第3章 高校生の夏編

(7)

 蝉の鳴き声が頭に響く。

 蝉が鳴くのは夏だ。それだけで、季節が春から夏に飛んだのを理解する。いきなりのことだったが、さすがに二度も経験すると驚かなかった。

 改めて状況を整理しよう。

 俺はイスに座り、机に突っ伏していた。

 上半身を起こすと、そこは図書室らしき室内。

 制服を着た多くの男女がノートや教科書を開き、真面目に勉強していた。


「次は……高校か」


 制服の上着が男女共にブレザータイプになっている。デザインは中学のと似通っているが、色合いが異なっていた。


「あっ、やっと起きた。そんな余裕ぶってて大丈夫なの? テスト前なのに」


「俺にはテスト問題が視えるからな」


「寝言は起きたら寝言じゃないよ?」


「確かに。それは正論だ。でもな、俺を可愛そうな目で見るな。冗談の通じない奴だ」


 長机を挟んで、反対側にいた生徒は考えるまでもなく、真理だ。

 根拠はないが、意識が覚めて二度も最初に真理は現れている。二度あることは三度あってもおかしくはない。

 真理は中学生のときと見た目にあまり差がなくとも、雰囲気がすっかり大人びてきていた。

 ふと視線をずらした際、俺はある事実に気付く。


「あれ? 俺とお前だけか」


「……そうだよ。それも寝ぼけて忘れちゃったの?」


 別に、前の人生でも俺と真理だけで勉強したりはある。特段珍しい事柄ではない。

 ただ、真理の様子を見る限り、純との仲が以前とは違うように窺えた。

 二年経っても、二人の関係は回復していない。

 これは、この時間軸において起きた事象が引き継がれ、歴史に明らかな変化が生じ始めている証拠だ。


「……ごめん。昔の夢を見てたせいで、少し混乱してた。悪気はないんだ。許してくれ」


「うん」


 それからは適当に勉強をこなし、その場をやり過ごした。

 荷物を片して、図書室を出る。

 窓から外を仰げば、太陽はまだ完全に隠れてはいないものの、低い位置にあった。

 夕暮れ時か。


「あっ、ちょっと先に行っててくれ。教室に忘れ物した。すぐに追いつくから」


 嘘である。

 そもそも、現在持ってきているのさえもちゃんと把握していないのに、どれを忘れたのかわかるはずがない。

 俺が真理にそういったのは、一つ確認しておきたいことがあったためだ。

 放課後になって時間は大分経っている。それを考えると無駄足になるかもしれないが、一応やっておきたかった。

 向かったのは、二年生の教室がある階。

 今回は最終学年ではなく、高二だ。持っていた教科書が二年生のものであった。

 いくつかある教室を一つずつ覗いていく。

 まだ帰らずに残っている生徒も疎らにおり、楽しそうに雑談をしたり、こちらで勉強したりしていた。


「いないか……」


 教室に、目的の人物の姿は見当たらなかった。

 諦めて、階段を下りかけたとき――上ってくる一人の生徒を視界に捉える。

 あっちも俺に気付き、視線がぶつかった。

 けれど、相手は歩調を緩めない。


「純……お前は本当に、本当にそれでいいのか」


 すれ違いざまにそう訊いて、やっと立ち止まる。


「久しぶりに声をかけたかと思えば……それかい?」


 振り向かずに背を向けたまま、純は答えた。


「お前は真理が好きなんだよな」


「好きだよ」


「だったら、どうして真理と距離を置いたままにしてる。やっぱり、おかしいだろ」


「おかしいのは君だよ、翔」


「はっ?」


 純が横顔を見せる。


「君がどうして僕の心配をする。真理と僕の仲が悪くなって得するのは、翔自身だろ」


 俺は言葉を詰まらせた。

 真理と恋敵の仲を俺が取り持つ必要は、純のいう通り全くない。にも関わらず、こうも必死になって突っかかっているのは何故か。

 真理が寂しそうにしているから。喜んで欲しいから。

 違う。

 俺は――恐れているのだ。

 俺では考えが及ばない、純の企みを。


「僕なんかを気にかけている暇あるの? そうしている間にも、君は真理に思いを伝えるタイミングを逃してるんじゃないのかな。違う? 僕にとっては別に構わないんだけどね」


