魔術とは……08


 クリスとアリスの後に照ノも風呂に入り、それからあがった後、照ノはドライヤーで髪を乾かした。


 水分によってしっとりとしていた髪が、ドライヤーによって元々のボサ髪に戻る。


 照ノは紅の羽織を着ておらず今はパジャマ姿だ。


 もはやアイデンティティに近いキセルをくわえながら布団を二人分布く。


「では小生が一人で布団を使いますので、クリス嬢とアリス嬢は二人で一つの布団を使ってくれやんせ」


「アリスー、お兄ちゃんと一緒に寝たいですー」


「可愛いでやすなー、このこの……!」


 そう言ってアリスを抱きしめるとアリスの頬に頬ずりする照ノ。


 ジャキッと仮想聖釘を具現化するクリス。


 その殺気を感じてアリスを解放する照ノ。


「いいじゃないでやすか……。可愛い子を抱きしめることぐらい」


「あなたみたいな低劣下劣悪劣な魔術師なんかに抱かれては迷える子羊もさぞ不幸でしょう。そう思えば私の行為にも納得できますね?」


「えらい嫌われようでやんす」


 言いながらキセルに刻み煙草を詰めて、魔術で火をつける照ノ。


 スーッと煙草を吸ってフーッと紫煙を吐く。


「いまどき魔術を否定するなんて頭が固いとしか言いようがありやせんよ?」


「異教徒には死を。それが神威装置の本義なれば」


「それが頭が固いということでやんす」


「とにかく! アリスは私と一緒に寝せます。照ノ、あなたはしゃしゃり出ないでください」


「まぁそう言うのならそれでも小生は全然かまいやせんけどね」


 そう言ってフーッと紫煙を吐く照ノ。


 アリスがいやいやと首を横に振る。


「ええー、お兄ちゃんと一緒に寝たいよー」


「その気持ちは嬉しいでやんすが怖い恐い威力使徒に睨まれれば小生とてどうしようもありやせん。とりあえず今日のところはクリス嬢と一緒に寝やんせ」


「はあー。お兄ちゃんがそう言うのならー……」


 頷くアリスの、その両肩を掴んでクリスが言う。


「アリス。相手は神を信じぬ異教徒です。そんな人間以下の猿に好意をよせてはなりません」


「はあー……どう思いますお兄ちゃんー?」


「威力使徒がそう言うのならそうでやんしょ」


 さして気にもせずそう言って煙を吸う照ノ。


 アリスは天井を見つめ、それから床を見つめ、そして照ノに話を切り出した。


「ところでー」


「何でやんしょ?」


「この部屋と天井と床はどういうことなんでしょー?」


 照ノの部屋の天井には縦横無尽に張られた赤い縄とそこからぶら下がっている無数のヒョウと呼ばれる中国の短刀とそのヒョウの全てに刺さっている霊符があった。


 床は奇門遁甲の陣を描いたカーペットが敷いてある。


「床のカーペットは遁甲八卦の陣を描いてあり、これが人避けの結界を成立させてやんす」


「はあー……」


「天井の紙は念を込めれば発動する《霊符》と呼ばれるマジックアイテムの一種でして、小生の知り合いが創ったモノでやんす」


「ほおー……」


 納得するように頷いて、それからアリスは言った。


「お兄ちゃんー!」


「はい、何でやしょ?」


「アリスも魔術使いたいー!」


「…………」


 沈黙する照ノ。


「駄目ですアリス!」


 慌てるクリス。


「異教の外法なぞに手を出してはなりません! それは主の御心を否定することにも繋がりますよ!」


「ええー、でも魔術ってかっこいいんだもんー。ねー? いいでしょお兄ちゃんー?」


「止めときやんせ」


 照ノは紫煙を吐きながらそう言う。


「なんでよー?」


「夕飯の時にも言いやした。二次変換を獲得するには精神に異常をきたさねばなりやせん。つまり魔術師とは幻覚や妄想のすぎる精神疾患の患者なんでやすよ。そんな道に未来明るい少女を巻き込むわけにはいきやせん」


