第10話

 わんわんと盛大に泣く郁を前にラムはただ立ち尽くしていた。


「…大丈夫?」

「そんなわけ無いでしょ!このペテン師!」


 気遣わしげにラムが声をかけるも、取り乱した様子の郁は「騙したのね!」等と言葉を続けながらラムが手渡したあのハンカチに顔を埋めていた。


 あの後、郁は突然大声で泣き出したと思うと、急にガバッと勢い良くラーメンを全て喉に流し込み、すぐさまラーメン店を飛び出したのだ。

 荒れた彼女がようやく立ち止まったのは駅からほど近い広々とした公園であった。


「信じらんない、最初から嘘ついてただなんて!」

「いや、名前は本当にラムって言うんだ。だけどあんたの言うような物語には顔を出したこともないし、そもそも最初からあんたの人違いだし、間違いだし、」

「裏切り者!」

「え、俺は何も裏切ってはないんだけど…」

「うっさい!」


 郁の頭にちょこんと乗っかる可愛らしい猫耳付きのベレー帽が滑り落ちる。

 そんな事も気にならないのか彼女はひたすら涙を流しつづけ、そんな彼女を前にラムはひたすら狼狽えつづけた。


「ようやく…確かめられると思ったのにぃ…」


 ぐすぐすと悔しげに声を絞りだす郁に、ラムはどうしたものかと彼女の座るベンチの前で立ちすくんでいると、不意にぽん、と軽い調子で肩に手を置かれた。


「なぁ~にをしているのかなぁあ?」

「ひっ」


 そこにいたのは白衣を脱いだ状態の谷だった。鬼の形相とはこれか、と思わせる表情にこれは殴られる、と思えてしまいラムは咄嗟に身構える。

 だが、元よりラムのことなど眼中にないのか、谷は膝をついてしゃがみ優しげに郁へと話しかけた。


「どうしたってんだ」

「うぅ…谷さぁん!」


 ガバッと谷に抱き着いた郁はさらに涙を零して泣きつづける。

 谷は慣れた様子で頭を撫でている。すると郁が「コイツ、ラムさんじゃなかった。ラムさんがどこにもいない」とつっかえながらも言葉にする。

 谷は至極当然だと言わんばかりに頷いてみせた。


「最初から変だと思ったんだ。あのヤローがこんな和装するはずがねぇからな」

「だってぇ…」

「こいつはたぶん流浪人だ。見間違えても仕方ねぇ」

「流浪人…?え、俺が…ですか?」


 思わず口を挟んでしまい、しまった!と手で口を覆うが、谷は気にする素振りもなくラムに対しても「そうだ」と頷いてみせる。


「多々ある事だ。未完の物語に出ている登場人物達が迷いこんだり、行き場をなくしてやって来やがる」

「未完…確かに…」


 ラムが主人公を務める物語を表現するに相応しい言葉に納得する以外にほかなかった。


「それと…あれだ、郁に何か断言されたろ?そのせいでお前さんは知らねぇうちに“郁の中で思い描かれている人物”を演じさせられてたってぇわけだ」


 言われてみればその通りだった。

 一人称は“僕”に変わり、口調もどこか優しげで相手を遮る事もできなくなる。

 こうして真実を知って彼女を見ると年下よりは同い年くらいに見えてくる。

 それに、何より、世界観が今までと全く違うことの違和感が今になって蘇る。

 ラムの中で渦巻いていたはずの疑問が自分の中から消失していたことに、谷の言葉でようやっと気付けたのだ。


16.03.10

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