九尾の狐と吸血鬼02

 そして聖ゲオルギウス学園の昼休み。


 照ノとアリスは、屋上にいた。


 例によって、天翔の魔術を使ったのだ。


 アリスを御姫様抱っこして、照ノが宙を蹴り、高等部の屋上に着地した次第である。


 照ノは、屋上の風に紅の羽織をはためかせながら、フェンスに寄りかかって購買部で買ったパンを食べ終わると、くわえたキセルに刻み煙草を詰めて、それから魔術で指先に火をともし、煙草に火をつける。


 スーッと煙を吸ってフーッと煙を吐く照ノ。


 そんな照ノの横で、アリスは購買部で買ったカツサンドを美味しそうに頬張っていた。


「美味しいですー。あ、もちろんマリア様の料理ほどではもちろんありませんけどー」


「…………」


 照ノは、無言で煙草を吸った。


「お兄ちゃんー、学校って楽しいところですねー」


「むしろ高校の教育についていけるアリス嬢に小生は感服いたしやす」


「えへへー、それほどでもー」


 照れ笑いを浮かべるアリス。


 照ノはフーッと紫煙を吐いた。


「しかしゴーレムねぇ……」


「まだ信じられませんかー?」


「それはまぁ……どこをどう見たって人間でやんす……」


「ちゃんとゴーレムですよー……」


「なればどこかに《emeth》と書かれた刻印があるでやんすが……」


「《emeth》……ですかー……?」


「ゴーレムは儀式の後に土をこねて額に《emeth》と書かれた札を張ることで術者の命令に忠実に動く素体となるのでやんす」


「はー……」


「この《emeth》から《e》を削って《meth》とすることで活動を停止すると言われてやす」


「それくらい知ってますよー。《emeth》が真理、《meth》が死を意味するんでしょー?」


「で、アリス嬢のどこに《emeth》の刻印が?」


「…………」


「ないでやんしょ?」


「少なくともアリスは知りませんー」


「でがしょ? 見れば見るほど人間でやんす」


 アリスの頬を、プニッ、と摘まみながら照ノ。


「なにふるのー」


 頬をつままれながら「なにするのー」と抗議するアリスの頬を離して、キセルを持つとフーッと紫煙を吐く照ノ。


「ちなみに嬢……ピグマリオン効果というものを知っていやすか?」


「知らないー」


「ざっくりと言えば、教師の期待によって学習者の成績が向上する効果でやんすが、この逆をゴーレム効果というんでやんす」


「ほおー……」


「教師が期待しないことによって学習者の成績が下がる現象でやんすね。何故これにゴーレムと名がついたのかまでは小生にもわかりやせんが……」


「アリスー、期待されないと作業効率が下がるのですかー?」


「さて、そこまでは……。ピグマリオン効果自体まだ完全に実証されているわけではありやせんゆえ」


 キセルに新たな煙草を詰めて、指先に魔術の炎をともし、煙草に火をつけると、照ノはスーッと煙草を吸ってフーッと紫煙を吐いた。


 指先に火をともす、という照ノの二次変換に、アリスが目を輝かせる。


「すごいですねー。アリスも魔術使いたいですー」


「心にもないことを言うもんじゃないでやんす」


「うー。たしかにクオリアはありませんけど魔術を見たら気分が高揚したように見せるようプログラムされているのは事実ですよー?」


「そもそもにして哲学的ゾンビってのはあくまでデイヴィッド=チャーマーズがクオリアの説明に用いた思考実験であって、唯物論に対して懐疑的な論法を用いる時に使うものでやんす。実在した例など古今東西ありやせん」


「そんなことを言ってしまえばクオリアを実際に確認することなんて今現在誰にもできませんからお兄ちゃん以外の人間全てが哲学的ゾンビかもしれませんよー? 哲学的ゾンビだけがいる世界……ゾンビワールドって奴ですー」


「そこまでいくと、ファンタジーではなく、サイエンスフィクションの領域でやんすなぁ」


 フーッと紫煙を吐きながら、魔術師……天常照ノ。


「ところでー……」


「はいな、なんでやしょ?」


「たしか二次変換……魔術は各々のパワーイメージというモードをなぞって再現されるのでしたね」


「はぁ、まぁ」


「お兄ちゃんのモードは陰陽道ですよねー?」


「……はぁ、まぁ」


「ならー……お兄ちゃんの指先から火を出す魔術は、陰陽道の何に則しているのでしょうかー?」


「……気付いちゃならないところに気付きやしたなアリス嬢……」


「えー……?」


「パワーイメージというのは、言ってしまえば、物事の神格化でやんす」


「神格化ー?」


「つまりあらゆる現象を科学的ではなく神秘的に捉えることでやんす。これによって人は、その現象を通常の現象それそのものより偉大なものと認識し直すのでやんす」


「ふんふんー」


「これが巷にあふれる小さな現象ならば、拡大解釈して何でもない現象を偉大に見せるのでやんすが、人の手に余る現象になると、この逆の現象が起きやす」


「というとー?」


「現象の低俗化……でやんす。例えば太陽や月や宇宙といったものは、遥か昔モードを築いた人間にとって理解の及ばない現象でありやしたから、空に浮かぶシンボル程度の認識しかされていやせん。事実、核融合によって爆発し続ける太陽を、古代の日本人は一介の女性として捉えていやす。これは神格化であると同時に低俗化でもありやんしょ?」


「なるほどー」


「さて、それを踏まえた上で、神格化をしていない太陽を二次変換したらどうなると思いやす?」


「地球が滅びますよー!」


「でやしょ? でやんすから魔術……二次変換にモードの制限がつくのはある意味必然なんでやすよ。現代魔術では《アポテオーシス・リミッター》と呼ばれている現象でやんす」


「……んー? ちょっと待ってー。そんな話をするということはー……」


「気付きやしたか。そうでやんす。小生の指先の炎はモードによるものではありやせん。火を火と認識したうえで、誇張も劣化も神話も駄文もなく再現する二次変換でやんすよ」


「お兄ちゃんすごいんですねー……」


「はっはっは」


 キセルをくわえたまま「唯我独尊」と書かれた扇子を、パンと小気味よい音とともに広げて、ひらひらと扇ぐ照ノ。


「ではお兄ちゃんはモードとしての陰陽道の他に、火に限りモードではない二次変換を可能とするのですねー?」


「そういうことでやんすね」


 「唯我独尊」と書かれた扇子を、パンと小気味よい音とともに閉じて懐にしまう照ノ。


「陰陽術も何かできますかー?」


「あまりできやせんよ」


「遁甲はー?」


「無理」


「天文ー?」


「無茶」


「式神ー?」


「無謀」


「護法ー?」


「未修得」


「生剋ー?」


「不得手」


「結界ー?」


「……多少なりとも」


「退魔ー?」


「それくらいなら……まぁ……」


「陰陽師じゃないじゃないですかー!」


「でやすから昨晩もクリス嬢に向かって言いやしたでしょう。小生は陰陽師ではなく陰陽術師でやすと」


「詐欺の理論ですよー」


「とは申されても事実は事実なのですから受け入れてもらうしかありやせん」


 そう言ってくつくつと照ノは笑った。


 曼珠沙華の意匠をあしらった紅の羽織が、風にたなびく。

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