(10)

「大事な話?」


「ああ、そうだ」


 俺が真剣であるのを、また何をしようとしているのかを察してもらうために、声を低くしてゆったりとした口調で語りかける。


「これからの、俺たちの在り方についてだ」


「在り方?」


 真理は復唱する。


「わかってるだろ。俺たちの関係がこのままでいいはずがないって」


「……わかんないよ。どうしたの、翔? ほら、戻ろう。ここにいてもつまんないからさ。ねっ?」


 俺を、それとも自身を誤魔化そうとしているのか、真理は惚けていた。

 刃の先を向ける俺に対し、瞳で助けを求めるようにさえも思えた。

 けれど、その求めを俺は拒絶する。


「はっきりさせよう。この張りぼての関係を終わりにするんだ」


 真理の顔から表情が消え失せていく。

 暖かく包み込んでくれる笑顔など跡形もなくなり、凍てついて突き刺さるような眼差しだけが俺に向けられていた。


「このままでいても、誰も前には進めない。お前も、純だってそうだ。何かを例え失ったとしても、それで初めて得られるものだってある。だから、失うのを恐れるな。過去に囚われ続けるのはよくない」


 溢れんばかりの感情が、俺を饒舌にさせていく。語気も自然と強みを増していた。

 けれど、熱を帯びる俺とは対照的に、真理は静かにしている。


「だから、純のことはもう忘れてくれ。昔みたいに三人仲良くいようなんてしないでくれ。俺だけを見て欲しいんだ。俺は真理が――」


「――翔」


 遮るように、真理がそこで口を開いた。


「……どうしてそんなこというの」


 悲哀に満ちていた。

 それで、俺は悟ってしまった。これから訪れるであろう結末が、絶対に自分が願ったものにはならないと。

 真理の心は固く閉ざされ、俺の言葉は届かない。

 篭っていた熱が波のように引いていく。


「ただ皆で仲良くしたいって望むのが、そんなに駄目なの? 翔が私のことを思ってくれてるなら、何でそれを否定するの? ねえ、教えてよ……」


 今からでも前言撤回して、真理が求めているであろう優しい言葉はかけられる。それであれば、幼馴染としての関係を維持していけるかもしれない。

 俺はこの幼馴染を失いたくない。いれるなら、隣でその笑顔を見ていたい。

 でも、俺が望んでいるの作られたものではない、心からの笑顔なのだ。


「……それは甘えだよ、真理。お前が昔みたいにいたいって望んでも、俺はあいつが嫌いだ。純のせいで真理が悲しんでしまうなら、俺はあいつを切り伏せる。俺は……」


 これをいえば、全てが終わる。

 これまで築いてきたものが、全て崩れる。


「真理が好きなんだ。お前の一番傍にいたいんだ」


 放たれたそれは、遮られたりもかき消されたりもせず、目の前の真理へと届く。もう後戻りは出来ない。

 来るべくして来る結末をただ待つ。

 暫しの沈黙の後、それは訪れた。


「無理だよ、翔……。無理なの……。私はその気持ちに応えられない」


 夢見ていた未来にひびが入っていく。


「そうしたら、本当にあの頃に戻れなくなっちゃう。私が諦めたら、絶対に叶わなくなるの。だから……だから……」


 真理の瞳が潤んでいく。

 それを隠すように俯き、踵をめぐらした。


「……ごめんなさい」


 か細い声で、真理が最後にそういったのが聞こえた。

 それ以降の記憶は正直曖昧だ。

 ただ一つはっきりとしているのは、俺の視線の先にはもう誰の姿もなかった。橙色の提灯に照らされる石畳の道だけが寂しく続いている。

 思いは――実らなかった。

 胸にぽっかりと大きな穴が開いて覚える、虚無感。

 立ち尽くす俺を置き去りにして過ぎていく時間の中で覚える、孤独感。

 だが、こうしてやり遂げたことで達成感に近いものも胸にはあった。

 上に広がる夜空を眺める。

 神様。俺はせっかくのご慈悲に報えませんでした。何も変えられませんでした。

 どこにいるのかもわからない相手に、俺は自分が招いてしまった最悪の結果を省みる。それに神様は答えてくれない。

 吹く風がただ頬を撫でた。

 そのときだった。誰かの足音がこちらへと響いてきたのは。

 俺が音のする方へ体を振り向かせるよりも先に、その足音の主が軽い衝撃と共に俺の背中を押さえる。

 後ろを覗き込めば、それは――真白だった。

 俺の服に顔を埋め、微かに震えていた。


「真白?」


「だ、駄目でした……あたし、やっぱり駄目でした。ごめんなさい……ごめんなさい……」


「何で謝るんだよ。俺はむしろ、お前に感謝してるぐらいだ。協力してくれて、すごいありがたかった。本当にありがとうな、真白」


「先輩……?」


 顔を上げた真白の瞳は、名前と違って真っ赤になっていた。


「俺も砕けたよ。物の見事に」


