第2章 中学生の春編
(5)
真理をちゃんと家まで送り届け、真理の母親にも深く頭を下げた俺は、来たときよりも一段と静まり返った街中を一人寂しく歩いて帰っていた。
せっかくのチャンスを棒に振ってしまったな、と惜しみながら。
でも、不思議と気分はよかった。
最低限の目標を達成出来たというか、収穫はあったのだから。
真理にはいい印象を与えられたし、俺に対する好感度のパラメーターは上がったはずだ。それが希望的観測であるのは否めないが、少なくともマイナスに傾く要素はない。それに、記憶の片隅にでもあの景色が残っていたら、俺との思い出もまたそこにあって、覚えておいてくれるだろう。
そんな僅かばかりの手応えを覚えつつ、これからのことにも思いをはせようと前に意識を向けたとき――世界が歪んだ。
何かに吸い込まれるように、ぷつりと途絶える。
テレビの電源が消されて、また点けられる。
そんな風に俺の意識が途絶えたかと思えば、すぐに覚醒する。
だが、そこはもう夜の街中ではなかった。全く違う光景が俺の前には広がっていた。
外にいたのに、室内にいる。歩いていたのに、座っている。暗かったのに、明るくなっている。全ての状況が一変してしまっていた。
ここがどこなのかを、あるものを目にして理解する。
始業式。という、学校で幾度も経験した行事の文字を。
しかし、それと並んで示されている別の文字に驚きを隠し得なかった。
「それでは、以上をもちまして……」
俺の気持ちをよそに、淡々とした口調で式の終了が進行を務める者によって述べられる。
すると、せきを切ったかのように生徒たちが一斉に動き出した。式を行っていた体育館から続々と出ていく。俺も遅れてはいけないと、それについていった。
「翔」
そこに、一人の女子生徒が近づいてきた。
言わずもがなで、真理だった。
私服ではなく、制服を身にまとっている。えんじ色のストライプリボンに、紺色のブレザータイプの上着。膝を隠すぐらいの長さをしたチェックのスカート。
俺はというと、黒の学ランを着ていた。
やっぱり、そうだ。ここは中学校だ。この制服にも見覚えがある。
それに、隣にいる真理の容姿や俺の体つきにも変化があった。
互いに身長が伸びているものの、小学校の頃はそこまで開いていなかったその差は、俺の方が五センチ程度高くなっている。こちらが見下ろし、あちらが見上げる形に。
また、艶やかな髪を少し伸ばした真理も、服の上から女性らしいボディラインをしているのが見てとれる。
後、俺の目の周りを囲うようにして黒い線が視界に入ってきていたのだが、これは中学生になってからかけた眼鏡の縁だろう。
視線を下にやってみれば、履いている上履きのつま先部分の色が緑。学年は下から赤、青、緑と色分けされていた。つまり、最終学年になる。
「……今年も同じクラスだったな」
「うん。腐れ縁ってやつかな?」
「いや、運命の赤い糸かもしれないぞ。俺とお前の」
小指を立てると、真理は最初にそれを真顔でじっと凝視してから、俺の顔を覗く。
つぶらな瞳に自分が映り込んでいた。
「恥ずかしいな! もう!」
頬に軽い衝撃を走る。
「ほら、急がないとHRに間に合わないよ」
「お、おう……」
小走りで先を行く真理の促しに、叩かれた頬を撫でながら、俺はそう答えた。
にしても、いきなり二年もの年月を飛んだのは予想外だ。てっきり、あそこから十三年間やり直すのだと思っていた。
神様は気まぐれなのかもしれない。
教室で担任から年度最初の連絡事項を聞き、早々に下校時間を迎える。
他の生徒たちが新しく友人を作ったり、仲のいい者同士で話していたりする中で、俺はクラス毎に生徒の名前が記された紙を何度も何度も見返していた。
やはり、純の名前は別のクラスの枠にある。
俺たち三人は何の因果か、小学校入学当時からクラスが一緒だった。初めて、それが崩れたのがこのときだ。
当時は純だけが離れて、俺と真理との距離が一方的に縮むと勝手に信じてて浮かれていた。
そうした誤った判断や行為が、あの事態を招いてしまったのだ。
同じ轍は踏まない。
紙を折りたたみ、学校指定の鞄に突っ込んで、席を立つ。
「じゃあ、また明日な」
帰り際に、他の女子生徒と楽しそうに話す真理と簡単な挨拶を交わし、俺は教室を去った。
