は玄関に座り呻いた。そんな私を二人はねぎらう。今日は歩きづめで疲れた。とにかくこの衣装を脱ぎたい。私は衣装を脱ぎ、ふんどし一枚になると台所で水浴びをした。今日着た衣服も桶に漬けておく。夕飯は懐中食の残りを湯で戻しいただこう。そう思い湯を沸かす。ついでに火で体を温める。
「何じゃ、湯は使わんのか」
「せっかく小さいながらも湯殿がありますのに」
「湧かすのが面倒でな」
二人の問いに私は答えた。
「では早雪が湧かしましょう」
「出来るのか」
唐突に早雪が言ったので私は驚く。
「ちょっと疲れますが火を守るのならばできますわ」
「ではわしは体を洗ってやろう」
「まあ初瀬ったらずるいですわ。私も湧いたら入ります」
「火の番も重要な役めぞ」
また二人が険悪になりかけたので私は割って入る。
「二人ともつまらないことで争うな。湧いたら火を消して入れば良いであろう」
「そんなに早雪の裸が見たいか」
「私は二人の裸が見たい」
初瀬が言うので私は返した。
「そ、そうか」
「あらあら」
二人がどこか困ったような、そして潤んだような瞳で見るので私は一つ咳払いをした。
「……では早雪、頼めるか?」
「任せてくださいまし」
その前に風呂に水を張らねばな。さらにその前に湯殿を洗わなければなるまい。仕事が増えたがこれもまた楽しみのためだ。受け入れよう。私は湯を沸かすのを中断し湯殿に向かった。
湯殿を洗い、水を張る。あとは早雪に任せることにしその間にこっちは食事を摂ろう。私は提灯を湯殿に置くと台所に戻った。風呂を沸かすには時間がかかる。私は台所の湯を沸かし白湯で懐中食を戻すとさらさらといただく。しばらく待つと初瀬がやってきた。準備が出来たようだ。私は湯殿に向かった。
衣服を脱ぎ湯殿へ入る、まだ少しぬるい。窓から早雪が頑張っているのが見て取れた。そうこうしているうちに裸身の初瀬が入ってくる。勢いよく湯に浸かるが湯の水位は上がらぬ。いったいどういう仕掛けになっているのやら。私は初瀬の肌に触れてみた。確かに感覚はあるのに。湯の水位だけは上がらない。まあよい。私は外の早雪にも声を掛けた。
「早くはこっちへこないか? 多少ぬるくても構わん」
「ぬるくては藤花様に失礼ですわ」
「早雪は損な性格じゃな」
触れた私の腕を握って初瀬は妖艶に微笑んだ。そしてそのまますりすりと肌と手を重ね合わせてゆく。
「わしがいることが信じられぬか? ほれ、わしはちゃんとここにおる」
手を動かし、初瀬は自分の陰部に私の指を誘う。私はそれを止めさせた。
「確かにおまえは得な性格をしているよ」
私は初瀬を軽く抱き寄せ、湯船に浸かる。そのようなことは後にして今はこの湯で温まりたかった。
浸かっているうちにだいぶ湯も温まってきた。私は外の早雪に声を掛ける。
「もう良いぞ。おぬしも入ってくるがいい」
「わかりましたわ藤花様」
そう言うと早雪は火を消すと姿を消さずに大回りしてこちらに入ってくる。
「やはり損な性格じゃ。抜けてそのまま入ってくれば良かろうものを」
「そのようなことをしては藤花様が白けてしまいますわ」
初瀬の言葉にすでに裸身の藤花が返事をする。
「では藤花様、失礼いたします」
早雪がお湯に浸かると僅かに水が跳ね水かさが上がった。これは一体。私は二人の裸身を比べて眺めてみる。特にこれといった違いはない。先に入った初瀬の肌がなめやかに潤んでいるだけだ。
「そんなにまじまじと見ないでくださいませ」
「ああすまない。ちょっと考え事を」
早雪の言葉に我に返る。初瀬はといえば面白そうに考え込む私を見ていた。
「どうした? わしらの肌が珍しいか?」
「珍品と言えば珍品だな」
「まあっ、藤花様ったら」
私の言葉に早雪が照れる。まあいい。とりあえず考えるのは後回しにしよう。せっかく早雪が焚いてくれたお湯だ。温まらなくてどうする。そう思い三人で互いに互いを抱きかかえるようにして湯に入る。そうでなければ狭くてこの湯には入れぬ。そこではっと気がついたのは依り代である。初瀬は私に憑いており早雪は白壁に憑いている。その違いが体積をという差になって現れたのではないだろうか。私は湯でふやけた頭でそんなことを考えてみた。
しばらく浸かっているうちに湯もだいぶぬるくなってきた。そろそろ上がり時か。
「そろそろ出よう。良い湯であった」
私が言うと初瀬が答える。
「うむ。実はのぼせ気味だったのじゃ」
「そうだったのか。それはすまなんだ。それで早雪はどうか」
私は早雪にも尋ねてみた。
「わたしもそろそろ上がりとうございます」
「よし出るか」
私は二人を抱くようにして立ち上がる。そのまま上がり用意していた手ぬぐいで体をぬぐう。しばらくしても汗が引かぬ。私は新しい手ぬぐいでさらに体をぬぐった。汗もだいぶ引いたところで、服を着ようとして初瀬にからかうように咎められる。
「なんじゃ。どうせ脱ぐのに服を着るのか?」
見れば二人とも裸身のままだった。訝しげに服を着ようとする私のことを見ている。
「たしかにそれもそうだ」
私は初瀬の言葉に同意し服を丸めただけで座敷へ向かう。風呂を洗うのは明日にしよう。今日はこのまま遊び安らいたい。
「ああ待つのじゃ! わしらが先ぞ」
「待ってくださいませ、藤花様」
私は座敷の前で振り返り、裸身の二人が駆けてくる様を存分に堪能した。そのまま二人は私の腕の間に飛び込んでくる。腕の間に入った二人を私は思いきり抱きしめる。そうしてそのまま私たちは三人で座敷に入っていくのであった。
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