不思議じゃない国のアリス02

 私立聖ゲオルギウス学園は、幼稚舎から大学まで、一貫した学業プログラムを持つカトリック系のミッション校である。


 しかしてその歴史は浅く、校風は、生徒の自主性に任せている部分が大きい。


 生徒が私服登校を認められているのも、そんな校風を肯定しているものだった。


 なものだから、照ノは喪服に紅の羽織を……クリスはベールの無い修道服を着て、各々登校していた。


 カジュアルな私服を着ている他の聖ゲオルギウス学園の生徒達は、奇異の視線で並び立つ二人の傾奇者を見て、その内の一人であるクリスの美貌に目を奪われる。


 しかし彼らは知らないのだ。


 その美貌を持つクリスの、その修道服には神の奇跡がかかっており、超常的な身体能力を当人に与えるのだと。


 そんな臨戦態勢のクリスが、照ノと口論しているところで、聖ゲオルギウス学園の正門に辿り着く。


 それから二人は、高等部の校舎に向かって歩き出したところで、


「しばしお待ちを! クリスティナさん!」


 クリスが、誰かに呼び止められた。


 クリスは「誰か」と声のした方を振り向くとともに、意に介さないで歩み去ろうとした照ノの紅の羽織を掴んで止めた。


 照ノはくわえたキセルをピコピコと上下に揺らしながら、クリスに抗議する。


「何をしやすクリス嬢。呼ばれたのは主でやんしょ?」


「いいから、一緒にいなさい」


「やれやれ」


 と言いつつ諦めてクリスの隣に立つと、照ノはクリスを呼び止めたその相手を見た。


 そして、


「うわ……」


 引いた。


 照ノがクリスの顔色を窺えば、クリスもまた引いているらしかった。


 結論から言って、クリスを呼び止めたのは男だった。


 年は、照ノやクリスと同じか、少し上くらいだろう。


 顔はゴツゴツとしていて、天然の大岩を連想させる作りで、それに見合ったように体格もよく、そしてその溢れんばかりの肉体を空手の胴着で包んでいた。


 一言でいえば「ごつい」……そう捉えて間違いのない少年だった。


 少年は言った。


「押忍! 自分は岩男いわおいわおといいます! クリスティナさん……自分と付き合ってください!」


 直球勝負だった。


 クリスを呼び止めて、それから告白まで十秒かかっていない。


 そして、


「ごめんなさい」


 クリスもまた、あっさりと岩男巌をふった。


 あたりがざわめく。


 それはそうだろう。


 朝から告白シーンを目撃したのだから。


 野次馬が集まっても、しょうがない状況と言える。


「押忍! クリスティナさん! 自分には何が足りないのでしょう!」


「いえ、あなたの落ち度ではありません。ただ私は主に仕える身なれば、この体清く保たなければならないのです」


「押忍! 了承しました! ……うわああああああああああん!」


 そう言って泣きながら、岩男巌は走り去っていった。


「手厳しいでやんすなぁ」


「こればっかりはしょうがないですよ。私は主の遣いですから」


「じゃあ小生でも無理でやんすか」


「…………」


 沈黙。


 そして、


「ななななな! 何を言ってるんですかあなたは! そんなものもちろん、むむむ無理に決まっているでしょう!」


 真っ赤になってそう言うクリス。


 ついでに学生鞄を振り回して照ノを攻撃しようとする。


 照ノは紅の羽織をひるがえしながら、戦装束である修道服によって強化されたクリスの鞄による打撃を、そよそよと避け続けた。


 そんなことをしながら、二人は聖ゲオルギウス学園……その高等部校舎へと足を向けた。




    *




 私立聖ゲオルギウス学園の昼休み。


 生徒はめいめいに食事をとるために散っていった。


 ある者は中等部から大学までの生徒が一堂に集まる大きな共通学生食堂に。


