第4話 初瀬と早雪の章 その4

 明け方の目覚めはやはり疲労感に溢れるものだった。今日は朝早くに出かけ東の隧道に向かおうと思う。私は裸身でのしかかったままの早雪をそっと脇に寝かせ、台所へ向かうと手早く朝食を用意する。とは言っても夕べの鍋でまた飯を炊き、残った野菜を具に味噌汁を作るだけだ。そう思いしゃがんで火をおこしていると、後ろから声を掛けられた。見れば裸身に襦袢を羽織っただけの早雪の姿があった。重なってない服の隙間から見える白い肌がなまめかしい。

「何だ、裸で外を出歩くのは、はしたないのではなかったか」

 私は昨日のことを思い出しながら言った。

「いいえ服は着ております」

 手を横に伸ばしひらひらと体を振りながら早雪は言った。

「着てないも同じだ」

「そうでしょうか?」

 早雪は首をかしげ、裸足のままこちらの土間へ降りてくる。ふわりと襦袢の裾が翻り、丸裸の下半身を映し出す。はしたないと思ったが早雪は気にした様子もなくずんずんと私に近づいて上の口を開く。

「火をおこしてらっしゃるのですか」

「ああ」

「早雪に見せてくださいまし」

 私は早雪に場所を譲る。早雪はしばらく竈(かまど)の中を覗いていたが、ふうと息を付き立ち上がる。と、一瞬でおきに火が回った。

「ほう」

 私は唸る。どうやら早雪の力らしい。

「あまり見せる物ではありませんけれど」

「いや大した物だ」

「あまり褒めないでくださいませ。では私はこれで」

「ああ、助かった」

 後ろ姿に呼びかける。早雪は恥ずかしげにちらりとこちらを見るとすっと奥へを姿を消してしまう。


 食事を摂り座敷へと向かった。東日が差し込む中、初瀬はまだ眠っていた。そんな初瀬を衣服を整えた早雪がちょこんと見ている。

「おや、まだ眠っているのか」

「はい。よくおやすみで。藤花様はいかがされましたか?」

「うむ、布団を干そうと思ってな」

「でしたら脇によけましょう」

 そう言って早雪は初瀬のだらんと延びた二本の足を持つ。頷き私は両肩を持つ。そうしてそろそろと二人で初瀬を座敷の隅に寝かせた。それでも初瀬は起きなかった。裸身を晒したまま、健やかな吐息を立てている。そんな初瀬を見て早雪が言った。