 正論だ。

 だが、それが逆に俺を疑心暗鬼にさせていた。

 普通なら避けたい事態を招いているのに、純は未だに平然としている。


「もういいかな。行くね」


 去っていく純を黙って睨むだけの俺は、まるでかませ犬だ。

 いつまで俺は、あいつの後ろ姿を眺めていればいい。


「くそっ!」


 一人佇む階段で、俺は壁を蹴った。

 物に八つ当たりをしても、心が晴れたりしないのはわかっているが、せずにはいられなかった。とにかく、むしゃくしゃしている。

 それでも、幾分かは気持ちを落ち着かせられた。

 加えて、深く息を吸っては吐くのを繰り返し、どうにか元に近い状態まで戻す。


「あそこまで虚仮にされて、俺だってこのままではいられるか……」


 もう迷いも躊躇いもしない。

 俺は俺を信じ、正しいと示す。

 そう決意を固め、待たせたままの真理のところへ駆けていくと、彼女は正門で空を見上げて待っていてくれた。

 足を一度止めて、昇降口のガラスのドアに映る自分を確かめる。

 強張っている表情を緩め、体の力を抜き、いつも通りの俺になる。


「よし」


 何事もなかったように、真理へ近づいていった。


「ごめん、遅くなった」


「ううん、大丈夫だよ」


 二人で帰っている最中、真理がある話題を振ってくる。


「私の友達の知り合いにね、翔と会って話したいっていう後輩の子がいるらしいの。会ってもらったりって出来る?」


「俺と? んー……断る理由は特にないし、会うぐらいは別に構わないけど」


 珍しい奴もいたものだ。


「本当? じゃあ、そう伝えてもいい?」


「ああ」


 自虐ではないが、俺は同姓に憧れるほど男らしくもないし、異性に惹かれるほど見た目もよくない。友人は数える程度にはいるが、それも流れでそうなった奴が多い。

 きかっけもないのに、わざわざ会いたいなんて相手いたこともない。

 怪しさ満載ではあるものの、真理直々のお願いだ。顔を合わすだけなら問題ないだろう。そうすれば、真理の面子も保てる。


「その代わりってわけじゃないが、俺の頼みも聞いてもらっていいか?」


「何々?」


「テストが終わったら、行きたい場所があるんだけどさ……どうにも一人じゃ行きにくくて。だから、真理に付き添いで来てもらいたいんだよ」


「買い物?」


「まあ……欲しいのがあってな」


 濁した言い方に、真理も二つ返事では了承してくれなかった。

 少し悩むような素振りに、俺は表情を崩さずとも息を飲む。


「そっか……うん! いいよ」


 よかった。ひとまず、安堵する。

 互いに約束を交わし終え、その後は他愛もない話をしながら家路を辿った。

 件の後輩が紹介されたのは、それから間もなくのことだった。


 ◇ ◇ ◇


「先輩、どうもです! 一年の真白音流ましろねるです!」


「お、おう。二年の羽馬翔です」


「はい! 知ってます!」


「そ、そうか……」


 元気よく、ビシッと敬礼して挨拶してきたのは、俺と会って話したいという例の後輩だ。

 その後輩――真白は、真理よりも小柄な体型とハキハキとしている感じが相まって、可愛らしい小動物のイメージを抱かせる。

 また、栗色の髪を後ろで一つにまとめているのだが、そのポニーテールが尻尾のように思えて仕方がない。


「先輩の噂はよく耳にしておりますよ~」


「そうなのか?」


 俺がそんなに有名人だったとは知らなかった。


「はい。ほぼ真理さんから……」


「ちょ、ちょっと音流ちゃん!」


「……その話、詳しく聞かせてもらえるか」


「翔も掘り下げない!」


 会って早々、もう雰囲気が和気藹々としたものになる。

 最初はどんな奴が来るのだろうと身構えたが、真理とも既に打ち解けているみたいだし、悪い子ではなさそうだ。

 ちなみに、俺たちが今いるところはというと、ファミレスだ。

 学校終わりに真理が後輩を連れてきて、ゆっくり出来る場所をということでここに来たわけだが。


「それで、用件ってのは?」


「そうでした、そうでした」


 コップに注がれたジュースを飲んで一拍置いてから、真白が本題に入る。


「実はあたし……先輩方に憧れてるんです」