◇ ◇ ◇
さすがに三人一緒に下校するなんて機会は、この頃ほぼなくなっていた。
人付き合いに部活動などと、個々でしなければいけないことに費やす時間が増えていたのが影響していた。
それでも、全くないわけではない。都合がつけば、という感じだった。
暖かい風が体を吹き抜ける。
「春か……」
中学校までの通学路には、川沿いに続く桜並木の道がある。
そこは、淡くも美しい桜の色によって華やかに彩られつつあった。
冬の空の星を花に見立てていたのが懐かしく思える。感覚は、ほんの一時間経っているかどうかぐらいなのに。
神様がこうして場面場面で時を超させるのなら、与えられた時間はそう多くはないのかもしれない。
そう考えた俺は次の日、ある行動をとった。
昼休み。人気のない、最上階と屋上を繋ぐ階段の踊り場。
「やっぱり、ここにいたな」
薄暗く微かにほこりっぽい場所で、窓から差し込む光を蛍光灯代わりに、純はどこからか持ってきたイスに座って、文庫本を読んでいた。
「……翔か。僕に用?」
一瞥だけして、純は目線を本に戻した。
「ああ、宣戦布告をしにきた」
人生でまともに口にしたこともないセリフを吐いた。
それを聞いて、ページをめくっていた純の指が止まる。
「……座るんだったら、使ってないイスが上にたくさんあるよ」
純が軽く指差した方を見ると、屋上へ出る扉の傍にイスが無造作に重ねられていた。
そこから俺も適当に拝借し、純の隣にどんと置いて腰を下ろす。
「回りくどい言い方はしない。単刀直入にいう」
刹那の静寂。
他の生徒たちの喧騒が遠くで響く。
「俺は真理が好きだ」
その言葉を発すると、遠くの喧騒が不思議と耳に届かなくなる。代わりに、乾いた音が小さく鳴る。
音の出どころである横を向くと、純がずっと手に持っていた本を閉じ、顔を上げていた。
「だろうね。ちなみに、僕も好きだよ」
「だろうな。違ったら、俺は転げ落ちるぞ。邪魔もされてるってのに」
「あれは君が抜け駆けしたからだろ。僕にしてみれば、そっちが悪い」
「お前だって裏でこそこそやってただろうが。五十歩百歩だ」
矢継ぎ早にされる言葉の応酬に、俺と純との視線が交わる。
そして、小さく微笑み合った。
「こうした建前じゃない、本音をぶつけられたのはいつぶりかな」
「そもそもあったのかも怪しいな。長い付き合いなのに」
和やかな雰囲気が、間には流れていた。
一方は相手を陥れ、嘲笑うだけ嘲笑って屈辱を味わわせた。
一方は相手を憎み、犯してはならない罪を犯して殺めた。
度合いに違いはあれど、人として外れた行為をした間柄だというのに。例え、仮初のものだったとしても、確かに友との情がそこにはあった。
「それで、僕と君も真理が好きだというのが覆りようもなくはっきりしたわけだけど……どうする? 男は拳かな?」
「そんな暴力的なことはしない。対等に、正々堂々とやる」
俺は立ち上がり、窓から外を眺める。
「一番大事なのは、真理の気持ちだ。だから、どっちが喜ばせられるかで戦う」
「勝った者が恋を成就させて、負けた者は潔く退くと」
「いや……これは喜ばせるだけで、それ以上の見返りを求めたりしたくない。三人仲良くだろ? 純」
俺の皮肉に、純は鼻で軽く笑った。
「……僕は認識を改めないといけないな」
「ん?」
「翔が僕を対等に扱ってくれたり、真理を自分だけのものにしないなんて、思いも寄らなかったよ」
「勘違いするな。まだ、そのときじゃないだけだ。お前のためじゃない」
純に近寄り、さらにこうも告げた。
「俺はお前が大嫌いだからな」
「そうか……」
座って俺を見上げていた純も、すっとイスから立ち上がる。
ご丁寧にズボンに付着したほこりを払ってから、目と鼻の先の距離にまで顔を近づけてきた。
「僕も君が大嫌いだ」
不適な笑みを浮かべて、そう言い放つ。
それを、俺も口元を緩めて受け止めた。
まさに今、開戦のゴングが鳴らされる――わけもなく、昼休みの終了を意味するチャイムが校内に響き渡る。
「戻るか」
「そうだね」
イスを元の場所に片し、俺と純は教室へ急いだ。
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