第3話 初瀬と早雪の章 その3

 翌日の朝は気怠い疲労と倦怠感で目が覚めた。精も根も尽き果てるとは正にこのことである。裸身の二人は姿も消さずに丸くなって眠っていた。昨日は結局何回戦しただろう。私は水を飲みたくて台所へ向かう。汲み置いておいた若水をすすり、朝食の支度をする。といっても昨日の夕飯の残りである。固くなっていた麦飯を湯で戻し、大根を刻み、梅干しと共にいただくつもりだ。そう思って湯を沸かしていたら、後ろから初瀬が声を掛けてきた。

「みすぼらしい食事じゃのう。そんなものでは精が付かんぞ、たんと食え」

「なんだ初瀬。こちらに来れたのか」

 振り返って私は言った。初瀬はまだ裸身のままだった。そのままこっちへ近づいてきて口を開けた。

「いかなんだだけじゃ。いまはおぬしにとりついておるでのう。おぬしのいる所ならどこへでも行ける」

「しかし、服はどうした」

 私が問うと初瀬は笑う。

「夕べおぬしがさんざんに汚したのでなあ。しばらくはこのままよ」

 腹を軽く叩いて初瀬は僅かに背を逸らす。怪異の衣装がどの様な仕掛けになっているのかわからぬが、怪異には怪異の都合という物があるのだろう。そんな初瀬に私は声を掛けた。

「そのまま外には出るなよ」

「わしはそんな破廉恥ではない!」

 突然の大声に恐縮し、私は頭を下げる。

「そうか。これは失礼をした」

 私のそれに満足したのだろう、初瀬は今度は姿に似合わぬしなを作って私に微笑みかける。

「しかし激しかったのう。まだ腹の底がおぬしの精で跳ねておるわ。わしがまともな女体なら孕んでいたやも知れん」

「怪異に遠慮する必要はないからな。私も久しぶりに中に出した」

 初瀬の言葉に私は照れもなく答える。

「よかったか」

「ああ、よかった」

「初瀬と早雪、どちらがよかったか?」

「甲乙は付けがたかったな」

「なんじゃつまらん。世辞でも言え」

 そう言うと初瀬は私の脛を軽く蹴った。さほど痛くなかったが。私は空を指さして言う。

「早雪が聞いてる」

「ほほう、わかるか」

 口元をほころばせて初瀬。どうやら初瀬にはわかっていたらしい。私は頷いた。

「うむ、なんとなくだが」

「早雪は初瀬の様に破廉恥ではないので、裸のままで出歩くようなまねは致しませぬ」

 私が言うと奥の方から早雪の声がした。座敷にいるのかそれとも姿を消してそばにいるのか、今の私にはわからない。

「そうかの。気持ちよいぞ。人の家を裸でのし歩くのは」

「はしたない」

「藤花、お主はどう思う?」

「はしたない」

 問われたので私は答えた。

「なんと! 古い考えの男と女じゃ」

「おまえの頭がどうかしているだけだ」

 私は初瀬の頭を叩く代わりに髪をくしゃくしゃに撫でた。

「わ、わわ」

 すると初瀬にしては妙に可愛らしい声を出すと顔を真っ赤に染めて奥へ下がってしまう。そんな後ろ姿を見ながら私は少し考えた。

(はて、縁起にでも触れたかな)

 縁起とは怪異の生まれの理由である。それに知らないうちに触れてしまったかも知れない。私は初瀬に触れた手を見つめ、少し申し訳ない気分になった。


 朝食を摂り、体を清め、午の時の占いに備える。その頃には二人とも衣装を着た姿に戻っていた。私の後ろをあっちこっち付いて行っては興味深げに占いの道具を見つめる。こちらとしては、まるで親戚の子供を預かった気分である。集中できない。しかし静かにしていよとも言えず時間だけが経っていった。