 ある者は高等部にだけ開かれている高等学生食堂に。


 ある者は三つある購買部の一つに。


 そして、ある者は自前の弁当を。


 それぞれの方法で食事へと向かった。


 天常照ノはその奇抜な格好と、それから他人に対する無関心さ故に友達はおらず、購買部でサンドイッチを三つと緑茶のパックを買って高等部校舎の屋上にいた。


 ちなみに聖ゲオルギウス学園の屋上は、立ち入り禁止である。


 しかしてそれ故に誰もおらず、膨大な広さをもつ学園全体を見渡せる屋上を照ノは気に入っていた。


 階段から屋上に続く扉には、鍵がかかっている。


 何より照ノは、扉を通って、屋上に来たわけではない。


 魔術師としての天常照ノは、足元で小爆発を起こして、機動力を得る手段を持っている。


 『天翔てんしょう』と照ノが呼んでいる魔術だ。


 昨晩、逆上したクリスから逃げるために、足元に小爆発を起こして空を駆けたのが、この魔術である。


 照ノは、その天翔を使って、一足飛びに跳んで、屋上に着地したのだ。


 照ノは、屋上のフェンスにもたれかかると、購買部で買った三つのサンドイッチを胃に収める。


 それから、くわえていたキセルに煙草を詰めると、右手の人差し指の先に炎をともした。


 ――魔術だ。


 右手の人差し指の炎で、煙草に火をつけると、照ノは煙を吸って吐いた。


 それから「ふう」と紫煙と共に吐息をつく。


「絶景かな。絶景かな。この眺めは価千金とは小せえ小せえ……」


 キセルの先からゆらゆらと立ち上る煙の先に俯瞰の風景を見て、それから照ノはスマホを取り出した。


 登録されている番号を探して、通話ボタンを押す。


 コール一回で相手が出た。


『やーほー。照ノ、なニ?』


 陽気な女性の声が、携帯電話を通して聞こえてくる。


「いや、昨日人鬼を狩ったでやんしょ? ちゃんと振り込まれたかと思いやしてね」


『ウン。振り込まれたヨ。確認済ミ』


「そうでやんすか。では九李姉ぇ、こっちの口座に三十万ばっかし振り込んでくれやっせ」


『三十万でいノ? 百万でも千万でも振り込めるヨ?』


「いえいえ。今年分の学費はもう振り込みましたでやんすから、そんな大金は必要ありやせん。三十万でしばらくは十分暮らせるでやんすよ」


 そう言って、フーッと紫煙を吐く照ノ。


 九李姉ぇと呼ばれた……正式には馬九李という道士は『ふへ~』とため息をついた。


『ストイクな野郎ネ照ノは』


「そんな御大層なもんでもありやせん。ただ金銭的価値に意味を見いだせないだけでやんすよ」


『それがストイクいうんヨ?』


「なら、そういうことでやんしょ」


『用件それだけネ?』


「まぁそうでやんすね」


『じゃあこちから一つ』


「はぁ……なんでやんしょ?」


『なにか変な出会いはなかタ?』


「変な出会い?」


 さらっと過去の記憶を掘り起こして、それから照ノは煙草を吸って煙を吐く。


「いや、特にあげつらうほどの出会いというのはないでやんすね」


『そか。じゃこれからなのかナ?』


「占いで何か出やしたか?」


『うん。照ノに運命的な出会いがあるてサ』


「それは……しかし九李姉ぇが言うのならあるのでやしょうね……」


『善きか悪しきか……はわかんないけど、多分、近々変な出会いがあると思うヨ』


「占いとは突き詰めれば未来予知につながりやす。中国でも指折りの道士たる九李姉ぇの占いとあれば無視するわけにもいきやせんなぁ」


『高くかてもらているようで感激ヨ』


「鬼については何かありやんすか」


『うーん……強力なのが近づいてきてるかもしれないしそうじゃないかもしれないてところネ。多分もうちょっと未来の話ヨ。確率がもう少し収束したら詳しい内容も占えると思うけど』


