そは回転する炎の剣05

 アリスは何も感じない。


「…………」


 哲学的ゾンビだからだ。


「…………」


 脳から送られてくる《こういう状況であればこうせねばならない》という指令に沿って行動しているに相違ない。


「…………」


 だから本当は、照ノが死んだことも、クリスが傷つけられたことも、アリスにはどうでもいいことだ。


 ニュアンスは違うかもしれないが一種のエイセクシャルと呼べたかもしれない。


 時間が経てば経つほど、照ノに対する執着は弱くなっていく。


 所詮は何も感じない存在。


 決定的な欠陥。


 人情の入る余地などない。


「…………」


 場所は東京スカイツリーの直上、その上部にある空間。


 アリスは十字架に磔にされて宙に浮いていた。


 光を固めて作ったような輝く十字架が光の鎖を生み出してアリスを縛り付けていた。


 アリスは上空から、さらに上を見た。


 もう夜の時間だと言うのにさんさんと輝く太陽が空に居座っていた。


 結界だ。


 結界の名は《エデン》。


 極東の、日の昇る方角にありし楽園。


 日本の中心……東京……言い換えてエデンの中心。


 そこには二つの樹があるという。


 曰く知恵ちえの樹。


 曰く生命いのちの樹。


 アリスは上空から下を見た。


 そこはコンクリートジャングルはなく、スカイツリーが建っている以外は、野原が地平線の先まで広がっていた。


 そこでは目下、血みどろの戦いが繰り広げられていた。


「…………」


 メタトロンの属性を持った魔術師、ラツィエルの属性を持った魔術師、ザフキエルの属性を持った魔術師、ザドキエルの属性を持った魔術師、カマエルの属性を持った魔術師、ミカエルの属性を持った魔術師、ハニエルの属性を持った魔術師、ラファエルの属性を持った魔術師、ガブリエルの属性を持った魔術師、サンダルフォンの属性を持った魔術師……それぞれがエデンの結界に侵入してきた日本の魔術師を蹴散らしている。


 けっして日本の魔術師や鬼殺しが弱いわけではない。


 しかしエデンと呼ばれるこの結界内では、天使の力が強化されすぎるのだ。


 ゲオルク率いる魔術結社モルゲンシュテルンの企みを叩き潰そうと、結界に侵入してくる魔術師や鬼殺しを十人の熾天使があしらっている。


「…………」


 それと並行して、サタンの属性を持った魔術師、ベルゼバブの属性を持った魔術師、ルキフグスの属性を持った魔術師、アスタロトの属性を持った魔術師、アスモデウスの属性を持った魔術師、ベルフェゴールの属性を持った魔術師、バールの属性を持った魔術師、アドラメレクの属性を持った魔術師、リリスの属性を持った魔術師、ナヘマーの属性を持った魔術師……それぞれがアリスを最下位に置いて特定の位置についた。


「…………」


 それは《逆しまの樹》とも《クリフォトの樹》とも呼ばれる十の大悪魔を使って展開される魔法陣に他ならなかった。


 十柱の熾天使が、地上の魔術師や鬼殺しを皆殺しにしている中、東京スカイツリーの上空で、ナヘマーの属性を持った魔術師から始まるクリフォトの樹の魔法陣が起動する。


 それは効率よくサタンの属性を持つ魔術師……ゲオルクへとプログラムを移す。


 そしてクリフォトの樹は起動した。


 膨大なエネルギーが発生し、そしてアリスに《知恵の樹の実》を与える。


 ――ドクン!


