エピローグ


『行ってらっしゃい、ユウ』

「行ってきます」

 朝の陽射しが窓から射し込む部屋でクロと別れてから、階下のお母さんとお父さんに挨拶を交わして、自宅を跡にした。

 通学路の賑わいはそこそこで、車の通りは少ない。家との距離が然程ない江ノ比高等学校は徒歩で行ける距離だ。距離が近い、というのも、江ノ比高等学校を選んだ理由の一つでもあった。朝から余裕を保てるのは良いことだ。事前に、学生鞄の中に何か忘れ物がないかを確認できるし、入学してからの遅刻が僕にはなかった。

 誰とも言葉を交わさずに、1─Aの教室に辿り着き、廊下にいる生徒達の喋り声を耳にしながら、扉を横に引いた。

「ごめんなさい」

 自分の教室に踏み込んだ瞬間に、山本さんの声が耳に届いた。山本さんが以前、沢山の会話を交わしていた女の子に頭をさげている。

 僕は、それを無視して自分の席に向かう。

「おはよう、優斗」

「おはよう、桐山君」

 と、背中から茜と長谷部さんに声をかけられた。

「おはよう、茜、長谷部さん」

 僕は二人に挨拶をしてから、山本さんの様子を窺う。──山本さんと女の子は、笑顔で会話をしていた。それを見て良かった、と。

 安心して、一息。

「良かったね」

 長谷部さんが僕の視線に気付いたのだろう。僕にそう言って微笑む。

「うん、良かった」

 山本さんが不機嫌だった原因は、キィの体調不良にあった。だから、もう山本さんが不機嫌である必要はない。

 山本さんが胸に抱え込む痛みはまだ癒えないだろう。それでも山本さんは一人ではないから、大丈夫だよ、キィ。

 キィの心配も、杞憂に終わるから。

 おやすみ、キィ。

「桐山 優斗」

 不意に、頭上から声が降りかかってきた。見上げれば、どこか戸惑いが隠れた視線で、僕を見下ろす女子が其処にはいた。

 僕の名前を呼んだのは、山本さんだ。

 声と表情から察するに、やはり山本さんは、不機嫌ではなさそうだ。

「昨日は、その、いろいろと、あ、ありがと。……それと、悪かったわね、叩いちゃって」

「気にしてないよ」

 茜と長谷部さんが僅かに驚いた様子で、僕達の遣り取りを見守る。周囲からしてみれば、この会話は不自然極まりないだろう。何せ、一昨日まで言い争っていた二人がこうして会話を交わしているのだから。

「それにしても、あんた、猫を手懐けすぎ」

「そうかな。でも、昨日は少ない方だよ」

「多い時は何匹いるのよ」

「百はくだらないかな」

「はっ? ひゃ、百? う、嘘でしょ?」

「うん、さすがに嘘」

「…………」

 不機嫌を顕に、僕を睨む山本さん。その視線に笑ってしまった僕を「何よ、法螺吹き」と口にしてから「……やっぱり訂正」と山本さんは言った。

「法螺吹きじゃなくて、馬鹿ね、桐山 優斗は」

 そう言って、山本さんは笑う。酷いな、と呟いてから、やはり僕も笑うのだ。

 昨日、家の庭にキィのお墓を作ったと、山本さんは言う。今度、お墓参りに訪ねてもいいかと訊くと、山本さんは「仕方ないわね」とまた、微かに笑った。

 



 特別は沢山作った方がいい、と、僕の好きな人は言った。他者とは一線を引いた、特別な関係。山本さんと話し合っている内に、茜と長谷部さんも会話に混ざり、四人で猫の話をした。とても心地よいこの場所は、猫達といるときに味わうあの空間と似ていて、そうして僕は密かに、

 山本さんと友達になりたいと、そう思ったのだ。



 end.

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