「いや、十分でやんす。では、また」


『あーイ。馬九李をこれからもよろしク』


 そう言って、ピコンと通話は切れた。


 照ノはスマホをしまうと、スーッと煙を吸ってフーッと煙を吐いた。


「おかしな出会いでやんすか……。さて、鬼が出るか蛇が出るか」


 屋上のフェンスに、カツン、とキセルを叩きつけて煙草の灰を捨てる照ノ。


 それから刻み煙草をキセルに詰めて、魔術で火をつける。


 照ノは、煙を吸って吐いた。


 と、


「またあなたは! こんなところで煙草なんか吸って!」


 そんな女子の声が聞こえてきた。


 照ノには、存分に聞き覚えのある声だった。


 つまりクリスティナ=アン=カイザーガットマン……クリスだ。


 彼女は屋上のフェンスをガシャガシャとよじ登って頂上までつくと、そこから屋上の床まで飛び降りた。


 タン、と華麗に着地する。


「まるで猿でやんすなぁ……」


「誰が猿ですって! だいたい照ノも同じ方法で登ったんでしょう!」


「小生は天翔で空中を駆けのぼったでやんす。そんなヤモリみたいに起伏の少ない壁を指の力だけで登ってきたりはしやせん」


「別に跳んでもよかったんですけど、そっちの方がよかったですか?」


「どうでもようござんす」


「む。自分から猿だのヤモリだのと言った癖に……」


「一足飛びに跳んできたならバッタやノミで例えていただけでやんす」


「どっちにしろ馬鹿にされてたってこと……?」


「他意はありやせん」


 そう言って紫煙を吐く照ノ。


 それから彼は、不思議そうにクリスを見やる。


「そういえば友人の多いクリス嬢? お友達はどうされやした?」


「もちろん別れてきたわよ。どうせあんたのことだから屋上で煙草吸ってるだろうと思ってね」


「はて……不思議でやんすな。お友達との和気藹々を放ってこちらに来るとは」


「別にあんたのためじゃないわよ!」


 クリスは真っ赤になって激昂した。


 照ノはやれやれと言いつつ煙を吐いて、


「なれば放っておいてほしいでやんす。煙草くらい好きに吸わせてくれやっせ」


「煙草は二十歳になってから」


「二千七百歳の小生は十分に条件を満たしてるでやんす」


「…………」


「それで? お友達と和気藹々を振り切って小生に何の用でやんしょ?」


「契約しにきたのよ」


「契約?」


「今朝がた、こっちの……教会協会神威布教広報特務組織所属異教殲滅本義会設武装士団の情報網にあるホシがかかったわ」


「前々から思っていやしたが、その呼称は微妙でやんす」


「うるさいわね!」


「それで? 神威装置の網にかかったホシというのはなんでやんしょ?」


「名前はゲオルク=コルネリウス=アグリッパ」


「ああ、はいはい。たしかハインリヒ=コルネリウス=アグリッパの直系でユダヤのモード……特にカバラ学に精通した先生でやんすな。そのゲオルク先生がどうかされたんで?」


「どうかしたのよ。知らないの? ゲオルクは現在指名手配中の大罪人よ? 正確にはゲオルクだけじゃなくゲオルク率いる《モルゲンシュテルン》という魔術結社そのものが、だけど……」


「モルゲンシュテルン? はて、耳に覚えのない結社でやんすなぁ」


「ゲオルクが創った比較的新しい魔術結社よ。結構粒ぞろいの魔術師がそろっているけど、人数もそんなにいないし、魔術結社としては二流ってとこね」


「はて、そんな吹けば飛ぶような魔術結社が、何故天下の神威装置を脅かすでやんす?」


「奴ら空間魔術で奇跡倉庫にクラッキングを仕掛けたのよ……!」


「はぁ、奇跡倉庫に……そりゃ物好きな……。それで? 何か盗られたんでやんすか?」


「《アダマ》を盗られたのよ!」


「アダマ……っていうと……」


 と、そこで一旦言葉を区切り、フーッと紫煙を吐き、照ノは続ける。


「たしかヤハウェがアダムを作るときに使った《赤き土》のことでやんしたっけ?」


「そうよ。カノンクラスに認定されている第一級聖遺物ファーストレリックよ」


「聖遺物の使い方、間違ってやせんか?」


「いいのよ細かいことは! とにかくゲオルク率いるモルゲンシュテルンが日本に高跳びしたって情報が来たのよ。神威装置の日本支部としては、これを見逃す手はないわ!」


「はぁ、頑張っておくんなまし」


 興味無さ気にそう呟く照ノ。


 クリスはフンスと鼻息を荒くした。


「それで、契約にきたのよ」


「契約?」


「もしもあんたがゲオルクを捕まえたら、その名誉を神威装置に売ってほしいのよ」


「小生、倭人神職会わじんしんしょくかいに籍を置いている身でやんすが」


「でも同時にあの馬九李の支援も受けている」


「…………」


「魔術師は、人を襲う幻想生物や魔術師の討伐をした際に、その名誉を魔術結社に売ることで金銭を得ている。このシステムは知ってるわね」


「知ってるも何も……そのビジネススタイルを生み出したのは……そちら側でやんしょ」


 日本でいうところの、いわゆる『鬼』や『呪い』といった人に害なす魔術的現象を討伐することで、魔術師はその現象を討伐したという「名誉」を得る。


 この「名誉」を自分の所属する魔術結社に売ることで、魔術師は金銭を得て、魔術結社は名誉を得る。


 無論、変化外道が強力であればあるほど、討伐した時の名誉は大きくなり、魔術結社の発言権も増す……と同時に討伐した魔術師も、相応の金銭を得る。


 これは本来ヨーロッパで生まれたビジネススタイルだが、今では全世界で共通のものとなっている。


「それで? 何を契約すればいいんでやんしょ?」


「もしも照ノがゲオルクを拘束、討伐したら、その名誉を神威装置に売るという契約をしてほしいんです」


「先も言った通り小生、倭人神職会に身を置いていやすけど……」


「奇跡倉庫を荒らされ、なおかつ日本まで高跳びさせたのは神威装置の不始末よ。当然尻拭いはこちらでやるべき……。そんなことがわからない天常照ノじゃないと思うけど?」


 右手に四本の仮想聖釘を具現化しながら、そう言うクリス。


 照ノは煙をくゆらせて、それから紫煙を吐くと、


「ようござんしょ。もしもゲオルクを小生が討伐した暁には、神威装置にその名誉を売りましょう」


「もちろん口約束だけじゃないですからね。帰ったら印鑑をもらいます」


「徹底してやんすね。まぁいいでやんすが……」


 煙を吸って、吐いて、くつくつと笑う照ノだった。


 同時に昼休みの終わりを告げるウェストミンスターチャイムが鳴った。

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