不思議じゃない国のアリス03

 放課後。


 照ノは曼珠沙華の意匠をあしらった紅の羽織を風にたなびかせながら、自身に引っ付いてくるクリスに不満を漏らした。


「そんなに引っ付かなくても逃げやしやせんよ」


「駄目。照ノが契約書に印鑑を押すまで離れるわけにはいきません」


「周りの目が針のむしろでやんす……」


 ボサボサの黒いショートヘアを掻きながら、照ノはそうぼやく。


 喪服に紅の羽織の天常照ノは、よく目立つ。


 さらに修道服を着た常識の埒外の美貌を持つクリスも、また目立つ。


 その二人が引っ付いて帰路を歩いているのだ。


 周りからの興味の視線は躱せないだろう。


 高校生ともなれば色恋沙汰には敏感だ。


 聖ゲオルギウス学園でもトップクラスの美貌を持つクリスが冴えない男子と帰路を共にする。


 それだけでも妙な噂は立つ。


「はぁ……。誤解されねばいいでやんすが……」


「誤解……ですか?」


「帰り道を同じくする。それだけでも周りの妄想を膨らませるには十分でやんす」


「…………」


 沈黙するクリス。


 その頬は朱に染まっていた。


「あまり過ぎたことを言ってると罰しますよ……」


「勘弁でやんす。小生に戦う理由はありません故」


「ふん……!」


 照ノの顔は見たくないとばかりにそっぽをむいて、しかし照ノの右腕にしっかりと抱きつくクリス。


 そのまま二人はまるで恋人同士のように腕を組んでシスターマリアの教会へと徒歩で帰った。


 教会の裏口からプライベートルームへと入る。


 同時にシスターマリアが、腕を組んで帰ってきた照ノとクリスを迎えた。


「まぁまぁクリスちゃんに照ノちゃん。仲良く帰ってきてくれて嬉しいわ」


「べべべ別に……ななな仲良く帰ってきたわけじゃありません! ただ照ノを逃がすまいとしただけです!」


「あら、腕を組んで帰ってきたのだから仲の良い証拠じゃないかしら?」


「そそそそんなことありません……!」


 思いっきり動揺するクリス。


 照ノは学校……聖ゲオルギウス学園を出た後で、火をつけたキセルの煙草を吸って吐きながら、シスターマリアに言う。


「なにやら契約の云々があるということでこちらに寄らせてもらった次第でやんすが……」


 シスターマリアは恍けたように言う。


「あ、そうそう。照ノちゃんに言いたいことがあったのよ」


「どうせゲオルク先生についてのことでやんしょ? それはツンデリッターに委細聞きやした」


「誰がツンデリッターですか! 誰が!」


 抗議するクリスを無視して、シスターマリアが続ける。


「そう? じゃあこの書類にハンコをお願いできる。倭人神職会にも話は通してあるから」


「準備のいいこって」


「しょうがないわよ。モルゲンシュテルンに後れをとったのは、神威装置の恥ですもの。これはどうあっても神威装置の手で拭わなければならないものだわ。そのためなら懐柔策も辞さない……ってところだから」