 そしてそうこうしているうちに午の刻である。私は奥の茶室で香を焚き、占いの道具を広げ、ささっと占う。

「終わった」

 私が言うと、二人から文句の声が上がる。

「なんじゃ。文言とか唱えぬのか?」

「もう終わり?」

 二人の言葉に私は頷いて答える。

「そうだ。あとは出た結果とこの辺りの地図を照合して場所を当てる」

「ふむ、なんか地味じゃの」

「期待はずれ」

「そう言うな。見せ物ではない占いなどこんな物さ。さてと」

 私は地図を広げ、占いの結果と照合する。

「北の山のてっぺんか。この山のことだな。それと東の隧道か。これだな。……よし」

 私は地図に印を付け、懐中から扇子を取り出すと二人に向きなおる。

「喜べ、二カ所も見つかった」

「聞こう」

 初瀬の言葉に早雪も無言で頷く。私は取り出した扇子でその場所を指して見せた。

「まずはこの山のてっぺん。ここにおぬし等を養う場所がある」

「山はな……ちょっと苦手じゃ」

「早雪はどうか?」

「なぜ? 早雪には白壁があります」

 早雪はそう言うが、私には昨日の頃から気づいていたことで、おそらく早雪自身も薄々感じ取っているであろうことを改めて告げる。

「うむ、しかしあそこの力は弱まっている。直に消えよう。そのときどうするか考えておいてもいいのではないか?」

「……」

「どうかな」

 重ねて尋ねる。早雪はやがて小さく声を上げた。

「早雪もいやです」

「ふむう。何かあるのか? ではこちらだ、東の使われなくなった隧道。ここにもおぬしを養う場所がある」

 私は同様に扇子で場所を指し示す。

「人が使わなくなった隧道か……。何か出そうじゃの」

 初瀬の言葉に私は呆れながら言う。続いて早雪委にも問うてみた。

「おまえがそれを言うか。早雪はどうか」

「早雪は人里離れたところはいや」

「早雪もか。わしもじゃ」

「ふむん」

 妙なところで意気投合する二人。私は地図とにらめっこしながら考える。まったく女という物は、怪異になっても浅ましい。そんな言葉を呑み込んで私は次策を考える。しばらくして思いついたのが白壁の増築、のようなものである。

「何じゃ、それは?」

 説明すると初瀬が食いついてきた。

「白壁の閉じかけた怪異の道を広げ、二人がそこにいられるようにする」

「そんなことできるのかしら」

 早雪の問いに、私は逆に尋ねてみた。

「なぜ白壁の道が閉ざされかけているか、気にはならんか?」

「言われてみれば気になりますわ」

「なら探ってみる価値はあろう。動くぞ」

「今からか?」

「善は急げだ」

 私が言うと二人は微妙な顔つきをして私のことを見る。わたしは聞いた。

「どうした?」

「わしは善かな?」

「早雪も自分が善か、わからない」

「何を言うか。怪異に善悪も有りはしない。生まれを気に病むな。それに私にとっては善だ」

 何をつまらないことを。私は二人に言い放つ。

「何故そう言い切れる?」

「早雪も知りたい」

「夜に体を重ねたではないか」

「そんな理由……」

「男じゃのう。果てしなく馬鹿な男じゃ」

 どちらもぽかんとした顔で言うので言ったこちらが恥ずかしくなってしまう。私は気を取り直して言った。

「さて考えるのは後だ。行くぞ」

「逃げおるか? わしからは逃げられんぞ。とりついておると言ったではないか」

 初瀬がやかましく取りすがるので、私も反論をする。

「逃げてなどいない。ここは日が落ちるのが早いから早めに見ておきたいだけだ」

「そうかのう」

 初瀬はまだ話し足りない様だったが、意外なことに早雪が助け船を出してくれた。

「藤花様の言うとおり行きましょうか。ここで無駄話をしていても始まりませんから」

「様付けとは! いつの間に?」

 私も少しだけ驚いたのだが初瀬の驚きはそれ以上の物だったようだ。早雪にずいと迫る。

「殿方に様を付けるのは淑女のたしなみですわ」

「さては夕べ貫かれて惚れたか」

「そんなこと……はしたないですわ」

 初瀬の言葉にそう言って手で口元を隠す早雪。何となく、消え入りたくなった。そんな気持ちを振り払うように私は声を出す。

「無駄話は後にするぞ」

 そう言って私は出かける支度をする。

「ああ、待て」

「待たぬ」

 私は初瀬の方を見ずに答える。

「待て」

「待たぬ」

「……すまん」

「何がだ?」

 唐突な謝罪の言葉に私は振り返った。

「またわしはおぬしに迷惑を掛けてしまった」

「寿命のことか。気にするな」

「わしのわがままのせいぞ。おぬしはもっと怒って良いぞ」

「だが、気に食わぬ土地に移されれるのは誰にとっても嫌な物だろう」

 そう、それが例え怪異であっても。それに今は大人しい怪異だが意に染まぬ扱いを受ければ悪しき怪異に落ちることだってあり得るのだ。私は初瀬と早雪にそのようなものになってほしくないと思っていた。横を向いたまま辛そうに黙っている初瀬を促す。