「だいぶ無理をなさっていたようですから」

「そうなのか?」

「ええ。藤花様の寿命をなるべく吸わないように」

「私は別に構わぬのだがな」

 実際自分の寿命などさして惜しくはなかった。私は言う。けれども怪異たる早雪は小さく弱々しい言葉でこう返す。

「構うのです。こちらが」

「……」

 私はふうとため息をついた。そんな私に早雪が促す。

「布団を干しましょう?」

「ああ、わかった」

 私達は初瀬の着物を畳み同じように脇に寄せると、湿った布団の表面を濡れた布巾で叩くようにぬぐい、それから外へと干した。


 布団を干し終わり洗い物を手分けして洗って二人で初瀬が起きるのを待つ。湯を沸かし茶をすすりしばらく待っているとようやく初瀬は目を覚ました。

「今いつ時じゃ?」

「巳の刻といったところか」

 私は初瀬の問いに答える。初瀬は慌てふためいて立ち上がった。

「大変じゃ。寝過ごしてしまった!」

「とりあえず服を来てくださいませ」

 裸身のままの初瀬に早雪が言う。

「そうじゃった。わわ、なんで藤花がここにおる?」

「お前が起きるのを待っていた」

 茶をすすりながら私。早雪も続けて初瀬に言う。

「ふふ、よい寝顔でしたよ」

「なんじゃ、人の寝顔がそんなに面白いか?」

「いや特には」

 初瀬の問いに私は首を横に振る。

「……そうか。ところで早雪、着付けを頼む」

「はいはい」

「なんだ初瀬。着物自分で着られないのか」

 私が言うと初瀬はむきになって弁明する。

「なにを言うか。一人で着られるわい。じゃが少しでも綺麗に見せたいじゃろう」

「誰に?」

「もちろんおぬしに……何を言わせるんじゃ!」

「まあ。初瀬ったら」

 意を得たりと早雪が笑い、そんな早雪に初瀬が突っかかる。

「ななななな、何じゃ! 早雪よ」

「一体惚れたのはどちら様でしょうね」

 微笑んで早雪。これが初瀬へのとどめとなった。

「何を言うか! もう良い。自分で着る!」

 真っ赤になった初瀬はそう言うと服を腕の中に丸めて姿を消してしまった。

「あらあら」

 残された早雪がおかしそうに笑う。私も共犯なので少し笑い、また少し申し訳ない気持ちになった。手に持った茶に視線を落とす。お茶の水面には部屋の片隅で姿を消したはずの初瀬が一生懸命着付けしているのが見て取れる。私は茶を一息に飲み干し、そんな誰にも見られたくないであろう姿を消してやった。

 

 だいぶ遅れたが宣告通り東の古隧道へと向かう。私に取り憑いている初瀬と昨日白壁のかけらを拾ったおかげで、私の側なら動けるようになった早雪の三人組である。白壁のかけらは小袋に包んで私が首に提げている。

 小一時間ほど歩いて古隧道に到着した。人の通りはなく入り口は苔むして地面には草が点々と生えている。

「やはり何か出そうじゃの」

「ここの力、白壁の力に近い……かも」

 二人はそれぞれに感想を言った。どちらも正しいかも知れない。私は人知れず頷いた。さて、力の漏れ出ている箇所は……中心か。私は古隧道の中に足を踏み入れた。まわりがどよめくような感覚。遮断されているのにどこかに繋がっている。私は力の漏れ出でているところを正確に探った。……あった。靄のようにひび割れた岩盤の中から力が漏れ出している。

「何をしていらっしゃるの」

「!」

 突然の呼びかけに振り返ると、無表情の白首が宙に浮いていた。

「でででで出た!」

「ええ」

 初瀬と早雪は身構える。私はといえば手を下ろし白首に呼びかける。

「やあお嬢さん。ここには来たばかりかな」

「……。そうね。今朝着いたばかりだわ」

「……」

 やはり、昨日無理をしてもここに向かっておくべきだったか。しかし後悔しても遅い。私は白首に再び呼びかける。

「そうか。悪いけどここは閉鎖しようと思うんだ。着いたばかりで悪いが君もよそへ行ってくれるかな」

「いやよ」

「そこをなんとか。代わりに良い場所を案内」

「せっかく見つけたあたしの場所だ!」

 私の説得は無意味だったようだ。私の言葉は途中でかき消された。白首は無表情のままあたりを飛び回る。表情こそ変えなかったがそこには怒りが感じられた。

「あたしのあたしのあたしのあたしのあたしのあたしのあたしのあたしのあたしのあたしのあたしのあたしのあたしのあたしのあたしのあたしのあたしのあたしのあたしのあたしのあたしのあたしの場所だ!」

 隧道中に声が響く。いや幻聴かも知れない。これでは話にならない。私は態度を変えることにした。

「話を聞かないなら話を聞くようにするまでだぞ! 初瀬、早雪、耳を塞げ!」

 そう叫び私は懐中から護身用の五十鈴を取り出し打ち鳴らす。その音響であっけなく白首は地面に落ちた。私は五十鈴をそっとしまう。

「おお」

「あら」

 言われたとおり耳を塞いだ二人は驚きの声を漏らす。私は白首に近づき、声をかけた。

「すまなんだの」

「……」

 白首は答えなかった。そのままずぶずぶと溶けてゆく。強すぎたか。いや弱っていたのか。おそらくその両方だろう。私は白首に手を合わせた。願わくば輪廻の先に良い会合(えごう)がありますように。願いながら手を合わせる。やがて完全に白首は消滅した。振り返れば初瀬と早雪も同じように目を閉じて手を合わせていた。

「では閉ざすぞ」

 私は宣告し、ここの力の源を閉ざす。閉ざすのにはやはり針と糸だろう。私は背中の風呂敷から道具袋を出しその中から針と金色の糸を取り出す。そうして針の穴に糸を通すと地に放った。針と糸はうねうねと動き、力の裂け目を閉じてゆく。