「名誉のために動いていちゃ、暴力団と何ら変わりはありやせんな」


「あはは。神威装置が暴力装置であることには、異論をはさむ余地はないけどね」


 そう言って笑いあう照ノとシスターマリア。


 クリスが右手に十寸の釘を具現化しながら言う。


「いいから書類にハンコなさい!」


 照ノはキセルから煙を吸って、吐いて、それから自身の体のあちこちを探って、それから鞄を探って、言う。


「そう言えば印鑑持ってないでやんす」


「では早く取ってきなさい!」


「うお!」


 超音速で投げられた仮想聖釘を、なんとか避ける照ノ。


「何するでやんす!」


「あなたがグズグズするのがいけないんでしょう」


「印鑑を持ってないだけで何て言い草でやんすか……」


 そう抗議しながら、カランコロンと下駄を鳴らして、シスターマリアの教会を出る照ノ。


 監視のつもりだろう……クリスもついてきた。


 照ノの右腕に抱きついて離そうとしない。


 照ノは紫煙を吐きながら言う。


「そんなに拘束しなくても逃げやしやせんよ」


「そう言って逃げるのが天常照ノですから」


「あっそ……」


 もう言うべきことはないとばかりにそう言って、照ノは抱きついたクリスを引っ張りながら教会の隣にあるオンボロアパート……その二階の一号室に足を向ける。


 それから、


「ただいまでやんす」


 そう言いながら鍵も持たずに、扉を開けた。


「鍵ぐらいかけなさいよ。不用心な……」


「人避けの魔術を施行してあるので泥棒の類は心配ありやせん。だれもこの部屋に気付きやせんよ」


「私、普通に気付いてるけど……」


「クリス嬢の修道服である《加護の装束》には魔術に抵抗する力がありやすからな。それを脱げば小生の部屋はどこかわからなくなるでやんすよ?」


「御託はいいのよ。それより印鑑を……」


「はいはい、わかっていやすよ」


 そう言って、照ノとクリスは、照ノの部屋の屋内へと進む。


 そして、


「…………」


「…………」


 二人そろって沈黙した。


 それはしょうがないことだった。


 何せそれだけのインパクトが照ノの六畳間の部屋にあったのだから。


「ん……むに……」


 そのインパクトは、そう言って寝息を立てていた。


「…………」


「…………」


 照ノとクリスは、沈黙したままだ。


「むにゃう……」


 そうやって、照ノの万年床に寝転がるインパクトは、幼女の姿をしていた。


 それも全裸の幼女だ。


 髪は白いロングヘアー。


 幼女らしく、体に起伏はない。


 未成熟な体を晒しながら、裸の幼女が照ノの布団に寝転んでいた。


「…………」


「…………」


 どこまでも沈黙する照ノとクリス。


 それからのことは一瞬だった。


 照ノが、照ノの腕に抱きついていたクリスを引きはがすのと同時に、クリスが両手の指の間に計八本の仮想聖釘……十寸の破魔の釘を具現化する。


「……っ!」


「……っ!」


 仮想聖釘が、音速を超えて投げられる。


 それをギリギリのところで避ける照ノ。


 照ノは、紅の羽織をひるがえしながら、部屋の床や壁や天井を蹴って、縦横無尽に移動し、自身に向けて放たれる仮想聖釘を避け続ける。


 床に、壁に、天井に、無数の仮想聖釘が突き刺さる。


 ついに仮想聖釘はガラス窓を粉砕して外に飛び出す。


 照ノは両手を振って、クリスに寛容を求めた。


「待った待った待つでやんす……!」


「聞く耳持ちません……!」


「ああ、もう! これだから威力使徒は……!」


 そう言って照ノは、スヤスヤと、心安らかに眠っている裸の幼女の首を掴んで無理矢理体勢を起こすと、盾にするようにクリスへと向けた。


「っ!」


 裸の幼女を人質にとった照ノの策は功を奏した。


 クリスは、両手に握った仮想聖釘を投げようとした体勢で止まった。


 照ノは白いロングヘアーで全裸の幼女を盾にしたまま「ほう」と溜め息をついて、それからキセルの煙草を吸って紫煙を吐く。


「卑怯よ! 人質なんて!」


「卑怯で結構メリケン粉。自分の命が第一でやんす」


 そう述べて、ピコピコとキセルを上下する彼。


「とりあえずその物騒な釘を離すでやんす」


「…………」


 クリスは答えなかったが、仮想聖釘を離すことで応えた。


 バラバラ。


 クリスの手に握られていた仮想聖釘が、床に落ちる。


 それを見届けてから照ノはフーッと煙を吐き、それから裸の幼女を人質から解放し、照ノの万年床に寝かせる。


 そしてもう一度煙草を吸って、吐いて、それから言う。


「落ち着いたでやんすか?」


「ええ、まぁ。無論あなたの今後の発言次第ではどうなるか……自分でもわかりませんが……」


「先に言っておきやす。この少女は……」


 食指で、裸の幼女を指差しながら、照ノは言う。


「小生にも異常事態でやんす。何故、何時、どう関わっているのか小生にもわかりやせん」


「照ノが連れ込んだんじゃないんですか? その……セッ……乱暴するために……」


 頬を朱に染めながら邪推するクリス。

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