「ほれ、行くぞ。私にとりついているのではなかったか」

「言われんでも行くわ。だが少し待て。……少しだけ待て」

「わかった」

 私は初瀬が落ちつくまでしばらく佇んでいた。やがて初瀬が小さく声を出す。

「もうよいぞ」

「そうか」

「うむ。いつもの初瀬じゃ」

 顔を上げる初瀬の言葉に私は無言で頷き、出かける支度を再開する。


「少し時間がかかりましたね」

 用意をして玄関に行くとすでに早雪が待っていた。

「うむ。色々あってな」

「そうですか」

 何があったかだいたいわかっているのだろう、私の言葉に目を閉じて軽く礼をするように早雪は首肯(しゅこう)した。

「待たせたのう。では早く行こうか」

 初瀬も元気を取り戻しており、三人で連れだって外に出る。目指すは私たちが出会ったあの五つ辻だった。通りすがり幾人の人とすれ違ったが彼等に我々一行がどのように見えたかは謎である。やがてあの五つ辻が見えてきた。はからずして昨日とだいたい同じ頃、同じ場所へと辿り着いたことになる。五つ辻は昨日と何も変わってはいなかった。弱々しく怪異を養う力を放出し続けている。

「……」

 私は無言で思考する。ここは私が来た頃からそうであった。早雪という怪異がいたとまでは昨日まで知らなかったが。その前が知りたい。そう思い私は早雪に話しかける。

「早雪、私が来る前はここはどのような様子だった?」

「どのようとは?」

「うむ、力のことだ。いまは弱々しいが以前はそうではなかったのではないか?」

「そうですね、以前は力が幾分強かったです」

「如何ほどから弱くなった?」

「気がついたら、といったところかしら」

 首をかしげ早雪。

「ではそれも占おう」

 私は地図を懐中から取り出し眺める。怪異にとっては良い地形だ。それがここまで弱るとは考えにくい。ではどこか途中の経路で吹き出しているか。はたまたせき止められているかだ。思いついたのは北の山頂と東の隧道である。ここが空いていると言うことは最近できたものであることは疑いなく、それは白壁の力が弱まったのと何か関係があるのではないか。私はそこへ実際に足を運んでみる必要を感じた。北の山はかなりの行程になるが、東の古隧道ならば夕飯の支度を我慢すれば行けなくもない。私は二人にそのことを話す。

「だめじゃ、おぬしは精のある物を食べて夜に備えよ」

「そんなにはっきり言わなくても……。でも無理は禁物ですと早雪は考えます」

「ふむん」

 確かにそこまで身を削る必要はなかった。いや夜にまた削られるのかも知れない。しかしどうにも帝都の癖が抜けぬ。急ぎすぎているな。私は考え、二人の好意に甘えることにした。

「では、お言葉に甘えよう。食事の支度をするので私の家かここで待っていてくれるか」

「早雪は大丈夫です」

「初瀬も問題ない」

「では行ってくる」

 私はそう言うと馴染みの庄屋の方へと向かった。根菜や漬け物を分けて貰うためである。ついでに猪肉か鹿肉でもあればよいが。そんなことを思いながら歩く。

「小難しい顔をしておるな」

「うむ、このあたりで精の付く物は中々手に入らぬからな……悩ましい」

 そこではっと気がつく。

「初瀬、何故付いてくる?」

「付いて来るも何もわしはおぬしにとりついていると何度も言っておるであろう」

「そうであった。忘れていた」

「まあ大人しくしている故、好きな物を見繕うがいい」

「選べるほどは物がここにはないがな」

 初瀬と話ながら思う。そういえば、話し相手がいるというのは久しく経験したことがない。帝都で私を取り巻いていたのは情報を引き出したい新聞社の腕章をした社員や、金と名声の音に敏感な女たちといったたぐいの人間しかいなかった。彼等は人間の顔をした豚である。怪異の方がよっぽど人間らしいと言うのは面白いと言えば面白い。興が乗ってしばらくたわいもない話をした。

 庄屋には猟師が持ってきた猪肉があった。根菜と共にそれを求める。持っているだけでは腐らせてしまうだけの庄屋は快く譲ってくれた。もちろんただではない。何かあれば私は無料でこの庄屋の依頼を引き受けなくてはならない。つまりは前借りである。