「ほほう、みごとな久々津(くぐつ)の使い手じゃ」

「式神かなにかの類かしら」

 まあだいたい二人の言ったことは当たっている。帝都ではこうして怪異の裂け目を閉じて回ったものだった。怪異達には申し訳ないことをしていたと思う。あのころの私はひどく傲慢でそして醜かった。今回も怪異を計らずとも傷つけて消してしまったことにかなり衝撃を受けている。心は平穏を保っていたが、初瀬と早雪の前でなければ泣き出してしまったかも知れぬ。

 そんなことを思っているうちに力の裂け目は完全に閉じた。戻ってきた針と輝きを失った糸を私は道具袋にしまう。これでここは問題なかろう。私は二人に言った。

「ここは終わった。後は山だ。明日向かおうと思う。どうか?」

「それがよかろう」

 初瀬が言い、早雪も無言で頷く。そうして私達は古隧道を後にした。

 帰り道で行商の者が鰺(あじ)の干物を取り扱っていたので求め、私達は家に帰ってきた。出かける前に裏返しておいた布団をさらに裏返し、しばらく干す。少し時間が空いたのでお茶の準備をして私たちは座敷でしばらく休らった。昼食の代わりに茶菓子を食べて、私は少し気力を取り戻す。これもそろそろ補充しなくてはならない。ぼんやりとそう思っていたが、初瀬が声を掛けてくる。

「山か。準備はしなくて良いのかの?」

「うむ、少し休んだら準備をするつもりだ。いまは少し疲れた」

 私は初瀬の言葉に同意する。山の準備は怠らぬようにしなくては。とはいえ今は少し休みたかった。心の内も整理したい。私の体と心は時間を求めていた。思えばそれはここに来る前からずっと私の心の中に抱いてきたことだった。座ったまま目を閉じる。心がすっと軽くなり、どこかへ飛んでゆけるようなそんな気がした。


 気がついたら眠りに落ちていた。目を開けるとあたりはもう暗くなっている。と同時に頭の後ろに柔らかく暖かみを感じた。見上げれば早雪が私を膝枕している。

「お目覚めになりましたか?」

「初瀬はどうしている」

「姿を消して眠っています。無碍に力を使わせすぎたせいだと自分を責めて」

「すまなんだな」

「けれどそれは事実でもあります。藤花様、あまり無理はなさらずに」

「すまない」

 私は早雪の膝から頭を起こす。そうして大きく伸びをして言った。

「布団をしまおう」

「はい」

 布団をしまい終え、また座敷に敷く。それから夕飯の支度にかかったので、食べ終える頃にはだいぶ遅くなってしまった。しかし鰺の干物はうまかったので朝の分まで飯を食べてしまった。疲れているのかも知れない。まあいい。腹も膨れた。あとは体を清め、また座敷へ。と思ったが山へ登る準備があった。物置から先の住人が使っていたであろう背負子(しょいこ)を探し荷物を詰め込む。ついでに山伏用の杖を見つけた。これはいいものだ。私はそれも持って行くことにする。朝は固めに白米を炊き懐中食としよう。山へは一日がかりと言ったところか。私は食事以外の準備を終え、白米を洗って水に浸し、体を清めてから座敷へ向かう。だいぶ遅くなってしまった。二人とも待ちくたびれてないといいが。と、向かう先に初瀬と早雪が現れた。何か言いたいことがあるらしい。私は二人の話を聞く。

「その、なんじゃ。嬉しいことだとは思うのだが、毎日は疲れるじゃろ」

「明日は早いことですし、今日は早雪たちに構わずおやすみなさいませ」

「いや、独り寝は寂しい。おまえたちと一緒がいい」

 初瀬と早雪に私は言った。二人の顔がぱっと華やぐ。

「そうか。おぬしながそう言うと思っておった」

「求められることは嬉しいこと。しかしあまり無理はなさらぬように」

「わかっているさ」

 私は答え、二人の肩に手を掛ける。私たちはそのまま座敷へ入っていった。今日の私は体だけは若い二人に存分に甘えて見せる。

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