 アリスの心臓が高鳴った。


 今までは哲学的ゾンビで……それ故に何モノにも動かせなかったアリスの心が、産声を上げた。


「……う……うあああああああああ!」


 アリスは泣いた。


 号泣した。


 きっと心は液体だとアリスは思う。


 何せ……こんなにも溢れ出るのだから。


 クリフォトの樹の実によって、クオリアを手に入れたアリスは、溢れ出る悲しみに対抗する術を知らなかった。


 照ノが死んだ。


 それが悲しい。


 照ノが死んだ。


 それが悔しい。


 もう……照ノは、お兄ちゃんは、この世にはいない。


「ああああああああ! ああああああああああああああああああああ!」


 お兄ちゃんが死んだ。


 その事実に涙を流す他なかった。


 圧倒的なまでの悲しみの激流に身を焦がしながら、アリスは号泣する。


「お兄ちゃん……お兄ちゃんー! うわあああああああああああああ!」


 そうやって泣くアリスを見つめて、サタンの属性を持つ魔術師……ゲオルクは自身の二次変換が成功したことを知った。


 すなわちクリフォトの……知恵の樹の実によってアリスがクオリアを得たことを確信したのだ。


「ふ、ふはははは! これで後はセフィロトの樹の実を与えるだけだ!」


 そう言って嬉しそうに笑うゲオルク。


 ゲオルクはモルゲンシュテルンのメンバーに指示をだして、今度は大悪魔の属性を持つ自身と……他、九人の大悪魔の属性を持つ魔術師に、地上で抵抗する魔術師達の殲滅を言い渡した。


「ああああああああああああああああああああああああああああ!」


 アリスは膨大な悲しみを抱えきれずに絶叫をあげる。


 そんな中、十の熾天使の属性を持つ魔術師たちが背中に三対六枚の翼を広げて《セフィロトの樹》の魔法陣を展開する。


 中心にいるのはミカエルの属性を持つ魔術師……そして頂点にいるのがメタトロンの属性を持つ魔術師とアリスだ。


 ゲオルクは哄笑した。


「これで……! これで世界は救われる! 人の意志によって世界は統治されるのだ!」






「――――否。それは叶わぬ願いでやんす」






 そんな声が割り込んだ。


 その声の主は飄々とした態度で回転する炎の剣ラハトケレブをセフィロトの樹の魔法陣目掛けて振り下ろした。


 圧倒的かつ超常的な熱量を斬撃に変えて、回転する炎の剣は振り下ろされる。


 セフィロトの樹……転じて生命の樹は、声の主の振るった回転する炎の剣によって焼き尽くされた。


 メタトロンの属性を持った魔術師、ラツィエルの属性を持った魔術師、ザフキエルの属性を持った魔術師、ザドキエルの属性を持った魔術師、カマエルの属性を持った魔術師、ミカエルの属性を持った魔術師、ハニエルの属性を持った魔術師、ラファエルの属性を持った魔術師、ガブリエルの属性を持った魔術師、サンダルフォンの属性を持った魔術師、都合十人の魔術師は声の主によってあっさりと悲鳴までも焼き尽くされた。


 仮にも、最高ランクの天使の属性を持つ魔術師十人の、それがあまりに簡単な最後だった。


 セフィロトの樹はこうして消滅をみた。


 同時に、声の主は、光の十字架に束縛されたアリスを解放すると、回転する炎の剣を持った腕とは反対の腕で…………抱き上げる。


 声の主は……そいつは、ボサボサの黒髪のショートヘアで、口にキセルをくわえ、曼珠沙華の意匠をあしらった紅の羽織をはためかせ、手には軸回転する炎の剣を持ち、背中には炎の翼を広げて、下駄を履いた男だった。


 即ち、天常照ノがそこにいた。


「なるほど、知恵の樹の実を食べるように促したのはルシファー。武器や化粧の知恵を人類に教えたのはアザゼル。知恵の樹の実を食べないよう言い渡したのは唯一神。すなわち神は人類に無知を求めた。悪魔こそが人類に知恵を与えた。なればこそクリフォトの樹……逆しまの樹は知恵の樹に相当するわけでやんすか」


 そう言う天常照ノに向かって、


「お兄ちゃんー!」


 アリスが大声を上げて反応した。


 アリスの中の、たった今生まれたばかりのクオリアが、全身全霊で喜びを生み出した。


 圧倒的なまでの感動。


 圧殺的なまでの望外。


 あまりの嬉しさにアリスは涙を流した。


 そしてアリスは照ノに抱きつく。


 もうただの反応ではない。


 クオリアによる……真実の嬉しさ故の言動である。


「うああああ……お兄ちゃんー……お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんー! 生きてたんですねー!」


「よっす。ご機嫌いかがでやんすアリス嬢……」


「アリスー、クオリアを手に入れましたよー! お父様のおかげでー!」


「重畳重畳。では後は魔術結社モルゲンシュテルンを壊滅させるだけでやんすな」


 不敵に照ノは笑った。

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