「良いものが仕入れられたの」

「そうだな」

 初瀬の言葉に私は返す。確かに肉が手に入ったのは大きい。

「夜も万全じゃな」

「……それは、どうかな」

「なんじゃもうへこたれたのか?」

 初瀬が聞くので私は答える。

「そのようなことはないぞ」

「ではせいぜい、わしらを満足させるよう頑張るがよい」

「ああ、そのつもりだ」

 私と初瀬はそんなことを話しながら白壁に戻ってきた。五つ辻では早雪が手持ちぶさたげに待っている。私たちの姿を見つけると、明るい顔をして駆け寄ってきた。

「もう、初瀬だけ、ずるいですわ」

「おぬしもこやつに取り憑くか?」

「勘弁してくれ。そうだ」

 さすがに二人に寿命を吸われてはたまらぬ。と、私は思い立ち、近くの白壁を石で僅かに削る。

「何を?」

 早雪が尋ねので私は答えた。

「白壁に縁あるものを私が手にしていれば、早雪も私と行動できよう」

「なんだか申し訳ないですわ」

「気にするな。初瀬だけ動けるというのも面白くなかろう」

「そんなことは……」

 口ごもる早雪の肩を軽く叩き、私は言った。

「ま、全ては縁だ。さあ、戻るぞ」

 私は白壁のかけらを手早く袖口に入れると二人を促す。

 

 自宅に帰ってくる。玄関を上がると二人は座敷に消えていった。私は台所に篭もり食事の支度をする。今日は宍鍋だ。一人でつつくのは少し寂しいが。まず少量の米を水に浸す。そして貰ったばかりの野菜を洗って切り、肉を切る。鍋に水を張り、濃いめの醤油で味を付ける。味噌を入れるのがここの流儀と聞いたが、醤油の方が私の好みだ。あとは鍋を火に掛け肉と野菜を入れては食うだけである。最後に水を吸った米を入れて蓋をして一炊きすれば極上のおじやも味わえるというわけだ。

「肉の臭いは懐かしいのう」

 支度をしていると初瀬が早雪を伴って台所に顔を出す。

「あまり獣臭いのはちょっと」

 逆に早雪はこういう臭いは苦手のようだ。

「おまえ達も食うか?」

 尋ねてみたが二人に首を横に振られる。

「それは藤花の物じゃ。一人でたんと食べるが良い」

「ええ、ええ、早雪は別の方法で力を貰います」

「そうか。残念だ。一人で鍋ほど侘びしい物は中々無い」

 私が言うと二人は微笑む。

「これは弱気な。わしらは喰らわぬが、後で喰らうも同じよ」

「早雪達が同席していると思っていただきませ」

「ふむ、言わんとしているところはわかった」

 婉曲的な夜の誘いのに私は頷く。

「ふふふ、楽しみにしておるぞ」

「さて何のことやら早雪はとんとわかりませぬ。では藤花様、失礼いたします」

 二人はまた座敷の方へ消えていった。しばらく二人が消えた方を見送っていたが、鍋が噴き上がる音で我に返る。

 肉をたらふく食べおじやまで食べて食休みをする。さて夜の楽しみの前に何かやり忘れていることはないだろうか。そうだ。いつから白壁の力が弱まったか占ってない。私は昼間のようにささっと占ってみた。何、だいたいの時を探るのに時や場所を選ぶ必要もあるまい。結果はだいたい五ヶ月前。一体そのころに何があったのか。これはきちんと探ってみなくてはならない。

「藤花様」

 占いを終えてぼんやりと思っていると早雪が訪ねてきた。早雪一人とは珍しい。

「何か用かな」

 私は占い道具をしまいながら早雪に聞いた。

「いえ、一度お礼をきちんと言ってきたいと思いまして」

 ちょこんと正座をし深く頭を下げる。

「どうか早雪たちをお救いくださいませ」

「もとよりそのつもりだ」

 私は答える。そうして早雪の前でかがみ込むと肩を軽く叩いてやる。

「藤花様……」

 私のことを見上げる早雪。そして初めにあった時では信じられない優しい声で私に問う。

「藤花様はどうして、このようなことをわざわざ」

「気まぐれと、私にとっては怪異も人も変わりがないと言うことか。困っているもの争っている姿を見れば心が痛む。人も怪異も互いに仲良くが一番じゃ。早雪達はそれができる怪異だと信じている」

「まあ……」

 褒められて頬を染める早雪。そんな早雪を私は立たせる。立ち上がっても私の腰上ぐらいしかない早雪に私は言った。

「さあ、今日も行こうか。きっと初瀬も待ちくたびれておるだろう」

「はい」

 微笑んで早雪は言う。私たちは手に手を取り合って座敷に向かう。座敷では初瀬が目を爛々に光らせて待っていた。そうして私たちはまた三人で夜を存分に楽しむのであった。

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