「そうですそうです。そんな道を選んではいけません」


 照ノの言葉に追従するクリス。


「二次変換を修得しているお兄ちゃんとクリスさんに言われても説得力ないですー」


 プクーッとフグのように頬を膨らませて怒りを表現するアリス。


「アリス嬢も心臓でやんすなぁ。天下の威力使徒の前で魔術を扱おうなどと……」


「いいじゃんー。教えて……お・に・い・ちゃ・ん……」


「……仕方ないでやすなー」


「鼻血を拭きなさい照ノ。何を籠絡されているんです!」


 アリスのおねだりに鼻血を垂らして籠絡された照ノをクリスが諌める。


「こんないたいけな子供を外道に堕とすつもりですか!」


「ほんのさわりくらい教えるだけならいいでやんしょ」


「そんな理屈が通じますか!」


「ええと、たしかこれが……」


 クリスの激昂をスルーして天井からぶら下がっている霊符の一つを取る照ノ。


 クリスが仮想聖釘を具現化するとそれを照ノ目掛けて投げる。


 照ノは懐から取り出した閉じた扇子で仮想聖釘を弾いて、「未熟千万」と書かれた扇子をパンと小気味よい音とともに広げて、ヒラヒラと扇ぐ。


 それから手に取った霊符をアリスに渡す。


 アリスはその霊符を見て、それから照ノを見て、もう一回霊符を見ると首を傾げた。


「これなんですー?」


「霊符と呼ばれるマジックアイテムでやんす。二次変換を促す神秘の道具と捉えてもいいでやんすね。それは光の霊符。その符を持って念じれば光球が生まれやす。ま、停電対策の霊符でやんすね」


 そう言って扇子をパンと小気味よい音とともに閉じて懐にしまうと、紫煙をフーッと吐く照ノ。


 それから照ノは部屋の明かりを消した。


 時間が夜だということもあって一メートル向こうも見えない暗闇が照ノの部屋を支配した。


 月明かりでうっすらと周りの陰影がみえるくらいだ。


「ではアリス嬢。霊符を構えやせ」


「構えるってー……どういう風にー?」


「自分の魔術を使えそうなポーズをとればいいでやんす」


「はあー、こうでしょうかー?」


 自信無さ気にアリスは暗闇の中で霊符を握った両手を前方へ突き出した。


「よく見えやしやせんが、とりあえずポーズはとりやしたね?」


「はいー」


「ではイメージするでやんす。その霊符が花と散って代償に光球が手元から天井へと浮かび上がる様を」


「むむむー……!」


 念を込めようとしているのだろうアリスはそう呟いた。


「そして唱えるでやんす。急々如律令、と」


「急々如律令ー!」


 光球は生まれなかった。


「「「…………」」」


 三者一様の沈黙。


 それから照ノは紫煙を吐いて言う。


「アリス嬢……ちゃんと言われた通りイメージしやしたか?」


「あのー、そのー、イメージってどうやってするものなんでしょう?」


「それはまぁ自身の二次変換したい現象を強くクオリアに思い描くんでやすよ」


「いやー、そういう意味ではなくてー」


「はぁ、ではどういう意味でやんしょ?」


「クオリアがないモノはどうやってイメージを描けばいいんでしょうー?」


「っ!」


 暗闇の中、クリスが顔を強張らせる。


 驚愕したのは照ノも同じだった。


「嬢、それはどういう意味でやんす……?」


 恐る恐るといった感じでアリスに問う照ノ。


 それは解を知っていてなお問わねばならぬ問いだった。


「どうってー……アリスはいわゆる《哲学的ゾンビ》なんですよー」


「「っ!」」


 アリスの言葉に解を知っていながらも驚く照ノとクリス。


「哲学的ゾンビ……ですって……!」


「はー……まー……」


 暗闇の中でポリポリと頬を掻きながらアリス。


 と、照ノが部屋の照明をつける。


 照らされる屋内。


 照ノとクリスがアリスを見る。


「アリス嬢はこの光に何も感じやせんか?」


「明るいということと明るいという反応をしなければならないのはわかりますけど……明るいことを感じるかといえば否、と。アリスをお父様から逃がしてくれた魔術師が目の前で殺された時も、そうせざるを得ないという反応の仕方は知っていましたけど、辛い悲しいとは感じませんでしたし……」


 クリスがアリスを抱きしめる。


 目一杯の力でアリスを抱擁する。


 クリスは涙声で呟いた。


「なんで……そんな……!」


「なんでと言われましてもー……所詮アリスはゴーレムですからー……。クリスさんは言いましたねー。『もしそれを辛いと思われないならそれは悲しいことなんです』ってー。つまりアリスは哀れまれるべき存在なのでしょうかー?」


「だって……そんな……」


 ギュッとアリスを抱きしめながらクリスが呟く。


 それ以上の有益な言葉は出ないと認識したのか。


 アリスは照ノに視線をやった。


「お兄ちゃんー。クオリアを持たないアリスに魔術は使えないのでしょうかー?」


「ありていに言えばそうでやんすなぁ。意味を扱う機関が存在しないということでやんすから二次変換をできる道理がありやせん」


 フーッと紫煙を吐いて照ノは断ずる。


「ではどうすればクオリアとやらをアリスは手に入れることができるんでしょうー?」


「はて。小生は脳科学の専門ではありやせんのでそこまでは……」


「……そうですかー」


 クリスに抱きしめられたまま無感動にそう呟くアリス。


 その無感動こそがクオリアを持っていないアリスの本質とも言えた。

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