 木っ端微塵に、跡形もなく。


「先輩」


「ん?」


「無理に笑わなくていいんですよ。素直になって下さい。あたしと先輩は共犯者なんですから」


 共犯者か。

 隠したり我慢したりする必要がないのか。

 そうか。


「………………」


 俺は静かに――泣いた。

 溜まっていたものを吐き出すかのように、涙が枯れ果てるまで頬を濡らし続けた。


 ◇ ◇ ◇


 あの日から、俺が真理と会うことは一度もなかった。

 顔を合わさざる得なくなったのは、夏休みが終わり、新学期を迎えたときだった。

 俺はやり直しに失敗したものの、神様が再び時を飛ばしてくれたりはなく、一日また一日と過ごして、その日を迎える。

 純はともかくとして、真理とは同じクラスでいる。

 ドアを開ければ、そこに彼女はいるのだ。

 息を整え、感情を面に出さないようにして、教室に足を踏み入れた。

 クラスメイト達が話に花を咲かしている中に、当の真理もいた。楽しそうに喋っている。

 それを見て、どこか安心する自分がいた。別に俺や純とだけ繋がっているわけじゃない。真理には他にも多くの友人がいる。俺が心配する必要なんて、そもそもないのだ。

 俺は真理と挨拶を交わしたりもせずに、そのまま席に着いた。

 そうして、始業式に簡単なHRも滞りなく済ませ、帰り支度を始める。

 持ち帰るものを鞄に詰め込み、立ち上がる流れで目線を前に向けると、そこに本来ならいるはずのない人物がいるのに俺は気付いた。

 そいつは迷いもなく、こちらに近づいてくる。

 そして、俺の席の前で足を止めた。

 珍しいどころではない。嫌っている俺のもとへ一人で来るなんて滅多にない上に、こいつは自ら俺との関わりをほぼ絶った。

 なのに、それを気にも留めずといった感じでふてぶてしく、そいつはここへ来た。

 俺が怪訝な表情で見ているのに対し、たった一言。


「ちょっといいかな。話があるんだ」


 純はそういった。


「……わかった」


 疑心はあるが、特段断る理由もない。

 俺は鞄を手にし、まだ教室内にいる真理を一瞥もしないで、純に付いていった。

 学校から離れ、ある程度歩いたところで純が足を止める。


「あそこでいいかな」


 指差した先は、そこらの公園にあるベンチ。

 互いに腰を下ろすと、純は早速本題を切り出してきた。


「僕も、悩んだ末にやっぱり翔と話そうと今日声をかけたんだ。あの子や真理の気持ちもあるだろうし、時間を置いてからのがいいと思ってね。僕が何をいっているのかは大体わかるだろ? 君も当事者なんだから」


 淡々とした口調で語りかけてくる。

 俺はそれを黙って聞いていた。


「僕ね、真白音流っていう後輩の女子に告白されたんだ。夏祭りの日に。健気で可愛らしい子だったよ。でも、断らせてもらった。僕はあの子を詳しく知りもしないし、好きなのは彼女じゃない。偽ってまで応えるのも失礼だしね」


 相槌も打たず、俺は耳を傾ける。


「大事なのは、真白さんと別れた後だ。真理を見かけたんだよ。泣いて走っていった、真理をね」


 流暢に語っていた純が、そこで一拍置く。

 重要であるのを強調しているのだろう。


「真理に告白したんだろ?」


 そこで初めて、俺は横に座る純を見た。

 相変わらず整った顔で澄ましている。この内側でどんな歪んだ感情を秘めているのか、俺には計り知れない。

 とはいえ、泣いて走り去る真理を目撃したこいつは、俺が駄目だったのだと既に予想はしているだろう。内で不気味な笑みを浮かべたりしているのかもしれない。


「……ああ、したよ」


「そうか。まあ、翔の様子を見ていれば、結果は訊かずともかな」


「それを確かめたかっただけか。なら、俺は帰るぞ」


「待ってくれよ。もう少しだけ付き合ってくれてもいいだろ。それで、だ。僕は以前に、忠告とまではいかないけどいったよね。間違ってるとか、正しいとか、僕らが決めることがじゃないって」


 中学生のとき、階段の踊り場で俺の意識が途絶える前に、確かにそういっていた。


「これで証明されたわけだ。翔の考えが決して正しかったわけじゃないと。そしてもう一つ、君の間違いを僕は証明してみせるよ」


 純が腰を上げる。


「翔、君は僕に負ける。それを覚えておいてくれ」


 見上げると、純は真っ直ぐな瞳で俺を見下ろしていた。


「何をほざいてる。お前はもう……」


 真理と疎遠になっている。俺はそう口にしかけた。

 待っていたといわんばかりに、純がほくそ笑む。


「僕はこれからだよ。まだ終わってない。そのときが来るのを、君は遠くから眺めていてくれ」


 口元には薄っすらと、純の歪んだ本性が滲み出ていた。

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