 恥ずかしそうにもじもじしながら、真白はそう口にした。


「ん? 俺達に、か?」


「はい」


 俺は真理と顔を見合わせた。

 目で説明を求めたが、知らないと伝え返される。


「あっ、もしかして、あたし紛らわしい言い方をしちゃってましたか?」


 真白が口元を手で覆う。

 この子は感情が言動ではっきりとわかるな。悪くいうと、無駄に仕草が大きい。


「いや。てっきり俺に用があるんだと、こっちが勝手に勘違いしてた。問題ない」


「すみません……。ちゃんと説明させて下さい。あたし、先輩方の関係がすごく羨ましくて。だって、小学校からずっと続いているんですよね! どうやったらそうなれるのかお聞きしたかったんです。真理さんとは仲良くさせていただけていたので機会はあったのですが、羽馬先輩と……」


 急に口ごもる。


「……純にも訊きたかった、ということか。なるほどな」


 気まずそうに、真白が俯く。

 この反応は、俺達と純との間に溝が出来ているのを知っている。

 真理の友人とかに俺達のことを耳にして、三人にその秘訣を確かめたかったが、一人だけ様子が違うのを何となく悟ったのかもしれない。


「お察しの通り、俺達だって必ずしもうまくいってはいない。それでもいいのか?」


「は、はい! していただけるなら、是非!」


 再度、真理を見る。

 俺だけで決定するのは難しいので、もう一人の当人に判断を仰いだのだ。真理も快諾とまではいかなかったが、首は横ではなく縦に振られた。

 全く、人がいい。


「わかった。けど、大して望んでるようなエピソードはないぞ。特段深い理由なんてないし」


「いえいえ。ないのに、十年以上一緒にはいられませんよ」


 探せば、いると思うけどな。

 そうして、俺と真理は話せる範囲で出会ってからの馴れ初めを真白に教えた。そこには純も当然絡んでくるが、不仲になった部分だけは省きながら語る。

 真白は相槌を打って、時折ノートにメモを書いたりしていた。


「ありがとうございます! とても有意義な時間でした」


 満足気な笑顔で、真白は感謝の意を表してくる。 


「最後にもう一つだけいいですか?」


「ああ」


「先輩と真理さんは……」


 瞬間、その先に続く言葉を俺は察した。


「――真白」


 反射的に、後輩の名を呼んで遮っていた。

 真白は俺の視線に気付くと、ほんの微かに体をびくつかせる。


「音流ちゃん?」


「いえ! 何でもありません。忘れてください。すみません……」


 真白の挙動に真理だけが不思議がる。


「さて、時間も時間だし、そろそろ帰るか」


 真理がこれ以上怪しむのを防ぐために、俺は席を立ってそう提案した。

 反対する者もいなかったので、会計を済ませて店を出る。


「あ、あの……」


 出てすぐに、真白が申し訳なさそうに声をかけてきた。


「嫌でなければ、連絡先を教えてもらってもいいですか?」


 すごく恐る恐るという感じでいる。

 そこまで畏まらなくても。俺が思ってるより怖がらせてしまったか。


「全然構わないよ」


 微笑んで快諾する。

 これで少しは和らいでくれるだろう。

 連絡先を交換した後、真白とは別れた。


「どうだった? 音流ちゃん」


「いい子だとは思うよ。ただ、素直すぎるけどな」


 それと、初見で相手の全てを知れるはずもないが、あの後輩はまだ心の内に何かを潜めている気がした。

 好印象とはいえ、信頼を置けるまでには達しない。

 真理とも別れた後、スマホが小さく音を鳴らす。真白からだった。

 当たり障りのない挨拶と謝意を示す内容。

 俺があそこで遮った意味を理解してくれてよかった。

 あれは、俺と真理が付き合っているのかを訊こうとしていた。それは、真理にとって地雷になり得るワード。

 真白の言動は今後も要警戒だが、鈍感でないのは救いだ。

 しかし、前の人生では一切接点を持たなかった人物と深く関わったというのは、未来にさらなる変化が生じていくのだろう。

 それがどう転ずるか。

 知っているのは、神様だけか。

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